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<title>Tatsuya&apos;s Blog</title>
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<title>机浜番屋群再生プロジェクト</title>
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<![CDATA[<p>　かつて厚生労働省の事業でお手伝いさせていただいた、岩手県田野畑村「番屋エコツーリズム」。津波で完全に流されてしまった机浜番屋群の再生プロジェクトがスタートしました。多くの方のご協力をお願いいたします。</p>

<p><a href="http://www.vill.tanohata.iwate.jp/banya/index.html"><strong>机浜番屋群再生プロジェクト実行委員会　事務局</strong><br />
住所：	 〒028-8407　岩手県下閉伊郡田野畑村田野畑143-1<br />
（田野畑村役場　復興対策室内）<br />
電話番号：	 0194-34-2111<br />
ファックス番号：	 0194-34-2632</a></p>]]>

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<title>Stay hungry、Stay foolish.</title>
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<summary type="text/plain">　気がつくと世の中はApple製品が溢れている。ここまで誰もが使い始めると「違う...</summary>
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<dc:subject>Personal</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　気がつくと世の中はApple製品が溢れている。ここまで誰もが使い始めると「違うものが欲しい」と思う。はじめの頃は、そんな人が好んだのがAppleだったのかもしれない。しかし、今ではApple以外の選択肢は考えられないと言っても良いほど、彼のデザインと精神が社会の底流を築いている。今では当たり前に使うマウス、音楽がインターネットでデータとして流通する仕組み、画面上であたかも机の上の用にいくつものソフトが重なるウィンドウという考え方、スマートフォン・・・これらは、すべて彼が作り出したものだった。精神自体を流通させていたのだ。<br />
　まだワープロが出たての頃、父はAppleを買ってきた。若かりし頃sanyoの工業デザイナーでもあった父は、学校に持っていくコンパスや三角定規一つ一つをプロ用のものを僕に持たせていた。「小学生が使うようなコンパスでは、同じ円はかけるかもしれないけど、違うんだ。」としきりに話していた。僕も母も「な〜に言ってんだか。」と取り合わなかった。工業デザインは使い込むことや飽きがこないことが先ず最低条件で、なおかつそこから生み出されるものが世の中で役に立つという連鎖を作り出す"平和製造装置"みたいなものだ。素晴らしいマルを書いてもらいたいという思いで作ったようなメーカーのコンパスで、渾身の「マル」を描くということを教えたかったのかもしれない。そんな思いを全く汲まなかった僕は、父がずっとAppleを買い替え続けていたよこでWindowsばかり使っていた。普通に仕事で使うためにはソフトの数や情報量、そして特に知床のような都市から離れているところでは圧倒的にWindowsに分があった。「オヤジ、Appleなんてむしろシロウトの道具だよ。」とけなしていた父は昨年逝った。改めてAppleの話をしておけば良かったと思う。<br />
　僕はここ数年でAppleに切り替えた。今、Appleを使っていられるのは、インターネットのスピードが上がったからだと思う。必要なアップグレードやデータはネットから仕入れれば済む時代になり、彼がやろうとしていたことも再び輝き出した。思えば、そのインターネットの発展も彼のようなヒッピー、平和主義者の努力によるところが大きい。Appleがこれだけ世の中を席巻している今は、Love&Peaceの祈りに満ちた時代と言っても良いのかもしれない。<br />
　ノートパソコンを開いたときの満足感、デスクトップのデザイン、インターフェイス指向は「よし！素晴らしい「マル」をかいてみるか！」と思わせてくれる。彼のデザインを再び手にすることはなくなるのだろう。しかし、彼の精神の継承はAppleの社員だけではなく、優れた工業デザインから生み出されるアウトプットに命を吹き込む僕たちにも課せられているのかもしれない。スティーブジョブスさん、どうぞ安らかにお眠りくださいませ。頑張ってみます。</p>

<p>Stay hungry、Stay foolish.</p>

<p>合掌</p>]]>

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<title>「おめでとう」は誰にいうの？</title>
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<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
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<summary type="text/plain">　小笠原は素晴らしいところです！それが世界レベルに登録されることは、日本人として...</summary>
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<dc:subject>World Heritage</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　小笠原は素晴らしいところです！それが世界レベルに登録されることは、日本人として誇らしい気持ちになります。先ずはおめでとうございます！</p>]]>
<![CDATA[<p>　・・・自分で言っておいて、この「おめでとう」は誰に向けられているのだろうと思います。本来は自然そのものでしょう。だけど、「おめでとう」というと地元の人に対して言っているように聞こえるかもしれません。でも僕は地元の人たちには決して「おめでとう」とは言えません。一緒にいろいろ頑張りましょう、一緒に闘いましょうというのが精一杯です。<br />
　知床が世界遺産になり、子供の同級生の親が旅行者にこんなことを言われたそうです。怪我をしてシベリアに帰れず、真夏にウトロの港に漂っているハクチョウをみて「アナタたち地元民はなぜあのハクチョウを保護しないのだ！世界遺産になって観光客だけ来ればよいと思ってたのか！」と。<br />
　また、僕自身もこんなことを言われました。「道の駅も無いくせに、世界遺産の誘致なんて、とんでもない。不便で仕方がない。早く道の駅を作りなさい」。<br />
　あるいは子供は完全に次のように擦り込まれていて、不平を言います（恐らく誰も擦り込んでいるつもりはないのでしょうが）。「観光客が増え、ゴミばかり置いていっている。」と。<br />
　「地元」と言っているのは政府や行政が都合よく使う「自治体」や、当て嘱で形成された「地域協議会」のことを指します。一般の人々が自発的に世界遺産を誘致なんてしません。世界遺産は政治なのです。しかし、さまざまな受け皿は僕たち生身の「地元民」がやらなければならなくなります。それは、非常に不快なことです。否、僕はここに住んで15年足らずですが、そんな僕が不快なのに、何代もここに暮らしている人たちからしたら、想像を絶するつらさなのです。想像してみても下さい。普通に暮らしている地域が急に世界遺産と呼ばれ、いつの間にか生活や経済が管理計画に盛り込まれていることを・・・。<br />
　政治はここまでフォローして初めて感謝されるのでしょうが、くだらないお祭りムードの報道だけを繰り返し、大まかにみんなが喜んでいることを強調します。僕はつまらないことばかり言うので、当時は単なる反対派のように扱われたり、商魂逞しい社長のように扱われたり本当にイヤな思いをしました。でも、そんなザワザワは数年すれば過ぎ去ります。一般の方はしばらくの間の辛抱は必要です。数年、堪えてください。<br />
　そして小笠原は離島ならではの悩み（空港を切望している人も多い）もあるようですし、外来種（例えば猫）の駆除が精神的な苦痛となって島民を襲っている事実もあります。そういったことが議論すらできなくなるような風潮になることを、僕は最も危惧しています。小笠原の人たちには普通に発信し続けていただきたいし、受け手もステレオタイプな話で終始してほしくないと思います。<br />
　いずれにしても、以前仕事で連れて行ってもらった小笠原。仕事の合間にサーフィンをしたい！という目的は果たせずでした（笑）。あの素晴らしい自然は、体に染み付いています。また訪れたいなあと思っています。お会いしたみなさま、ご自愛くださいませ。そして、また伺うときには一緒に遊んでください！</p>]]>
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<title>ソーシャルビジネス</title>
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<summary type="text/plain">　BSの「財部ビジネス研究所」で夏野剛取締役が「政治家はテレビでは勝手なキャラク...</summary>
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<dc:subject>Business</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　BSの「財部ビジネス研究所」で夏野剛取締役が「政治家はテレビでは勝手なキャラクターを付けられるが、実際にお会いすると魅力的な方ばかり。しかし、マスメディアはその方の話を1時間放送するわけにはいかないので、本当によい政策を持っていても国民に伝わらない。ニコニコ動画で政治家を扱う主旨は、それが政治家ご本人の政治的な意図だろうとなんだろうと関係なく、とにかく素晴らしいお人柄を知っていただきたいという思いがあります。」と仰っていました。<br />
　今日は見られなかったのですが、岡田元監督や孫社長、apbankの小林さんなどと管首相の対談が放映されたようで、twitter上では管さんへの好意的なつぶやきが多く見られます。本当にそうかどうか、だまされてるか否か、なんてどうでもよくて、こういう柔らかい言葉、愛のある言霊がネット上に広がっていくのは素晴らしいなあと思います。<br />
　これは自分にも言い聞かせますが、言いたいのはそのことではなく、ニコニコ動画の理念が、きちんとネットの中に浸透していっている様子を見るにつけ、サービスとして商品としてエクセレントだなあと思ったのです。ソーシャルビジネスです。</p>]]>

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<title>ふくしまキッズ夏期林間学校　TOP</title>
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<summary type="text/plain">田口ランディさんから、ねおすの高木さん達がやられるこの夏の取り組みの周知依頼を頂...</summary>
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<dc:subject>Public</dc:subject>
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<![CDATA[<p>田口ランディさんから、ねおすの高木さん達がやられるこの夏の取り組みの周知依頼を頂きました。</p>

<p>ー以下転載ー<br />
プロジェクト「福島キッズ夏期林間学校」が動き出しました。<br />
以下のサイトに詳しい案内があります。<br />
<a href="http://fukushima-kids.org/">http://fukushima-kids.org/<br />
</a><br />
福島原発の被災地域の子供たちは、ほとんど外に出ることを禁じられて萎縮しています。<br />
そこで福島の外で遊べない子供たちに、北海道の林間学校に行って子供らしい夏休みを満喫してもらおうというプログラムです。民間NPOが中心になってすすめています。子供たちが人とのつながりを感じ、社会が自分たちにけっして無関心でないということを実感してもらえたらいいなあと思っています。<br />
ブログやtwittetなどで告知にご協力いただけませんか？<br />
サイトへリンクしていただければうれしいです。</p>

<p>ー中略ー</p>

<p>子どもたち、ほんとうに「いい子」になっています。親が大変なのがわかるんでしょうね。<br />
少し羽目をはずさせてあげたいなあ……と思っています。</p>

<p>告知のご協力、どうかよろしくお願いします。</p>

<p>田口ランディ<br />
</p>]]>

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<title>知床のアウトドアブランド登場！！</title>
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<issued>2011-06-03T13:54:58Z</issued>
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<summary type="text/plain">　この度、アウトドアブランド「フォレスティンギア」さんとのコラボで、知床や北海道...</summary>
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<dc:subject>Eco-Eco</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　この度、アウトドアブランド「フォレスティンギア」さんとのコラボで、知床や北海道の自然に特化したブランドを立ち上げることとなりました。フォレスティンギアのブランド名はそのままに、メーカー、shinra、cafepathで「知床メッセンジャー」という会社を設立し、さまざまな物販展開を行います。小さなブランドながらも本格的なアウトドアアパレルを全国で展開するフォレスティンギアによる製造なので、お馴染みのschoeller® ショーラーや東レなどの素材は実用的なもの。そこに、例えば襟の高さやシーバーポケットなど、ガイドならではの機能性を持たせていきたいと考えています。<br />
　また、「知床メッセンジャー」では"買いたいものがなかった"お土産にも参入いたします。ホテルやお土産物屋さんとお話をしていると、皆、同じ問題意識。つまり、もっとオリジナルのものを作りたい、もっと知床らしいものを作りたい、というニーズはあったものの「誰と話せばよいのか？」というチャネルがないだけの様子なのです。皆さんの声を聞きながら、特に秋冬のラインナップについてはじっくりと企画していきたいと思います。みなさま、どうぞお見知りおきを！</p>

<p><a href="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/forestingear_collabo.pdf">プレスリリース（PDF）</a><br />
</p>]]>

</content>
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<title>小笠原の世界遺産登録</title>
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<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
<issued>2011-05-07T00:19:09Z</issued>
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<created>2011-05-07T00:19:09Z</created>
<summary type="text/plain">　小笠原に関わる友人も多く、以前、日本学術振興会の社会科学振興プロジェクト研究事...</summary>
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<dc:subject>World Heritage</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　小笠原に関わる友人も多く、以前、日本学術振興会の社会科学振興プロジェクト研究事業で伺った関係もあり、今回の小笠原の世界遺産登録への勧告を受けてコメントさせていただきたいと思います。前半はtwitterにつぶやいたものですが、それに付け加えて、登録から5年以上たった知床の現状とそれを受けての提案です。乱文ですが取り急ぎ。<br />
----twitterより転載----<br />
　小笠原と平泉の世界遺産登録が確実になったようです。先ずは「おめでとうございます」と言いたい。ここに辿り着くまでのご努力に敬意を表します。しかし、これからの方がもっと大変です。<br />
　行政は枠組を得たことで長期的に動く担保ができますが、我々民間にはそんなスパンで動けません。さまざまなことで粘り負けしますし、粘りすぎても「問題の先送り」になりかねません。民間サイドが息切れしない、我々なりの枠組も必要かもしれません。<br />
　一つ言えるのはIUCNなどは民間組織であるということ。日本国内の太いコネクションは行政の息がかかっているでしょうが、日本よりも遥かに古い歴史のあるIUCNに入っているNGOは、地域の小さな意見を聞き入れる土壌が素晴らしく出来上がっています。<br />
----転載終了----</p>]]>
<![CDATA[<p>　知床では世界遺産に登録されたことによって、さまざまな議論や取り組みが10年ぐらい巻き戻されました。私たちが進めてきていたエコツーリズムにおいても、日本の観光産業の現状にあったカタチで少しずつ積み上げてきたことが、議論をすればするほど、実は問題の多かったかつての観光地に知床を戻してしまいました。現場を知らない研究者は"絵に描いたようなエコツアー"にこだわるのです。すなわち「双眼鏡を首からぶら下げて、アウトドアウェアに身を包んだ少人数が森を歩く姿」を推奨するのですが、それはエコツーリズムではなく"エコツアーの一形態"に過ぎないということを、当事者ではない研究者にはピンと来ないのでしょう。<br />
　さらに、マスツーリズムの元凶かのように旅行会社の機能を彼らは否定してきました。「団体型から個人型、周遊型から体験型」といったどこかで聞いたような単純化された啓発を続けましたが、これらの結果引き起こしたのは、皮肉にも週末や連休に個人客のピークが集中する「30年前のマスツアー観光地の原型の再構築」です。かつて、このピークにあわせてホテルなどの施設は巨大化しました。一方でオフシーズンの経営は非常に厳しいものがありました。それを、平準化していく努力が積み重ねられてきたのが知床や北海道各地の観光地です。トップシーズンは個人型に枠を多くとり（旅行会社は料金が高額）、それ以外のオフシーズンやショルダーシーズンに旅行会社の観光商品を多く造成することによって、極端な差を減らしてきていたのです。そのような中で、旅行会社の機能はうまくいっていました。<br />
　僕たちはこうした民間が築き上げてきた機能を活用しようと再三意見をしてきましたが、エライ研究者の前には歯が立ちませんでした。現在はかつて悩んだ「ピークカットとオフ・ショルダーシーズンへの平準化」が課題となりつつあります。僕たちは自助努力でこれに取り組んでいますが、引っ掻き回した"セカイイサン"は何もしてくれません。頭に来るのですが、怒っていても仕方がありません。それが歴史ですし、人の営みですから。<br />
　このような心配は小笠原には当てはまらないかもしれません。しかし、いずれにしても名だたる有識者が勝手なことを言い、引っ掻き回すことは間違いありません。間に入る行政にはセーフティーネットのような役割を担っていただきたいですし、これまで地域で築き上げてきた民間のノウハウを（必要な方向修正は行いつつ）IUCNに追認させるようなビジョンを基本姿勢にしていただきたいと思います。そして、地元は大人しくいい子ちゃんになっても、何も良いことがないことを肝に銘じた方が良いと思います。僕はずいぶん大人しくしていましたが「ああ心配していたことが、結局その通りになっているなあ」と悔やんでいますし、そう振る舞っていなければならなかった不甲斐なさに情けなくなっています。</p>

<p>　僕はまた10年かけて何とかしていこうと思っています。<br />
　「このタイムスパンがもったいない」と思うことと「遺産登録は時期尚早」と思うことと「議論を進めるカンフル剤としての遺産登録」ということとは、恐らく同義だと思います。人間の寿命以上に長いスパンで考えられるのは行政と、法の上での人＝法人です。行政は地域のニーズを丁寧に拾う努力を、民間は法人などの制度を活用して、長いスパンを闘える体勢を整えていくことが必要だと思います。応援します。</p>]]>
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<title>支援というより運動として</title>
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<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
<issued>2011-04-15T06:05:00Z</issued>
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<created>2011-04-15T06:05:00Z</created>
<summary type="text/plain">　田野畑村から帰ってきました。想像していた通りの状況であり、想像を遥かに超える状...</summary>
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<name>shinra</name>
<url>http://www.shinra.or.jp/</url>
<email>info@shinra.or.jp</email>
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<dc:subject>Slow Life</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　田野畑村から帰ってきました。想像していた通りの状況であり、想像を遥かに超える状況でした。人の脳は恐ろしい状況を判断する回路は備わっていないようです。変わり果てた土地に立つと、不思議と何の感情もわき起こってこずポカンとしてしまいます。我を忘れていると、大声で泣く方の嗚咽が聞こえてきて、我に返ります。</p>

<p><a href="http://www.vill.tanohata.iwate.jp/02kurashi/cat14/20110330-172730.html">■田野畑村災害義援金受付口座■<br />
北日本銀行　岩泉支店<br />
普通預金口座<br />
店番【032】<br />
口座番号【7011834】<br />
口座名義人【田野畑村災害義援金　田野畑村長　上机莞治(かみつくえ かんじ)】</a></p>

<p><a href="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/RIMG1254.jpg"><img alt="RIMG1254.jpg" src="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/RIMG1254-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
ホテルの4階まで水が上がりました</p>]]>
<![CDATA[<p>　田野畑村は大きく分けると国道45号線沿いの高台にある集落と、海岸の集落とに別れます。さらに海岸の集落は、机（つくえ）、明戸（あけと）、羅賀（らが）、平井賀（ひらいが）、島越（しまのこし）に別れていますが、ご想像の通り全ての集落が壊滅的な津波の被害に遭いました。亡くなった方が１４人、行方がわからない方も２０人ほどいらっしゃいます。特に島越地区は、複雑な地形のためなのか特にひどい被害を受けています。沿岸を通る三陸鉄道も陸橋ごと流され、素敵な駅舎も跡形もなくなってしまいました。お宅を流された被災者を中心に高台の役場近くの「アズビイホール」で避難所生活をなさっている方が２００名ほどいらっしゃいます。<br />
　僕が深くお付き合いのあった「<a href="http://www.tanohata-taiken.jp/">体験村たのはた</a>」の皆様はご無事でいらっしゃいましたが、やはり住宅が流されご親戚の家に身を寄せていらっしゃる方や、身内で被害に遭われた方がほとんどで、またスタッフの多くも地震の当日、海岸の遊歩道の整備を行っており九死に一生を得た状態でした。整備にサッパ船を1艘使っていたそうですが、船長は沖に逃れ翌日にかえってきたといいます。漁師が普段仕事をしている磯を、普段使用している小さな船＝サッパ船でご案内するクルーズが人気でしたが、その1艘を残して全てが海に流されてしまいました。<br />
　現地ではお見舞いとご用聞き、地震後、余震や津波注意報が続き確認のできていない箇所の見回り付き添いなどの活動を行いました。歩く先々で皆さんが訴えていたのは、仕事をするための船を探して欲しいということでした。<br />
　折しも、<a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110413-00000015-jij-soci">現地の報道が</a>ありましたが非常に深刻です。せっかく復興に向けて意欲を出しているところですが、それができずにいるということは相当のストレスです。村では新造船を５０隻に限って取りまとめていましたが、田野畑村全体でもざっと１００隻は流されています。残りの５０隻はどうすれば良いのか。残り５０隻分も取りまとめるそうですが、いつ納船になるかわからないし、そもそも高齢の漁師にとっては新たな借金は抱えたくないというのも本音です。先に船が手に入った人にとっても、他の仲間の手前仕事をしにくい。またさらに中古の市場は早い者勝ちの様相を呈していて、僕が浜に住んでるということで頼まれているのですが、ウトロの漁組に確認をとってみたところ、全国の漁連を通して依頼は来ていると聞きました。手当り次第に声をかけていますが、宮古だけでも１０００隻と言われている中で、取りまとめはできないのが現実です。とりあえず命さえ助かればという状況から、現地のニーズはどんどんと変化していっています。<br />
<img alt="RIMG1285.jpg" src="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/RIMG1285.jpg" width="300" height="225" /><br />
この船は田野畑の船ではないそうです</p>

<p>　田野畑村にはご縁があって、3年間ほど知床から通い現地のエコツーリズム立ち上げのお手伝いに関わっていました。立ち上げた「<a href="http://www.tanohata-taiken.jp/">番屋エコツーリズム</a>」は順調に発展していました。田野畑村に残っていた古い番屋の風景が奇跡的で、「崖・海・人」という自然と人が織りなす営みの姿そのものをツーリズムのスピリットに据えたのですが、今回の地震と津波で全てが根底から崩れてしまいました。<br />
　僕は観光業の人間です。ですが、観光業は世界が平和で安定しているときではないと成り立たない産業だといわれています。正直、今回の被害を見て、僕ができることなどないと思いました。しかし一つの確信を持った事柄があります。それはこのような状況でも「おもてなしをしたい」という人がいるということです。今回、テント泊を考えていた僕ですが、被害に遭っていない方のお宅のご好意で泊めさせていただきました。それ自体もあり得ないことなのですが、その初老のご夫婦はこんなことを仰っていました。「津波で親を亡くした子供を預かりたい」と。また、隣町の観光施設の様子を見に行ったときも、施設は休業し解雇されたにもかかわらず元従業員の皆様が、手作業で海岸の片付けを終えていました。きれいな浜が売りのその観光施設を訪れるお客様はいませんが、「やっぱりきれいにしてお迎えしたいから。」と仰っていました。がれきの山ばかりの中、元のままの地名の通り天国のような美しい浜を見て癒される方がどれほどいらっしゃるでしょう。被災地だろうがなんだろうが、きれいにして訪問者をお迎えしたいとおもう「おもてなし」を生き甲斐にしている人は大勢います。考え方を相当に切り替えるとどのような形であれ、観光サイドからの支援が必要なのだろうと思いました。実際、さまざまな「！」と思うような依頼や相談が来るようになりました。もう少し頭を整理して、僕たちができることを考えようと思います。このとき、ボランティアでは息が切れてしまいます。持続的に関わることも僕たちの責任だと思いました。それが経済を生むということ。「経世済民」の本来の意味が問われています。<br />
<img alt="RIMG1308.jpg" src="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/RIMG1308.jpg" width="300" height="225" /><br />
ご存知、浄土が浜。早くもボランティアの手によりきれいになっています。</p>

<p>　田野畑村では「被災者」の姿はさまざまです。お亡くなりになった方をご家族に持つ「被災者」、全員元気ですが家が流されてしまった「被災者」、家族も家も元気ですが心が塞ぎ込んでしまっている「被災者」、全て至って健康だけれども、食べたいものの見たいものを我慢している「被災者」、そしてこれらの「被災者」に遠慮を感じてしまう「被災者」・・・。僕たちから見たら被災地にいらっしゃる方々は皆さん「被災者」なのですが、「いやあ、ウチは被災していないよ」と仰るのが心苦しかったです。さらには震災以降、キャンセル続きで北海道経済も大変だという話をしていたら、「なんだ、藤崎君も被災者だな。」と言われました。<br />
　被災した町を抜けて車で走っているとき、ほんの辻一つで壊滅的な場所と一見問題ない家庭との差が印象的でした。隣の学校は避難所になっているのに、こちらの学校では子供達が元気に部活動をする姿があります。田野畑村の「被災者」の多様な姿は日本の縮図です。隣で悲愴な被災をしている方がいらっしゃりながらも、「被災していない」と言いながら暮らす「被災者」がいる。お隣の家か、何１００km離れた家かの違いです。大変な「被災者」がいることに思いを馳せること、そして自らももしかしたら「被災者」ではないかと感じながら踏ん張りつつ、他に助けを求めることとを整理すること。これだけの規模の災害は、戦後何10年もかけて復興したときと同じです。今までの枠組で自分自身を捉えていては、乗り越える前にヤケになってしまいます。多くの国民がもはや被災者なのです。<br />
　そう捉え直すと、マクロの視点があまりにも脆弱すぎます。CMで言っているような「心を一つに」とか、国が出す対症療法的な施策がものすごく悠長に感じた数日でした。きれいごとで、ここ数ヶ月を過ごしているのは、ボディブローを受け続けているのと一緒です。1年後ぐらいに効いてきます。相当に大胆で思い切った施策が必要だと思いました。施政者はしっかりしてもらいたいと思います。<br />
　そして、戦争も、学生運動も体験していない僕たちの世代の運動に育っていくことを確信しました。他の被災地で活動している友人も皆同じことを感じているようです。大きなパラダイムシフトが必要な中、既存の政治に望んでいてはこの状況は打破できないでしょう。時間の作れる人は現地に入りましょう。この状況と歴史を共有しようじゃありませんか。オルタナティブを今こそ！です。<br />
　<br />
　長々と書いてしまいましたが<br />
■「小船を探しています！」→少しでも情報があれば連絡を下さい！<br />
■「状況は全く収束していません」→マスメディアの勝手な雰囲気にのまれてはいけません。<br />
■「ボランティアに行きましょう」→人手が足りているところと、足りていないところの差が顕著です。迷惑になんかなりません。現地を体験し次の時代を作る原点に！</p>

<p>■shinraでは第２陣が２０日ごろから東北に向かいます。</p>

<p><img alt="RIMG1314.jpg" src="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/RIMG1314.jpg" width="225" height="300" /><br />
「×」は亡くなった方が見つかったサイン。陸前高田</p>]]>
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<title>磯船を探しています</title>
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<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
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<![CDATA[<p>　船が流されてしまい、田野畑村の漁師達は磯舟を探しています。田野畑村は沿岸でのアワビ漁など小規模であり、兼業漁師が多く、また高齢の漁師ばかりですので高額な新造船を買うわけにはいかないため、小さな中古船で充分だそうです。東北中で船が流されているので探すのに苦労している様子で、北海道にも声かけをしているとのことです。お知り合いがいらっしゃったら情報を頂けると助かります。今朝わざわざ頂いた手紙を転記します。</p>

<p>ー以下引用ー<br />
先月の大津波により田野畑沿岸漁民は船を流され困っています<br />
天然わかめ、うに、こんぶ、あわび、等出漁に出たくても船がなく<br />
船を注文しても新しい船が手に入るまで<br />
何時になるかわからない状態で非常に困っています。<br />
中古船で田野畑で使用している（程度の※）小舟があったら<br />
見つけて欲しくお願いします。</p>

<p>（使用していたもの※）<br />
ヤマハ１６尺和船（通称呼び名）<br />
サイズ</p>

<p>実測データー<br />
全長４m６７cm<br />
全幅１m３７cm<br />
深さ０．５５cm</p>

<p>登録データー<br />
全長４m１８cm<br />
全幅１m３５cm</p>

<p>トン数　０．３t</p>

<p>登録に必要な書類<br />
使用している場合・登録証（所有者）<br />
抹消してある場合・抹消登録原簿（所属漁組）</p>

<p>※藤崎加筆</p>]]>

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<title>田野畑村に来ています</title>
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<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
<issued>2011-04-10T06:24:33Z</issued>
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<summary type="text/plain">　目にした光景、聞いた話を咀嚼し説明するには相当に頭の中を整理しなければなりませ...</summary>
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<![CDATA[<p>　目にした光景、聞いた話を咀嚼し説明するには相当に頭の中を整理しなければなりません。<br />
　田野畑の風景の象徴のような松の木が無数になぎ倒され、村にはマツの良い香りが漂っています。そして、鎮魂の空気も。</p>

<p><a href="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/RIMG1248.jpg"><img alt="RIMG1248.jpg" src="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/RIMG1248-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
</p>]]>
<![CDATA[<p>　</p>]]>
</content>
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<title>NPO法と寄付文化</title>
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<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
<issued>2011-04-03T12:49:08Z</issued>
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<summary type="text/plain">　知床ナチュラリスト協会はNPO法人です。NPOとは民間の公的セクターとも言われ...</summary>
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<dc:subject>NPO</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　知床ナチュラリスト協会はNPO法人です。NPOとは民間の公的セクターとも言われていますが、行政などが対応しきれない公益的な事業や、民間事業者でも採算が合わなさそうなサービスを、会費や寄付などで支えながら持続していく活動に法人格を与えるものです。もう、NPO法ができて15年も経っているので当初の経緯を知っている人が少なくなりましたが、この法律は阪神淡路大震災を通して作られました。先日、そのNPO法を作った中心的な人物の息子夫婦が知床に遊びにきてくれました。shinraの若いガイドが「お父さんは何の仕事をしているのですか？」という質問をしたと聞いて、ご本人たちと大爆笑していました。「その人がいなければ、ウチの会社はなかったのだぞ！（笑）」という感じですが、しかし、こんな風に社会の中にNPO活動が「当たり前になっている状況」に少々感慨を覚えました。そして、そんな「当たり前」が充分ではないにしても被災地で機能している様子は隔世の感があります。一方で、今、NPOセクターがやり続けてきたことが試されています。</p>]]>
<![CDATA[<p>　NPO法ができる前、阪神淡路大震災のときにも全国からボランティアが集まってきたり、被災者自身がボランティアを行うようになり、復旧や復興、まちづくりに大変活躍しました。しかし、当時は「ボランティア」を行うことに対して非常な抵抗がありました。僕が会社勤めをしていたときに震災が起きたのですが、会社を休んでボランティアに旅立った後輩は、会社の中で散々な言われようをしていたのを覚えています。また、大勢のボランティアをコーディネートするノウハウをどこも持っておらず、少なからず混乱が起きたのも事実でした。長期にわたるサポートをしていくに際して、報酬のない活動に限界が訪れることを多くの人が気がついたのですが、「ボランティア」のもつ「無償」という先入観から、事業化を行うことなどとんでもないことのように言われていました。<br />
　しかし、当時の活動家が国に働きかけNPO法が生まれました。これは画期的でした。先の被災地でのボランティアで私たちは多くの知見を得ていたのです。行政では対応できないことがたくさんあること、お金をかけなくてもできることがたくさんあること、賃金ではなく社会的な活動に関心を持っている人が大勢いること、議論している暇があったら手を動かした方が良い場面もたくさんあるということ、そして、最も大きいのはそういった活動を支えるための「寄付」などの文化を育てる必要があること、そんなことがNPO法に魂として込められようとしていました。当時、その中でやりきれなかったのが最後の「寄付」についてでした。<br />
　NPO法のモデルとしたアメリカなどの欧米諸国では、教会活動やキリスト教の教義などから「寄付」が日常的に行われていました。さまざまなファンドを作り、明確な使途でのお金が社会のあるセクターに集まっているのです。ちなみにRed Cross（赤十字）はそんな団体の一つ。つまりNPOの一つでした。<br />
　当時「これは、日本に根付くだろうか？」と思いました。<br />
　まず、僕たちは小さな活動や得体の知れない団体を信用していませんでした。名前の通った、誰でも知っている会社や大学に入ることが「ちゃんとしていること」として教わっていましたので、敢えて、小さな団体にお金を渡すことなど考えてもみなかったからです。さらに言葉は悪いですが「人に恵んでもらう」ということに、とても後ろめたくマイナスなイメージが染み込んでいました。NPOを立ち上げた当時も「絶対に寄付や助成などで運営はしない」ということを心に決めていたほどです。小さな団体の側にも一般の人から寄付をもらうことなど全く眼中になかった。皮肉なことですが、小さな組織を育てようとしたNPOが盛り上がる機運の中、環境で言えばWWFとか日本野鳥の会といったパワーNPOが相変わらず集金力を伸ばすという結果になりました。そんな中で、国によって寄付金の税控除が行われましたが、指定のNPOになるためには煩雑な資料作成などが必要でハードルが高く、寄付が広まるには至っていないまま現在に至っています。当時、政府は税金を控除する対象を考えることはしたくなかったのだと思います。今の財政難を考えると当然のことと思いますが、ここに来てその付けが回ってきたような気がしています。<br />
　つまり、震災の復旧の初動を担う活動団体は育ったものの、相変わらず彼らは自分のお金で現地に向かい、行政機関より先に飯炊きをし受け入れ態勢を整えています。shinraでも来週から岩手に出かけますが全て手弁当となります。こういうと「当たり前じゃないか。人が困っているのにお前は金のことを言うのか？」と言い出す人が必ずいます。気持ちとしてはわかるのですが、自分の車で東北に行くことを想像してみてください。フェリー代、高速道路代、ガソリン代で、知床から往復するだけで１０万円は軽く飛んでいきます。いえ、それをまかなうことは良しとしても、今回のような息の長い支援が必要な状況で、最初の数ヶ月でお金が底をつきそこで活動を停めることで良いでしょうか？支援をしている現場で、住民から「灯油タンクが欲しい」と要望されたとき、数百円かもしれませんがちょっとしたお金は必要です。小さな活動だろうが、赤十字のような大きな活動だろうが、お金は必要なのです。そして、今回のような大規模な災害の場合、向こう5年ぐらいのお金が国として必要です。現地ではお金は生みません、こちらもタダで渡すだけですから、全く経済がない状態を何年も続くわけです。NPO法が生まれたときにこの戦略まできちんと盛り込んでいれば、今回はもっとスムースにボランティア活動の広がりがみられたことでしょう。<br />
　NPO法を作ったお父様のご子息も、大学の研究所で社会活動についてのサポートや研究を続けています。そんな彼が言っていたのは「今までのNPO活動の真価が問われていますね」ということです。学生運動から労働組合を経て粘り強く社会運動を続けてきたお父さんの業績を、彼はどのように見ているでしょう。元気村さんや、ピースウィンズジャパンさんが当たり前に活躍している姿は、あきらかにNPO法の成果ですが、やがてすぐに訪れるボランティア活動の財政難はNPO法がやり残した部分です。shinraではお世話になった岩手県田野畑村などの復旧復興に使えるような基金を関係団体とともに検討しています。そういった小さな基金がこれからたくさん生まれてくるでしょう。阪神淡路大震災でNPO法が生まれたように、今回の震災が「寄付文化」の黎明となるような気がしています。</p>]]>
</content>
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<title>田野畑村からのお便り</title>
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<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
<issued>2011-04-01T13:44:30Z</issued>
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<summary type="text/plain">　ようやくインターネットが開通し、メールが届きました。我慢していたものが、こみ上...</summary>
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<![CDATA[<p>　ようやくインターネットが開通し、メールが届きました。我慢していたものが、こみ上げてきます。写真は転載しません。転載しなくてもそのうちどこかで目にすることでしょう。<br />
　それよりも、観光をやっている僕たちは「最高に素晴らしい景色の写真」を使うのが仕事です。田野畑は今なお美しい土地です。これぞ東北！という小さなコミュニティが魅力の村です。実情を伝えることも大切でなので、いろいろと考えたのですが、やっぱり頭に焼き付いている美しい風景と人々の笑顔だけを、敢えて見つめようと思います。写真は載せません。がれきは、片付けりゃいいんです！みなさま、支援をお願いします！！（田野畑に行き具体的な支援のあり方をまとめたいと思います。</p>

<p>ーーー以下、転載ーーー<br />
<em><br />
・・・本日ようやくメール回線が復旧しました。<br />
3.11　の震災・津波災害発生時から3週間も時間が経ってしまいました。<br />
直後から　安否確認やお見舞いのご連絡をいただきながら、こちらの<br />
通信事情の悪さや、その日その時その瞬間の一番優先すべき行動や業務<br />
に追われ、この時までこちらから満足なご連絡や御礼も伝えないままで<br />
いたことをお詫びいたします。本当にご心配をおかけいたしました。</p>

<p>この一回だけのメールでは大地震発生時から津波襲来時、そして今こ至<br />
るまでのお話は、どんなに掻い摘んだとしても到底全てをお伝えするこ<br />
とは出来ません。<br />
ただ、私自身、そして家族が幸い津波の難を逃れ、命を頂いて生きてい<br />
ること、同僚や村人が皆さまや全国の方々からの支援で日々を過ごせて<br />
いて、これから復興に向けての希望や光をを少しずつ感じていることな<br />
どの全てに対し・・・本当に感謝いたしております。</p>

<p>失ったものは帰ってきませんが、本村の番屋エコツーリズムが軌道に乗<br />
り、サッパ船や番屋ガイドのお客様で賑やかなしころの机浜番屋群(つく<br />
えはまばんやぐん)写真を被災直後の写真と同じアングルからの写真で<br />
添付いたします。<br />
漁村の町並みも三陸鉄道の高架橋も駅も、3セクのホテル羅賀荘も3階ま<br />
で津波をかぶりました。ここの高さで海面から約20mです。<br />
当日いた団体のツアー客と従業員は5階以上に避難して全員無事でした。</p>

<p>もとどおりにはなりません、これから少しずつ新しい田野畑村の観光を<br />
作っていきたいと思いますので、ご指導ご支援をよろしくお願いいたし<br />
ます。<br />
桜はどのへんまで来ているのでしょうか？田野畑にももうじき春がやっ<br />
てきますね(微笑)<br />
</em></p>]]>

</content>
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<title>田野畑村で支援が必要です</title>
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<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
<issued>2011-03-14T00:51:44Z</issued>
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<summary type="text/plain">　僕が３年間関わった岩手県田野畑村に支援が必要です。田野畑村は海岸と山間部とに大...</summary>
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<dc:subject>Public</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/">
<![CDATA[<p>　僕が<a href="http://www.shinra.or.jp/archives/tatsuya/002193.php">３年間関わった岩手県田野畑村</a>に支援が必要です。田野畑村は海岸と山間部とに大きな集落が別れておりますが、察しの通り海岸部は壊滅。私がプロデュースした「<a href="http://www.tanohata-taiken.jp/">番屋エコツーリズム</a>」ですが番屋は全て流された模様です。「崖と海と人が織りなす営み」が田野畑村の魅力そのものであり、それを伝えるツーリズムというのがスピリットだったのですが、この津波と災害を受け、この「営み」自体が足下から積み上げ直さなければならなくなりました。先ずは復興の支援、その先は産業の復興についてサポートが必要です。まだ、情報が不足していますが、何卒みなさまのお力をお借りできたらと思います。しかるべき時期が参りましたらご連絡させて頂きます。</p>]]>

</content>
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<title>雪で山を作る</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.shinra.or.jp/archives/tatsuya/002876.php" />
<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
<issued>2011-02-27T13:51:42Z</issued>
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<created>2011-02-27T13:51:42Z</created>
<summary type="text/plain">　北海道開発局と「路線連絡会議」が設置している「臨時ビューポイントパーキング」。...</summary>
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<name>shinra</name>
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<email>info@shinra.or.jp</email>
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<dc:subject>Community</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/">
<![CDATA[<p>　北海道開発局と「路線連絡会議」が設置している「臨時ビューポイントパーキング」。もうかれこれ４年ぐらいになるだろうか、今年、ようやく日の目を見るスポットとなりました。<br />
<a href="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/245455483.jpg"><img alt="245455483.jpg" src="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/245455483-thumb.jpg" width="400" height="224" /></a></p>]]>
<![CDATA[<p>　この臨時ビューポイントパーキングは、斜里〜ウトロ間の国道334号は流氷の景観が美しいながらも駐車し流氷を眺める場所がないことによる、路上駐車やそれに伴う事故などの対策の一環として設置されるようになりました。（ →北海道開発局ホームページ<a href="http://www.ab.hkd.mlit.go.jp/kisya/230204.pdf">http://http://www.ab.hkd.mlit.go.jp/kisya/230204.pdf</a>）どのような広報でここまでお客様が立ち寄ってもらうようになったかわかりませんが、徹底した宣伝、誘導看板、まれに見る流氷の勢力、cafepathの人気などが相まって、これほどまでの集客をすることができたのだろうと思います。</p>

<p><a href="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/240022151.jpg"><img alt="240022151.jpg" src="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/240022151-thumb.jpg" width="400" height="224" /></a></p>

<p>　間もなく、立ち寄り人数が発表されると思いますが、本当に多くの方がこんな雪で作っただけの山に登りにきてくださります。雪山を作るのに恐らく業務として土建屋さんに発注はされているでしょうが、実際はほぼボランティア。オペレーターの方が半ばおもしろがって凝った作りにしてくれたりしている感じです。つまり、お金がかかるにしても少ない金額で、ただ雪で山を作るだけで観光名所になる・・・というのは示唆的です。そういえば、僕は一昨年から「山を作る」人になってきました（笑）スキー場に作ったパークも、ちょっとした金額プラスボランティアなのですが、それによってお客様が足を運んでくださったり、活気づいたりすることを考えると、元々良い場所には何かを付け加えることによって、さらに魅力が増すということがわかってきました。<br />
　私たち観光業者はいろいろと苦労をして知床に足を運んで頂こうとしているわけですが、もともと景観が良い場所をちょっと手をくわえることは、その良い景観に演出が加えられ感動を呼びます。ちょっとした仕掛けでお客様に喜んでもらえるなら、もっともっとやっていっても良いと思いました。ただし、そこで重要なのは「手をかける」こと。この雪山は半ばボランティアで作り、僕もしばしば階段をスコップで掘り出したり、仕事のついでに開発局の役人の方が立ち寄っていって、やはりスコップ片手に整備をする・・・という、手垢のついた感じがお客様に伝わるのです。アンケートでも回答いただいていますが、目に見えないおもてなしは確実に伝わっているなあ、という印象を受けます。</p>

<p><a href="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/235578174.jpg"><img alt="235578174.jpg" src="http://www.shinra.or.jp/tatsuya/235578174-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a></p>

<p>　さて国交省は「道路のオープン化」などという動きも示してきていて、近々会合を行います。道路の一部を市民活動や地域産業の振興に使ってもらおう・・・という試みです。それ以外にも、長年関わってきたシーニックバイウェイなど地域の活動団体との連携を深めていこうとしていますが、これにはどんどん財政難になっていく国による「道路管理の受益者負担」という考えが視野に入っています。つまり我が家の前の私道のように、自分で使っている道路は自分たちでメンテナンスしていこう、という時代が来るかもしれません。すでに海外の一部ではこうした管理を行っているところもあると聞いています。</p>

<p>　その議論は良いなあと思います。そして困るなあと思います。</p>

<p>　私たちが利用する北海道の道路の距離と、東京で暮らす人が使う道路の距離、凍上しないように高規格に作られている雪国の道路の特異性など、管理のコストが見える化されます。もし、ウトロから斜里までの４５kmの除雪を「生活で使っているから」ということだけで、ウトロの人たちがお金を払うことになったらぞっとします。困ります。インフラは本来そういう考えの元で整備するべきではないのですが、今の国の財政状況では一度見える化をすることが、勝手なイメージだけで霞ヶ関内あるいは永田町で決定されることが無くなっていくと思われます。<br />
　そんな中で、雪山のようにお金を余りかけずに道路に付加価値をつけたり、観光との結びつきを再確認したりすることは多くの知見を得ることができます。もっといろいろな場所やアイデアで、このような取り組みが広がっていけば良いと思います。<br />
</p>]]>
</content>
</entry>
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<title>斜里ーまちづくり</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.shinra.or.jp/archives/tatsuya/002874.php" />
<modified>2011-07-08T01:12:57Z</modified>
<issued>2011-02-24T05:27:45Z</issued>
<id>tag:www.shinra.or.jp,2011:/tatsuya/12.2874</id>
<created>2011-02-24T05:27:45Z</created>
<summary type="text/plain">　「地域活性化」という言葉は実はあまり好きではありません。そのコトバには「今は元...</summary>
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<dc:subject>Community</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　「地域活性化」という言葉は実はあまり好きではありません。そのコトバには「今は元気がない」「何かをしないとダメ」というネガティブな印象を受けるからです。しかし、斜里町は元気がない、資源がない、人がいない、とは思いません。それらがうまく絡み合って歩み出していないだけです。「地域活性化」には民間事業者や、個人が思いっきりいろいろなことにチャレンジ出来るフィールドが必要ですが、斜里町にはそうした土壌がありません。それは何か・・・？<br />
　NPOとして事業をしてきた私としてはもっとも熱い思いを持つ部分でもあります。</p>]]>
<![CDATA[<p>１．恊働推進条例の制定と対等な官民関係の構築<br />
　現在、町内のワーキンググループが中心となってまちづくり基本条例制定に向けての議論が進められています。何はなくとも、この条例は早く制定する必要があります。しかし、制定に向けた中で重要なポイントが一つだけ抜けています。それは「住民参加」への自発的な思いと行動。現状では、行政主導（主導ではないかもしれませんが、行政の枠組内）の中での検討であり、悪気はなくとも行政に都合の良い「恊働」の姿が固定化されてしまう恐れがあります。<br />
　行政は私たち一般住民とは比べ物にならないほどの力を持っています。その力を、本当に私たちが願うように活用していればよいのですが、必ずしもそうではないのが、今の私たちの行政に対する不満の原因。「恊働」という言葉は今でこそ一般的に使われるようになりましたが、かつては私たち"NPO業界""市民活動業界"の専門用語でした。行政が担っていては非効率だったり、サービス不足だったりする公セクターを民間が担っていこうではないか、という思いが先にあり、行政の苦労や責任、リスクを民間がかぶる代わりに、行政サイドは相応の対価を（お金とは限りません）民間に還元するサイクルが作られ、その意思決定は対等な民間と行政の関係の上で行うというものが、本来の「恊働」の姿です。今は対等でしょうか？<br />
　民間は自主自立の意識を、行政は単なる「予算が無くなった事業のボランティア先」として民間を捉えるのではない関係を作る必要があります。「恊働」という言葉の都合の良い意味のすげ替えには、運動をして断固闘い続けなければなりません。これは、古くから続いている民と官の関係。なれ合いの斜里に、少しだけ緊張感と"有機的な摩擦（前ニセコ町長逢坂さんの言葉）"をおこさなければ。基本条例の精神をきちんと行政の仕事に反映させる、もうワンプッシュ・・・例えば議会の議論などで「協働推進条例」のようなものをさらに作らなければなりません。</p>

<p>２．"新しい公共"支援体制の模索<br />
まちづくり基本条例と自主自立の意識を持つ個人が揃うと、行政を補完する住民の自主的な活動や事業の芽が育ってきます。実は、これがNPOのはじまりですが、斜里町はそのスタートラインにも立っていません。今はNPOの概念は古く、収益事業に対して必要以上の嫌悪感を持たない社会的起業（ソーシャルアントレプレナー）が増えています。収益を求めながらも、事業自体が社会的な活動、あるいは収益の一部を積極的に社会活動に振り分ける事業を、じゃんじゃん後押しする機運が必要なのです。<br />
　NPO業界、市民活動業界では「新しい公共」という言葉を使うようになってきました。行政は行政にまかせているだけではない取り組みを具体化していくのが時代の趨勢です。斜里町においては、例えば子育て、学校教育、広域観光圏戦略、など全てにおいて、官民の垣根を外したプロジェクトチームを作り、フットワーク良く行政の施策に反映させていく"動いてる感"を町民が共有出来る意思決定プロセスを模索すべきです。</p>]]>
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