›4 15, 2011
支援というより運動として
Posted by shinra at
15:05 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
田野畑村から帰ってきました。想像していた通りの状況であり、想像を遥かに超える状況でした。人の脳は恐ろしい状況を判断する回路は備わっていないようです。変わり果てた土地に立つと、不思議と何の感情もわき起こってこずポカンとしてしまいます。我を忘れていると、大声で泣く方の嗚咽が聞こえてきて、我に返ります。
■田野畑村災害義援金受付口座■
北日本銀行 岩泉支店
普通預金口座
店番【032】
口座番号【7011834】
口座名義人【田野畑村災害義援金 田野畑村長 上机莞治(かみつくえ かんじ)】

ホテルの4階まで水が上がりました
田野畑村は大きく分けると国道45号線沿いの高台にある集落と、海岸の集落とに別れます。さらに海岸の集落は、机(つくえ)、明戸(あけと)、羅賀(らが)、平井賀(ひらいが)、島越(しまのこし)に別れていますが、ご想像の通り全ての集落が壊滅的な津波の被害に遭いました。亡くなった方が14人、行方がわからない方も20人ほどいらっしゃいます。特に島越地区は、複雑な地形のためなのか特にひどい被害を受けています。沿岸を通る三陸鉄道も陸橋ごと流され、素敵な駅舎も跡形もなくなってしまいました。お宅を流された被災者を中心に高台の役場近くの「アズビイホール」で避難所生活をなさっている方が200名ほどいらっしゃいます。
僕が深くお付き合いのあった「体験村たのはた」の皆様はご無事でいらっしゃいましたが、やはり住宅が流されご親戚の家に身を寄せていらっしゃる方や、身内で被害に遭われた方がほとんどで、またスタッフの多くも地震の当日、海岸の遊歩道の整備を行っており九死に一生を得た状態でした。整備にサッパ船を1艘使っていたそうですが、船長は沖に逃れ翌日にかえってきたといいます。漁師が普段仕事をしている磯を、普段使用している小さな船=サッパ船でご案内するクルーズが人気でしたが、その1艘を残して全てが海に流されてしまいました。
現地ではお見舞いとご用聞き、地震後、余震や津波注意報が続き確認のできていない箇所の見回り付き添いなどの活動を行いました。歩く先々で皆さんが訴えていたのは、仕事をするための船を探して欲しいということでした。
折しも、現地の報道がありましたが非常に深刻です。せっかく復興に向けて意欲を出しているところですが、それができずにいるということは相当のストレスです。村では新造船を50隻に限って取りまとめていましたが、田野畑村全体でもざっと100隻は流されています。残りの50隻はどうすれば良いのか。残り50隻分も取りまとめるそうですが、いつ納船になるかわからないし、そもそも高齢の漁師にとっては新たな借金は抱えたくないというのも本音です。先に船が手に入った人にとっても、他の仲間の手前仕事をしにくい。またさらに中古の市場は早い者勝ちの様相を呈していて、僕が浜に住んでるということで頼まれているのですが、ウトロの漁組に確認をとってみたところ、全国の漁連を通して依頼は来ていると聞きました。手当り次第に声をかけていますが、宮古だけでも1000隻と言われている中で、取りまとめはできないのが現実です。とりあえず命さえ助かればという状況から、現地のニーズはどんどんと変化していっています。

この船は田野畑の船ではないそうです
田野畑村にはご縁があって、3年間ほど知床から通い現地のエコツーリズム立ち上げのお手伝いに関わっていました。立ち上げた「番屋エコツーリズム」は順調に発展していました。田野畑村に残っていた古い番屋の風景が奇跡的で、「崖・海・人」という自然と人が織りなす営みの姿そのものをツーリズムのスピリットに据えたのですが、今回の地震と津波で全てが根底から崩れてしまいました。
僕は観光業の人間です。ですが、観光業は世界が平和で安定しているときではないと成り立たない産業だといわれています。正直、今回の被害を見て、僕ができることなどないと思いました。しかし一つの確信を持った事柄があります。それはこのような状況でも「おもてなしをしたい」という人がいるということです。今回、テント泊を考えていた僕ですが、被害に遭っていない方のお宅のご好意で泊めさせていただきました。それ自体もあり得ないことなのですが、その初老のご夫婦はこんなことを仰っていました。「津波で親を亡くした子供を預かりたい」と。また、隣町の観光施設の様子を見に行ったときも、施設は休業し解雇されたにもかかわらず元従業員の皆様が、手作業で海岸の片付けを終えていました。きれいな浜が売りのその観光施設を訪れるお客様はいませんが、「やっぱりきれいにしてお迎えしたいから。」と仰っていました。がれきの山ばかりの中、元のままの地名の通り天国のような美しい浜を見て癒される方がどれほどいらっしゃるでしょう。被災地だろうがなんだろうが、きれいにして訪問者をお迎えしたいとおもう「おもてなし」を生き甲斐にしている人は大勢います。考え方を相当に切り替えるとどのような形であれ、観光サイドからの支援が必要なのだろうと思いました。実際、さまざまな「!」と思うような依頼や相談が来るようになりました。もう少し頭を整理して、僕たちができることを考えようと思います。このとき、ボランティアでは息が切れてしまいます。持続的に関わることも僕たちの責任だと思いました。それが経済を生むということ。「経世済民」の本来の意味が問われています。

ご存知、浄土が浜。早くもボランティアの手によりきれいになっています。
田野畑村では「被災者」の姿はさまざまです。お亡くなりになった方をご家族に持つ「被災者」、全員元気ですが家が流されてしまった「被災者」、家族も家も元気ですが心が塞ぎ込んでしまっている「被災者」、全て至って健康だけれども、食べたいものの見たいものを我慢している「被災者」、そしてこれらの「被災者」に遠慮を感じてしまう「被災者」・・・。僕たちから見たら被災地にいらっしゃる方々は皆さん「被災者」なのですが、「いやあ、ウチは被災していないよ」と仰るのが心苦しかったです。さらには震災以降、キャンセル続きで北海道経済も大変だという話をしていたら、「なんだ、藤崎君も被災者だな。」と言われました。
被災した町を抜けて車で走っているとき、ほんの辻一つで壊滅的な場所と一見問題ない家庭との差が印象的でした。隣の学校は避難所になっているのに、こちらの学校では子供達が元気に部活動をする姿があります。田野畑村の「被災者」の多様な姿は日本の縮図です。隣で悲愴な被災をしている方がいらっしゃりながらも、「被災していない」と言いながら暮らす「被災者」がいる。お隣の家か、何100km離れた家かの違いです。大変な「被災者」がいることに思いを馳せること、そして自らももしかしたら「被災者」ではないかと感じながら踏ん張りつつ、他に助けを求めることとを整理すること。これだけの規模の災害は、戦後何10年もかけて復興したときと同じです。今までの枠組で自分自身を捉えていては、乗り越える前にヤケになってしまいます。多くの国民がもはや被災者なのです。
そう捉え直すと、マクロの視点があまりにも脆弱すぎます。CMで言っているような「心を一つに」とか、国が出す対症療法的な施策がものすごく悠長に感じた数日でした。きれいごとで、ここ数ヶ月を過ごしているのは、ボディブローを受け続けているのと一緒です。1年後ぐらいに効いてきます。相当に大胆で思い切った施策が必要だと思いました。施政者はしっかりしてもらいたいと思います。
そして、戦争も、学生運動も体験していない僕たちの世代の運動に育っていくことを確信しました。他の被災地で活動している友人も皆同じことを感じているようです。大きなパラダイムシフトが必要な中、既存の政治に望んでいてはこの状況は打破できないでしょう。時間の作れる人は現地に入りましょう。この状況と歴史を共有しようじゃありませんか。オルタナティブを今こそ!です。
長々と書いてしまいましたが
■「小船を探しています!」→少しでも情報があれば連絡を下さい!
■「状況は全く収束していません」→マスメディアの勝手な雰囲気にのまれてはいけません。
■「ボランティアに行きましょう」→人手が足りているところと、足りていないところの差が顕著です。迷惑になんかなりません。現地を体験し次の時代を作る原点に!
■shinraでは第2陣が20日ごろから東北に向かいます。

「×」は亡くなった方が見つかったサイン。陸前高田
≪続きを隠す
›5 14, 2010
食べられる石けんfeat "casalinga"

昨年からツアーに参加いただいた方やcafepathにお越しの方のみに販売させて頂いている、標茶のcasalingaさんとのコラボ石鹸が好評いただいています。標茶の主婦の大島さんという方が、小さなお子様の子育てや家事の余裕をみて作っているものなので、たくさん仕入れて販売することはできません。それだけに素晴らしい石鹸です。今回は"ヨモギ""ヨモギミルク""白樺"の3種類です。
casalinga×shinraコラボ石鹸
新しい石鹸は
よもぎミルク
白樺
「よもぎミルクは、その名の通りよもぎにミルクを加え。保湿力がUPしてます。
白樺は白樺の樹液を採取(標茶町で)し、水の代わりに石けんに練りこみました。」
今月末に納品可能な石鹸は
よもぎ
よもぎミルク
白樺
¥700(込)〜cafepathにてお求めいただけます。
また、興味のある方は、可能な範囲でお分けいたしますので、ご連絡ください。
昨年、スタッフのもみちゃんが標茶の大島さんとのご縁から「アイヌ民族の石鹸を作ろう」という話から、このコラボが始まりました。もちろん厳密にはアイヌ民族の石鹸とは呼べません。しかし魔除けの意味があるヨモギを練り込んだり、ベカンベ(菱)の実を擦り込んだりと、文化を解釈したのではなく、祈りや思いと言った魂を解釈した商品です。
大島さんは「小さな子供の子育てをしていることもあり、全て食べられる材料のみで作りたい」といいます。「食べても大丈夫」という表現じゃなかったところに、ドキッとしたのでした。もちろん食べても美味しくないですが、それだけ体に害のあるものは一切含まれていないのです。
僕は何を隠そう化粧品好きです(笑)。女装をしているわけではないのですが、スキンケア商品にはちとうるさくて、表示成分の中の有害物質は全て把握しています。はっきり言って「毒」が入っているまやかしの化粧品が多い中、体も顔も心配なく一つの石鹸で洗えることの素晴らしさを知ってもらいたいと思います。
≪続きを隠す
›4 26, 2009
オーガニックな時間と観光圏
知床(斜里町、清里町、標津町、羅臼町)は観光庁より平成21年度新規観光圏整備実施計画の認定対象地域に選ばれました。昨年末から怒濤のような会議と事務局が精力的に資料作りをこなしてくれ、何とかこぎつけたものです。僕も自分が企画を出した5つほどのプロジェクトを担当することになると思います。
その知床観光圏の事前打合せで網走へ。5つのプロジェクトのうちの1つ、「ホーストレッキングルート(パブリック・ブライドルウェイ)の開発」です。詳細が決まりましたらまたお知らせしますが、今日お話ししたいのはそのお手伝いをお願いする高谷弘志さんです。
高谷さんとは古いおつきあいで、僕が知床に来たばかりの頃、そして彼がJTBの支店長だった頃にさかのぼります。当時まだ事業をはじめたばかりで、観光業界のことがよくわかっていない僕にいろいろと指南していただいた一人。そんな彼はその旅行業界の中にありながら、業界のオルタナティブを明確に僕に示してくれていました。つまり「発地型から着地型へ」という、今、もっとも注目されている流通革新の必然性を当時から唱えていらっしゃいたのです。
現在の旅行業界は旅行会社にとって多くのお客様がいる旅行の出発地のニーズを吸い上げ、それに合う旅行を現地と一緒に作っていくという「発地型」の旅行商品流通が主流です。「一緒に作っていく」と言うと聞こえが良いですが、結局はお客さんのニーズに合わせて現地の受け入れを変えていくことになるわけで、場合によっては地域の文化や生活を無視した商品が出来上がってしまうことが問題を引き起こしています。例えば都会の人が誰でも憧れるであろう、TVに出てきそうな漁港で捕れたての魚の入った鍋を現地の人とつつく・・・みたいな食事を期待されても、地元ではああいったシーンははっきり言ってよっぽど特別な時にしかありません。それはそれはとても特別で、縁起を担いでいるのでそうそう簡単に旅行者を受け入れることができるものではありませんし、マネごとをやると魂を売ることになります。
ここまで深刻なことではなくても、例えば旅行会社が画一的に行うアンケートは良くも悪くも地域サービスの違いを均一化し、北海道で言えば「海の無い山奥のホテルでもカニが出る」という事態を引き起こしています。これは、受け入れ側にも問題はありますが、つまり出発地の発想ではあまりにも情報の精度が低く、各地域の習俗を反映することができないという反省が、今、旅行業会を「着地型」に転換させようと言う動きに結びつけています。
高谷さんは、まだ「着地型」という言葉が無かった当時に、「旅行会社の支店の仕事は、近郊の旅行者が東京などに行く出張パックを売るのではなく、地域の情報を集める機能と、それを地域の現状にあった商品として作り上げ、それを東京などの発地にホールセルするべきではないか。」と、地域のホテルやアウトドア施設を隈無く回り、支店がパッケージした商品を発地の本店に売ろうとしていました。これは、まさに今、研究者や業界が模索している大型エージェントの着地型モデルの典型です。これをやるしか、今ある大手旅行会社は生き残れないと言われていますが、高谷さんはそれを支店のレベルで15年も前からやっていたのでした。
しかし彼は「50歳まで自分が生きていたら、人生を変えると決めていたんだ!」とあっさりJTBを退社し、同時に札幌から家族を呼び寄せ網走に移住。50坪の家庭菜園や鵜骨鶏の肥育、果樹栽培などを行いながら、旅行業の経験や乗馬、カヌーと言った趣味・幅広い活動を活かし「広域的なひとづくり・まちづくり」に日々奔走しています。そんな高谷さんとは、2004年に一緒に「東オホーツクシーニックバイウェイ」を立ち上げ、観光のオルタナティブを迎え撃てるだけの地域力をつける取り組みを進めてきました。生活がベースにあることは、地域の実情を肌感覚として理解できます。まだまだですが、こうして観光庁の事業をこなしうるネットワークができているだけでも成果です。
でも、高谷さんも僕もやることが早過ぎるキライがあります(苦笑)。実は、知床でのホーストレッキングも以前からやっていて、一度「女満別空港から知床に行くまで2泊3日かかる、馬と自転車と歩きのツアー」をやったことがあるのですが、環境にもチョー優しいこの企画、誰もが大絶賛でしたが、同時に誰もが「これじゃあ、商売には向かないな。」と、もろくも一度きりの企画でした(僕にはこういうやって消えていった企画がたくさんあります(涙))。そんな湯水のように溢れ出るアイデアを、二人で話している時間はとても幸せな時間です。
打合せは早々に、高谷さんの土地の元地主さんの農家を訪問しました。網走のはずれの名も無い谷に、とてもとても手入れの行き届いたサクランボ畑が広がっていました。パラボラアンテナのような、太陽の光を効率よく浴びるカタチに美しく剪定されたサクランボの木は、その地主さんを慕って集まる多くの人によって、長い年月をかけ手入れされてきた品格のようなものが漂っていました。高谷さん自身も時々、手入れを手伝い、枝を焼き、そこで集まった人達とお茶を飲む時間を大切にしているそうです。
そんな、オーガニックな時間からパワーの源は生まれます。観光圏という事業が、ここに暮らす人のライフスタイルから滲み出るようなもてなしへと発展しますように。
≪続きを隠す
›3 31, 2009
「おくりびと」〜死を考える
Posted by Tatsuya at
22:44 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
オスカー受賞の『おくりびと』を見た。僕には映画に対しての勝手なルールがあって、「死を表現することは反則ワザ」なのである。しかし、『おくりびと』は、死そのものをよく描ききったよなあ・・・と素直に感心した。
人の死は誰でも悲しい。人が死ぬことによって心を動かされない人なんていないと思う。だから映画などの表現の世界で、「死」を盛り込んで感動を誘うのはズルいというのが僕の持論だ。僕は映画の中で、人が死んだり死にそうになった時点で一気にシラケてしまう。否、アルマゲドンでも、タイタニックでも人が死ぬシーンではおいおい泣きながら見ているのだが、僕の勝手な評価はC級以下に落とされてしまうのである。ダメです、簡単に人を死なせちゃ。
余談だが、そうやってみると人が死ぬシーンが全くない映画というのは非常に少ないことに気がつく。そして、一人も死んでいないのに泣けるほどの感動をもたらしてくれる映画に出会うと「さすがだな〜」と思ってしまうのだ。さらに加えて「惚れたハレた」がない・・・というのも僕的には評価が高い。映画なんだから、映画でしかできない世界を表現をしてくれよ。
『おくりびと』の素敵だったところは「不思議な縁」のようなものが裏ストーリーに流れていたところだ。そして「縁」というくくりで見ていくと、人の死や生をも内包していく曼荼羅のような世界観が、ある程度は表現されていたように感じる。海外の目には、日本の美意識とか宗教観縁とかがビビットに映ったのではないだろうか。改めて、オスカーを受賞したことを日本人として誇りに感じることができた。
人は死ぬとどうなるか。
僕はそんな問いに明確な答えを持っている。
それは、灰と水になるだけ、ということだ。
そして、水には死んでいった生き物の記憶が刻まれている。
これは実に感覚的で個人的な体験だが、
あちこちの湖や海で泳いでいるとそう感じるのだ。
水は生命の源であり、同時に死後の行き先だ。
人の縁は水が無ければ生きていけないこの地上で育まれているのだから、
水に刻まれている死者の記憶と、新しい生命の奇跡、
そして地上の縁は結局は同義だ。
この不思議さに身震いし、
今日もモチベーションをあげる。
≪続きを隠す
›2 04, 2009
長靴考
Posted by Tatsuya at
23:40 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
長靴は北海道のイナカでの生活には必需品。

これは、今愛用のミツウマゴムの長靴。テストを頼まれていて日常的に履いています。「さすが北海道で作っている長靴・・・」というのが、第一の感想です。
詳しいことはわかりませんが、ゴムの品質は使う環境に合わせた工場で作られた方が調子が良いようです。その点、ミツウマゴムは小樽の老舗メーカ。北海道の気候には抜群に合っていて、漁師を始めとしたプロに愛されている、少々お高いのですが頑丈な長靴なのです。
いくつかの長靴を履いてきましたが、有名なメーカのカッコいい長靴の中には、マイナスの世界で使い始めるとすぐにゴムが堅くなってきて亀裂が入ってしまうものもあります。その点このミツウマのゴムはどんなに寒くても弾力に変化がなく、快適な使い心地。でも北海道の気候には合っていても、もしかしたら暖かい地方では思うような耐久性が発揮されないのかもしれません。

こう思うように至ったのは、ガイドで使用し最も過酷な仕打ちを受けてきているこのSORELLちゃんの存在です。かれこれ15年間、しかもかかとを踏んづけて脱いだり、スノーシューをくくりつけたりと、毎日それはそれはひどい使い方ですが、まだまだ現役です。SORELL社は他社に買収され、今でもこのレトロなデザインが継承されていますが、実は僕が買った当時からは相当に品質が変わっている印象を受けます。それはウチのスタッフの間では定説となっているのですが、当時のMADE IN CANADAのソールと今のアジアで作られているソールとでは比べ物にならないほど耐久性に違いがあるのです。ガイドの過酷な利用状況から考えると勝手な評価をするのはかわいそうですし、不良品というわけではなく、普通に使っている分には何ら問題はないと思います。しかし、ゴムの耐久性には明らかに違いがあるのです。古くさいMADE IN CANADAを使っているスタッフに比べて、真新しいアジア製を履いているスタッフの方が、明らかに故障で悩んでいる人が多いのです。恐らく気候に合ったゴムをどこで配合し製作するかによるのでしょう。そんな意味では、北海道で生産されているなんて、ミツウマゴムはとても貴重な存在ですね。
≪続きを隠す
›2 03, 2009
ブログを再開しようと思います
Posted by Tatsuya at
16:28 /
Category:
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Slow Life
/
1 Comments
全く更新していなかったブログを再開しようと思います。折りをみてデザインも切り替えたいと思っています。

ブログの黎明期から続けてきたこのHP。最近SNSやBLOGのネットにおける位置づけが変わってきた!それに向けて何をすべきか?なんて考えていたら考えすぎて何もできなくなってきていました。そんなことで更新もままならなかったのですが、あまり難しいことを考えないで再チャレンジ(古)します。
さて私事、今年は前厄です。そんな僕をご先祖様が気遣ってくれたのか、昨年から不思議な縁で、知床から遠くはなれた大きな神社を仕事で訪れることができたり、「お守りお守り」と騒いでいると、子供がミサンガを編んでくれたり、婆ちゃんが使っていた手数珠をもらったり、思いのほかお守りが集まってきました。そして正月、実家のそばにある高幡不動尊で厄よけをして、今年の厄に対しては完璧な武装ができた感じです。あ、健康診断忘れてた・・・。

厄年という風習はどのように生まれたのかわかりませんが、確かに体の変調とリンクしているように感じます。ここ数年、子供の指導につきあっているうちに、3000mぐらいの泳ぎ込みを週に4回プールで続けていますが、確実に疲れがとれにくくなってきています。関節の柔軟性がみるみる衰えてきて、昨年、生まれてはじめてマッサージを受けました。今ではなくてはならない存在となりました(オヤジくさ!)。
スポーツに限らず、以前の体のキレや経験で自分をコントロールしようとすると、怪我をしたり、間違いをおかしたりするのがこの厄年なのでしょう。スポーツを続けてきていたのでその変化を図らずも感じ取っていたのですが、何とも理にかなっています。人間の生体としてのリズムとリンクしている日本の習俗。ちょっと改めて関心が出てきました。

さて自分の関心がこんなだからか、気のせいか年末年始は神社や神道にまつわるテレビ番組が多かった気がします。これまた気のせいか、東京の実家に帰った時に立ち寄ったデパートには「パワーストーン」と呼ばれる石を売るショップがとても繁盛していましたが、街にはこのてのお店が増えているような気がします。僕も水晶のブレスレットを自分で作って(ビーズ細工のようで結構楽しい)、その霊験にあやかろうとしていますが未だよくわかりません。気をつけて見ていると、こんなブレスレットをしている人は意外と多いですね。確かに世の中、みんなで厄払いするしかないような雰囲気ですもんね。ネイチャーガイドという僕たちの仕事は、自然の神々の声に耳を傾け、多くの人にそんな声を届けるインタープリターと言われていますが、神様への頼み事は残念ながら請け負えないんですよね〜。こんな時代、知床という神々のお膝元にいながら、何とも歯がゆい気がします。とりあえず、早く流氷が接岸しますように!あ、思い通りにならないんだった・・・

≪続きを隠す
›9 26, 2007
小笠原の時間軸
Posted by Tatsuya at
18:21 /
Category:
Slow Life
/
3 Comments

先日、小笠原諸島の母島に行ってきました。その名も「辺境力サミット」。何やら怪しげな、楽しげな催しにご招待いただき、学生時代からの憧れだった小笠原に初めて行くことができたのでした。
「辺境」という言葉には都市から見て遠いところ、そして、とても不便(でかわいそう)なところというニュアンスが込められていますよね。どちらかというとネガティブ。僕はあまり使ったことのない言葉だったのですが、改めて「辺境」ということについて考えさせられる良い機会になりました。
この「サミット」は日本学術振興会(人文・社会科学振興プロジェクト研究事業「ボトムアップ人間関係論の構築」)というところが企画し地元の方々の協力を得て開催されたもの。そして僕に声がかかったのも、その「ボトムアップ」のまちづくりの視点を評価してくださったようで、「辺境」ということと「ボトムアップ」ということを考察の軸にした旅でした。そう「辺境」で、しかも「ボトムアップ」という敢えて大変な道を歩むことの苦労と重要性と力強さを共有する場の創出を、主催者は狙っていたのでしょう。

こんな、チャレンジングなテーマには多様な専門家が必要です。今回の視察チームにはいくつかの大学の社会学系の教授や研究者、そして小笠原に深く関係しているライターさんなどそうそうたる方々が参加しています。加えて、沖縄で地域の暮らしに根ざした環境活動をされている方も合流し、知床・沖縄・第一線の研究者・・・という、草の根系と学術系とがバランスのとれた何とも贅沢なお膳立てに感動すら覚えました。しかも、僕が最も居心地がよかったのが、「上から目線」の学者がいなかったこと。ボトムアップというテーマをよく理解されている以上に、普段から地域からの目線を大切にしながら様々な活動を進めてこられた方ばかりなのです。また自然保護系の研究者の一人も、「自然は大切だ」と一般論を言うのではなく、日頃から小笠原のコミュニティに深くコミットし、まちづくりの視点からのエコツーリズムや自然保護管理を訴え続けていらっしゃる方でした。そう、小笠原の母島はこうしたサポーターを活用しながら、まちづくりのプロセスをゆっくりと着実に歩み続けているのでした。

小笠原諸島は東京から1,000kmも離れた太平洋のど真ん中に位置します。そこに行くには、1週間おきぐらいに出る船で行くしかありません。25時間の船旅、そして帰りの船は数日後にならないと出ない・・・という、僕的には夢のような場所ですが、現地の生活という面では独特のサイクルが強いられる島です。いくつかある島々のうち、人が住んでいるのは父島と母島だけ。父島の方が観光施設も多く、ほとんどの旅行者がこちらでダイビングや今話題のドルフィンスイミング、冬にはホエールウォッチングをして楽しみます。一方、母島の方は、絵に描いたようなスローな南の島。観光地としてというよりも、のんびりとした地域の暮らしそのものが魅力を醸し出している素敵な場所です。僕たちはこの母島の方々に協力をいただき、催しを開催したのでした。

母島滞在中は現地の視察と、地域の方々との語りあいにすべての時間を費やしました。初めて訪れた地で、これほど多くの方々と語り合えるのは本当に幸せです。が、それよりも仕事の合間を縫ってのシュノーケリングや散歩ができたことが何より幸運でした。お仕事の時間も大切なのですが、僕は視察のときにはこういった遊びのときに感じる「空気感」に重きを置いています。仕事を介して語り合ってしまうと、先方にもそしてこちら側にも、意図せずも何かしらかのフィルターがかかってしまいがちです。そんな中では、悪気はなくともお互いにとってある意味都合の良い情報しか入ってきません。しかし、その土地に流れる生活感というか地域性 ーやっぱり「空気感」という言葉が最もぴったりですーを感じ、できるだけ同じ「言葉」を使いたいと思います。そのためには、僕にとってはブラブラしたり、その土地で遊ぶことが一番なのです。
そんな中で感じたのは、やはりテーマともなっていますが都市からあまりにも遠い=「辺境」ということでした。しかし、「辺境」のもつマイナスの面だけではなく、あるいはそれ以上に、そのメリットがこの土地の空気感に影響を与えている気がします。短い滞在中、ちょっと、この辺りを個人的には掘り下げたくなりました。

座談会のときに現地の方がこんなことを仰っていたのが印象的でした。
「エコツーリズムだとかマスツーリズムだとか、観光客を増やしたいだとか増やすべきではないとか、いろいろなことを言う人がいます。でも、とにかくやりたくったて(遠くアクセスが限られているので)、そもそもどちらもできないんです。それよりも『好むと好まざると都会から離れた場所』という現実の良い面悪い面を見つめ、そこから、何かが生み出せないかと考えたいと思います。」
さらに他の方がこんなことをおっしゃっていました。
「私たちは離島に暮らしていて、もちろん急病のことなどを考えると、心配で心配でもっと都市とのアクセスを良くしたいと考えています。一方であの船の中での25時間はかけがえのない時間なんですよ。もう、酒を飲むしかやることがないというね(笑)。こんな小さな街でも普段は話せないけど、船の中ならゆっくり話せる・・・ということがあるんです。島の暮らしはゆったりしているように見えるけど、やっぱり現代に生きていると忙しいものです。船の中の何もしなくても良い25時間はむしろ大切なものなのかもしれません。そういう意味では、小笠原の場合こうした『ゆったり』を追求することがエコツーリズムなのかなと思っています。」

カレンダーではなく、船の運行スケジュールが生み出す生活のリズムという「時間」、数多い戦争遺産が刻む止まった時計という「時間」、自生種も移入種も入り交じっての動植物のめまぐるしくも長いスパンの生態系の変化という「時間」・・・そんな複数の「時間」が小笠原にはあります。小笠原にも「エコツーリズム」だとか「世界遺産」といった波が押し寄せているようですが、こうした時間軸みたいなものをスピリットとして計画に据えていくのが良いのではないかな〜、と帰りの船の中でぼんやりと考えました。そして、船に同乗している多くの旅人を見ていて感じたのは、今訪れている小笠原ファンの人たちは、そうした小笠原のいくつもの時間軸を素直に受け入れ楽しんでいることです。きっと、そんな旅人を最良の小笠原の理解者として捉えていく計画が立てられていくことでしょう。

それにしても、小笠原からの不思議な時間軸を持ったまま眺める東京湾の光景はなかなかにシュールです。おそらく海外からの多くの物資がこの湾から日本という国に入り、全国に散っていくのでしょう。その現実感が強烈に心に飛び込んでくる眺めです。
そして、不思議なものですが、都会よりも自然の方が好きな僕なのに、海からどんよりとした東京の街を眺めるとなぜだかとても愛おしく感じるのです。
人の営みへの仰望。
いくつかの時間軸からは完全にはずれてしまっている都市生活の現実への阻喪。
小笠原への旅は多くの人に様々なことを考えさせてくれます。おすすめのディスティネーションです。是非!
≪続きを隠す
›10 07, 2005
水の通り道
Posted by Tatsuya at
23:22 /
Category:
Slow Life
/
5 Comments
/
1 TrackBack
手塚るみ子さんの番組の出演のために上京。収録は芝公園のABC会館。芝公園の駅を降り、地上への階段を上ると、とてもキレイな水が階段の横の側溝をチョロチョロと流れていた。
東京にいたころ、職場は芝公園のすぐ近くだった。都心から離れた多摩丘陵から出勤していた僕にとって、緑のない都内の空気は息が詰まるようだった。どうしても我慢できないとき、会社の自転車を借りて昼休みに芝公園まで走ってきたことがあった。
公園とは言っても、とても小さな(東京では大きな方)緑の一角という感じで、それでも首都高速道路に囲まれながら、プールがあったり、増上寺の鎮守があったりと、とても気持ちのよいところだ。東京都心の公園はどこも気持ちがよい。その気持ちよさが、地下を流れる清流のせいだ…と気がついたのは、実は知床に来てからだった。
知床で、特に土地を買って家を建てるようになり「水の流れ」というものをとても気にするようになった。いや、これはキレイごとではなく、我が家は水が流れ込みやすい場所に建てたので、どのように水が流れ、どのように家に影響がないように流れを変えるか、ということをとてもよく考えるようになったからだ。当たり前だけれど、水は高いところから低いところに流れる。どんなに遠くの山で降った水も、必ず低い方に流れている。地上を走ったり、地下を流れたり、どこかに淀んだり、あるいは蒸発して消えてなくなったり…。うまく言えないが、蒸発するにしても「沢」の本質は消えてなくならない。現在川は流れていなくても、水が流れる道は確実に存在する。大気のようになって、水は流れている。水分と深い関連を持つキノコを探しながら山を歩いているとそれを強く感じる。
東京は(というかどこの都市もそうだが)川は地図ではっきりと示される。当たり前のように川のある場所は決まっている。しかし、知床の森の中に住んでいて思うが、川はもっとたくさんあるはずだ。川というより「水の通る道」だ。東京で暮らしていたときは、全くそんなことに気がつかなかった。アスファルトに覆われ、平らに整地され、マンションが立っても道路になっても、水が通りやすい場所には目に見えなくとも水が流れているはずだ。久々に芝公園にその感覚を感じ、周辺を歩いていたら案の定、地下貯水池の説明をする看板が目に入った。なるほどね~あんなにキレイな水が流れているんだもの。納得。ますますもって芝公園が好きになった。
水の通り道は、単純にとても気持ちが良いものだ。どういった機能が働いて、そんな気持ちのよい空気を作っているのかわからないが、誰もが感覚でつかめる気持ちよさだ。芝公園、明治神宮、根津、武蔵野…水の通り道には大切にされてきた森が残っている。 江戸時代、徳川の専門は実は治水だった…というのを、何かで聞いたことがあるが、水の流れをベースに描いた街だから、東京はこれだけゴミゴミしていても過ごしやすいのかもしれない。
…キンモクセイの香りとエンマコロオロギの鳴き声は、30年暮らしてきた東京の秋を感じるスイッチ。そして今日は、芝公園の清らかな水の存在を知って、とても幸せな気持ちになった。
手塚さんは、いつもながら優しく穏やかな方。「『人間の業』から自然を捉えるのが父(故手塚治虫氏)のやり方でした。だから、上段に構えて自然保護というのではなく、知らず知らずのうちに、そういった自然観を持つようになりました。」そうそう、やっぱり人間の存在を否定するような旧来の自然保護思想には、今だに馴染めない。それよりも、何100年も開発が繰り返され目に見えなくなった水の通り道の存在を知ること、そしてそれを意識する暮らしを自分なりに組み立てること。自然との折り合いとは、そういうことのような気がする。
≪続きを隠す
›9 03, 2005
日本のはずれから見る日本
Posted by Tatsuya at
22:22 /
Category:
Slow Life
/
5 Comments
/
1 TrackBack
知床→岩手→東京→大阪→名古屋。僕にはもう少し暇な時期もあるので、もう少し予定を分散してくれてもい~です。お願いです。
岩手県の陸中海岸国立公園の北のはずれにある田野畑村というところで、エコツーリズムのプロデュースを村から任される。奇跡的な番屋集落の風景、先人が手掘りで掘ったトンネルが点在する20km以上のロングトレイル、そして熱心な地元の地域づくりグループが魅力のこの村。"知られていないこと"が資源であり、必要以上に"知られること"も拒んでいる。とてもやりがいのある仕事を任された。
その足で東京へ。とある旅行会社さんの説明会。その後、下北沢で髪を切って、夜はエコロジーオンラインの人たちと軽く打ち合わせ。翌日朝が早いので、羽田のエクセル東急に泊めさせてもらう。小さいけど、快適なホテル。
大阪で法事。ウチの両親は大阪出身なのだ。久しぶりに「血のつながり」の中で、とてもリラックス。もうすぐ100歳になるじいちゃんにも特養ホームに会いに行き、翌日は父方の墓参りもする。お墓でうたれた暖かい雨が心地良い。99歳のじいちゃんも、とてもホームを気に入っていて見舞いに行った僕たちもある意味救われる。
大阪にいることを誰かが察知し、北海道観光連盟から名古屋の愛地球博の「北海道の日」に知床のエコツーリズムの説明にかり出される。世界中のNGOが反対したEXPO会場は、前評判どおりの質の良い森を切り拓かれて作られていた。そのワリには、各パビリオンのテーマが「エコ」というものすごい矛盾と、国家的な"まやかし"のコピーが氾濫。僕達NPO・NGOとしては「アレだけ騒いで問題になった万博」という意識があるが、訪れる観光客に疑問を感じている様子は全くない。さんざんTVでも紹介された"海上の森"が無残に切り拓かれている様子を見て何も感じていない様子は恐怖すら感じる。
雷鼓もゲストとして呼ばれていた。久々にフルメンバーでの演奏を見る。午後には移動しなければならなかったので、リハだけ拝見。
「セントレア」空港はとても使いやすく好感を持つ。ちょっと、名古屋市内から遠いのが難有り。また、名鉄特急の空港に到着する直前のBGMと車掌さんのクサい演出には噴きだしてしまう。ちょっとコテコテ(笑)。
アースガーディアンの取材で、女満別からの帰り道に小清水原生花園で待ち合わせ。光のあるうちに撮影もできて一安心。とても印象の良い記者さん。気持ちよく取材を受ける。
1週間も家をあけていたし、もう秋なので、ここ数日時間を作っては気合を入れて薪割り。友達からもらった木は程よい乾燥状態で、薪割には抜群。とても割りやすい。別の友人がどうやら良いチェーンソーを買ったらしい。う~物欲が~。
今日は漁師でもあるその友人が、カラフトマスをたくさん持ってきてくれた。神さんが外出していたので、4匹を捌き、2匹を石井ポンペさんに送る。ウロコがガリガリについた、サイコーに銀ピカのマスだ(サケマスは産卵が近くなると、川にのぼる準備なのか、ウロコが皮と一体化して無くなってしまいます。こうなると、脂が卵や白子にとられてしまい、少し味が落ちます。…っては言っても、全く持って美味しいのですがね(笑))。こりゃうまいぞ~!
お盆を過ぎて、オホーツク海にうねりが出てきた。
選挙…。ファシストみたいなヤツはゴメンだ。市場に日本のお金を放出するのは良いが、歯止め策を提示してもらわなければ、単なる日本売りだ。政府なりのセーフガードを示してくれる人・政党に投票しようと思っている。けど、このことを正面切って話す人なり政党を僕は知らない。どうしようか。郵便局の存続云々も大切だが、日本のお金を世界中の投資マーケットにばら撒くかばら撒かないか、ばら撒くにしてもセーフガードをひくかひかないか、ばら撒いたら日本のためになるといっているが、そのモデルを示せるか示せないか…僕的な関心ごとはここだ。が、今だにシンプルな答えは見えてこない。今度の選挙は重いぜ~
以上、藤崎の近況でした。
≪続きを隠す
›8 21, 2005
「移住者」と「原住民」
先日の家族での出演の番組のビデオが送られてきた。知床ではテレビ東京系列が写らないのでスーパーテレビジョンの藤井さんありがとうございました!助かりました。!
このテレビでは、沖縄と北海道のそれぞれ3組の「移住」者のライフスタイルを紹介する番組で、それぞれ魅力的な方々が紹介されていた。みんな、一生懸命生活されていて子供達も楽しそう。大いに刺激を受けた。
一方で、やはり「移住」という言葉には個人的にはとても違和感がある。また、それぞれのご家族を、地域において"受け身な存在"として扱っていた点が気になった。例えば、「近所の人が遊びに来て"くれた"」みたいなナレーションのし方。実際には遊びに"来た"に過ぎない。「移住者」は常に何かをしてもらう存在というステレオタイプ。そんな人間関係なんて長続きしない。
「近所」のよしこさんがインタビューを受けたとき「え~藤崎家が『移住者』だったら、アタシ達は『原住民』!?そりゃあ変だよ~」と笑っていた。でもほとんどの人はこういう感覚を持っているんだな~と正直ビックリ。
実は僕達はコメントの中で「移住じゃなくて住みたいところへの『引越し』」と言いなおした。その部分は放映されなかったが、実は僕達が、この番組のテーマに対して最も伝えたいのがこれだった。イナカから東京に引っ越す人がいるように、東京からイナカに移っただけ。でも、この番組はずっとカギカッコつきの「移住」像を追っていたので、我が家はちょっとミスマッチだったような気がする。
僕は「よそ者の風」みたいなことは意識はしても、場所と人を一緒くたにとらえた「移住者」-「原住民」という構図で物事をとらえたことはない。人と人とのお付き合い。それが全て。そんなことはわざわざTVで話すようなことではない。
人は太古から移動を続け、それぞれが住みたいところに住んでいる。土地所有の概念がない頃は勝手に住居を定め、土地所有や国家の概念ができてからは、戦争の末に居住場所を決めてきた。それだけだ。しかし、人と人の関係に違いがあるとすれば、伝統や文化そして個性の相違だ。それを認め合うことと学びあうことがカギカッコつきの移住者の唯一の心得かもしれない。
まあ、バラエティ番組ではこんな話は重過ぎだ。オレって、ちょっと小難しいな…。最近そんな自分がイヤだ。
≪続きを隠す
›7 12, 2005
先住民族エコツーリズム〜モデルツアー
モデルツアー当日、前の晩OKIさんのライブの打ち上げで全員飲みすぎみんなが起きられるか心配したが、さすが今日は気合の入り方が違う。僕もポンペさんに頼まれた伝統的なハーブティーを煎れ、資料をコピーしてから集合場所の酋長の家に駆けつけた。
心配していた空模様もちょうど良い程度の曇り空で、絶好のモデルツアー日和。参加者は東京から6人、地元標津から2人、網走から1人、札幌から1人で定員一杯、それと同じぐらいの数の関係者と報道陣というアットホームな雰囲気。僕の方からスケジュールのご案内と注意事項などの事務連絡、そして代表である梅沢さんの挨拶、皆さんの簡単な自己紹介を終えて、早々にポンペさんにバトンタッチ。
さっそく、「今日一日の無事を祈ってお守りを作りましょう」とポンペさんが予め用意してくれていたヤナギで作ったミニチュアのイナウのようなものと、中空の茎、麻ひもを各自に渡し、かわいいネックレスを作った。ステキ。
車に分乗して先ずはチャシのあとに向かう。チャシから少し離れたところがスタート。ここから見ると海岸線にあるチャシの特徴がよくわかる。そして、振り返ると、海岸線には多くのチャシがあることも一目瞭然だ。
これから向かうチャシの上はとても狭そうに見えるが、20分ぐらいいたつもりが1時間もたってしまうような何だか時間軸がズレているような不思議な場所。戦争にも使っていたような砦のあとでもあるので、登るには少し苦労がいる。登ってまもなく黒曜石の矢じりを見つけた。あまりのGoodタイミングに「仕込んであったんじゃないの〜?」という冗談が出るほど。違うって〜!
登りはかなり急なので、前日中に西原君がザイルを張ってくれた。でも参加者からは、「登りにくいなら登りにくいでいいじゃない。ザイルとかはなくてもいいよ。」という意見と「と〜っても助かった!」という両方の意見。いずれにしても登るのにはちょっと無理がある。
登りはじめにポンペさんはそこらへんにたくさん生えているイタドリを切って、ひとりひとりに笛を作ってくれた。「クマが来ないように、みんなで吹きながら登りましょう。」切った長さによって音が違うので、ピーとかポーとか鳴らしながらがけをよじ登る集団はとっても異様で笑える。加えて、ときどきポンペさんがエゾニュウで作ったディジュリドゥで「ヴウォーッ!」とやるので、笑いが止まらない。すでにポンペワールド。
登りきるとそこには下から見上げたのでは想像もつかないぐらいの広い森が広がっている。高度にしてだいたい55mぐらい。100mは登ってきたような気分だ。ポンペさんは、これから先祖の家々に土足で入り込むわけだから、そのお詫びと道中の無事をお願いする意味でオンカムイ(祈り)をしましょうと、その所作を全員に指導する。いつも思うけど、この動作って本当に北海道の自然にぴったり。僕は、何かと個人的にもオンカムイの所作をするが、ホント涙が出るほどステキな動きだ。
チャシには竪穴式住居のあとがたくさん残っている。深いものだと2m近く掘り下げてある。その穴の真ん中には必ず石が複数置かれていて、ポンペさんは「かまどのあとだと思う」と言っていた。きちんと玄関があった場所から、5人ずつが順番に住居跡に入る。関係者は報道陣は入らなかった。周りから眺めていると5人の輪でポンペさんが何を話しているのかは全く聞こえなかった。でも、何だかそれぞれのグループごとの秘密のようで、ちょっとうらやましい。何の話をしていたの?
ツアー中盤、ポンペさんが「かつては恐らく広場にしていた…」という場所で、アイヌ民族に伝わるハーブティーでティータイム。シソ科の植物を乾燥させたものを煎じて、渋み付けにキハダの皮を少し入れただけの簡単なもの。冷たいのと暖かいのを両方用意して飲み比べてもらう。ん〜どちらも美味!
そのあとは余興のようにポンペさんの楽器演奏や(トンコリや太鼓持参…というところがお茶目)質問コーナー。とても深い話までできて楽しかった。
昼食をはさみ、午後はワークショップ。ポンペさんは、流木でトンコリを作ろうと初日に木を海岸で拾ってきた。そして、何と酋長の家の梅沢さんの奥さんもアイヌキルトを教えてくれることになった。ハワイアンキルトの人気が高いこともあり、女性から「アイヌ刺繍がやりたい」という要望をよく聞いていた。梅沢さんもずっとやりたいと思っていたとのことで、ちょうど材料が全てそろっていたところで、とても喜んでやってくれた。ポンペさんのアイデアで酋長の家の前でやっていると、案の定、見物人がたくさんやってくる。参加者はちょっと優越感。出来上がった作品は素晴らしく、特にトンコリは壊さないように空港でも持ち込み荷物にしていたが、それを手にしている姿がとてもかわいかった。ウチのツアーでもしばしばやるリースを持ち帰るときのよう。ステキなお土産。
かくして、3日間のイベントは無事に終了。同時にアンケートが集まってきているが、いろいろな課題も持ち上がってきている。これから、徐々に作り上げていくこと、そしてそれ以前に多くの先住民族と課題をシェアすること、そして祈りをささげることの全てに取り組んでいかなければならない。
ご意見お待ちしております!
≪続きを隠す
›5 01, 2005
小鳥と移住とお菓子とエレクトロニカ
森の中に建てた家。昨年はきっとビックリしたのだろうか、鳥がほとんど来なかった。でも、今年はすごい集まりよう。息子が作った巣箱を細いトドマツに据え付けたが、スズメやカラ科の鳥が夫婦で様子をのぞきに来るので楽しい。でも、窓にぶつかる鳥が多いので対策が必要だ…
冬の間、カラや小さなキツツキの仲間は違う種の鳥同志で「混群」という群れを作る。今の時期はまだ混群での行動と、さえずりをする繁殖期独特の行動とが半々ぐらい。大きな混群がやってくると2〜3匹が軽く窓にぶつかる。餌を探しながらの小刻みな移動のときは、それほど強い衝撃ではないので、ぶつかっても近くの枝まで慌てて飛んでいき、「なになに!?今何があったの???」としきりにきょろきょろするだけだ。でも、さえずりをするような暖かい日は、ガラスに映る自分の姿をライバルのオスだと思い猛突進するので間違いなく死んでしまう。先日も目の前でヒガラがガラスに激突した。ちょっと我が家の存在に鳥が慣れてきたようだ。
今日はとりあえず良くぶつかってくる大窓の前に、子供の木馬や大きなぬいぐるみを置いた(笑)。明らかに寄ってこなくなったが、これにもすぐに慣れてしまうだろう。小鳥の嫌う猛禽類の形をしたシールもあるが、いずれにしてもすぐに慣れるだろう。何かいい方法はないかなあ。
もはや伝説となってきた北海道のカントリーライフマガジン『East Side』の伊藤さんから、僕の文章が載った見本誌が送られてくる。今回の特集は「移住する普通の人々」。もはや、「移住者」という感覚をなくしていた僕だったが、いろいろと考えさせられた。みんな、一生懸命移住したんだなあ…。僕も大変だったし、今思えばかなり思いつめていたところがあったが、最終的にはかなり楽観的でおバカな決断で「移住」した。でもね、前にも書いたけど、本当に「移住」という感覚にはどうしても違和感がある。だから、正直言って『East Side』に書かれていたような「移住者」の話はどれもまったく他人事だった。でも、これはあくまで僕の感覚。苦労の感じ方は人それぞれだ。
見本誌と一緒に、標茶の「ポロニ」のクッキーやケーキをいただく。シンプルだけど、この素材ではこの味以外はありえない!という、しっかりした味がベースにある。こういう基本に忠実なお菓子を作ってくれるお店がもっと増えたらなあ。
…あ、風が吹いてきた…外に出してある子供たちの自転車を片付けないと…。
スピーカーから聞こえてくる細野晴臣のエレクトロニカ、かっこいいなあ。知床の暮らしにむちゃくちゃマッチするのはなぜだろう?
≪続きを隠す
›4 30, 2005
先住民族ツーリズム
先日、梅沢さんを代表に、中標津の戸田さん、標津の小川さんの各ウタリ支部長と結城さん、石井ポンペさん、小野有五先生と僕とで先住民族ツーリズムの研究会を立ち上げた。(→共同通信)
とても微妙な関係の上に成り立つアイヌ民族の人の間で、こうした新しいことをやるのはとても大変なことだ。
立ち上げの前にはそれはそれはいろいろな人と話をした。多くの人が望むカタチを作ることは、必ずしも既存の組織の枠の中でやることではないときもある。特にアイヌ民族の事情はこのことが顕著だ。いろいろな政治や利害に巻き込まれたり、それによって誤解されたり…。これからも、いろいろとあるだろうけど、対応しうる体制が築けた。何より、梅沢さんや周辺支部長の意志が固いことが、お手伝いする僕たちにも心強いことだ。
こういう話を進める中で、「知床にはアイヌはいない。よそから連れてきてツアーをやることは反対だ。」という意見を、ある人からウチの担当スタッフが言われたそうだ。「知床にアイヌはいない」ということはもちろん正しくない。実際に少ないことは少ないが、少なくなってしまった理由、敢えてアイヌを口にしない事情、知床を離れた方々が何を思っているか…そういったもろもろの事情は知っておいたほうが良い。地元でガイドまでできるアイヌ民族の人はいないので、若い方がお手伝いをすることは当然だ。梅沢さんたちもそれを望んでいるし、地元のアイヌ民族の中から「俺たちがアイヌとしてツアーをやるんだ」というムーブメントがおきればそれは僕たちの本望だ。だいたい、アイヌ民族は引っ越しちゃいけないとでも言うのかい?(笑)
もちろん、アイヌ文化とひとくくりにはできず、その土地土地の様式はあるので、ツアーと平行してそこらへんの基礎調査も進めている。すでにさまざまな調査結果が上がってきていて、いずれしかるべき機会に、しかるべき発表や提言を行いたいと思っている。それにしても、こういう感覚の人がいるんだなあとガッカリする。
7月1日に先住民族ツーリズムを考えるシンポジウムを企画中。翌日7月2日は斜里でOKIさんのライブの受け入れをする。その数日前にはライトダウンイベントを知床グランドホテルとコラボレーション。スローとかオーガニックとかエコとか、人と自然とのつながりの上に立つライフスタイルのオルタナティブを考える、そんな夏至前後の予定です。
≪続きを隠す
›3 08, 2005
(エコ)アンリミテッド
自称カリスマ・エコDJ
やまだひさし初の単行本は
ツアー本?グルメ本?
「やまだひさしの日本縦断(エコ)アンリミテッド」
2005年3月10日(木)発売
四六判変型 定価1,890円
ソニー・マガジンズ
あの、やまだひさしが日本全国選り抜きのエコ・スポット11ヶ所へ出かけ、飲み、食い、そして人々と語りながら環境に思いを馳せてゆく。
もともとアウトドアが苦手のやまちゃんがカラダを張って登山、スノー・トレッキング、カヌー、農作業などに挑戦!そうした「エンターテイメント」や「食」を通して身近な視点から環境について考えた一冊。
最終章の沖縄ではGLAYのTAKUROとのダイビング&エコ対談を収録。森のこと、川のこと、海のこと、そして人々のくらしのこと。やまだひさしの暖かい、時に熱い思いがいっぱい詰まっています。
あなたもきっと出かけてみたくなるはず!
そしてちょっとだけ環境のことを考えてしまうかも?
しかも単行本では初の、全編に森林育成に寄与する間伐材紙(間伐材パルプ10%古紙再生紙90%)を使用しています。
<主な内容>
知床流氷ウォーク、伊賀モクモクファーム、四万十川カヌーくだり、屋久島トレッキング、水俣エコタウン、白神山地の銘酒、唐桑の牡蠣養殖、練馬の野菜など
≪続きを隠す
›10 20, 2004
イナウ
結城さんたちと、札幌のあるアイヌのグループと一緒にルシャに行ってきた。
結城さんとは、知床での先住民族文化を知るエコツアーをやろうと言うことで話をしている。ある日、彼が突然「あるグループとルシャに行くことになったから、ガイドを頼むよ。」と電話がかかってきた。
「ガイドっつったって車さえあれば一本道だよ。それより、だいたいなんでルシャなの?」
「え、もしかしてなんかやばい?」
「ルシャってすっごく良いところだけど、妙に政治的でオレは嫌なんだよ。」
「やっぱりなあ…。」
結城さんは、闘うアイヌなので、そういった微妙なネタにはとても敏感だ。一緒に来ることになった「あるグループ」はいろいろと政治的に巧みな人たちらしい。何か企みがあるのかもしれないし、全く純粋な思いだけで来るのかもしれない。
「やる前から探っていたって始まらない。ま、行くだけ行ってみようよ。」と、いつもの互いの軽いノリで出かけていった。
春のような柔らかな南風の吹くルシャの河口はとても穏やかだった。孵化場跡で若いヒグマがサケを追い回している。
知床半島は、「手付かずの自然」なんていうが、開拓の歴史のはるか以前から先住民族は森の中や海岸線で狩猟採集の生活を営んでいた。ルシャをはじめ、知床半島の「原始林」と思われているここかしこに、住居跡や聖地が点在しているのだ。今回は、ルシャ、レッパンベツ、ポンベツの遺跡を確認すること、先祖供養や久しくおこなっていないカムイノミ(自然の神々への祈り)を知床の大地で執り行うことが主な目的だ。
僕はネイチャーガイドサービスを続けていて、ひとつだけ心残りだったことがあった。それは、この大地への挨拶をアイヌプリ(アイヌ民族の様式)でやっておきたいということだった。ついでに個人的にルーツを感じるこの大地の地霊に、一言挨拶がしたかった。我流ではやれても、古くから伝わるアイヌ民族の様式でやったことはない。神社やお寺のやり方よりも、アイヌ民族の様式はこの北海道の大地に一番マッチした儀礼なのだから、思いを伝えたいならアイヌ式がもっとも適しているのだ。
今日は、まずレッパンベツの河口でオンカムイ(先祖供養)を行った。そしてルシャではきちんとしたヌサ(祭壇)をこしらえ、本格的なカムイノミを行った。神々の領域ということで、儀式の最中はヌサの向こう側は立ち入り禁止なのだが、今日は若いヒグマが川の中に飛び込み、オジロワシが多くのカラスを引き連れて飛んでいた。「今日は本当にヌサの向こうが神々の場所になったね〜」と誰かがボソッと言った。アイヌ語の祝詞が静かに響き、清らかで、それでいて深いディープな時間がゆっくりと流れる。当初の心配は全く晴れて、政治も欲望も全く関係のない、とてもスピリチュアルな儀式だった。
こうした儀式で重要な道具に、イナウと呼ばれるヤナギの木で作った御幣がある。ヤナギの木の皮を薄く削ると、くるくるとらせん状に剥がされ、それを一周やるとちょうど神社のお払いで使う御幣と同じようなものが出来上がる。(御幣のルーツはこのイナウだと言われている)。それは、自然の神々や先祖と人間の間を取り持つ仲介役を果たしているそうで、これがあることによって僕たちの意思も神々に伝わるし、逆に悪いパワーまでもらわないで済むという安全装置の役割もあるという。
結城さんがポツっと言った。「僕とか藤崎さんって、イナウみたいな存在かもね。人と自然、都会とイナカ、アイヌと和人…そんな間を取り持つ役割を担って、この世に生まれてきたのかもしれない。」僕はその言葉を聞いて涙が出そうになった。
ルシャを離れ、最後にポンベツという場所に寄る。夕暮れせまるその小さな川で、結城さんが2本のイナウを添えてささやかなオンカムイをした。住居跡に立つと、昼ごろから吹いていた冷たい風が全く当たらない。一瞬そこで遊ぶ息子たちの声が響いてくる。目の前の海岸では打ち上げられた鯨を、わいわいとさばく大人たちの姿がフラッシュバックする。自然の中だけで生きていくリアリティを、今日ほど感じられる日はなかった。住居跡の脇にあった岩に添えた、あの2本のイナウを通して、はるか祖先とつながったのかもしれない。
→関連記事
≪続きを隠す
›10 01, 2004
森の中の希薄な存在
Posted by Tatsuya at
17:42 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
/
0 TrackBack
午前中、薪にする木をチェーンソーで玉切り。時々エンジンを切り作業の手を休めると、森の奥でエゾリスがクルミの実をせっせと集めて走り回っていた。
10〜11月は僕の最も好きな季節だ。冬に向けての支度で人間も動物もお互いのことを構わなくなる。キノコ取りに行っても、同じような場所でこっちを無視して嬉しそうにどんぐりを食べているクマをよく見かける。知床の深い自然の中で、厳しい冬に向けて人も動物も皆が自分のことで精一杯。お互いの存在感が希薄になり、それゆえ自然全体が不思議な一体感をかもし出すこの季節。冬に向け生理的に"仕込みモード"になるのだが、作業も仕事もこの自然との一体感を大切にしようと思うと、この時期に考えるのが僕にとってはベストだ。
そんな考え事をしながら、時折りそよぐ北風にピンと張りつめた冬の気配を感じる。
今日は、ユキムシも飛んでいた。正式名称はトドノネオオワタムシ。夏はトドマツなどの木などで暮らし、気温が下がってくるとヤチダモの木に引っ越す習性をもつ。気温の変化を敏感に感じ取り、いっせいに移動をし飛ぶ姿が雪のようにも見えるのだが、この虫が飛ぶと間違いなく雪が降るから不思議だ。2〜3日中に羅臼岳の初冠雪が見られるかもしれない。
エゾシカの発情期独特の鳴声"ラッティングコール"も森の奥から聞こえてくる。
全ての思考回路と体の五感が自然と結びつくこの季節…。心身ともに大切な時間だ。
≪続きを隠す
›9 28, 2004
東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
昨日、東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議が知床周辺の7市町村で立ち上がった。これでようやく東オホーツク地域として正式にシーニックバイウェイにエントリーすることになる。いつもどちらかというと行政とけんかしている僕が、進んで行政の枠組みに入ることはないのだが、今回ばかりは全く逆だ。
シーニックバイウェイ制度は北海道開発局が全国に先駆けて北海道に導入を進める道路を軸とした市民活動・コミュニティビジネスの創出プログラムだ。しかも各活動団体の自発的な活動がはじめにありきなので、市民サイドからの働きかけがない限り行政は動き出さない。"そういう顔"をしている事業はたくさんあるが、このシーニックバイウェイに関してはウソがない。全てお膳立てができている事業なら、この連携会議ももっと早くに立ち上がっていただろう。
連携会議の立ち上げまでにはいろいろな苦労があった。
シーニックバイウェイに参加したところで、基本的に予算はつかない。しかし、とかく行政頼みに慣れている北海道の人たちは、すぐにお金のことを言う人が多い。お金が下りないことを知るとさっさと去っていく人も多く見かけた。
また、シーニックバイウェイの当事者になろうと思うと、非常に想像力を要する。"Sceanic"は「絵になる」みたいな意味、"Byway"は「わき道」という意味、そして制度自体はソフト事業だ。国道を中心としてきらりと光るまちづくりをサポートするものだが、「一体、何をやったらいいのかわからない…。」という人が多いのだ。花を植えることから、エコツアーの開催まで、まちづくりに関する取り組みは枚挙に暇がない。個人的には何だって良いと思うが、自分のやっていることを改めてまちづくりなのかどうかなんて意識することは普通ない。逆にそんな取り組みを引き出すこともまちづくりの一つなので、シーニックバイウェイの意義は大きい。
加えて、「この制度ははっきり言って"ノリ"だ。」というのは、僕がお世話になっているウトロのオピニオン主婦談。「何だかよくわからんけど、オラのやってることもシーニックだべさ。」と軽いフットワークで、しかも頼まなくても自分から乗り込んでいく人に向いている制度だ。「道」を軸とするために自ずとネットワークを意識せざるを得ない。自分だけ良い思いをしようと、全てを抱え込む従来型のビジネスモデルは必然的に排除される。低成長時代のパラダイムとなるであろうネットワーク型の事業と迅速な意思決定を鍛えるには良い場だと思う。
っと僕が書くと何だか敷居が高く感じられてしまう。最近、みんなから指摘されているが、「藤崎は難しいことを言う!」というのが最近の僕の悩みだ。あまり難しく考えずに、東オホーツクの皆さんお気軽にご連絡ください。
東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
代表 高谷弘志
副代表 藤崎達也 fuji@shinra.or.jp
-事務局-
女満別町役場内
産業振興課商工観光室長 山本勝栄
� 01527−4−2111内線302番
fax01527−4−3643
≪続きを隠す
›8 01, 2004
裏の川
Posted by Tatsuya at
00:01 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
/
0 TrackBack
さまざまなことがぐちゃぐちゃな知床で、嫌気がさしてくると最近は仕事をほっぽり出して、夏休みの息子と裏の沢に下りて釣りをするのがささやかな楽しみだ。
僕の家は、川沿いの原生林の土地を開拓2代目のおじちゃんから譲ってもらって建てた。土地の面積は広大で、森を抜け斜面を降りると沢に出る。他の知床の森と同じくイチイやミズナラを伐った開拓の跡は残るものの原生的でとても豊かな森で、開拓のおじいちゃんがやっていたというニジマスの養殖池が、いまはオタマジャクシやサンショウウオの格好の住処となって美しい下草の中に埋もれて佇んでいる。そのおじいちゃんが毎日養殖池まで降りていた道を、今はシカやヒグマが利用している。僕はそんな"人の匂いのする原生林"の雰囲気が気に入ってこの土地を購入したのだが、そんな話をしながら自分の子供と森歩きをすることは、とても心静かなひとときだ。
僕は子供のころ、父によく釣りに連れていってもらった。父ははっきり言って釣りに関しては天才だ。どこで釣りをしていても、彼の仕掛けと餌は本当によく釣れて、まわりで釣っている人に対していつも鼻が高かったのを覚えている。それにひきかえ、僕はそれほど釣りが上手くない。しかし、父から譲り受けた勘だけは自信がある。子供のころも、どちらかと言うと釣り自体よりも糸をたらしているときの"勘の世界"の方が好きだったのを覚えている。水の中を想像したり、魚が好きそうな淀みを見つけたり、フナの回遊のルートをつきとめたり、今日は魚がご飯を食べたい気分か、ゆっくり水底で漂っていたい気分か・・・なんていうのを考えることが、僕にとっての釣りの楽しみだった。
僕は、父のように技術的なところまで上手く教えることはできないが、そんな"勘"の世界で息子と語り合う。"勘"の世界は言葉でどうこうというものではないが、心の深いところで通じる瞬間があるような気がする。実際、僕が上手く説明できないにもかかわらず、息子は何匹もオショロコマやヤマメを釣っていた。投げ入れるポイントも唸ってしまうほど・・・子供ってすごいなあ。
柳の流木があったので、鉈で自分用の杖を作らせた。皮を剥ぐと白い木肌が美しかった。川の音を聞きながら、無言で釣りをしたり作業をしたりする・・・。深いところで、いろいろなものとつながっているような感覚になった。
≪続きを隠す
›6 01, 2004
またまた餅まき
Posted by Tatsuya at
22:32 /
Category:
Slow Life
/
2 Comments
/
1 TrackBack
今日も、友達の森くんの漁場で新造船のお披露目があり、また餅まきに出かけていった。大漁旗をなびかせて、ピカピカの船がお約束の「軍艦マーチ」を鳴らしながら入港すると、まもなく船上から乗務員が餅をまき始める。袋の中に100円玉や500円玉が入っている「アタリ」もあるので、うちのチビ達はそればかり狙っていた。
いや〜それにしても、立て続けに2艘も新造されるなんて何ともめでたい。再来週のお祭りでは、新造された船に神輿を乗せて“洋上行進”をする。その時にはみんなで漁船に乗せてもらうので、子供達も楽しみにしているイベントだ。今年も大漁しますように…。
›3 03, 2004
Posted by Tatsuya at
16:34 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›2 25, 2004
Posted by Tatsuya at
07:10 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
2 Comments
/
1 TrackBack

›2 21, 2004
Posted by Tatsuya at
11:50 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
2 TrackBack

›2 20, 2004
Posted by Tatsuya at
16:41 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

Posted by Tatsuya at
14:53 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
2 Comments
/
0 TrackBack

Posted by Tatsuya at
12:17 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›2 18, 2004
Posted by Tatsuya at
15:15 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›2 17, 2004
Posted by Tatsuya at
08:33 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
1 Comments
/
0 TrackBack

›2 16, 2004
Posted by Tatsuya at
22:42 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›2 15, 2004
Posted by Tatsuya at
18:05 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›2 01, 2004
流氷初日
Posted by Tatsuya at
17:55 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
/
0 TrackBack

「流氷来ない」というエントリーを書いている間もなく、砕け氷が漂っているのを確認した。ウトロでの流氷初日だ。
流氷を待ちつづけていた『日経おとなのOFF』の北村さん、カメラマンの永野さん、そして一休屋の正悟さんとオシンコシン崎まで撮影に出かけた。毎年流氷初日はなんだかんだこうやって寒風にさらされながら、めまぐるしく変化する氷の帯を眺めている気がする。風と海流による氷の変化、太陽の傾きによって変化する気温、ワタリガラスの声…僕にとって流氷の初日はビジュアルではなく、五感だ。そういった体験ができることは、なにものにも代えられない贅沢だと思う。
≪続きを隠す
›12 26, 2003
自然保護保全運動の世代交代と人材不足
先日、エコロジーオンラインの代表上岡さんに会った。環境NPO系で彼ほどセンスがありスマートな人に会ったことがない。同世代の彼は栃木県の佐野市で暮らし、時折東京に出てきて打ち合わせをこなすという、僕と近いライフスタイルにまず共感を覚え、さらに同世代でありながらひょうひょうと多くの難題に取り組んでいる姿に刺激を受けた。
以前「究極の自然観と対処療法」という僕のBlog で、自然保護保全運動の世代交代と人材不足ということを書いたが、最近特にこのことを感じる。書き始めると愚痴になりそうなので控えるが、世代間のディスカッションはいつの時代にも存在する。とことん議論を戦わせていくことが「交代」への一番の近道だ。それにしてもそのストレスのどれほど多い事か…。
上岡さんのエコロジーオンラインはYahoo!のクールサイトマークが付くほどの素晴らしい情報量とデザインで、参加されている方の顔ぶれも実に多彩だ。活動には幅と奥行きがあり、自然環境という森羅万象のさまざまな関係性から成り立つ問題に立ち向かうには、完璧と思えるほどのネットワークを築いている。同世代なのに「すごいな〜」と感心してしまう。
彼はメーリングリストで世界中の人とコミュニケートしている。メーリングリストだけでなくきちんと会って話をすることも大切にしている。また、行政の縦割り、それにぶら下がる民間の縦割りを、縦横無尽に飛び回っている。そんな"オンオフのバランス感"…それが僕たちの世代の特徴であり強みのような気がする。
≪続きを隠す
›10 21, 2003
鍵取り
6歳になる息子の同級生のオジイちゃんが、網走の港でせりを取り仕切る「鍵取り」という仕事を引退するそうだ。
家族ぐるみでお付き合いしているその子のママから、「もうジイちゃんが定年で、せりの風景も見られなくなるヨ。一緒にどお?」と誘ってもらい、網走の漁港へでかけた。
港へ行けばどこでも威勢の良いせりが見られると思っている人が多いが、市場が併設されている港というのは、実はそれほど多くないのだ。実際、ウトロの港にせりの市場は無い。水揚げは見ることができるのだが、テレビで見るようなせり人と仲買人のやり取りは、知り合いがいない限りめったに見ることは無い。
ちょっとどきどきしながら待っていると、遠くから「花〜♪(孫の名前)」と遠くから呼ぶでれでれの、おじいちゃんがやってきた。「おお来てたのか〜♪これ、俺の孫だ。将来は宝塚だ!(旦那が関西出身なのでいつもこう言って紹介するらしい)」と、馴染みの仲買人に紹介して歩いている。「ジイちゃん今からやるからな。もう見ることできねえんだぞ。」とチビに声をかけると、「おう、孫たちに注目されて、やりづれえんじゃねえのか!」と冷やかされながら、仲買人の人込みを抜けて黒板の前の一段高いところに登った。
ゴンっ!ともっていた棒を床に叩きつけ、「ハイッ!」と腹に響くような声でせりをはじめると、その場の空気がぴんと張り詰めた。何でもたった5分で2,000万円ぐらいの取引があるのだそうで、やはりみんな真剣勝負だ。とてもさっきまでの、親バカなジイちゃんと同一人物とは思えない。それでも、せりはあっという間に終わり、また「花〜♪」とでれでれで孫のところにもどってきた。「ジイちゃん、今日はメンメ食べたい!」「おう、ジイちゃんがおいし〜い魚料理作ってやるからな♪」とせりをやる前の、ただの孫とジイちゃんに戻っていた。
手にもっている棒は、先にフックのような鍵がついていて、つえのように彼の体にとても馴染んだ様子だった。しげしげと眺めていると、「私は、『鍵取り』といって、せりをしきる唯一の人間だ。この鍵は誰でも持てるというわけではない。1日で1億ぐらいの取引を何10年もずっと続けてきた。でも私は引退だ。」とだけいって、孫の肩を抱き寄せながら歩いていった。「自分が1億で買ってるわけじゃないんだけどね。」とそのママは肩をすくめて笑った。
それにしてもビジネスの世界で、この人間味…。
漁のないときは、仲買人に泣いてもらって何とか買ってもらったり、逆に大漁の時は値崩れしないように気を配ったりと、よほどの人格者でなければ務まらない仕事だろう。でも、この“人の心”がこの場にある限り、ここで捕られた鮭たちの魂も浮かばれるだろう。この人間味が末端の消費者まで届けばなあと考える。
せりの時の迫力には「長老」という言葉が頭に浮かんだ。やはりビジネスにおいてもコミュニティにおいても、こうやって人間味を吹きこむ「長老」の復活が必要なんじゃないかと、真剣に考える今日この頃。
≪続きを隠す
›9 20, 2003
マイタケ(その2)
Posted by Tatsuya at
21:53 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
/
0 TrackBack
まずい。キノコ採りにハマリつつある…。昨日雨が降り、今日はいい感じの湿度と気温の晴天だ。まち作りなど真面目な話をしていても、ぐんぐん伸びていくマイタケの妖精が僕を山へと誘うのだ(笑)。長老の誘いに二つ返事でのっかって、山へと出かけたのは、もうお昼も過ぎたころだった。
キノコ狩りは、究極の運試しのような気がする。ご存知の通りキノコは菌だ。キノコは朽ちた木などを分解し、無機質に戻すと同時に、自らのエネルギーに変えているhttp://www.nara-edu.ac.jp/ECNE/mushroom/nyuumon/。分解をするには、湿度(空気中・土壌)や日照時間、それらを条件づける立地、そしてその年の気象状態の累積といった、さまざまな条件が重なって始めてキノコは大きく育つのだ。いちばん良い条件のときに自分自身に時間を作る余裕があるかどうか、そして歩いている尾根に既に他の人が採りに入っていないか、そもそも今歩いている尾根が先述の条件にピッタリとマッチしているのかどうか、何より見落とさないようにしっかり観察しているか…もう、こうなると、キノコは採るというより「出会う」に近いものになってしまうのだ。実際、キノコを見つけたときは「おお、そんなところにいたのか」という感慨が沸き起こる(笑)。
だから、採集するとき、家に帰って丁寧に泥と虫を落とすとき、いろいろな料理法で食べるとき、全ての時点において山への感謝の気持ちで一杯だ。偶然性が重ならなければお目にかかれないという点で、春の山菜よりもその気持ちは強いような気がする。多めに採ってしまったときに、お裾分けする相手も自ずと大切に食べてくれる人をピックアップしてしまう。
もうキノコ専用になってしまった、安物のザックに入りきらないほどのマイタケと、おまけの鹿の落角を背負いながら沢を下りていると、山の向こうにもの凄い勢いで成長している入道雲がオレンジの西日を浴びて光っていた。足元のツタウルシの葉は、すでに赤く紅葉し始めている。気が付いたら白い息を吐いている自分に気が付いた。もう秋も深まってきたようだ。
≪続きを隠す
›9 13, 2003
エコツーリズムの課題
今年の春に講師に招かれた青森県鰺ヶ沢町でのレポートの公開です(Word/38k)。現地の方々が案内するエコツアーに参加し久々にお客様の立場でツアーを見ていると、エコツーリズムのさまざまな課題が垣間見られました。なお、Creative Commonsよろしくね。
›9 12, 2003
マイタケ
Posted by Tatsuya at
23:45 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
/
0 TrackBack
いつも、まち作りなどの議論のまとめ役である、ウトロの長老のようなオジさんに、キノコ採りに連れていってもらった。マイタケが今日の狙いだ。
毎年この時期になると、そのオジさんの頭の中はキノコで一杯になってしまう。夏シーズンが終わり、まち作りのメンバー達にもようやく議論をする心と時間の余裕ができるのに、肝心の長老が上の空なのだ。仕方がないので、毎年キノコがなくなる時期を呆れながら待つのだが、それもウトロの風物詩として誰一人そのことに苛立つ人はいない。
それほど好きだというキノコ採りに連れていってもらいたくて、横浜から遊びに来ていた従兄弟と一緒に連れていってもらった。僕も行ったこともないような、深い、そしてキノコがよく生えるミズナラの木がたくさん立つ素敵な原生森を半日かけて歩いた。そういえば、よく彼が「いや〜森はいいね〜」といつもしみじみ語っているのだが、“良い森”の概念が人それぞれなので彼がどのような森を愛しているのかわかりかねていた。でも、その日は彼の自然観を少し垣間見た思いがした。
狙いのマイタケはこの場所では若干時期が早かったようで、長老が思っているほどは採れなかったが、それでもいい匂いのする小ぶりのマイタケをいくつか採ることができた。一緒にいった従兄弟はどちらかというと、自称“プチひきこもり”というほどの完全インドア派なのだが、こんなにコアな森歩きにも関らず相当楽しかったようで、今日も車で走っていると「おっ、あの木にはマイタケ生えてそう!」と、すっかり“キノコ目”になっていた。
長老に言わせると収獲が少ないそうだが、充分過ぎるほど収獲し、山から下りてからのお握りが妙に美味しかった。やはりいっしょに来ていた地元のオバちゃんといろいろな話をしながらの時間は、何にも代えがたい幸せを感じた。いつも、喧喧諤諤と夜中まで議論を戦わせている長老と、会話はなくても森の中で同じ時間と空気を共有すること、そしてはじめて会った地元のオバチャンととりとめもない話ができたことは、ある意味キノコ以上の収獲だったかもしれない。
≪続きを隠す
›9 08, 2003
エコツーリズム
僕たちはよく「エコツアーのガイドをしています」という言い方をしているが、実はこの「エコツアー」という言葉をあまり使いたくないのだ。そもそも人間が自然の中に入っているのに「エコ」というのもおかしいし、何よりこの「エコ」という言葉に、相手の考える隙を与えない不思議な力を感じるからだ。僕は、そういう力がちょっと気持ち悪い。
自然保護のためなら何でも通用する最近の風潮に、最近、少し嫌悪感をおぼえている。「そこのけそこのけ自然保護が通る…」という印籠ができてやしないだろうか。この「エコ」という言葉にもそういった思考停止を強いる力を感じているのだ。「エコ」で何でも通用してしまう社会は、ファシズムと何ら変わらない気がする。だから、自然保護と利用を考える上でのエコツアー万能論のような風潮に、僕はエコツアー事業者でありながら異論を持っている。
よく、「エコツアーによって地域経済に貢献し、自然保護への協力をえる。」みたいなことを耳にする。一見、もっとものような意見だし、例えば何もないところの「村おこし」的に活用するには、大きな効果をえることができるだろう。しかし、良くも悪くも完成された知床の観光地のような場所では、本当の意味で「エコツアー」で地域への経済効果を生もうと思ったら、それはそれは至難の技だ。
僕たちの調べでは、小人数単位の自然体験型プログラムに参加し、しかも2泊以上の長期の滞在をする“いわゆるエコツアー”客は全体の1割に満たない。ウトロの年間の宿泊者数が約60万人だから、約6万人弱。このような小さなパイで、ウトロの経済を支えることは現状では無理だ。
しかし、「エコツアー」に対してのニーズはますます増加している。今後、やりようによっては、「エコツアー」だけで知床の観光産業が成り立つ可能性もある。そして、その時に重要になってくるのが、実はガイドプログラムそのものよりも、地域のおもてなしの転換だ。現在は大きなホテルから小さな商店に至るまで、“一見(いちげん)さん”に偏ったおもてなしが定着している。僕たちのお客様もよくいうことだが、滞在には決して適した街作りがなされているとはとても言えないが現状だ。地域全体が滞在に適したまちになったとき、20万人でも今の経済規模を維持できる観光スタイルを確立することができる。
多くの学者さんがもっともらしくこんなことをいう…。
「自然保護は地域の協力あってこそ。自然保護で地元に経済効果を。」
でも、実際問題としてそれを実現できているところを僕は聞いたことがない。もちろんそれは当然のことかもしれない。学者はその答えまで導き出すことはしてくれないのだから。それをやるのは地域以外の誰でもない。そしてそのノウハウは生活そのものの中にこそ見出すものだ。だから誰にもそのノウハウはないのだ。地域は学者なんかに遠慮せず、もっと胸を張って自然体の自然との関りを発信していったら良いのだ。「エコツーリズム」に適した地域のおもてなし…僕の最大の関心事だ。
≪続きを隠す
›9 05, 2003
男の仕事・女の仕事
Posted by Tatsuya at
08:27 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
/
0 TrackBack
友人の女性が町の男女共同参画(ジェンダー)の条例作りの委員に選ばれた。もちろん他の委員も女性ばかりだというが、何となく違和感を感じているという。
その友人はどこかに勤めていたりパートで働いているわけではない。フリーランスでイラストや編集の仕事を受けたりしているが、基本的な軸足は家庭に置いている。女性が生活というところに視点を集中すると見えてくるところがあると思うのだが、この男女共同参画の議論ではそういった「主婦」の視点はとても蔑んだように言われるというのだ。
だいたい、ジェンダー系の人たちに「主婦」という言葉を使うと、かなりムキになって否定される。「男の役割」「女の役割」という言いかたも、「お前は全く話にならない!」みたいに呆れられてしまう。どうやら男女共同参画とは、こういう議論をする場とはちょっと違うようだ。母親、父親になることと混同して話してはいけないらしい。でも、僕はそこに根本的な違和感を感じる。
あるアイヌ民族の女性のシャーマンは、平気で「ああ、それは男の仕事ね。」「それは女の仕事だね。」と言う。多くの先住民族は母系社会だ。全ての中心が女性であり、生活だ。経済に視点を置くのではなく、生活に視点を置くことで男女の共同作業のありかたは180度変わってくる。でも、それを議論する場を僕は知らない。
条例作りに参加している友人は、女がこれからどういう方向に向かわなければならないのか、とても不安に感じていると思う。
≪続きを隠す
›8 26, 2003
「移住」って
Posted by Tatsuya at
16:44 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
/
0 TrackBack
先日、家内と話をしていて、皆から言われる「藤崎は知床に『移住』した」という言いかたって何か変だよねという話になった。
だって、イナカから東京にいく人は大勢いるけど、彼らのことを「移住」とは呼ばない。だけど、僕のように東京からこちらにきた人のことは「移住」なんていう呼びかたをする。「移住」なんて言われると、かえってこちらの方が戸惑ってしまう。何だか“わけあり”じゃないといけないみたいな気になってしまう。だけれども、僕たちは東京で部屋を探す延長線上のように知床で暮らすことを決めたのだ。
いろいろな人から、「なぜ移住したのですか」と聞かれてうまく答えられないのは、こういった思いつめたニュアンスが「移住」という言葉に込められているからだ。僕は思いつめていないのに、なんだか思いつめたように語らなきゃいけないかな…なんて変なサービス精神を出すのがいけないんだな。
こちらに住んでから、何人もの方から「私も移住したいのですが…」という相談を受ける。その誰もが、どこか思いつめたものを持っている。僕には、移住についての事務的なお手伝いはできるかもしれないけれど、問題の根源である「思いつめている部分」については、全く責任をとることができない。だから、このようなご相談には丁寧に「やめたほうが良い…」というお返事をしている。さぞかし冷たいやつと思われているだろうなあ。でも、今の会社を辞めて、例えばウトロのホテルに入社したところで、何の問題解決にもならない。自然の中にいようがどこにいようが、その人の業はいつまでもついて回る。どこで暮らしていたって、大変さは同じことだ。
でも、「思いつめていない移住」は大賛成だ。むしろかっこいい(!?)。インターネットや携帯電話が発達した今、場所に縛られているのはナンセンスだ。「移住」なんて大げさなことを言わずに、若い人たちが気に入った部屋(地方)を見つけ、そこで都会集約型ではないビジネスを生み出す…そんなスタイルがかっこいいと思う…。そういう「移住マインド」をもっている若者と仕事がしたいな。
≪続きを隠す
›8 22, 2003
オショロコマ
Posted by Tatsuya at
17:26 /
Category:
Slow Life
/
0 Comments
/
0 TrackBack
仕事の合間をぬって、6歳の息子と渓流釣りに出かけた。
僕は子供の頃から釣りが大好きで、腕にはちょっと自信がある。
でも、渓流釣りは本州で暮らしていると一般的な釣りとは言えず、数えるほどしかやったことがなかった。なかなか釣れないし、危険だし…というのが今でも僕にしみついた渓流釣りのイメージだ。でも、知床に住むようになってからは、それほどの距離感を感じなくなった。
知床の魚達は全くスレていなくて、うちのチビ達でも簡単に釣れるのだ。もちろん難しい魚を狙う人にとっては、相変わらず奥の深い釣りなのだろうが、子供の遊びでやる程度なら充分過ぎるぐらいに楽しめる。
今日は小さなオショロコマばかりだったので、河原に作った小さな池に放して子供が充分満足したら、再び川に逃がしてやった。でも、放流されてすぐに、流されてくる虫に飛びついていていた。相変わらずスレないやつ…大丈夫かお前…
西日の差し込む夕方の森が、僕は好きだ。今日はそんな中、子供としばし至福の時間を過ごすことができた。
≪続きを隠す