›9 24, 2009
ボブ・サム
Posted by Tatsuya at
21:53 /
Category:
Sipetru
/
5 Comments
cafe pathのこけら落としイベントに、何とボブ・サムさんが来てくれました。いろいろなご縁とはいえ、何だか現実感がなく不思議な感じでした。
ボブさんはチャシコツプロジェクトの一環としていらっしゃったのですが、結城さんがボブを呼んだのには、僕たち和人には図りしれない深い意味があるようです。星野道夫さんの描かれているスピリチュアルな面以前に、アラスカの先住民族が保護政策のもとアイデンティティを見失い、ドラッグやお酒に溺れるコミュニティを救った男、それがボブさんなのです。結城さんはそのボブさんを呼びたかったようでした。僕は結城さん達の側からボブさんと接していたこともあり、力強い活動家としての面がとても印象的でした。

イベントでは、数人にしか声かけしていないにもかかわらず、たくさんのお客様でcafe pathが一杯になりました。いやあ、もっと広く呼びかけたかったのですが、cafe pathには60〜70人がやっとなので、程よい参集範囲だったかな〜と思っています。
ボブ・サムさんは今でも神話の世界で生きている人です。そして、ボブさんはその神話の数少ないストーリーテラーのお1人です。日本だって神話の延長に設計された国家なのですが、だいぶ"左右の方々"や権力に歪められてしましました。一方、トゥリンギット達は、皆この神話に宿るスピリットを大切にし、畏れ、日々の営みに反映させて暮らしています。だから神話を語り継ぐことは、僕たちが想像する以上に重い意味を持ちます。通訳は専用の冊子が渡され、イベントが終わったら必ず捨てるように言われているといいます。神話は口承伝承のみ。言葉に魂を宿し、語り手や聞き手それぞれの人の魂と共鳴し、神の世界(この世)においてよりよい振る舞いをするようにしむけるものなのです。だから、文字として残すわけにはいかないというのです。それだけみなさんは集中してボブさんの言葉と向き合うことになりました。とても素敵な夜でした。
翌日、結城さん達と再びcafe pathを訪れてくれ、旅の疲れを癒していました。やはり彼ほどのビッグネームになると、あちこちに引っ張りだこになりスケジュールがタイトなようです。今回はチャシコツプロジェクトと結城さん達アイヌの若いコミュニティとの交流のために訪れたのですが、「ボブが来ているらしい」という情報は勝手に一人歩きし、彼にとっては不本意なイベントが盛り込まれていったようです。その内容を聞くにつけ、活動家としてのボブ、リーダーとしてのボブは、この日本ではあまり理解されていないような気がしました。神話のすごさは分かるのですが、ボブは語りの前に「コレは僕の話じゃない」とはっきりと言い、多くの先祖の名前を出し「彼らの話だ」と言っています。僕がすごいんじゃない、神話がすごいんだと。ボブの神秘性に光を当てることも良いですが、そんな神秘的な価値を中心に据え生活をしているネイティブたちの現実の方にも光を当てなければ、ボブさんに対して失礼だと思います。そして、それよりももっと厳しい状況がアイヌ民族の間にあることも・・・。
僕もいろいろと相談に乗ってもらいました。
「世の中、殆どの人がfollower〜人についていくタイプの人で、ほんの一握りがleaderだ。君は好むと好まざるとリーダーだ。生まれついてのリーダーだ。」
「辛いときは"息"を意識しなさい。辛くなってくると、胸が閉じてくる。しっかり胸を開きなさい。そして、声帯ではなくここ(胸)で話しなさい。はっきりとした、わかりやすい言葉で、話すことです。君は僕と同じ声を持っている。大丈夫だ。」
ボブさんの神話の中に、この世を作ったワタリガラスに魂の火を届ける鷹の話が出てきました。誰も火をもつ持つがおらず、ワタリガラスが探し歩いていた時にたまたま鷹が請け負い、燃え盛る炎のついた枝をくちばしにくわえ飛び続けるのです。熱くて熱くて、顔に火が移っても泣きながら飛び続けます。泣きながら泣きながら・・・。
それでも諦めるな、勇気を出せ。
燃え尽きることを恐れている自分に気がつきました。僕のあだ名はFIRE(笑)。燃え続けようと思いました。

≪続きを隠す
›5 01, 2009
チャシコツプロジェクト
Posted by Tatsuya at
00:08 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
観光圏事業のうち、僕が担当するまた別のプロジェクトの打合せで札幌へ。
観光圏事業では、昨年からやっている北大との共同プロジェクト「チャシコツプロジェクト」を相乗りさせる予定だ。チャシコツプロジェクトは先住民族の遺跡「チャシコツ岬」の遺跡発掘調査に一般人が参加できたり、その発掘の結果をまち作りに活かしていこうという、コミュニティーアーキオロージー(地域考古学)の試みだ。
人は人の営みの上に暮らしている。もっといえば、無数の先人達や動植物の死骸の上で暮らしているのだ。そのスピリットは土地に染み込み、水になって世界中を循環し、生命を育み、またそのスピリットが次の命を生む。先人が聖地としていたところ、誰か英雄が死んだ場所、そんな場所があるかもしれないのに地図上だけで開発を進めていって良いものか?ということを、常々考えていた。
そんなことを言ったって、そもそもどういう土地なのかなんて、一体どれぐらいの人が知っているのだろう。「わからないや。じゃ、道路つくってオッケー。」となってやしないか不安でならないのである。あるいは、どれだけ遡るべきなのだろう。そんなことを真剣に悩んでしまうのは僕だけなのかと思っていた。それにある道筋をつけてくれたのが、北大の考古学の先生・加藤博文准教授だ。「それは、コミュニティーアーキオロジーという手法で解決でき、欧米では一般的になりつつある。」のだそうだ。
昨年、発掘作業でもっともはまったのは地元の小学生達だった。何でも子供は大人に比べて作業で何かを見つけるのが上手らしく、昨年も参加した子供の発見が考古学的に貴重な意味を持つものだったりしたことが多々だった。また、単純に土をいじくり宝が出てくる感覚は何とも言えず楽しいのだろう。予定の1時間を大幅に越えて2時間以上地面に這いつくばっていた。
自分の住んでいる地面をちょっと掘ると、そこからは先住民族の暮らしの跡が続々と出てくる・・・子供たちの心の引き出しには、その時の感動はどのように納められるのだろう。詳細は追ってご連絡します!
≪続きを隠す
›6 08, 2007
シンポジウムに参加します
Posted by Tatsuya at
12:21 /
Category:
Sipetru
/
6 Comments
とても久しぶりに横浜市のシンポジウムにパネリストとして参加します。
そうそうたるメンバーの中でものすごく居心地が悪く、最高に出たくないのですが(涙)、知床での先住民族エコツーリズムの事例を紹介する予定です。お時間があれば、是非!

●ホクレア号横浜寄港記念シンポジウム
会場 / 大さん橋ホール(大さん橋国際客船ターミナル内)
日時 / 6月17日(日) 13:00〜16:00
テーマ 「ホクレア号に学ぶ」
●シンポジスト(予定)
・荒木汰久治 (プロ・オーシャンアスリート、ホクレア号クルー)
・内野加奈子 (写真家、ホクレア号クルー)
・石川直樹 (冒険家、写真家。ナイノア・トンプソンの師匠であるマウ・ピアイルグ氏に航海術を師事)
・林和代 (フリーライター。ナイノア・トンプソン氏の恩師であるミクロネシア連邦の航法師マウ・ピアイルグ氏と深い親交がある)
・拓海広志 (海洋エッセイスト、オフィス☆海遊学舎主宰。かつてヤップ島においてマウ・ピアイルグ氏の協力を得てヤップ・パラオ間の石貨運搬航海を復活させる)
・藤崎達也 (シレトコ先住民族エコツーリズム研究会事務局長。ホクレア号のクルーであった故タイガー・エスペリ氏の薫陶を受け、アイヌ民族のカヌーを用いたエコツーリズムに取り組む)
・司会
加藤晃生 (翻訳家、立教大学非常勤講師。「ホクレア号航海ブログ」翻訳担当。訳書に『星の航海術をもとめて:ホクレア号の33日』等)
●趣旨
ホクレア号の日本航海もいよいよ大詰めを迎えています。そしてホクレア号は糸満市、宇土市、長崎市、福岡市、周防大島町、広島市、宇和島市と寄港してゆく中で、様々なものを私たち日本列島の住民たちに残していってくれました。また、さらに視野を拡げれば、1月にハワイを出航してからマーシャル諸島、ポンペイ、チューク、サタワル、ユリシー、ヤップ、パラオと訪ねるミクロネシア航海においても、ホクレア号は私たち地球人が現在直面している色々な課題について気付かせてくれたのではないでしょうか。
そこで次に私たちが考えなければいけないのは、「それでは私たちはホクレア号の航海にどんな形で応えていけば良いのか?」という問題です。とはいえ、日本列島とハワイ諸島では島々の大きさや数も、また重ねてきた歴史も全く異なります。ですから、ハワイの人々がホクレア号を用いて取り組んでいるようなことをそのまま私たちの国に持ち込んでも駄目なのではないか。そうした疑問がこのシンポジウムの出発点です。
日本という広大な国にはハワイの100倍の数の人が住み、また亜熱帯から亜寒帯までの幅広い気候と変化に富んだ地形が備わっています。そんな私たちの故郷において、ホクレア号がハワイで成し遂げてきたような素晴らしい成果を生み出すには一体どうしたら良いのか、一緒に考えてみませんか?
≪続きを隠す
›11 23, 2006
レブンカムイ
Posted by Tatsuya at
22:21 /
Category:
Sipetru
/
10 Comments

ようやく、アイヌカヌーを作リ始めることができました。船の名前は『レブン・カムイ(=海の神/シャチ)』です。
›11 10, 2006
野付のチャシ
Posted by Tatsuya at
10:58 /
Category:
Sipetru
/
5 Comments

2日目は野付半島の基部にあるタブ山チャシとイドチチャシを訪れました。
›11 08, 2006
アシリ・レラ(新しい・風)
Posted by Tatsuya at
23:32 /
Category:
Sipetru
/
3 Comments

アシリレラさんのことを簡潔に紹介するのは、彼女を主人公にした映画でも作らない限り多分ムリだと思います。すごい人なんだけどすごくなくて、すごくないところがすごくて・・・。レラさんの偉大さを説明するのは、自分の母親の偉大さを説明することに似ている気がします。
彼女のことは作家の田口ランディさんやオフィステンの天川彩さんから紹介されていたのですが、なかなかタイミングが合わず・・・というかどこか心の中で「まだお会いするタイミングじゃない」みたいなことを感じていて、会うことを控えていたことを覚えています。
レラさんはとてもスピリチュアルな方です。今、テレビで消費されているような「スピリチュアル」とは違った"リアルなスピリチュアル"とでも言うべき、アイヌ民族が大切にしてきた世界をしっかりと生きてきてきた人にしか備わっていない雰囲気を持った方です。人と人とのつながりにおいても、誰でも受け入れてくれる広い心をもっていながら、ある面ではきちんとした必然性を追求されている印象を持ちます。だから、単なるミーハーで会いにいくことはしたくなかったのです。
「何故、私があなたと話しをしなければならないのか?」
「あなたは、和人とアイヌ民族との関係にどれだけ深く思慮し、コミットし、その上で何をしなければならない使命を背負っているのか?」
といったことを、朗らかな表情とは裏腹に心の奥底にずどんと直球で投げかけてきます。気分でいうと、お墓参りで先祖の前で自分の気持ちをウソ偽りなくさらけ出さなければならないような、そんなパワーを醸し出している方なのです。だからこちらは準備万端にし、スピリチュアルな力も蓄えて(?)機が熟すのを待ち続けなければならないのです。(と、少なくとも僕は思っていました。)

レラさん(ホームページ)のことをご存知ではない方も多いと思いますが、レラさんはアイヌ民族に数少なくなったシャーマンの一人で、日高地方の二風谷(にぶたに)というアイヌコタンに暮らしています。アイヌ民族活動家であり、自然保護活動家であり、祭司であり、と実にさまざまな活動をされてきていますが、僕のごくごく勝手なくくりをさせてもらうと「母」の一言につきます。全ての活動の柱に「母」の目線を感じるのです。それは運動といった社会的なことに限らず、日々の暮らしにおいてもきちんとした「母」の目が行き届いていて、今年の冬からガイドのお手伝いをしてもらっているムカルとハリーというレラさんのところでアイヌ民族として暮らす青年2人がいるのですが、若いのに感心するほどの自然の知識を持ち、職場での礼儀作法から台所仕事まで見事にこなす男に、レラさんは育て上げていました。昨今のいじめだとか自殺の問題を解決していく答えが、レラさんのコミュニティにはあるような気がします。レラさんはアイヌだとか和人だとかいう以前に「母」という太い柱で多くの人を結びつけているのです。

そしてレラさんと会うときはいつも不思議です。初めて会ったときは二風谷に別の用事で出かけたのですが、何となく「レラさんに会わなければいけない!」と妙な焦燥感にかられました。
「もしかしたらレラさんが毎年主催している『1万年祭』の会場準備をしているかも知れない」ということで西原くんの言う「その場所」に向かいました。しかし、教えてもらった地図も「だいたい、ここら辺」というだけで、まったく見当もつきません。準備が始まったばかりの会場の入り口には何の目印もなく、途方に暮れていました。
ところが不思議なもので「呼ばれている」という感覚がする方角に車を走らせて行くと、一筋の煙が上っているではないですか。車を止めその煙の方に歩いて行くと、何とレラさんたちが何やらせっせと焚き火をしていました。聞けば、1万年祭の会場に多くの産廃が不法に捨てられていて、数日かけてそれを全て手で拾い集めていたところだったそうです。僕もゴミ集めを手伝いながら煙をたよりにやってきたことをレラさんに話すと、
「ガハハハ、狼煙(のろし)じゃないんだからさ。いくらアタシでもそんな暮らしはしちゃいないわよ(笑)。けど、アンタ何かに導かれてやってきたんだね。」と言いました。
ゴミ拾いをしながら僕の思いをレラさんに話したところ、
「わかった。私に知床でカムイノミ(祈り)してもらいたいんでしょ。」と言いました。
僕は、レラさんがカムイノミをすることは知っていましたが、女性が祭司をやることへの違和感を結城さんや早坂さんから聞いていたので、それまでは正直、レラさんにカムイノミをお願いするつもりはありませんでした。しかし、実にさまざまな人のつながりや偶然が重なり彼女と出会ってきた今までの経緯を考えると、「レラさんに知床に来てもらうこと」はむしろ自然な感じがしました。今でも不思議なのですが「お願いします。」と即答したのを覚えています。
それから、彼女とは関係が深まっていったのですが、いつも僕はレラさんに「呼ばれる」立場です。今回もフィールドツアーの前にカムイノミを行ったのですが、
「ト゚ゥキ(祭事用の杯)が一つ余っているから今に誰か来るよ。」
とレラさんが言っていたところに現れたのが僕らしく、ムカルが大笑いをしていました。僕も前の日からこのカムイノミのことがとても気になっていて、朝、気になる方角に歩いていったらレラさんたちがカムイノミの準備を終えて、誰かがくるのを待っていた・・・という状態だったのです。こういうことをオカルトとして一蹴してしまうのは簡単ですが、レラさんはまったくその価値観を中心に据えて暮らしをしてきているわけで、彼女にとっては不思議なことでもなんでもないのです。僕の場合はいろいろなチャンネルを切り替えてこの世で暮らしていますが(笑)、レラさんと共有する世界からしか測れないものというものが、こんなにもあるのか・・・と驚かされます。
それは、そのままアイヌ文化を捉えるときも同じことのような気もします(ものすごく乱暴な言い方ですが)。今回もカムイノミの途中に1匹のスズメバチがしつこくト゚ゥキの中のお酒に寄ってきました。ハチはお酒の臭いが好きなので寄ってくるものです。でも、あまりよい気持ちはしないので僕たちは恐がっていたのですが「ハチはアイヌ民族の文様にもあるようにアイウシ=刺だ。カムイノミにハチが来てくれるのは魔よけの意味があって、縁起の良いことなんだよ。」と、そのままにしてやるように指示をされました。そう聞くとハチ一匹に対する僕たちの気持ちは途端に180°変わってしまいます。「手で払ったりしなければ、ハチは何もしない。」と言われるのと、「ハチが来てくれるのは縁起が良いことなので、そっとしておいてやってくれ。」と言われるのとでは、結果として「追い払わない」ことに結びつくわけで、誰も悪者にせず自然を眺めるレラさんの優しい視点にハッとします。そうした世界観を生活様式や所作やアートとして発展させてきたアイヌ民族の文化をもっと学びたい、学ぶべきと思います。その機会づくりとしてSipetruがこれからも機能していけば良いなあと思います。自分自身の小さな物差しではかるには、自然は深遠すぎるのです。

そんなすごい人なのでいつもレラさんと何かやるときは、こちらはとても緊張して万全の態勢で臨みたいと思うのですが、これがまあ、まったくと言ってよいほど事前の打ち合わせは不可能・・・というのがレラさんとの関係の特徴でもあります。これはホトホト困り果てているのですが(苦笑)、レラさんにいわせると神様とタイミングをはかるのはどうやらそんなものらしくて、これに付き合えないようでは本当のアイヌ文化に触れることはできないのだろうなあと思います。とても大切なカムイノミの祈りにしても出席者や段取りなんかまるでありません。しかし考えてみたら、カナダの先住民族を訪れたときも、NZのマオリを訪ねたときも、ウトロのお祭りにしても、式典には段取りなどなく、けど参加者全員の意思がギュッと集中することによって、乗り越える良さみたいなものがありますよね。神事とは本来そんなものだろうと思います。そうは言ってもお客様がいる場合などは、その間に挟まれる僕たちは正直たまったものではないのですが、逆にこういった間に入るインタープリターが不在だったことに、アイヌ文化や世界観が広がっていかなかった原因の一つがあると思います。そういう点では、この苦労こそがSipetruの仕事なのだなあ、と割り切っています。

急に仕立てたバスは、結局シンポジウムの途中にかなり遅れて到着し、レラさんは、切らした息を整えながらステージに立ち、静かにこんなことを語りはじめました。
「みなさん、今日ここにいる結城幸司のお父さん=結城庄司と私はかつてともにアイヌ民族運動を闘ってきました。特に結城庄司の運動は力強く印象に残っていますが、彼は若くしてこの世から命を絶ってしまいました。道東はそんな結城庄司がさまざまな祭典を復活させた神聖な場所でもあります。北海道中のアイヌにとって、とても大切な土地なのです。しかし、時代とともに運動も陰りを見せ、私も年を取り昔のようには頑張れなくなりました。結城庄司がせっかく復活させてくれた祈りをきちんと受け継いでいくことが難しくなっていたのです。でもこうやって彼の息子が道東で頑張っている姿を見て、私ももう一度頑張ろうと思いました。」
レラさんはこのことを言うためにわざわざ二風谷からバスをチャーターしてやってきてくれたのです。アシリレラさんがグループのみんなを連れてきてくれたこと、結城幸司さんにこのようなエールを送ったこと、そして人知れず野付半島や帰り道に知床の弁財チャシなどでカムイノミを行ってくれたことの、ものすごい意義をお客様のほとんどがその真の意味まで理解できなかったかもしれませんが、これはものすごい瞬間に立ち会ってしまったと武者震いがしました。そして、このとき、いろいろなことを進めていく上で、スピリチュアルな面での準備が全て整ったような、何かの力がグッと入れ替わったような気がしました。

≪続きを隠す
›11 07, 2006
ご報告(その2)
Posted by Tatsuya at
10:13 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments

今回のイベントは野付半島ネイチャーセンターの協力で実現しました。小さなレクチャールームでのシンポジウムから2日間のイベントがスタートです。2日間で延べ80人ほどの方にご参加いただきました。本当にありがとうございました。
今回の2日間を通して登場するゲストが多くしかも豪華。シンポジウムでは別海町加賀家文書館の戸田さんが、野付半島周辺のアイヌ語地名を中心に講演。そのあと小野有五先生が知床の先住民族エコツーリズムの紹介。その合間にはアイヌアートプロジェクトとアシリレラさんのグループのパフォーマンスが盛り込まれました。2日目のフィールドでも別海町郷土資料館学芸員の石渡さん、そして標津町ポー川史跡自然公園園長の椙田さんと、あり得ないほどの贅沢な顔ぶれです。

先ず、別海町の加賀家文書館の戸田さんの話しでは、川など地形が刻々と変化する場所の周辺にあるアイヌ語地名をご本人の推測などもまじえて楽しく語ってくれました。加賀家文書館は別海町の施設で松浦武四郎と並び重要な古文書を残したといわれる、加賀家伝蔵の7代目にあたる加賀實留男氏から寄託された古文書資料約千点の保存と教育的活用をはかるために建設されたところです。北海道の原風景をたどるには必見の場所です。お近くに来た方はぜひ!
続いては、我らが小野有五先生のレクチャー。いつもながら、穏やかでありながらかなりエッジの聞いた自然保護への切り口にうならされました。

その合間には、アイヌアートプロジェクトやアシリレラさんたちによるパフォーマンスが盛り込まれ、結局全部で3時間以上の長時間のシンポジウムとなりました。今回のイベントは実に多くの人のつながりで実現できたもので、それぞれお一人お一人とのなれ初めを書きたいぐらいなのですが、次回は、特にレラさんのことを書こうと思います。
≪続きを隠す
›11 05, 2006
チャシとSipetruの使命
Posted by Tatsuya at
10:36 /
Category:
Sipetru
/
2 Comments

Sipetruのイベント「聖地巡礼のエコツアー/メナシの聖地を巡る」が終了しました。思い入れが強いSipetruの面々が作るツアーは、いつもついつい盛りだくさんになりすぎるのですが、それに加えて今回はあまりに豪華なゲスト陣。1回では書ききれそうにないので何回かに分けて報告します。
→毎日新聞さん(掲載期間があると思います)
今回のイベントは、Sipetruが一つのテーマとしている「聖地巡礼」のシリーズで、今回はウトロではなく別海町・標津町の野付半島周辺のチャシに注目しました。以前からよく出てくるこの「チャシ」。チャシとは日本語では「砦跡」などと翻訳されますが、古くは縄文時代から使用した住居跡のことで、多くは竪穴や柵を張り巡らすために掘ったという用水路のような溝が残る場所です。多くは敵や獲物となるクジラを早くに見つけられるために、小高い丘の上にチャシは存在していますが、そこを最近までアイヌ民族も使い、和人との戦争のときは砦となったところもあるようです。だから、先住民族の平和な暮らしも、悲惨な歴史も全てを見てきた土地。アイヌ民族はチャシを特別に「聖地」とはしていませんが(そんなピンポイントではなく、北海道全部が彼らの「聖地」ですから・・・)、Sipetruでは殊更にこのチャシを取り上げ、そこから聖地の回復を目指そうと「聖地巡礼」というエコツアーを運動的に行ってきました。

チャシは北海道中に点在していますが、その存在は意外と知られていません。今回は地名にはなっているけど、その語源となっていることも忘れられているような野付半島周辺のチャシのいくつかを訪れる巡礼に出かけました。地元の参加者を中心に、北大の学生グループ、アイヌアートプロジェクト、アシリレラさんのグループと、関係者もゲストもごちゃ混ぜで40人近くのツアーとなりました。
信仰的に非常に重要な意味を持つ場所が、人知れず勝手な開発や勝手な網をかけられてしまう危機にさらされていると言っても過言ではありません。Sipetruではそんな北海道の聖地=チャシを大切にするムーブメントを作っていきたいと昨年から聖地巡礼をテーマとしたツアーを続けてきました。最近アイヌ民族の小さな活動団体を中心に、にわかにこの「チャシ」というのが先住民族の運動の中心に据えられるようになってきました。楽しいエンターテインメントとそういった社会的な強いメッセージをバランスよく演出していくことが北海道におけるSipetruの使命だと思っています。そんなわけで今回は、多くの方にご登場いただき楽しいイベントにしようと思いいろいろな人に声かけをしたところ、いつにもまして豪華な面々での開催となりました。次回からはそんな様子をお伝えしたいと思います。
≪続きを隠す
›10 15, 2006
クジラ島の少女
Posted by Tatsuya at
23:17 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
さっきまでBSで映画『クジラ島の少女』
が放映されていました。
今年の正月にアイヌアートプロジェクトの結城さんや北大の小野有五先生とニュージーランドに行くときに「え〜!!これからNZに行くというのに、あの映画見てないの!?信じられない!」とこてんぱんに批判されたののですが、見る機会がなくそのままになっていました。
この映画は、ニュージーランドの先住民族であるマオリに伝わる素敵なお話がベースになっていて、それでいて現代の先住民族が抱える生な悩みがダイレクトに表現されています。お固い学者などが書くと「先住民族の理解のために・・・」なんて推薦しそうですが、単純にドラマとしても映像としても、そして主演の少女(アカデミー賞にノミネートされたそうです)の演技の素晴らしさだけでも満足できる作品だと思います。是非是非。
僕は学者ではないのでうまくは言えませんが、アイヌアートプロジェクトの結城さんたちといろいろな取り組みを通して最も感じる現代の先住民族の共通の悩み(差別とか生活の苦しさなどの、最も差し迫った現実的な悩みとは別に)が「文化」という言葉の定義の問題です。伝統とスピリットとが非常に深く関わりあっていてそこから生まれる様式自体がとても大切なのですが、その「文化」を大切にするあまりに自ら自分たちの「文化」を過去の入れ物の中に、知らず知らずのうちに押し込んでいるときがあるのです。「文化」は常に変化し続けるものだと思いますが(あ〜書けば書くほど、専門家に怒られそうです(笑))、であればそれに気がついた現代を生きる若き先住民族が、先輩たちとケンカをしながら新しいものを生み出していく過程そのものも「文化」として、コミュニティの中や、国などの支援制度の中で尊ばれるべきです。しかし現実には「今変化し続けている文化」を「文化」として捉えていないと感じるときが多いのです。
結城さんはアイヌ民族の血をとても意識して、その血からわき起こるパッションをさまざまな表現に結びつけていこうと努力しています。しかし「それはアイヌ文化じゃない」とあからさまに否定されるときがあると言います。アイヌは版画なんか作らない、ロックはアイヌ音楽とは関係ない、ユーカラを自分で作るとは何事だ・・・。そんなとき、単純な僕は腹を立ててしまうのですが、結城さんはとても悲しい表情をするだけです。僕たちは何といわれようと「関係ねえよ」で片付けられるかも知れませんが、結城さんにはそれはできないでしょう。「これはアイヌ的かそれとも違うか?」を常に意識しなければならないので・・・。この葛藤こそが「文化」そのものだと思うのですが、悩んでいることに重きを置く「文化」の話しはあまり聞きません。もしかしたら、こんなにつらつらと書き連ねなくても「○○文化論」みたいに一言で言い表す学問もありそうですが、(ご存知な方は教えてください。)いずれにしてもそんな中で人間の全ての意欲の根源だと思う創造性を削がれることはとても悲しいことだと思います。それでもまた再起する結城さんを、僕は本当に精神力の強い人だなあと尊敬しています。
映画を見終わって、結城さんが話していたこんな言葉を思い出しました。
「アイヌとは民族の名前ではなく文化の名前だ」
日本でも『クジラ島の少女』
のように民族としてだけではなく、文化を伝えられるような映画がアイヌ民族をテーマにして生まれないかな〜と思う夜でした。
≪続きを隠す
›7 17, 2006
伝統や文化ということ
Posted by Tatsuya at
23:28 /
Category:
Sipetru
/
さっぽろ自由学校「遊」さんとのタイアップ、「パイェ パイェ ヒンネ (行って行ってしばらく行って)ツアー」が終了しました。

昨年から本格化させているSipetruでの先住民族エコツアー。図らずも、昨年の同じ日にアフリカのダーバンで知床の世界遺産登録が決定した日に催行され、何だか皮肉な巡り合わせに驚きました。世界中の世界遺産地域では、その管理体制に先住民族が関わっていないところなどありません。知床はアイヌ民族が暮らす北海道での世界遺産登録でありながら、残念なことに意味あるカタチで彼らが参画がきているとは言えません。(IUCNからは宿題として出されていますが…。)そんな中、以前から友達だった結城さんや小野有五先生と何か足がかりを作ることができないか…ということでエコツーリズムという切り口から研究し実践するSipetruを立ち上げ、様々な提案を続けています。それが、今年になっていろいろと実を結んできました。旅行会社を始め多くのお客様からお問い合わせや依頼を頂いていますが、特にこの「遊」さんのツアーは「先住民族エコツーリズム」そのものがテーマであり、また旅行の目的であることもあって、大学院で研究する人、国際的な人権組織で働く人など非常に意識の高いお客様で、僕たちとしても中身の濃いものとなりました。

ツアーの詳細は追ってSipetruのブログでも書こうと思いますが、特にたき火を囲んでの結城さんのユーカラが印象的でした。ユーカラはアイヌ民族に伝統的に伝わる物語。でも今を生きるアイヌ民族である結城さんは、そもそもそこに疑問を感じていたそうです。
「もちろん、尊敬する知里幸恵さんがまとめたユーカラも一生懸命勉強しました。でも、昔から無数のユーカラが語り部ごとにあって、さらに北方から旅をしてやってきた人によるユーカラがあったり、常に創られ変化し続けたものに違いないと思うんです。
僕は今、オリジナルの『ユーカラ』を作っています。これはアイヌ民族の間では邪道だといわれる行為なのですが、『伝統』という言葉がいつしか自らを縛る呪文になって、常に変化し続ける文化というものを育てていないような気がするんです。物語を作っていくこと、考えることは、そのままアイヌの精神性とは何か?世界観とは何か?を自分に問いかける作業です。だから僕は自分が作った物語ではありますが、あえて『ユーカラ』と呼びます。お話は面白くないかもしれませんが、そんなスピリットみたいなものに触れてもらえたら…と思います。」
そう語って、昌二くんのトンコリにあわせながら静かにユーカラを語り始めました。

僕が結城さんとアイヌ民族のカヌー作りをしようという話をしたときにプロジェクトの名前を「スピリチュアルジャーニー」と名付けました。心と心、魂と魂との共鳴で人の輪や仕事の輪が広がっていったら良いな…、という思いを込めた名前です。それは、アイヌ民族や先住民族が今でもとても大切にしていることですが、今を生きる僕たちはここに価値を見いだしつつも、なかなかそうはいかない…というのが現状です。しかし、そのことによって様々な矛盾やひずみが生じてきているような気もします。ならばいっそのこと、スピリットつながりの仕事というのもあるかもしれないね、と、この部分は貫き通しているのですが、ツアーに参加されたお客様からも「言葉ではなく、理屈でもなく、心の奥にすっと入った何かを得た。」というような感想を頂きました。このお客様たちが、自宅に戻りその"何か"(スピリット?)を、さまざまな仕事や社会的な活動に反映させていってくれたら、どんなにすてきなことだろうと思います。きっとまたどこかで共鳴現象(笑)が起きるかもしれません。
蛇足ですが、そんな、共鳴が巡り巡って自分のところに帰ってくるときがよくあります。僕はそれがあるからこの仕事をやめられません。今回もそんなつながりがうまれたらすてきだな〜と思います。
≪続きを隠す
›6 23, 2006
ことえり
Posted by Tatsuya at
21:39 /
Category:
Sipetru
/
マッキントッシュのパソコンに変えてから最もビックリしたこと。
マックは独特の「ことえり」という文字変換システムを使っているが、その中になんと「アイヌ語」が入っているのだ!これにはビックリ。例えば「セ゚」とか「ト゚」といった、アイヌ語独特のカタカナ表記に対応している。気になって確認してみたところ、あるある!「マオリ語」。つくづくマックにして良かったと思う。そういう企業姿勢に惚れ惚れする。
アイヌ文様はなかなかにすてきなのだが、「ことえり」で「アイヌ語」を選ぶとWindowsだと「A」とか「あ」とか表示されるところに、アイヌ独特の渦巻き文様ーモレウが現れる。仕事で使うパソコンの中にそんな世界が広がるのってとても気分がいい。
気の遠くなるような運動を続けてきた文化の継承…。粋な企業がポンとこういったことをやってくれると、民族のコミュニティにとって、悩んでいるいろいろな段階が一気にクリアされるのだろう。
追伸
コメント、トラックバックともにスパムがひどく、一時閉鎖させていただきました。
≪続きを隠す
›1 26, 2006
アオテアロワ報告
Posted by Tatsuya at
00:38 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
0 TrackBack
SIPETRUのブログで少しずつ報告を書き始めました。
→http://www.shinra.or.jp/blg_sipetru/
›1 17, 2006
Kia Ora
Posted by Tatsuya at
23:00 /
Category:
Sipetru
/
7 Comments
/
6 TrackBack
随分と更新をサボってしまいました。今年最初のエントリーです。僕のBLOGを読んでくださっているみなさま、今年もよろしくお願いします。
年明け早々に、ニュージーランドに行ってきた。経団連がサポートしてくれた先住民族エコツアーの先進地視察だ。
ニュージーランドは日本ぐらいの国土に北海道の人口ぐらいの約400万人が暮らす国だ。だから首都のウェリントンも小さな町。今回泊まった宿がバックパッカーズばかりだったからかもしれないが、国全体が質素な印象を受ける。経済規模の小ささが空気としてこの国を包み込んでいるような印象だ。
今回はアイヌアートプロジェクトの結城さんと、ポンペさん、そして北大の小野有五先生が同行。成田からオークランドに入り、国内線でウェリントンへ。そこで若きマオリのリーダー、ザックと会い彼の自宅に招いてもらう。今回の旅は、ほとんど彼がアレンジしてくれたようなものだ。
翌日は南島の北の端のネルソン空港からレンタカーでエイベルタスマン国立公園へ。マオリの伝統的なカヌーで海岸線をめぐる「WAKA TOURS」の2日間のロングツアーに参加(「ワカ」とはマオリ語で「カヌー」のこと。ちなみにアイヌ語では「水」です。)。いつもBLOGにコメントを書いてくださっているシーカヤックガイドのRyuさんも不思議な巡り会わせで同行。
その後、200kmほどをレンタカーで走り、カイコウラという港町へ。マオリの中で最も大きな先住民族企業、ナイタフ族のツアーをいくつか体験。ウタリ協会の別視察団とも合流して、モーリスさんの完成度の高いエコツアーに参加。観光に携わるアイヌのことを「観光アイヌ」と一種軽蔑の意味をこめて呼ぶ人もいるウタリも多いが、少しでも違う風が入ったかな?
ニュージーランドはもともとマオリの国だ。そこにイギリス人を始めとする移民がたくさん押し寄せた。それでも400万人の人口のうちマオリは50万人もいる。同じ比率で国会議員もいて、不平等ながらも国と交わしたワイタンギ条約をうまく活かし、土地の所有権の獲得にまでいたっている事例もあるそうだ。とにかく多くの訴訟が今なお係争中で、マオリのコミュニティは政府と対等に交渉を進めている印象を受ける。アイヌの事情とはかなり違う。違いすぎる。
さらに違うのがお金の使い道だ。ナイタフは国から勝ち取った保証金をビジネスに投資する。銀行も作るという。ニュージーランドはきっとキャッシュフロー自体が小さいから、日本のようにハコモノを作っただけでは後の保証がないのかもしれない。さらに第1次産業ばかりのこの国において、今は国を挙げて観光に力を入れている。当然マオリも観光に力を入れるわけだが、結果としてマオリ文化が世界に紹介され、敬意を持ってその文化に触れる人が多いことを知り、マオリたちも誇りとアイデンティティを取り戻している。
先住民族として伝えたいことは結城さんたちともとことん話しているので、今回はツアーの手法や経営などを中心に視察しようと申し合わせていた。しかし、結城さんたちは、置かれている状況のあまりのギャップに相当ショックを感じていたようだ。それでも「ニワトリが先か卵が先か」ではないが、いろいろと多様な活動が生まれることによって、アイヌ民族全体の活動にも厚みが生まれ、いつか良い結果を結ぶだろう。アイヌ民族の中ではかつて「見せ物」的な観光をやっていた時期もあり、観光業に対してはあまり良く思わない人が多い。「観光アイヌ」なんていう言葉もそんな気持ちから生まれているものだろう。しかし、僕もいろいろな講演でよく話しているのだが「運動としてのエコツアー」というのはあると思う。マオリのツアーを見てそのニュアンスはつかんでくれたと思っている。
ワカツアーズのグレン夫婦と、エイベルタスマン近くの小さな町のタイ料理レストランで食事をした。彼は涙をためながら、「以前は『マオリ、マオリ』と指を指され軽蔑されてつらかったが、今はみんなが敬意を持って接してくれる。カヌーの上でハカ(戦闘の踊りや掛け声)をして見せると、クルーザーや浜で見ている人は大喜びさ。こんな優越感ってないよ。」。彼ら(先住民族)は何を伝えたくて、何を背負っていて、僕たち(旅人)は自分達の心の中の隙間の、どこを先住民族文化に埋めてもらいたいのか…。需要と供給が社会の課題と解決策にそのままリンクする…Sipetruはそんな場所を探している。(視察の様子はSipetruのBLOGにアップする予定です。)
≪続きを隠す
›11 14, 2005
SIPETRU→おフランス
Posted by Tatsuya at
23:12 /
Category:
Sipetru
/
19 Comments
/
1 TrackBack
AFP通信の長谷川さんが取材してくださった、SIPETRUの記事がジャパンタイムスに載りました。外国系通信社の書き方はストレートで痛快。
AFPLifestyle-Japan-environment-tourism,sched-feature
Japan's indigenous Ainu try to revive culture through eco-tourism
by Kyoko Hasegawa
= (PICTURES) =
SHARI, Japan, Nov 7 (AFP) - As he escorts yet more visitors through this town of fish and icebergs on the northern tip of Japan,tour guide Yoshiji Ishii stops and folds inward his outstretched arms.
"When entering an abode of the gods you have to pray like this," explains Ishii, 60, one of Japan's indigenous Ainu people.
The Shiretoko Peninsula here, just across the water from the Russian-ruled Kuril islands, is renowned as the southernmost place that sees ice from the Arctic Ocean and in July was named a UN World Natural Heritage site.
As more tourists come in, the Ainu are seizing the opportunity to show to the rest of Japan their rapidly fading culture, in which brown bears and fish are deities and where food, clothing and housing are regarded as divine gifts.
It can be a clash of cultures. When his tour group stopped to see a famous spot where salmon run just outside the Heritage site, the dozens of visitors shouted with joy.
But there is a small dam stopping salmon from the upper course of the river and a narrow stream that traps them into a preserve for fishermen.
"This is the way to Auschwitz," Ishii whispers at the sight of the artificial stream.
"The Ainu's way of fishing is different. Using harpoons, we catch just a few, the amount we eat. The rest would be reserved for the gods."
"I am one of the last survivors of the Ainu people," said Ishii, a civil servant who comes here on weekends to promote his culture.
In the 19th century, the Ainu people, who are ethnically distinct from other Japanese, used to live across the northern Japanese island of Hokkaido as well as the Sakhalin and Kuril islands now ruled by Russia.
But with a rising population and a threat from Russia, Japan encouraged immigration of ethnic Japanese northward, depriving the Ainu of their lands and banning their language and culture.
Only 24,000 Ainu people now live in Hokkaido, according to the island's government, and almost none of them keep a traditional way of life. Others have left for cities such as Tokyo where they have integrated or disguise their identity.
Despite Japanese perceptions of Hokkaido as an untamed wilderness, the dense forests of the 19th century now cover only a small part of the island, including the Shiretoko Peninsula, with the rest turned into farmland.
"People coming from Tokyo often erupt with statements such as 'Hokkaido is so rich in nature!' But that's not true," Ishii says with a hint of sadness coming across his smile.
-- A fading way of life --
With Japan, the land of the Kyoto Protocol on climate change, portraying itself as a leader in environmental protection, activists for the Ainu are sensing an opportunity to popularize a culture in decline.
Shigeo Nishihara, 32, is ethnically Japanese, but through a non-governmental organization, the Shiretoko Indigenous People Eco Tourism Research Union, has set up tours like Ishii's to teach Japanese visitors about the Ainu.
He said that with less arctic ice floating here each year due to global warming, the Ainu's environmental model would be increasingly attractive.
"It is a perfect foil to the mass consumer society," Nishihara says.
Ishii, who is also known by his Ainu name Pompe, holds no grudge against modern culture but he also believes he can show people another way.
"This is a tree used for stomach aches," he explains to the visiting tourists as he points to plants.
He shows how the Ainu recycle everything in the ecosystem. "This is for syrup and jelly," he says. "This is for clothing, for making threads."
He is quick to find a hole dug by brown bears. "It is essential for us Ainu to notice any small change in the forest for the sake of surviving," he says.
The Ainu involvement in the tours that began this year was requested in a report by the International Union for Conservation of Nature and Natural Resources, which consults the UN scientific and cultural agency UNESCO that named the Shiretoko Peninsula a heritage site.
"It is important to study the culture of the Ainu people ... in order to determine the methods to preserve, manage and realize sustainable use of the natural environment," the evaluation report says.
Even for some Ainu, the tour can be an eye-opening experience.
Koji Yuki, 41, knew almost nothing about Ainu culture. He was brought up in a suburb of Tokyo as his family, like many other Ainu, moved out of Hokkaido to escape discrimination.
He is now helping out with the tour program as a culture guide for the Research Union NGO and is a traditional woodblock artist.
"I am delighted, as are so many regular tourists, to come across Yezo deer which don't run away from human beings," unlike most wild animals that are afraid of people, Yuki says.
Yuki, who in his youth did not have any particular interest in his origins, learned to appreciate his culture after returning to Hokkaido in 1998.
"I realized there was unlimited potential in the Ainu culture, including a way of living and arts," says Yuki.
The NGO is hoping more young Ainu people will follow his lead, especially with the growing interest in the Shiretoko Peninsula.
The number of sightseers to Shari town surged 15.7 percent from last year in the three months to September, in part perhaps due to the government's Yokoso Japan, or Welcome to Japan, campaign to boost domestic travel by foreigners.
"I don't need apologies from the ethnic Japanese, because people of the current generation are not responsible for what their ancestors did to us," says Yuki.
"But I do want them to know the history and want to share with them our culture, which will be a lot of fun."
kh/sct/mtp
AFPLifestyle-Japan-environment-tourism-indigenous
≪続きを隠す
›8 07, 2005
暑い暑い知床でのここ数日
いろいろなことが一気に押し寄せすぎ。
小野先生や結城さんに誘われて二風谷の先住民族フォーラムに出席。結城さんがかねてから紹介したいといっていた、ニュージーランドの先住民族=マオリの若きリーダー、アイザックと会う。ん~確かにいい男!NEOSの荒井さんも来ていて、なんでも留学先でアイザックと同級生だったとか。
小野先生からも二風谷の多くの人を紹介してもらう。みんな、ウチの西原がお世話になった人たちばかりで、「お蔭さまで」と「ヤツによろしく伝えておきます」を繰り返す。西原はとても温かく二風谷に受け入れられているなあ…感心感心。
以前から、田口ランディさんを通して間接的に存じ上げていたアシリレラさんとも会う。二風谷から車で20分ぐらいはなれた場所で、伝説的なイベント「1万年祭」の準備をしていた。たまたま焚き火をしていたので、その煙で場所がわかる。のろしだ(笑)。何でも会場に産業廃棄物が不法投棄されていて、彼女はそれを一つづつ手で拾っていた。僕も手伝いながら話をした。噂どおり肝っ玉かあちゃん。決してシャーマンには見えない。「ああ、あんたもアイヌだね。」とあっさり断言されるとちょっと嬉しい。夜はレラさんの別荘に妹さんの裕子さん、豊岡さんと一緒に泊めさせてもらう。
翌日は分科会があり、貝沢耕一さんの沙流川と二風谷ダム・平取ダムの話がとてもわかりやすかった。千歳空港に行くときに毎回このダムの上を通るのだが、いつも濁って流木だらけなのが気になっていた。土壌の質と伐採が原因のようだ。レンタカーで千歳まで帰るが、沙流川も鵜川もちょっと土砂がひどい。この上流の伐採はちょっとひどすぎるんじゃないのかな~と容易に想像がつく。
息子が水泳少年団の強化練習とのことで、昨日今日とかなりの泳ぎこみをしたそうだ。その打ち上げもかねて、コーチたちが焼肉パーティを企画してくれた。女満別からの帰りその会場で家族と合流。
家に帰ると、そういえば今晩、我が家がTVに出ている日だった。テレビ東京系なので知床では見られないのだが、よくある「イナカ暮らし」的な番組。ウチはいわゆるステレオタイプな「イナカ暮らし」をしているつもりはないし、だいたいスローライフでもない。おまけに部屋の掃除もしなきゃならないので(笑)、さんざんお断りしたのだが、熱心なディレクターの方がこちらまで出向いてお願いされ、渋々受けた。1日密着していただけあって、20分ぐらい出ていたそうだ。「見たよ~」というものすごい反響の電話。久しぶりに声を聞く人ばかりでおかげで元気をもらいました。みんな連絡ありがと~。
訃報。僕がウトロでとてもとてもお世話になった方がさっき亡くなった。ウトロでもかなりビッグな人なので、この時期のお葬式ということもあり、ちょっと大変だ。僕も明日からはお手伝い。開拓2世。いろいろなことを聞きたいと思っていたときだけに、残念…。
≪続きを隠す
›7 15, 2005
お手紙
Posted by Tatsuya at
10:35 /
Category:
Sipetru
/
2 Comments
/
0 TrackBack
(トラックバック元のhokulea2006さんのコメント欄には字数制限で書ききれなかったのでここで書きます)
→hokulea2006さんのブログ
hokulea2006さん、トラックありがとうございます。藤崎です。
祈りについてはですね〜僕が指摘されたというより、アイヌアートプロジェクトの中で意見が違う…ということです。とても形式を大切にする人と、自分の感覚を信じる人と…その両方の人がいて、プロジェクトの中で議論があるんです。これって、僕は素晴らしいと思うんです。人が10人集まれば10通りの意見があって、議論が生じる…これってすごくフツーのことだと思っていて、結城さんたちが目指している「コタン(村)」そのままの姿だと思っています。僕は前者の人からお願い事をされて、頼まれたことをやっただけ。僕からの神様への詫びであり、アイヌアートプロジェクトやSipetruからの詫びの祈りです。
アイヌの間ではこういった意見の違いの議論をチャランケと言うそうですが、チャランケをとことんやって最終的にエカシ(長老)などの年配者が結論を出す。今はこのエカシが不在の中で全てをやっているので、僕たちも落ち着かないのですが、いずれにしてもどちらも大切なことなので、秋にきちんとしたお祈りをしようと話しているところです。これは、ちょっとそうとう気合を入れなければならないことで(きちんとしたカムイノミは一度はじめたら未来永劫やめられないのだそうです)、しかも、今回以上に僕たちがでしゃばることではありません(とか言いながら情報発信していますが(笑))。
このことについてはいずれきちんとBLOGに書こうと思っています。いずれにしても、 hokulea2006さんのブログなどを通して、こういったことを多くの人と共有していくことが大切だと思います。そうそう、「シェアが大切だ」というのはタイガーから言われた言葉です。タイガーさん、その後ダイジョウブなのかなあ。
≪続きを隠す
›7 12, 2005
先住民族エコツーリズム〜モデルツアー
モデルツアー当日、前の晩OKIさんのライブの打ち上げで全員飲みすぎみんなが起きられるか心配したが、さすが今日は気合の入り方が違う。僕もポンペさんに頼まれた伝統的なハーブティーを煎れ、資料をコピーしてから集合場所の酋長の家に駆けつけた。
心配していた空模様もちょうど良い程度の曇り空で、絶好のモデルツアー日和。参加者は東京から6人、地元標津から2人、網走から1人、札幌から1人で定員一杯、それと同じぐらいの数の関係者と報道陣というアットホームな雰囲気。僕の方からスケジュールのご案内と注意事項などの事務連絡、そして代表である梅沢さんの挨拶、皆さんの簡単な自己紹介を終えて、早々にポンペさんにバトンタッチ。
さっそく、「今日一日の無事を祈ってお守りを作りましょう」とポンペさんが予め用意してくれていたヤナギで作ったミニチュアのイナウのようなものと、中空の茎、麻ひもを各自に渡し、かわいいネックレスを作った。ステキ。
車に分乗して先ずはチャシのあとに向かう。チャシから少し離れたところがスタート。ここから見ると海岸線にあるチャシの特徴がよくわかる。そして、振り返ると、海岸線には多くのチャシがあることも一目瞭然だ。
これから向かうチャシの上はとても狭そうに見えるが、20分ぐらいいたつもりが1時間もたってしまうような何だか時間軸がズレているような不思議な場所。戦争にも使っていたような砦のあとでもあるので、登るには少し苦労がいる。登ってまもなく黒曜石の矢じりを見つけた。あまりのGoodタイミングに「仕込んであったんじゃないの〜?」という冗談が出るほど。違うって〜!
登りはかなり急なので、前日中に西原君がザイルを張ってくれた。でも参加者からは、「登りにくいなら登りにくいでいいじゃない。ザイルとかはなくてもいいよ。」という意見と「と〜っても助かった!」という両方の意見。いずれにしても登るのにはちょっと無理がある。
登りはじめにポンペさんはそこらへんにたくさん生えているイタドリを切って、ひとりひとりに笛を作ってくれた。「クマが来ないように、みんなで吹きながら登りましょう。」切った長さによって音が違うので、ピーとかポーとか鳴らしながらがけをよじ登る集団はとっても異様で笑える。加えて、ときどきポンペさんがエゾニュウで作ったディジュリドゥで「ヴウォーッ!」とやるので、笑いが止まらない。すでにポンペワールド。
登りきるとそこには下から見上げたのでは想像もつかないぐらいの広い森が広がっている。高度にしてだいたい55mぐらい。100mは登ってきたような気分だ。ポンペさんは、これから先祖の家々に土足で入り込むわけだから、そのお詫びと道中の無事をお願いする意味でオンカムイ(祈り)をしましょうと、その所作を全員に指導する。いつも思うけど、この動作って本当に北海道の自然にぴったり。僕は、何かと個人的にもオンカムイの所作をするが、ホント涙が出るほどステキな動きだ。
チャシには竪穴式住居のあとがたくさん残っている。深いものだと2m近く掘り下げてある。その穴の真ん中には必ず石が複数置かれていて、ポンペさんは「かまどのあとだと思う」と言っていた。きちんと玄関があった場所から、5人ずつが順番に住居跡に入る。関係者は報道陣は入らなかった。周りから眺めていると5人の輪でポンペさんが何を話しているのかは全く聞こえなかった。でも、何だかそれぞれのグループごとの秘密のようで、ちょっとうらやましい。何の話をしていたの?
ツアー中盤、ポンペさんが「かつては恐らく広場にしていた…」という場所で、アイヌ民族に伝わるハーブティーでティータイム。シソ科の植物を乾燥させたものを煎じて、渋み付けにキハダの皮を少し入れただけの簡単なもの。冷たいのと暖かいのを両方用意して飲み比べてもらう。ん〜どちらも美味!
そのあとは余興のようにポンペさんの楽器演奏や(トンコリや太鼓持参…というところがお茶目)質問コーナー。とても深い話までできて楽しかった。
昼食をはさみ、午後はワークショップ。ポンペさんは、流木でトンコリを作ろうと初日に木を海岸で拾ってきた。そして、何と酋長の家の梅沢さんの奥さんもアイヌキルトを教えてくれることになった。ハワイアンキルトの人気が高いこともあり、女性から「アイヌ刺繍がやりたい」という要望をよく聞いていた。梅沢さんもずっとやりたいと思っていたとのことで、ちょうど材料が全てそろっていたところで、とても喜んでやってくれた。ポンペさんのアイデアで酋長の家の前でやっていると、案の定、見物人がたくさんやってくる。参加者はちょっと優越感。出来上がった作品は素晴らしく、特にトンコリは壊さないように空港でも持ち込み荷物にしていたが、それを手にしている姿がとてもかわいかった。ウチのツアーでもしばしばやるリースを持ち帰るときのよう。ステキなお土産。
かくして、3日間のイベントは無事に終了。同時にアンケートが集まってきているが、いろいろな課題も持ち上がってきている。これから、徐々に作り上げていくこと、そしてそれ以前に多くの先住民族と課題をシェアすること、そして祈りをささげることの全てに取り組んでいかなければならない。
ご意見お待ちしております!
≪続きを隠す
›7 10, 2005
先住民族エコツーリズム〜チャシ
Posted by Tatsuya at
00:13 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
2 TrackBack
アイヌアートプロジェクトの若きアイヌたちは、いつも斬新だけれどもとても伝統を大切にしている。先住民族エコツアーのモデルツアーの前にいろいろなことが話し合われた。
今回のモデルツアーは、アイヌよりもさらに昔から住居として先人が使っていたチャシ(砦・住居跡)をめぐる計画だ。チャシを「聖地」だとしているところはあまり聞かないが、アイヌ民族をはじめ多くの先住民族が伝説のように語り継いできているのがチャシだ。今回モデルツアーに使ったチャシには竪穴式住居のあとがたくさんある。僕はいろいろと悩んだときや迷ったときはそのチャシで考え事をしたりしていた。丘の上だというのにクジラの骨が落ちていたり、黒曜石の矢じりが落ちていたり、うちの子供も集めているメノウ石のとりわけきれいなものが固まって落ちていたりする。きっと、ここに住んでいた子供が集めたものがそのまま残っているのだろう。チャシはとても豊かで素敵な先人の暮らしを想像させてくれる、何だかとてもハッピーな所だ。
と同時に、チャシは文字通り砦の名残でもある。狩猟採集を行っていた人たちにとって、自分の猟場を荒らされることは死を意味する。恐らく、暗黙の了解でお互いの領域は侵さない、というグループ同士の紳士協定があったのだろうが、中にはそれを破って侵入してくる輩もあったのだろう。ポンペさんは、「昔は同じ民族同志の戦争もたくさんあったと思う。泥棒もあっただろうしね。チャシはそれから自分たちを守る役目も果たしていたはず。」と話していた。
そして、和人の侵攻が始まった頃からは、やはりアイヌ民族と和人との戦争の砦の役割を果たしたのだろう。もしかしたら多くの先住民族が悲惨な死を迎えた現場かもしれない。ポンペさんは言った、「チャシはのろしなどを使っての通信の要所でもあった。きっと、知床半島はアイヌ民族にとっても最後の砦で、和人が来たらのろしを上げて、となりのチャシ、となりのチャシと伝言していって、知床半島の先端まで連絡がいくのに、きっと30分もかからなかったはずだ。」 知床半島の先端を向くチャシの東の端には、とっても小さな竪穴が掘られてあった。ポンチセ=小さい家・小屋のあとだ。恐らくそこは通信用の場所に当てていたに違いない…とポンペさんは感慨深げだった。
そんな場所だから、違う地域のアイヌが来たり、ましてや和人がズカズカと入り込んできてしまっては、その土地の先祖は驚いてしまう。「戦争をしにきたのではありません」という挨拶をするお祈りを、結城さんたちが来た初日に行ったのだが、AAPの早坂さんは「あのお祈りの仕方、ちょっと納得いかないんだよねえ…」としきりにこぼしていた。カムイノミの最中は私語は厳禁だそうだ。でも、結城さんたちは私語を発してしまっていたし、何よりお祈りの司祭は30代の若造ができるものではない、いい加減なやり方でやったら、かえって神々の怒りをかう…というのだ。結城さんは「いやあ、お祈りする前に彩雲が出ていたり、お祈り始めたら光がさしたり、祈り終わってもほんわかいい雰囲気だったり、神様は僕たちのことを認めてくれているよ!」とさほど気にしていない。むしろとても満足げだ。しかし、早坂さんはあの世代のアイヌ民族としては珍しく、エカシ(=長老)から直接に教えを請うている数少ない若者の一人だ。「昔はお祈りのまねごとをしているだけで怒られたし、若いアイヌが祭司をつとめるなんてありえないことだ。きちんとした、お祈りをしっかりやらないと、神々の怒りをかうよ!」と心配していた。
このことを梅沢さんに告げると、「よし!ちゃんとしたカムイノミを、今度やろう!」という話になった。“ちゃんとしたカムイノミ”と一言で言うが、これは大変なことなのだ。前にも書いたが“ちゃんとしたカムイノミ”は一度はじめたら、毎年続けなければならない。そのたびにきちんとしたエカシに司祭になってもらい、北海道じゅうのアイヌに声をかけあつまってもらう。今回の3日間イベントなんて目じゃないぐらい大変なことなのだ。でも、梅沢さんがこういったことを言い出すのは、相当腹をくくっていることだと、ジーンときた。さっそく秋に向けて準備に取り掛かる。いや〜大変そうだ。
早坂さんは「いずれにしても本式じゃないカムイノミしかしなかった。ちゃんとしたカムイノミをするまでの間、いろいろとお祈りをしなければならない。僕たちがいってお祈りできれば一番良いんだけど、藤崎さんお願いしますよ。日本語でもいいから、心から趣旨を説明して、今度本式のをやることになったことをしっかり報告してきてくれないかな〜。そのとき、お酒と、米と、塩をささげてくれれば、とりあえずは許してくれると思うんだよね。」と言った。3日間が終わったあと、僕はツアー後のいろいろな事後調査を兼ねて再びチャシに入った。初日に立てかけたイナウ=御幣を前に、それはそれは丁寧に1時間近くじっくりと祈りをささげた。こうやって、この場所は人々の祈りを受け入れる文字通り“聖地になっていくのかもしれない。このイナウのある場所は、多くの人の祈りが篭められた場所になりつつあり、もうすでに近寄りがたい“凄み”が出てきた。ここを見に来る参加者にはこういった裏の話をもシェアしていただくことが必要だ。翌日のツアーでも、最低でもそこまでの深度には到達させたい。
さてさて!翌日はどうなることやら…(つづく)
≪続きを隠す
›7 08, 2005
先住民族ツーリズム〜TONKORI
Posted by Tatsuya at
13:56 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
0 TrackBack
今回の3日間連続イベントで最も心配だったのが、OKIコンサートの集客だった。
午前中、翌日のモデルツアーの下見に、ポンペさんをはじめアイヌアートプロジェクトの面々、小野先生と研究室の社会人学生のこのみさん、登別でアイヌ民族関係のお仕事をされている小沼さん、このBLOGを見てわざわざ東京から来てくださった社会人学生の大野木さんとで出かける。当初フレペの滝とチャシの両方を訪れる計画で、今日もそのコースで通して歩いてみる。でもテーマが分散してしまうので、翌日はチャシだけにしようということになった。その他、もろもろの確認。ポンペさんの素晴らしいキャラクターと知床の自然の素晴らしさで、このモデルツアーについては何の心配もしていなかった。僕が心配だったのは、夜のコンサートの集客だ…。
ライブ会場にはすでに西原君が準備をしていて、真ん中が大きく開いたダンススペースのある会場レイアウト。ん〜気分が盛り上がるぜぃ。CDの販売やOKIさんの接待の手伝いにはKisarチームが東京から駆けつけてくれている。みんな音楽が大好きな人たちばかりだ。楽屋をのぞくと、OKIさんたちはリラックスしてとても良い雰囲気…。
「あ〜これで集客がのびなかったらどうしよう…」
しかし、プレイガイドに残りのチケットを回収しに回った西原君によると、当日に結構買いに来てくれているお客様が大勢いるそう。マネジメントの木野さんも「結構、当日券って出るんですよ〜」とのこと。
案の定、開場になると当日券を買い求める大勢の方が見えて、ほっとする。当初、並べていた椅子の数を増やし、予想をはるかに上回る人が集まってくれた。先ずは一安心…。よ〜し、あとは盛り上がるだけだ〜!!今日は踊るために、シャツと短パンで来たぞ〜!!
はじめのうちはニューアルバム「トンコリ」から、伝統的でとてもプレーンなOKIさんのソロが続いた。会場の多くの人が「トンコリ」という楽器をはじめて見て聴く瞬間だろう。この導入は素晴らしいと思った。そのあと、ダブアイヌバンドが紹介され、アイヌ音楽がアフリカのパーカッションやドラムとミックスされ、ダンサブルなワールドミュージックと化した瞬間、会場のボルテージも一気に上がった。あとは、踊りまくるだけ(笑)。2時間00分のコンサートはあっという間。いや〜よく踊った。
ダンススペースは僕たちをはじめ若い人たちが踊り、そこにウチの子供たちや近所の子供たちがまざって踊っていた。そして恥ずかしそうにおばちゃんやおじちゃんたちが加わり楽しい雰囲気。座っている人たちも、みんな笑顔で良い顔をしていた。ずっと座って聴いていた知り合いのおじさんも、「いや〜楽しかったよ!踊りに行きたかったんだけど、両側に人がいてさ!出られなくってさ!でも、座っていても楽しかったよ!」と言っていた。
打ち上げでOKIさんが「今日は理想的なライブだったヨ。本当に気持ちよく演奏ができた。」と言ってくれた。木野さんも「昔のアイヌのまちがそうだったように、大人も子供も、おじいちゃんもおばあちゃんもみんなが一緒に楽しめるコンサートを、OKIはいつも目指しています。今日はきっとその理想に近かったんだと思います。」と言っていた。
「世界遺産おめでとう!でも、まだ誰にも返した覚えはないからね!」
ライブのスタートのときに彼はこう言った。僕たちのものだなんて思ったことはないけど、「日本」はあたかも自分たちのもののように知床を世界にアピールしている。OKIさんが僕のことをどう思っているか知らないけど、僕もその「日本」に暮らしている。彼のこの言葉は誰に向けられているのかわからなかったけど、一緒にライブを作り上げてきた僕としては少々傷ついた。でも、こんな傷の何倍も彼らは受けているのだろうし、このエッジがOKIというアーチストを際立たせていた。かっこいい!
でも、彼の音は愛に満ちている。民族や国や人種を超え、だんだん境目があいまいになっていくのだ。狩猟採集を中心に生きてきた先住民族に、もともと土地所有の概念はない。大地は大地のものであり、そこから少しずつ恵みをいただく。そのお礼やお祈りとして、人は歌を大地にささげる。OKIはそのために歌っていた。「みんなひとつ」ではないけど、違いを認め合いつつ国家なんかの概念がない世界をイメージする。Imagine…。やっぱりロックだよな〜。音楽は深〜いところで人々をつなげる。そういえば小野先生はあのオノヨーコの従兄弟だ。ジョンレノンの神さま(何だそりゃ)が来ていたよ、知床に…(笑)。
≪続きを隠す
›7 07, 2005
先住民族エコツーリズム〜“魔”
小野先生を中標津空港で迎え、シンポジウムの会場である知床グランドホテルに到着すると、大学の軽音楽部のような大音響が駐車場に響いていた。そういえば、結城さんたちの車にアンプがいくつも積まれていたけど、今日使うやつだったのか〜
リハの会場ではすでに結城さんたちはハイテンション。打ち合わせに打ち合わせを重ねたワリに、当日やることが何なのだかさっぱり把握できていない。どうやら、シンポジウムのときにライブやポエトリーリーディングをやりたいとのことだった。小野先生もすっかりノリノリで、もうすでに操縦不可能な状態に。そのままの勢いで記者発表を終え、シンポジウムへと突入した。
結城さんは数日前に、
「あとから決まったんだけどさ〜2日の日に函館でカムイノミに呼ばれちゃってさ〜1日のシンポジウムは最後までいられないんだよ〜」とまたまたドタキャンすれすれ。カムイノミは一度やったら死ぬまでやめられないのだそうだ。
「もちろんそれも大切だけど、シレトコも大切だから、夜行で帰るよ。どこかまで送ってくれない?」
夜中じゅうドライブをして、その日の夜にまた夜行で帰るなんて…タフというか何というか…。結城さんはいろいろなカムイに引っ張りだこなので、いつも何かをやるときはこんな感じだ。美幌の夜行バスに結城さんを乗せるまで気が抜けない。恐いな〜こういうスケジュール。事故が起きないように…。
不思議な話しだけど、こういった魂のこもったイベントをやるときは、いつも直前に小さな事故が起きたり、あとからいくつものスケジュールが詰め込まれたり…と神様が何かといたずらをする。そういう状況になると「イベントやめようかな…。」と弱気に思うのだが、結城さんがアメリカインディアンのリーダーから聞いた話によると、こういったスピリチュアルな取り組みに対して神様はそれに関わる人たちの腹を確認するためにこういったいたずらをするのだそうだ。それでやめてしまうならそれまでのこと。今回も直前に梅沢さんや結城さんがお釜を掘られたり、いろいろなことがあった。「でも、それでもやるぞ!」という気迫がSIPETRUの面々にみなぎっていた。それぐらいのパワーがないと余計な魔をはねつけることはできないのかもしれない。
会場には60人以上のお客さんが来てくれた。結城さんたちのパフォーマンス、小野先生のポエトリーリーディング、ポンペさんの歌、トークセッション…どれもアットホームだけど、熱い思いがあふれ出ていた。「バンド形式でのパフォーマンスが一番やっていて楽しい。」と早坂さんが言っていたが、楽しんでやっていることが一番パワフルだ。
結城さんは何度も「歴史的な一歩」ということを言っていた。今までこういったことをやりたくてもやれなかった、アイヌコミュニティの事情を聞けば聞くほど、確かに画期的な出来事かもしれない。この「画期的感」を共有する人にとっては興奮のイベント初日だ。
イベントのタイムキープが素晴らしく、結城さんは余裕を持って美幌から夜行バスに乗ることができた。でも、踊りのときに脱いだ靴が会場に残っていた(笑)。「裸足で函館に行ったんじゃないの?」とみんなで笑っていると、OKIさんたちが到着。そのまま翌日のコンサートの前夜祭に突入。明日のライブは僕が考えているほど集客が伸びずちょっと心配…。つづく…
≪続きを隠す
›7 05, 2005
先住民族エコツーリズム〜彩雲
ちょっと盛りだくさんで頭がパンク状態。楽しい3日間でした〜
→共同通信(その1)
→共同通信(その2)
→毎日新聞
一気に書くにはちょいとパワーがいるので何回かに分けて書きます。
7月1日、
早朝に結城さんたちアイヌアートプロジェクトが到着。到着したことで先ず西原君と喜びを分かち合う。というのも以前、一緒にバンクーバーに行くはずが、前の晩にパスポートを無くしドタキャンされる事態を経験していて(笑)、「結城さんが来た時点で、今回のイベントは60%成功だね〜」なんて話していたのだ。案の定、直前までさまざまな変更や調整が相次ぎ、受け入れ側はすでにパンク。僕を含め、結城さん小野先生と全員がアバウトなこの集団は、エコツーリズムや先住民族云々よりも基本的なマネジメントが一番の課題だ(涙)。そんな中で西原君がよくがんばってくれた。
梅沢さんの酋長の家に駆けつけると、AAPの面々とポンペさんはホッケの焼き魚をおいしそうに食べていた。「おいおい!初日の朝食なんて予約してないよ〜。」梅沢さんも「食うなら食うと電話しろよ〜」と、2人で軽〜くキレる(笑)。ま、これもAAPの良いところなんだけど…。
その日は西原から、Shinraのツアーに参加することを薦められていたらしいが、大切な3日間を無事に終えるために、知床の先祖に軽く挨拶をしておきたい…と結城さんが言いだした。そこで、みんなで今回のモデルツアーでも使うチャシに簡単なお祈りをしにいこうということになった。
何かをやるときに先輩方に挨拶をするのはとても大切なことだ。アイヌ民族やマタギは山に入るとき、山で野営をするとき、獲物をとるとき、とったとき、山を去るとき…に毎回お祈りをする。狩猟採集を営む民族に共通した儀礼だ。
結城さんは言った。
「チャシはさ、生活していた場所でもあるけど、自分たちの猟場・漁場を荒らされないために、他部族との戦争のための砦でもあったじゃない。こうやって、札幌のアイヌが知床のチャシにやってくるということはその当時だったら戦争を意味していたよ。それに、和人に土地を奪われていく過程では、チャシは確実に悲壮な戦場だったはずでしょ。そこに、和人とアイヌが一緒に来るんだから…。お祈りしてさ、『こうやって、違う土地のアイヌと和人がこのチャシに入りますが、争うために来たのではありません。これから何をやっていけばよいのか共に考えるアイヌでありシサム(隣人)です。どうか僕たちのやることを信じて、心静かにお見守りください。』ってさ、先祖に伝えないと、この土地の神々がビックリしちゃうでしょ。」
コンビニでお祈りに使うお酒などもろもろを買い込みチャシに向かう。今まで見たこともないようなきれいな彩雲が浮かんでいた。見ているうちに色がどんどん濃くなり横に広がっていった。誰もがカムイを疑わなかったけど、ポンペさんは「あ〜2、3日後には雨だな〜」なんて意外とクールだ。
不思議とそのあとの記憶がない…
何だかはっきり覚えていないのだ。でも、僕もトノト(お神酒)をいただいたことは覚えている。和人がお祈りの中に入ることはまずない。そういう意味では、このお祈りは正式ではないのかな〜とうっすらと考えていた。
そんなブチ切れた状態で怒涛のような3日間が始まった…。つづく。
≪続きを隠す
›6 30, 2005
世界遺産と先住民族とスピリット
明日7月1日から3日まで、世界遺産記念3日間連続イベント「世界遺産と先住民族とスピリット」を開催します。みなさま奮ってご参加ください!
→北海道新聞さんが取り上げてくれました
7月1日(金)
シンポジウム「シレトコのレラ(風)を聴く〜先住民族のエコツーリズム」
〜アイヌ民族自らてがける先住民族エコツーリズムをご紹介します
■場所:知床グランドホテル 大会議室「オホーツク」
■日時:2005年7月1日 20:00〜21:30
■ゲスト:
小野 有五(北海道大学教授)
石井ポンペ(社団法人北海道ウタリ協会札幌支部札幌ウポポ保存会副会長)
結城幸司(アイヌアートプロジェクト代表)
■内容:
・トンコリ・ムックリ演奏 (石井ポンペ)
・アイヌ民族の伝統的カヌー復元プロジェクト
〜ハワイでの取り組みのスライドショー
(アイヌアートプロジェクト結城氏)
・知床での先住民族ツーリズムの可能性トークセッション
(小野有五・結城氏)
■主催:NPO SHINRA・シレトコ先住民族エコツーリズム研究会(SIPETRU)
■協賛:日本経団連自然保護基金 東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
■後援:北海道開発局網走開発建設部
7月2日(土)
OKI TONKORI TOUR DUB AINU BAND
オキ/ニューアルバム“トンコリ”リリースツアー2005
〜樺太アイヌの伝統的な楽器「トンコリ」の第一人者でアイヌ民族の
OKIによるコンサート
■場所:斜里公民館 ゆめホール知床
■日時:2005年7月2日(土) 会場18:30 開演19:00
■料金:大人 前売り¥2,000/当日¥2,500
小中高生 前売り¥1,000/当日¥1,500
■主催:sastro
■企画制作:sastro, ChikarStudio
■共催:Radio Kisar, Tam Tam Lonloke
7月3日(日)
聖地巡礼〜アイヌ民族と歩くモニターツアー
〜先住民族の遺跡「チャシ」を中心にアイヌ民族のガイドと一緒に森歩き
■場所:シレトコの森 (集合場所:ウトロ温泉・酋長の家)
■日時:2005年7月3日(日) 9:00〜15:00
■料金:大 人 ¥2,000(モニター価格※)
子 供 ¥1,000(モニター価格※)
※先着10名様
※ご参加された皆様にはアンケート等にお答えいただきます
■主催:SIPETRU NPO SHINRA
■協賛:日本経団連自然保護基金
≪続きを隠す
›6 24, 2005
シレトコ先住民族エコツーリズム研究会
プレスリリース
世界自然遺産知床〜先住民族がエコツーリズムを開始します
記者説明会を開催します
日時:7月1日 17:00〜 場所:知床グランドホテル
SIPETRU/シレトコ先住民族エコツーリズム研究会は7月1日、世界自然遺産としての登録が目前となっている知床・斜里町で、アイヌ民族によるエコツーリズムの可能性を探るシンポジウムを開催します。アイヌ民族の伝統的な歌や踊りの紹介をはじめ、ハワイでの先住民族によるエコツーリズムへの取り組みなどをスライドを交え紹介するとともに、北海道大学院の小野有五教授とアイヌアートプロジェクト代表の結城幸司氏によるトークセッションも行います。
知床半島はIUCNの勧告を受け世界自然遺産に登録される見通しですが、IUCNの評価書の中には管理体制へのアイヌ民族の関与の必要性についても触れられています。SIPETRUでは5月、他のアイヌ民族のグループと共に環境省やIUCNなどに対して、知床世界遺産管理におけるアイヌ民族の関与の重要性を訴える意見書を提出しており、IUCNの評価書はそれらの意見書を反映したかたちとなりました。さらにSIPETRUの調査によると知床には「チャシ」と呼ばれる先住民族の遺跡が多数現存しており、樺太アイヌや北海道アイヌといったいくつかの民族が、それらを聖地のように語り継いでいることも明らかとなってきております。そんな中SIPETRUでは多くのアイヌ民族のグループと協力し合いながら、現代を生きる先住民族文化を、エコツーリズムを通して広く情報発信していきたいと考えています。 この取り組みは去る6月23日、環境省知床エコツーリズム推進協議会においても発表され、知床でのエコツーリズム推進にあたり先住民族の自然観や知恵を参考にしていくことが確認されております。
なお、翌2日はアイヌ民族で樺太アイヌの伝統的な楽器「トンコリ」の第一人者OKIによるライブコンサートが同じくゆめホール知床で開催されます。また、3日には札幌のアイヌ民族によるモデルエコツアーも実施され、世界遺産地域での先住民族の活動の機運を高めます。詳細は下記事務局までお問い合わせください。
1.取り組みに関するお問い合わせ(事務局)
SIPETRU/シレトコ先住民族エコツーリズム研究会
Shiretoko Indigenous People Eco Tourism Research Union
(“シペル”=アイヌ語で「大きい・川・道」)
北海道斜里郡斜里町ウトロ東284 NPO SHINRA内
SIPETRU事務局 藤崎・西原
TEL:01522−2−5522
FAX:01522−2−5524
http://www.shinra.or.jp/sipetru(7月1日公開予定)
sipetru@shinra.or.jp
2.世界遺産記念3日間連続イベント
「世界遺産と先住民族とスピリット」のご紹介
7月1日(金)
シンポジウム「シレトコのレラ(風)を聴く〜先住民族のエコツーリズム」
〜アイヌ民族自らてがける先住民族エコツーリズムをご紹介します
■場所:知床グランドホテル 大会議室「オホーツク」
■日時:2005年7月1日 20:00〜21:30
■ゲスト:
小野 有五(北海道大学教授)
石井ポンペ(社団法人北海道ウタリ協会札幌支部札幌ウポポ保存会副会長)
結城幸司(アイヌアートプロジェクト代表)
■内容:
・トンコリ・ムックリ演奏 (石井ポンペ)
・アイヌ民族の伝統的カヌー復元プロジェクト
〜ハワイでの取り組みのスライドショー
(アイヌアートプロジェクト結城氏)
・知床での先住民族ツーリズムの可能性トークセッション
(小野有五・結城氏)
■主催:NPO SHINRA・シレトコ先住民族エコツーリズム研究会(SIPETRU)
■協賛:日本経団連自然保護基金 東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
■後援:北海道開発局網走開発建設部
7月2日(土)
OKI TONKORI TOUR DUB AINU BAND
オキ/ニューアルバム“トンコリ”リリースツアー2005
〜樺太アイヌの伝統的な楽器「トンコリ」の第一人者でアイヌ民族の
OKIによるコンサート
■場所:斜里公民館 ゆめホール知床
■日時:2005年7月2日(土) 会場18:30 開演19:00
■料金:大人 前売り¥2,000/当日¥2,500
小中高生 前売り¥1,000/当日¥1,500
■主催:sastro
■企画制作:sastro, ChikarStudio
■共催:Radio Kisar, Tam Tam Lonloke
7月3日(日)
聖地巡礼〜アイヌ民族と歩くモニターツアー
〜先住民族の遺跡「チャシ」を中心にアイヌ民族のガイドと一緒に森歩き
■場所:シレトコの森 (集合場所:ウトロ温泉・酋長の家)
■日時:2005年7月3日(日) 9:00〜15:00
■料金:大 人 ¥2,000(モニター価格※)
子 供 ¥1,000(モニター価格※)
※先着10名様
※ご参加された皆様にはアンケート等にお答えいただきます
■主催:SIPETRU NPO SHINRA
■協賛:日本経団連自然保護基金
≪続きを隠す
›6 23, 2005
雷と雨
ウタリ協会斜里支部長の梅沢さんが静かに発言し始めたとき、突然、雷が鳴り土砂降りの雨が降り始めた。アイヌ民族の間で雷は「カムイフム=神の音」、シャーマンに聞いた話によると、このように議論のときに鳴るのは「そ〜れ、お前たち、しっかり議論しろ!」という神様の号令だそうだ。雨も神様が歓迎している証拠らしい。梅沢さんの口調はいつも力強く惚れ惚れとするのだが、今日は一段とかっこよかったな〜
→読売新聞の記事
僕たちは4月にシレトコ先住民族エコツーリズム研究会というものを立ち上げた。小さなアイヌのグループでもできないし、大きすぎる団体でもできないことを、地元のアイヌの有志が中心にできるように作った新しい枠組みがこの研究会だ。今日は環境省の知床エコツーリズム推進協議会の会議の場で、ウタリ協会の地元代表として参加している斜里支部長の梅沢さんと羅臼支部長の大木さんから、趣旨説明と知床のエコツーリズム推進に当たってのアイヌ文化の重要性を発表していただく日だったので、そのために資料を作ったり、環境省や座長に事前に調整をして臨んだ。
会議の終盤、梅沢さんにマイクが渡り、静かに話し始めると同時に雷が鳴りはじめ、大粒の雨が降り始めた。西原君と「ああ、カムイが来てくれているね〜」と話し、梅沢さんの発言に聞き入る。カムイの反応で僕たちも一安心。そして、まったりとした会議の中でとても神聖でしまった瞬間だった。外の雨の音を聞きながら涙が出てきた。
会議の後、僕は別件で多くの人を相手に一人で話をしていた。「お前が上級官庁に意見をしたせいで、みんなが迷惑をこうむる…」と。全て真意を説明し納得してもらうが、とても情けない気持ちでいっぱいだ。そんな気持ちで家でビールを飲んでいると、梅沢さんから電話が来た。
「あんな大勢のなかで、アイヌのことについて正々堂々と話せたのは、藤崎君のおかげだよ。ま、昔からよく言うじゃないか『出る杭は打たれる』って。藤崎君もさ、これからもいろいろあると思うけど(笑)、でもさあ、気にせずやろうよ!うん、やりましょうよ!!」久々に腹のすわったかっこいい大人を見たような気がした。
雷と雨の話しも梅沢さんにした。梅沢さんもビックリしたといっていた。「いやあ、カムイが来たって、年寄りのアイヌなら言ったよね!」 何だか凹んだ気持ちが、とっても豊かに満たされた気がした。
≪続きを隠す
›6 12, 2005
OKI TONKORI TALKING
OKIさんのインタビューの配信を始めました。
→Radio Kisar"OKI TONKORI TALKING"
›6 11, 2005
トンコリ
昨日のニュースは嬉しくて嬉しくてみんなに連絡しまくった。ただ、北海道の先住民族を「アイヌ民族」とひとくくりにするのも実は配慮が足りない。アイヌ民族は小さなコミュニティに分かれていたので、本当を言うとコミュニティの数だけ文化があると言わなければならない。
そんな中で、樺太アイヌと呼ばれている民族があるが、その樺太アイヌの伝統的な楽器「トンコリ」を有名にしたのがOKIさんだ。RadioKisarでもかなりお世話になっていて、今回、ニューアルバムの発売を記念しての全国ツアーも敢行している。7月2日にはRadioKisarの主催で知床でコンサートを予定しているが、それに先駆けてRadioKisarでスペシャルプログラムを作る。
トンコリのこと、アイヌ音楽のこと、そして知床世界遺産とアイヌ民族との関わりのことなどについて、今日スタッフがインタビューを取りに大阪に行っているはず。ON AIRなどのスケジュールはRadio Kisar Staff Blogで。
›5 31, 2005
知床世界遺産確定〜コメント
シーニックバイウェイのセッションに参加するため札幌に出張。二日酔い気味でモントレーで朝食を終えエレベータに乗ったところで、北海道新聞の記者から電話。「IUCNが『知床を世界遺産登録すべき』という報告書を提出すると、大臣から記者発表がありました。」とのこと。
「ほげ?」
ボケボケな頭ではまったく状況が理解できず、記者さんに丁寧に状況を説明してもらってようやくコメントする。すげ〜…世界遺産になっちゃうんだ…。以下、知床の世界遺産化確定に当たってのコメントです。
知床の自然に心底惚れこんで東京から移住までした私にとっては、世界的な遺産といわれて「当然」と思うのがまず本音です。そして、この知床のすばらしさが世界に届くきっかけができたことは喜ばしいことと思っています。が、いくつか申し上げたいことが、個人的にはとても深刻なこととして残っています。
私はNPO SHINRAの代表として、そしてウトロの自治会が中心となって組織した「ウトロ地域自然保護と利用に関する協議会」の事務局長として世界遺産登録に向けてのさまざまな意思決定プロセスに参画してきました。そこで一貫して提言してきたことは、地域や小さな活動団体が自発的に知床の世界遺産管理に取り組める枠組みをしっかりと作ること、加えて先住民族であるアイヌ民族が意味あるかたちで主体的に管理に参画できるようにすることの2点でした。
NPO SHINRAは96年から藤崎が個人的に始めていたネイチャーガイドサービスを発展的に継続させるために98年に設立しました。当時は誰でも歩ける森を、お金を払ってガイドをつけるなどということはまだまだ一般的ではなく、自然地域として大切な役割を担うネイチャーガイドサービスを定着させること自体をミッションとして、旅行会社などと商品開発や監修を手がけてきました。時流もありガイドサービスは今や知床ではなくてはならないものとして定着し、知床をめぐるいわゆる"定番ツアー"には必ずといって良いほどウトロのネイチャーガイドが同行するまでになりました。このネイチャーガイドは今では国立公園内の集中利用の緩和や、滞在型観光促進、自然界の危険からお客様を回避させる役割の担い手として改めて注目されています。特に危険回避については昨年、新聞などでも取りざたされましたが、ネイチャーガイドが引率するお客様と、添乗員が引率するだけのお客様とのヒグマ遭遇時の反応や対応は明らかに違っています。昨年はたまたまShinraのスタッフがそれを実証をする形になりました。集中利用の分散については、私は北海道開発局との協働で広域の観光戦略作りを「東オホーツクシーニックバイウェイ」として、エリアを取りまとめる連携会議を設立しとり組んでいます。→過去のシーニックバイウェイに関する記事
同時にレンジャーよりもフィールドにいる時間の長いガイドたちは、時には行政の行っている自然保護管理に注文をつけることも重要になってきます。その一環として昨年度、IUCNのガイドラインである"Sustainable Tourism in Protected Areas"の日本語訳・出版を手がけ、邦題『自然保護とサステイナブルツーリズム』として、今年の4月より平凡社から店頭販売されています。管理サイドが観光を自然保護上必要不可欠なものとしてとらえる一方、観光にとっても自然保護が重要だという点を抑え、実践的なガイドラインを示しています。私たち民間は管理サイドとは連携しながらも、適度な距離を保つ独立した個人・組織でい続けることが必要です。このガイドラインでも示されている通り、環境省などの管理サイドには、ガイドのみならず地域の民間活動団体との対等な会話と世界遺産管理への市民の自発的な参加を奨励する仕組みを構築していただきたいと思っています。
次に、北海道からの世界遺産であるにもかかわらずアイヌ民族が管理体制に参画していないことはとても残念です。世界中の自然遺産地域では、先住民族の関わりを丁寧に検討していますが、知床ではそういった検討は一切なされませんでした。僕も管理計画策定の段で、先住民族の項目の必要性を訴えましたが、管理計画にはいわば「過去のこと」としてしか触れられていません。アイヌ民族のあいだに今なお残る自然の中での知恵には、知床の世界遺産管理にとって有益な情報がびっしり詰まっています。今後、彼らの知恵を取り入れる努力をしたいものです。管理計画策定に当たっては、当時の担当者はとても頑張ってくれましたが、より北海道の事情を知っている行政機関等による後押しと具体的な提案を期待したいところでした。アイヌ民族のコミュニティからの提言が時機を逸してしまっていたことも否めませんが、それにはそれ相応の事情があります。そういった事情を深く理解する人による、先住民族/アイヌ民族の世界遺産管理参画への道を、他の利害関係者のためではなくアイヌ民族自身のアイデンティティ確立につなげるために切り開きたいと思っています。
NPO SHINRAでは地元のアイヌを中心とした「シレトコ先住民族ツーリズム研究会」の設立のお手伝いをし、先日、環境省とIUCNに添付のようなレターを提出しています。(→添付)エコツーリズムを入り口として知床のような自然保護地域における先住民族や地域文化の役割提言のお手伝いをしていきます。
→過去の世界遺産関連の記事
→過去の先住民族関連の記事
≪続きを隠す
›4 30, 2005
先住民族ツーリズム
先日、梅沢さんを代表に、中標津の戸田さん、標津の小川さんの各ウタリ支部長と結城さん、石井ポンペさん、小野有五先生と僕とで先住民族ツーリズムの研究会を立ち上げた。(→共同通信)
とても微妙な関係の上に成り立つアイヌ民族の人の間で、こうした新しいことをやるのはとても大変なことだ。
立ち上げの前にはそれはそれはいろいろな人と話をした。多くの人が望むカタチを作ることは、必ずしも既存の組織の枠の中でやることではないときもある。特にアイヌ民族の事情はこのことが顕著だ。いろいろな政治や利害に巻き込まれたり、それによって誤解されたり…。これからも、いろいろとあるだろうけど、対応しうる体制が築けた。何より、梅沢さんや周辺支部長の意志が固いことが、お手伝いする僕たちにも心強いことだ。
こういう話を進める中で、「知床にはアイヌはいない。よそから連れてきてツアーをやることは反対だ。」という意見を、ある人からウチの担当スタッフが言われたそうだ。「知床にアイヌはいない」ということはもちろん正しくない。実際に少ないことは少ないが、少なくなってしまった理由、敢えてアイヌを口にしない事情、知床を離れた方々が何を思っているか…そういったもろもろの事情は知っておいたほうが良い。地元でガイドまでできるアイヌ民族の人はいないので、若い方がお手伝いをすることは当然だ。梅沢さんたちもそれを望んでいるし、地元のアイヌ民族の中から「俺たちがアイヌとしてツアーをやるんだ」というムーブメントがおきればそれは僕たちの本望だ。だいたい、アイヌ民族は引っ越しちゃいけないとでも言うのかい?(笑)
もちろん、アイヌ文化とひとくくりにはできず、その土地土地の様式はあるので、ツアーと平行してそこらへんの基礎調査も進めている。すでにさまざまな調査結果が上がってきていて、いずれしかるべき機会に、しかるべき発表や提言を行いたいと思っている。それにしても、こういう感覚の人がいるんだなあとガッカリする。
7月1日に先住民族ツーリズムを考えるシンポジウムを企画中。翌日7月2日は斜里でOKIさんのライブの受け入れをする。その数日前にはライトダウンイベントを知床グランドホテルとコラボレーション。スローとかオーガニックとかエコとか、人と自然とのつながりの上に立つライフスタイルのオルタナティブを考える、そんな夏至前後の予定です。
≪続きを隠す
›3 24, 2005
人と自然と世界遺産
3月22日、アイヌアートプロジェクトの結城さんと、石井ポンペさんとでミーティング。その後、小野先生の講演も一緒に聴いた。
シンポジウムは人と自然とのつながりがテーマだが、その先に先住民族の自然保護地域管理というものを軽〜く見据えた、小野先生らしいアレンジが素晴らしかった。先住民族が中心テーマではなかったのだが、講演後のパーティの直前、突然ポンペさんが「パフォーマンスをするから、ちょっと司会に話し通しておいてよ。」と、どこにしまっていたのかドラムとムックリを準備し始める。結城さんも驚きながら「オレは、何にも持ってきてないよ〜」と半ば呆れて笑っている。
小野先生に話をつないでもらい会の半ばでポンペさんたちが紹介された。ポンペさんはドンドンと太鼓をたたきながらステージに上がり、全く打ち合わせも何もないのに堂々と、しかもユーモアたっぷりに先住民族として海外からのお客さんに歓迎の挨拶をする。さすが、国連でもパフォーマンスをしてきた人だ。
ポンペさんはムックリの名手でもある。アイヌの世界では女性の楽器であるムックリを自在に操り、観客をすっかり魅了していた。パフォーマンスを終えるとポンペさんの周りには人の輪ができていた。「これだけでクロスカルチャーだね。」小野先生の研究室を卒業し、4月からShinraにスタッフとして加わる西原君とそのシチュエーションを楽しんだ。
斜里からの帰り道、車の中でポンペさんはこんなことを言っていた。「オレの話なんて誰も聞いてくれなかった。本当に何10年と活動を続けてきたが、いきなり話をしても誰も聞いてくれない。でも、あるエカシ(長老)が面白おかしく和人の悪口を歌にして歌っていると、多くの日本人が大喜びでそれを聴いていたんだ。オレはこれだと思ったよ。歌は人と人とをつなげる。今日だって、歌う前はオレの周りには誰も来なかったけど、歌ったあとはよばれなくても人がオレの周りに集まってきた。そこではじめて『話』ができるんだ。」。そして、かつてエカシが歌っていたという曲を歌ってくれた。
土地を奪われ、鮭を奪われ、文化を奪われ、名前を奪われ…なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
僕たちは4月から地元のアイヌが中心となった取り組みをお手伝いする。僕たちに課せられた課題は『話』のきっかけ作りだ。
≪続きを隠す
›2 02, 2005
ホントウの聖地
Posted by Tatsuya at
23:59 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
0 TrackBack
梅沢さんと、とあるシャリアイヌの方を訪ねた。
その方は、代々斜里に住んでいらっしゃった方だが、現在は違う場所に住んでいらっしゃる。昨年、結城さんとわけのわからないまま参加したルシャでのカムイノミについて抗議されていて、僕や梅沢さんのところにも間接的にその話が聞こえてきていた。僕も梅沢さんもきちんと誤解を解いておきたかったし、その誤解をベースにしてこれからのことを理解してほしくなかったこともあり、怒られることを覚悟の上で出かけていった。
その方のお祖父さんは知床半島のあるところで暮らしていて、エカシ(長老)として地域のアイヌから尊敬されていたという。とても几帳面な方で、いくつもの資料がきれいに残っていたが、明治時代に収めたというの納税証明書まで見せてもらった。住んでいらっしゃったところの詳細も写真や地図で教えていただき、その中で文字通りの「聖地」の一つを知った。
僕達は「聖地巡礼」という先住民族ツーリズムを企画している。しかし、こういったホントウの聖地には行こうとも思わないし、絶対に人に教えるべきものではないと思っている。ホントウの聖地は、その子孫の方々の思いを最も尊重すべきだし、何よりあれこれ「チョす」べきものではない。そして、霊的にも歴史的にも名実ともに「聖地」と呼べる地と、僕が言っている「聖地」とは全く違う。現実と喩えの違い。どれほど知床の自然とそこに暮らしてきた先住民族たちとの関係が神聖なものだったのか…それを伝えるための言葉として「聖地」という言葉を使った。
その人と遠い親戚にあたる梅沢さんと、その人と僕とで他愛もない話をしているうちに、僕達は次第にお互いの誤解を解いていった。それにしても、その誤解や、猜疑心を生む原因となっているのが、組織やコミュニティを悪用する人が多いことにある。どこのコミュニティも似たようなものかもしれない。
≪続きを隠す
›11 19, 2004
スピリットとバランス
Posted by Tatsuya at
12:58 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
1 TrackBack
ボロットバイルシェフさんの「カイ」を聴いてきた。
飯田橋のトッパンホールはうわさの通りすばらしい音響で、ボロットの声をほとんど生声で聴くことができた。喉唄はアイヌ民族の祈りの時のエカシ(長老)の声、そしてトプシュールという弦楽器はトンコリの音階と全く同じだった。他にも、彼のまとう装飾もアイヌのそれに通じるし、何より彼が表現する世界は僕たちの原風景のように、心の奥にストンと落ちてくるものだった。モンゴロイドの民族は全てルーツを同じくしているが、特にモンゴルやアルタイ周辺にはアイヌ民族の結城さんも強くルーツを感じているという。
公演後、田口さんたちと食事。そのときに聞いたボロットたちの生い立ちにも感慨深いものを感じた。アルタイはソ連時代には強い粛清にあっていて、古くから伝えられていた伝統を全て封印されていた。いわゆるアニミズム的な宗教観が否定され、多くのシャーマンが虐殺されたという。そんな中ボロットはソ連下での兵役の途中に突然天から降ってくるように自らの使命を感じ、音楽の演奏を始めたという。もともとシャーマンたちがトランスの際に使う音楽は、当時語り伝える人がすでにいなくなっていた。でも、かろうじて生き延びていたシャーマンたちに出会い改めて伝統を語り継ぐ。やがて彼が作った楽曲はアルタイで空前のヒットとなり、ソ連崩壊後、再びアルタイの文化を取り戻すにあたって、彼は中心的な若きリーダーとなることとなる。
北海道におけるアイヌ民族の位置は、かつてのソ連時代におけるアルタイ民族のそれと何ら変わらない。あいまいな状態でいわば生殺しにしている点では、ソ連よりももしかしたらひどいかもしれない。そういった全てを超越できるのは音楽などのアートしかない。でも、それが民族運動に偏っても、民族の歴史や課題を無視した表現であってもならない。大切なのはスピリットとバランス感覚だ。
≪続きを隠す
›10 20, 2004
イナウ
結城さんたちと、札幌のあるアイヌのグループと一緒にルシャに行ってきた。
結城さんとは、知床での先住民族文化を知るエコツアーをやろうと言うことで話をしている。ある日、彼が突然「あるグループとルシャに行くことになったから、ガイドを頼むよ。」と電話がかかってきた。
「ガイドっつったって車さえあれば一本道だよ。それより、だいたいなんでルシャなの?」
「え、もしかしてなんかやばい?」
「ルシャってすっごく良いところだけど、妙に政治的でオレは嫌なんだよ。」
「やっぱりなあ…。」
結城さんは、闘うアイヌなので、そういった微妙なネタにはとても敏感だ。一緒に来ることになった「あるグループ」はいろいろと政治的に巧みな人たちらしい。何か企みがあるのかもしれないし、全く純粋な思いだけで来るのかもしれない。
「やる前から探っていたって始まらない。ま、行くだけ行ってみようよ。」と、いつもの互いの軽いノリで出かけていった。
春のような柔らかな南風の吹くルシャの河口はとても穏やかだった。孵化場跡で若いヒグマがサケを追い回している。
知床半島は、「手付かずの自然」なんていうが、開拓の歴史のはるか以前から先住民族は森の中や海岸線で狩猟採集の生活を営んでいた。ルシャをはじめ、知床半島の「原始林」と思われているここかしこに、住居跡や聖地が点在しているのだ。今回は、ルシャ、レッパンベツ、ポンベツの遺跡を確認すること、先祖供養や久しくおこなっていないカムイノミ(自然の神々への祈り)を知床の大地で執り行うことが主な目的だ。
僕はネイチャーガイドサービスを続けていて、ひとつだけ心残りだったことがあった。それは、この大地への挨拶をアイヌプリ(アイヌ民族の様式)でやっておきたいということだった。ついでに個人的にルーツを感じるこの大地の地霊に、一言挨拶がしたかった。我流ではやれても、古くから伝わるアイヌ民族の様式でやったことはない。神社やお寺のやり方よりも、アイヌ民族の様式はこの北海道の大地に一番マッチした儀礼なのだから、思いを伝えたいならアイヌ式がもっとも適しているのだ。
今日は、まずレッパンベツの河口でオンカムイ(先祖供養)を行った。そしてルシャではきちんとしたヌサ(祭壇)をこしらえ、本格的なカムイノミを行った。神々の領域ということで、儀式の最中はヌサの向こう側は立ち入り禁止なのだが、今日は若いヒグマが川の中に飛び込み、オジロワシが多くのカラスを引き連れて飛んでいた。「今日は本当にヌサの向こうが神々の場所になったね〜」と誰かがボソッと言った。アイヌ語の祝詞が静かに響き、清らかで、それでいて深いディープな時間がゆっくりと流れる。当初の心配は全く晴れて、政治も欲望も全く関係のない、とてもスピリチュアルな儀式だった。
こうした儀式で重要な道具に、イナウと呼ばれるヤナギの木で作った御幣がある。ヤナギの木の皮を薄く削ると、くるくるとらせん状に剥がされ、それを一周やるとちょうど神社のお払いで使う御幣と同じようなものが出来上がる。(御幣のルーツはこのイナウだと言われている)。それは、自然の神々や先祖と人間の間を取り持つ仲介役を果たしているそうで、これがあることによって僕たちの意思も神々に伝わるし、逆に悪いパワーまでもらわないで済むという安全装置の役割もあるという。
結城さんがポツっと言った。「僕とか藤崎さんって、イナウみたいな存在かもね。人と自然、都会とイナカ、アイヌと和人…そんな間を取り持つ役割を担って、この世に生まれてきたのかもしれない。」僕はその言葉を聞いて涙が出そうになった。
ルシャを離れ、最後にポンベツという場所に寄る。夕暮れせまるその小さな川で、結城さんが2本のイナウを添えてささやかなオンカムイをした。住居跡に立つと、昼ごろから吹いていた冷たい風が全く当たらない。一瞬そこで遊ぶ息子たちの声が響いてくる。目の前の海岸では打ち上げられた鯨を、わいわいとさばく大人たちの姿がフラッシュバックする。自然の中だけで生きていくリアリティを、今日ほど感じられる日はなかった。住居跡の脇にあった岩に添えた、あの2本のイナウを通して、はるか祖先とつながったのかもしれない。
→関連記事
≪続きを隠す
›10 07, 2004
アイヌ民族と世界遺産
北大の小野有五先生から、札幌アイヌ文化協会のアシリチェップノミのパンフレットが送られてきた。小野先生のインタビュー記事と、何とアイヌアートプロジェクトの結城さんのインタビュー記事も特集として大きく取り上げられていた。北海道の世界遺産推薦だというのに、あまりにアイヌ文化を無視しすぎていないか、という批判を込めた特集だ。とても良い記事なので、手に入る方は是非。
僕は世界遺産の管理計画作りにもメンバーとして関わったが、アイヌ民族の記述の少なさを会議の中で指摘し続けた。てっきりメンバーにはウタリ協会などが参加するのかと思っていたが入っておらず、地域住民のメンバーとしてかなりしつこく会議の場や非公式の場でアイヌ民族の文化にしっかり光を当てるよう指摘し続けてきた。
僕としては、アイヌ民族として1章設け、アイヌ民族が主体的に管理に関われることと、それが無理であればそれこそアシリチェップノミのような、自然との共生を考える良き伝統儀式が、意味ある形で継続できるよう記述をするべきだと発言した。しかし、別項目が設けられることはなく、言い訳のような記述が少しだけ増えたに過ぎなかった。(→以前書いた記事)
しかし、これは担当者だけを責めるわけにはいかない。長年のアイヌ民族に関する偏った教育に原因があるといわざるを得ない。多くの人はアイヌ民族を「過去の話」と思っている。が、違う。だって、現実には僕には大勢のアイヌ民族の友達がいる。でも、過去のものと思っている人にいくらアイヌ民族の主体的なかかわりを説明しても、その必要性が感じられるはずもないのが当然だ。それを説明しきれなかったのは、全く、僕の力足らずだ。
ただ、同時に「市民活動」の概念が全く抜けていたので、こちらもかなり強く指摘し、こちらのほうは項目が付け加えられ、大きく取り上げられることとなった。アイヌ民族も僕達も「住民」「市民」という立場であれば、管理の枠組みに関わる道筋にはある程度の主体性が担保された。しかし、いわゆる「和人」とアイヌ民族との間に、正常で対等な社会的関係がない限り、この枠組みはアイヌ民族にとってはあまり意味をなさない。これを「つなぎ」として将来的な取り組みを考えるしかないだろう。
アイヌ民族がこの世界遺産に関わる意義は、人と自然との精神的な関係性を示してくれるところにある。狩猟採集の生活を送り、自然を痛めつけることなく古くから共存してきたアイヌ民族と自然との関わりは、今の自然環境問題の全てを凝縮して僕達に示してくれる。自然への畏敬や畏怖をどのように生活様式などにフィードバックしてきたのか?資源を枯渇させない採集方法とは?そもそも有限の地球上の資源の中での、人間の適正な人口とは?そうしたコミュニティの運営とは?といった、自然を考える上での社会学的な縮図は、全てアイヌ民族の歴史の中にある。
アシリチェップノミのリーフレットで、結城さんは次のようにコメントしていた。(『特集 アイヌ民族と世界遺産』 構成・文/高井えり子さん)
—略—
「…それに比べて北海道は、ずっと長いこと、アイヌ民族抜きで観光をしてきました。文化もそうです。今エコツアーが流行っているけれど、エコを受け入れてなぜアイヌ文化を受け入れないのか。アイヌの先人たちはみんなエコの本流なのに、もっと足元を見てほしいと思います。
—略—
…僕を知床に招待してくれた人も「北海道でガイドをする以上は、自分もしっかりアイヌの文化・歴史は学んでおきたい」と、考える和人のエコツアーガイドでした。その人が、山で山菜を取って食べたときに、そのあまりの美味しさに、これは神様からの大切な頂き物だという感謝の気持ちが自然にわいてきて、気が付けば思わず両手を前にかざすアイヌプリの所作をしていたそうです。その話を聞いて僕は、それってアイヌそのものではないか、自然の中で暮らしていると誰でもだんだんアイヌに似てくるのかなあと思いました。
だから、北海道の自然を考えるときでも、僕は共通する考えを持った人なら、アイヌでも和人でも、いっしょに協力していきたいんです。その上で、言うべきことは言い、主張すべき点はしっかり主張して、僕達の祖先が古来からずっとこの地に生き、培ってきた自然観や文化などを、きちんと伝えていくことが大事なんじゃないでしょうか。そして、アイヌのカルチャーを(アイヌらしい精神や様式で※)産業にして自立し、意味のある文化体系を作り、それを次の世代につなげていきたいですね。それが、今を生きるアイヌ民族として、僕達の世代のやるべきことなんじゃないかと考えています。」
※藤崎加筆
→結城さんやウタリ協会斜里支部長の梅沢さんと企画中のエコツアー
ウトロ聖地巡礼・・・
先住民族ゆかりの岩をめぐるウトロ周辺散策ツアー 企画書抜粋
環境省のモデルツアーにエントリー中。(誰がどういう基準で「モデル」として決めるのだか全く不透明なので、どうなるかはわかりませんが…)
今までの関連記事
「SQUARE」誌寄稿
田口ランディの聖地巡礼
≪続きを隠す
›9 29, 2004
フツーの人の自然観
Posted by Tatsuya at
23:22 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
0 TrackBack
その場所はウトロのはずれにある。
そこは、先住民族のコタン(集落)のあと。先住民族の住居は、寒気逃しのために床下を1mほど掘り下げるのだが、そんなくぼみが点々とする森。集落は50m四方ぐらいに小さくまとまっていて、そこにはミズナラがなり、クルミがなり、その木にはコクワやヤマブドウがたわわに実っている。海もすぐ近くにあり、なるほどこの世帯数(きっと10家族ぐらい)なら、この小さな森のスペースだけで生きていけそうだ。今日も獲物になりそうなエゾシカがいて、追い込むつもりはなくても容易に追い込めてしまった。
繁殖期、エゾシカのオスは体をよく土にこすり付ける。ちょうど、住居跡の窪みの法面が泥浴びにはちょうど良いらしく、何箇所か表面の下草がなくなっている場所があった。よく見てみるとサケやマスの骨がシカによって掘り出されている。サケの骨が転がっていることなんて、知床の森では珍しいことではないので気にもしていなかったが、その横にきらりと光る白い透明な石も転がっていた。メノウ石だ。最近ウチのチビ達のビーチ遊びの一つが、このメノウ石拾い。もしかしたらここに暮らしていた同年代ぐらいの子が大切にしていた宝物なのかもしれない。
もちろん、なんかの拍子にここに運ばれたのかもしれない。きっと学術的にも意味がないものなのだろう。でもそんなことは僕には関係ない。この知床の森で、コンビにもスーパーもない中で1年中アウトドアで暮らしていた人のことを考える行為自体が楽しいのだ。自分が心落ち着く窪みを見つけて、その中でしばし数100年前の暮らしにトリップしてみる。そこには必ず「フツーの人の自然観」がインスピレーションのように降りてくる。
「ま、それもオレの思い過ごしか…」とふと足元に目を移してみると、さっきまで気がつかなかった大きな石が、実は大きなクジラの骨だったということに気づく。意識してみてみると、そんなクジラの背骨はエゾシカの泥浴びの周辺にいくつも転がっていた。この土地には本当はどういう意味があったのだろう?そんなストーリーを再び掘り起こす取り組みを、ウトロの先住民族のコミュニティと計画している。
≪続きを隠す
›9 19, 2004
新しい鮭への祈り
Posted by Tatsuya at
22:14 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
0 TrackBack
網走アイヌの「アシリ・チェップ・ノミ」(新しい・サケ・祈り)に参加してきた。
こういった儀式は、当のアイヌ民族でさえほとんどの人が経験したことのない、あるいはやり方がわからないものになっている。それを復元させようと、網走のウタリ協会の人たちが昨年からはじめたものだ。僕もウタリ協会の斜里支部として梅沢さんがエントリーしてくれたが、当然のごとく何もわからず、ただただウロウロ…。それでも、ヌサ(祭壇)を作る手順や、エカシ(長老)の美しい祈りの声を聴くことができ、とても貴重な時間だった。
サケは毎年帰ってくる。今では増殖・放流しているけれど、昔のように自然環境に全てをゆだねた時、どんな気持ちでアシリ・チェップを迎るだろう。今帰ってきているサケの先祖をやはり僕たちの先祖も食べていた。それを毎年絶え間なく繰り返す様子は、やはり神の仕業としか思えない。今生きていることの奇跡。きっと以前はサケばかりではなく、イタチにも、渡り鳥にも、そして木の実にも全てそれぞれのノミ=祈りがあったのだろう。ほぼ毎日に違いない。祈りと感謝に満ちた生活…。もしかしたら、それは残されている身の回りの"自然度"に比例するのかもしれない。
≪続きを隠す
›6 04, 2004
Radio Kisar
"Kisar"というインターネット放送局を来月に立ち上げます。多くの方のご意見を伺いたいと思います。(→読売新聞に取り上げられました)
例えば、ハワイと言えばハワイアン音楽。移住者達が作り上げた音楽ですが、先住民族のAloha Spiritにあふれたハワイの大地と風にマッチした音楽です。
知床を含む環オホーツクは、先住民族たちが海洋資源と深い森に根ざした歴史的に独特のエコ文化を築き上げてきた地域です。オホーツクの自然のスピリットとともにあるサウンドを作ったとしたらどんなだろう?音楽が好きな僕はいつもそんなことを考えていました。
また、Aloha Spirtがハワイのホスピタリティの隅々まで行き渡っているように、知床周辺にも、Aloha Spiritならぬ“知床スピリット”が根付いたら、オホーツクの観光スタイルももう少しマシなものになるのではないか。ハワイがあれだけ俗化しても魂を失わないように、自然をこのまま消費しつづけるような観光プロモーションに一石を投じたいと思います。
「Kisar(キサラ)」はアイヌ語で「耳」という意味だそうです。ラジオと関係の深い「耳」という本来の意味と同時に、自然のスピリットからのメッセージに心の「耳」を傾けることを大切にしてきた先住民族たちの世界観・自然観に改めてRespectするとともに、これからのエコライフ時代に向けて自然からのメッセージに今一度謙虚に「耳」を傾け、音楽など僕たちのセンスでそのメッセージをリスナーの「耳」にお届けしたい、という願いを込めた放送局名でもあります。
今後、さまざまなアーチストからの協力を得ながら、そんな「オホーツクの音」を探すコンテストを開催したいと思っています。ハワイアンのようにオホーツク独自の音楽が生まれることを夢見ております。我こそはオホーツクサウンドと思っていらっしゃる方、またはこんな音がオホーツクにはあってるんじゃないの?とお心当たりのある方は、是非とも情報をお寄せ下さい。
≪続きを隠す
›3 03, 2004
Posted by Tatsuya at
16:34 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›2 25, 2004
Posted by Tatsuya at
07:10 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
4 Comments
/
1 TrackBack

›2 21, 2004
Posted by Tatsuya at
11:50 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
2 TrackBack

›2 20, 2004
Posted by Tatsuya at
16:41 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

Posted by Tatsuya at
14:53 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
2 Comments
/
0 TrackBack

Posted by Tatsuya at
12:17 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›2 19, 2004
シャマニズム
Posted by Tatsuya at
16:28 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
0 TrackBack

ツアーの関係で、お客さまと北海道立北方民族博物館に行ってきた。北方民族に関することがこれだけ詳しく紹介されている博物館は恐らく日本中探してもないだろう。僕は暇さえあればこの博物館に足を運び、自分と世界とのつながりを考える。そんな中で決定的に現代に欠けている感じるのは、北方の先住民族が大切にしているシャーマンの世界だ。
子供が殺人を犯したり、多くの人が鬱病になったり、そうとは知らず苦しんでいたり、発達心理的に社会でちょっと厳しいと思う人の真の癒しは、究極には自然とそのつながりをイメージさせてくれるシャーマンの存在以外に無し得ない、というのが僕の持論だ。個人的にもあまり屈強な心を持っていないので、苦しんでいる人達がどんな感覚で苦しんでいるのかは何となくわかる。でも最終的にそれらを克服するのは辛いけど本人以外の何者でもない。その手助けを、自然は確実にしてくれるのだ。恐らく、シャーマンがいるコミュニティでは自然とのつながりをシャーマンがコーディネートし、より効果あるカタチで、よりディープに誘うのだろう。それは、今の日本の病理が最も必要としている機能だと思う。
だから僕は僕のできる範囲で、お客さまに自然と接するお手伝いをしているし、シャーマニックな世界を大切にしようという活動にコミットしていきたいと思っている。全ての発言や活動もこの2つが基本になっているといっても過言ではない。
そんなことを改めて感じさせてくれたこの日の見学。いつも不思議と気分が落ち着くのだが、この日もシャーマンの仮面を見ながらついつい館内のベンチでうとうとしてしまった。近くにおよりの方は、ぜひ立ち寄ってみてください。
≪続きを隠す
›2 18, 2004
Posted by Tatsuya at
15:15 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›2 17, 2004
Posted by Tatsuya at
08:33 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
1 Comments
/
0 TrackBack

›2 16, 2004
Posted by Tatsuya at
22:42 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›2 15, 2004
Posted by Tatsuya at
18:05 /
Category:
Business
,
Community
,
Eco-Eco
,
Education
,
Moblog
,
NPO
,
Nature
,
Organic
,
Personal
,
Public
,
Radio Kisar
,
Scenic Byway
,
Sipetru
,
Slow Life
,
World Heritage
/
0 Comments
/
0 TrackBack

›1 07, 2004
太平洋を横断する熱気球と蜘蛛
Posted by Tatsuya at
23:03 /
Category:
Sipetru
/
3 Comments
/
0 TrackBack
僕が石川直樹君から熱気球での太平洋横断の計画を聞いたのは年末のことだった。10,000mまで上昇して、ジェット気流に乗れば最短で60時間でアメリカ大陸に到着するそうだ。気流の流れ方はその日によって大きく変わるので、1月から2月いっぱいの中で条件の良い日を選んで出発するのだそうだ。「緊急用のために」と僕のドライスーツを持っていった。もう飛んだのかなあ…
ジェット気流は地球の自転によって生まれる空気の流れだ。高い高度で飛行機が揺れるのはこの時速200kmを超えるようなジェット気流を横切ったりするときに生じると友人のパイロットが教えてくれた。「そのジェット気流というやつに乗って、蜘蛛も太平洋を横断するらしいんですよ!その蜘蛛と空の上で会えたら最高っすよね。」と石川君は言っていた。
気球は常に風しだいの乗り物だ。だから時速200kmの気流の中でもゴンドラの上では無風状態だという。ヴァージン社長のリチャード・ブランソンが世界一周を果たした気球は密閉型のゴンドラだが、石川君が乗るゴンドラはどうってことない人間がむき出しのままの状態だから、本当に蜘蛛が飛んでいたら、そりゃあ幻想的だろうなあ。実際には、真冬に蜘蛛が活動することはないだろうが、地球の自転によって生まれる気流の中を静かな無風の状態で感じるなんて現実を超越している。でも、そんな気流をごく普通に利用している蜘蛛にとっては、その世界は珍しくもない現実そのものなのだろう。そんな蜘蛛にしかわからない世界を石川君は見てくるのだけれども、そんな空間にいるときの"悟り"はどんな境地だろう。
一番早くて1月6日に飛ぶといっていたが、もし飛んでいたとしたらそろそろ到着しているのだろうか…それとも、空飛ぶ蜘蛛と一緒にこの満月を眺めながら無音で空に浮かんでいるのだろうか…
≪続きを隠す
›12 15, 2003
聖なる時間
Posted by Tatsuya at
22:25 /
Category:
Personal
,
Sipetru
/
1 Comments
/
0 TrackBack

忙殺気味のスケジュールの中、友達の石川直樹くんと素敵な時間を過ごした。愛知県扶桑町の文化ホールの運営を担当している友人からの依頼で、石川くんのスライドショーをたまたま僕がコーディネートしたのだ。昨日、その公演に立ち会ってきた。久しぶりに僕にとってかけがえのない「聖なる時間」だった。
石川くんは、学芸大の大学院に通う26歳の青年だが、TVでも有名な登山家野口建の「最年少7大陸最高峰制覇」の記録を破った男だ。それだけではなく、あのナイノア・トンプソンが師事したという、マウ・ピアイルグからポリネシアの先住民族に伝わる、スターナビゲーションという航海術を学んだ日本で唯一の人だ。その他にも、"Pole To Pole"という北極から南極までの人力での旅をしたりと、もの凄い経歴を持っているにも関らず、それを感じさせないひょうひょうとした生きざまが、またカッコイイのだ。
扶桑の友人からのリクエストで、是非パフォーマンスとコラボレーションを見たいとのことだった。そこで、彼は大学院の友人の鶴町典子さんというダンサーを連れてきた。彼も初めての体験だという。鶴町さんは先端芸術表現をライフワークとされているアーチストで、耳の聞こえない南村千里さんという振り付け師に師事し、普段のおっとりした様子からは想像もできないほど感動的で情熱的な先鋭パフォーマンスを見せてくれる。
自然の奥深い世界はもはやアートでしか表現のしようがない。深遠な自然を知り、それを伝えようと考える者は誰もがアートの手法を手に入れようとする。そんなことをあっさりやってのける若い人たちを僕は素直に「凄いなあ」と感心して見てしまう。僕は表現していく手法として事業と文章という手段しかないが、それをアートまで高めることが永遠のテーマだ。
さて、ステージでは不気味に浮かび上がる月の写真がスクリーンが映し出されると、石川くんの写真のイメージに作ったオリジナルの音楽と、鶴町さんのダンスのコラボが始まる。僕は最初から号泣。ダンスが終わった後、石川くんは1時間30分以上ものスライドショーをしたが、もしかしたらダンスとのコラボレーションの15分間が、もっとも雄弁に彼の世界を表現していたかもしれない。とても感動的なステージで、是非、知床でも実現させようと話している。(その時は、改めて告知します。)
余韻に浸る間もなく、夜のうちに新幹線で東京の実家に帰り、翌朝の始発に乗って女満別空港まで帰ってきた。その足で、羅臼まで車を走らせ、世界遺産の会議…。そんな多忙な中でも、聖なる時間に流れる、心静かな自分の内面を大切にしたいと思う。そして、そのきっかけを作ってくれるのは、僕にとってはあいも変わらず「自然」だ。
そう、今日はモノレールから見た朝日と宵月の美しさに、僕は救われた。
≪続きを隠す
›11 06, 2003
自然の中での人間存在の可能性
Posted by Tatsuya at
00:43 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
0 TrackBack
古い自然保護活動家の人たちに今なお残る美学…
「俺達ゃあ、町には住めない」。裏を返せば、「山は俺たちのもの」。山を守るためなら何でもする。できれば人に入ってもらわない方が、自然が損なわれることはない…。そういう人たちの論理では、自然の中での人間存在の可能性は結局はゼロに帰してしまう。でもそういう人達自身が山に入ることは、何だか特権のように許されるかのような論理。自らが自然界に選ばれし“ノアの箱舟の乗船者”と言わんばかり…。なぜ特権なのか、彼らは言う、「俺が一番山を知っているから」…。
悪いけど、誰に聞いても「俺が一番知っている」と言うんだよ!
でも、この誰もが持っているかもしれない自然の知識というものが、実は自然の中での人間存在の可能性に他ならないのではないかと思っている。
僕はガイドをするときに重視しているのは“五感”だ。今朝歩いたキツネの匂い、エゾシカに近づこうとする時の間合いの取り方、ちょっとした風の変化で1時間後の天気を知る…こういった“カン”の全てを、全ての参加者が備えていることの気付きを与えることが、僕のガイドとしてのテーマの一つだ。ツアーを通してお客さまの様子を見ていると誰もがこれをもっていて、しかも自然とはかけ離れた生活をしていても腐らずに人間の中に脈々と受け継がれている遺伝子なのだと、何だか救いのようなものを感じるのだ。その体験こそが自然の中に身をおく本質的な意義だと思うし、「ああ、私もこの地球上で何とか生きていけそうだ」という実感を多くの人が持つことはとてもすばらしいことだと思う。
そんな体験は深い自然と野性が存在している知床のようなところだからからこそ、お客さまに提供できるのだろうと思う。「そんな“カン”なんてあてにならない。自然保護管理のためには科学的に実証が必要だ。」という研究者もいるだろう。もちろん、そういう面もたくさんあるだろうが、科学ではカバーしきれない領域こそ、かけがえのない人間の可能性が眠っているような気がしてならない。
≪続きを隠す
›10 08, 2003
森の大地とイマジネーション
Posted by Tatsuya at
23:26 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
1 TrackBack
先日、女満別での講演の帰り道、いつも車を止める町外れの丘に立った。知床連山から斜里岳そして雄阿寒岳までが一望できる、とても素晴らしい丘だ。以前は誰からも気にも止められない場所だったが、今ではちょっとした観光名所になっている。僕はそこに立つと清々しい気持ちと、胸がちくちく痛む思いとの両方にかられる。色々な意味での「北海道」がここには存在するのだ。
車のエンジンを止めると、花を落としたヒマワリ畑を抜けるかすかな風の音しか聞こえない。半月を少し過ぎた宵月が遠くの山々を黒く映し出している。とても心洗われる田園風景だが、これは同時に広大な自然破壊の痕でもある。
北海道は開拓の手が入るまで、北海道中が静かな森の大地だった。歩いても歩いても続く森には縦横に獣道が走り、その中で先住民族が狩猟採集の生活を送っていた。それは、いつまでも続くと疑わなかった厳しくも深遠な静寂の世界だったろう。
しかし、恐ろしいほどのスピードで開拓が進んだ。つい100年〜150年前のことだ。先住民族や彼らが共存していた動物のすみかもどんどんと追いやられていった。昨日まで住んでいた村を壊され、昨日まで森だったところが更地になり、彼らは住居を追われながらも、「この『開拓』と言いながらやってきた人達はどうやって生きていくつもりだろう」と疑問に思ったことだろう。森を壊さないことによって、自分たちも持続的に生きていくことを大切にしてきたのが、彼らの道徳であり生活様式だったのだから。そして、その心配が今まさに現実のものとなってきつつある。
この女満別の丘は、畑が広がる中にも防風林がひしめく様子から、この土地が森だったころを彷彿とさせる。それだけに、ここの景色はいつも何とも複雑な思いで眺めることが多い。
いわゆる「北海道」のパンフレットが、いつもこの広大な自然破壊の姿であるということが残念でならない。確かに、この広大な風景は誰が見ても爽快なことには変わりはない。でも、この女満別の丘は北海道が森の大地だったころ、きっと遠くに山があるなんて想像もできなかった場所なのだろう。空は頭上の僅かな空間だけ。でもそれが延々と続く風景…その風景も僕は見てみたいと思う。
その場所では、いつもしばしそんなことを考える。森の奥をシカが横断していく様子を想像する。旅行者にも、そんなちょっとしたイマジネーションを与える機会を作ってあげられたら…と思う。
≪続きを隠す
›10 04, 2003
ALOHA SPIRIT
「アロハ」という言葉を知らない人はいないだろう。「こんにちは」とか「さようなら」という意味だと思っている人が多いが、ハワイの先住民族の言葉で"Alo"は「〜の傍らに」みたいな意味、そして"Ha"は「息」という意味だそうだ。「あなたの息遣いを感じます」という直訳だが、本来の意味はもっと深いところにある。
"Ha"は「息」と訳すが、目に見えないもの、つまり「気配」や「気」、今流行りの言葉で言えば「波動」みたいなものをさすそうだ。だから"Aloha"は「あなたにはいい"気"を感じるよ。その"気"を大切にネ。オレも自分の"気"を大切にしながら生きていくよ。」といった、自然のスピリット/魂を大切にし、忘れないようにする、言霊(ことだま)のこもった大切なことばなのだ。
ネイティブのハワイアンは、観光地で聞くような「アロ〜ハ!」みたいな発声はせず、静かに抑揚をつけず、それでいて慈悲深く"aloha"とささやくように発声する。その時、涙が出そうになるぐらいの愛情を感じ、そしてこちらも"aloha"とささやく。カヌービルダーであり、レジェンドサーファーでもあるタイガー・エスペリに、アイヌ民族とのカヌープロジェクトの相談をしにいったとき、彼は初対面の僕を「ずっと君に会いたかったんだ…。」と抱きしめ、"Aloha"と静かにささやいた。ビジネスで関っているというより、魂で語り合っていることを強く感じた。
ハワイには「Aloha Spirit Low」(アロハスピリット条例)みたいなものがあるらしい。ハワイの観光開発はそれはものすごいものだったのだろうが、そこに魂がこもっていたことが今のハワイの雰囲気を作り出している。僕は知床の観光に、アロハスピリットのように、その地域の自然の神々との交感を大切にしたいという魂のようなものを吹きこんでいきたいと思っている。その仕掛けとなる準備を、今黙々と進めている
≪続きを隠す
›9 24, 2003
ウクレレ
Posted by Tatsuya at
15:47 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
/
0 TrackBack
ジェイク・シマブクロ『クロスカレント』のCDを手にした。彼はハワイ生まれのウクレレ奏者。ウクレレの音色は弦を一本はじいただけでポリネシアの風が吹くような感じがするが、彼はそれをさらに超絶している。ぶっ飛びのウクレレサウンドだ。
僕がウクレレに興味を持ったのは、昨年鎌倉アウトリガークラブの友達に誘われ、伝統的なミクロネシアのアウトリガーカヌーの大会に札幌のアイヌの友達とグアムに出かけたときだ。アウトリガークラブの面々は、屈強な硬派サーファー。時間が空くと逆三角形の背中で、ポロロンとウクレレを奏でるのだが、それが男でも惚れ惚れするほどかっこいいのだ。「俺もウクレレ買うぞ!」と昨年から物色&カミサンの説得を続けている。
そんななんちゃってサーファーにとっては、ジェイク・シマブクロのサウンドは超絶過ぎる。全く参考にならないほどの天才的なリフだ。ウクレレを聞いていることを忘れさせるほど。あのチックコリアの『スペイン』なんかもカバーしていて、ちょっとウクレレの概念が音を立てて崩れ去ってしまう。
あ、こんな時間、これから日経の取材…。
≪続きを隠す
›9 18, 2003
人と自然のスピリットがクロスオーバーする場所
はじめに言っておこう。僕は強硬な自然保護論者でもなければ、開発支持者でもない。ヒッピーな活動家でもなければ、学術的な研究者でもない。社会人としてサスティナブルディベロップメント(持続的な経済発展)を考えているだけだ。
そこに必要な哲学は、自然のスピリットとの交感を大切にしようとする先住民族の知恵の中にあるというのが僕の考えだ。いや、先住民族というか、そういった人間臭く、それでいて自然の魑魅魍魎(ちみもうりょう)と共にいようとする覚悟とノウハウが残っているのは、もう先住民族のコミュニティだけなのではないかと思っているのだ。科学的ではないかもしれないけれど、連綿と続く人々の営みの中に、ごくごく普通で、曖昧で、それ故に普遍的な生活様式やシステムを見出せるのではないかと考えているのだ。もちろん、先住民族が彼らのアイデンティティのままに暮らしていたときとは、地球上の人口や自然の状態、資源量などが大きく違っているかもしれない。でも、敢えてこういった世界観と経済の融合というテーマに取り組んでみたい。それはある意味絶望的かもしれない。だけど、僕は厳しければ厳しいほどチャレンジ意欲がわいてくる性質なのだ。
有限の地球資源の中で人口がこのまま増えつづけると、人々のストレスは増大し、いわゆる“癒す”必要がある人はますます増えていくだろう。そして、さまざまな心理療法や治療機会が改善され、確実に癒されていく人も増える一方で、やはりどうしても癒されず社会への順応が困難な人々も増えるだろう。僕はシャーマニックな世界にこそ本質的・根源的な救いがあり、逆にいえばそのノウハウをとり入れない限り人々は永遠に癒されないような気がする。なぜならその世界観は、地球上の自然と完全にマッチしようとする願いであり、祈りだからだ。
僕は、こういったことを学術的に研究したわけでもなければ、数多くの体験をしたわけでもない。だからと言って、これから研究を続ける時間もないし、数多くの体験だけが、その世界を知る手がかりになるとも思わない。そんな体験は、とても個人的で、非科学的で、どちらかと言うと“感覚”として僕の体の中に宿っている。僕はそんな“感覚”で自らの自然の中での、感じたことや、考えたことを、自分なりに咀嚼し、そのメッセージをいろいろな人に伝えていく“えせシャーマン”でありつづけたいと思う。それが僕の仕事だ。そして、それは僕だけではなく、多くの人が、さまざまな手段で行っていくことが理想だとも考えている。
僕は宗教家ではない、思想家でもない、活動家でもない、どちらかといえば事業家でありたい。オカルトも嫌いだ。感じたことを行動に移し、そしてそれを 持続的に続けていくこと に価値を感じる。
持続的に…。
現代で言えば、経済システムの中に、いかに存在するか…なのだろうか?
人と自然のスピリットがクロスオーバーする場所を僕は追求したい。でもそれは一生かかっても見つからない場所なのかもしれない。だから、少しでもわかったところを社会や経済に還元していく…そんなことが事業を通してできないかなと思っている。
≪続きを隠す
›9 13, 2003
エコツーリズムの課題
今年の春に講師に招かれた青森県鰺ヶ沢町でのレポートの公開です(Word/38k)。現地の方々が案内するエコツアーに参加し久々にお客様の立場でツアーを見ていると、エコツーリズムのさまざまな課題が垣間見られました。なお、Creative Commonsよろしくね。
›8 18, 2003
世界遺産
Posted by Tatsuya at
23:36 /
Category:
Sipetru
/
5 Comments
各方面からコメントを求められ、まとめたものをアップします。
(8月9日付朝日新聞「OPINION」に掲載されたものの原稿です。)
環境省の推薦候補地リストに知床が残り、世界遺産登録に向けてほぼ確実なレールが敷かれた。私は知床でエコツーリズムのNPOを経営し、まちづくりなどに関わる地元の協議会等の事務局を務めている関係で、さまざまなメディアからコメントを求められる。明らかに喜びの声を期待されているのだが、それほど単純なものではない。世界遺産という華々しいブランドの陰で、本質の議論が置いてけぼりになっている気がするからだ。自然環境の保護と利用について深く考えている地域であればあるほど、世界遺産のような"上からの"規制には疑問を感じる人は多い。人と自然との関りは、地域の数だけ多様であってしかるべきだからである。
それぞれの地域には、隣接する自然と密接した文化が存在する。それは、外部から見ると自然をそれほど意識していないように映ったとしても、自然との関係の中でゆっくりと育まれた地域文化であるはずだ。しかし、"Think Globaly,Act Localy(地球規模で考え、地域から活動する)"などと言って、挙句の果てには「世界のために地元の人は我慢しろ」と言わんばかりに、地域の生態環境には全くそぐわない論理を持ちこむ人も少なくない。地域発信型の環境保全を訴えるあるNPOの代表は、"Think Localy,Act Globaly(地域から考え、地球規模で活動する)"なんて言っている。私も地域の多様な生態環境から生まれる小さな自然保護管理活動が集まって、曼荼羅のような地球規模の大きな自然保護管理の思想として出来上がってくることが大切だと考えている。“Shinra”という会社名にもそういう思いを込めている。
以前、講師に招かれ訪れた白神山地のある町で、その地域で最も伝統あると言われるマタギの方にお会いした。白神山地の世界遺産登録に尽力した彼であったが、今では世界遺産がかえって邪魔になったと仰っていた。「マタギ」とは単なるクマ射ちの呼称ではなく、東北地方の自然の神々との交感を大切にしながら生きる「生活様式」であり、「哲学」であり、場合によっては「信仰」である。日本の自然と共生する象徴と言ってもよい。彼は、動物の狩猟や山菜の採集という生活を続けているので、命の糧ともいえる白神山地を開発することに対して猛烈に反対していた。その反対運動の延長線に世界遺産があったわけで、今でも世界遺産の哲学をを歓迎しつつも複雑な心情を吐露していた。
彼は世界遺産になれば、自分が入る山の開発が永久にストップし、自然の恵みを受けるマタギの生活様式が永久に守られると信じていた。しかし、世界遺産登録になった後の管理計画では、「山に入るときは犬を連れていくな、山菜を採るな・・・」とマタギの文化を完全に否定する案を突きつけられた。「以前は世界遺産は救世主のように思ったが、今は逆かもしれない。」と彼は言っている。「自然との共生」などという言葉が氾濫している中、マタギやアイヌ民族などから学ぶべきことは数しれない。それなのに、そんな文化を否定する「遺産」とは一体何なんだろうか、と考えさせられてしまった。
「森をイメージしてください」と言うと、ほとんどの人はそこに人間の姿を描かない。"良い自然"とは人がいないもの、という暗黙の了解があるのかもしれない。しかし、人間が無理なく自然と付き合っていける社会が本当の意味での「自然との共生」だ。地域文化に優劣はあるわけではない。胸を張って「私たちはこういう風にして自然と関っている。」ということを発信できる世界遺産にしたいと思っている。
›4 24, 2001
魂の復活
Posted by Tatsuya at
23:43 /
Category:
Sipetru
/
3 Comments
動物や植物、風や水etc・・・そして人間。この世のあらゆる物ごと全てが「何か」を共有していると感じたことがあるだろうか。森の中を歩いていて「生」と「死」、「自分」と「森」といった全ての境界線が突然消えてしまうような体験におちいったことはあるだろうか。自分と外界との区別がつかなくなってしまうというと病的に聞こえるかもしれないが、そこから得られるインスピレーションには「許し」や、ちょっと臭いけど「愛」や「平和」といった僕の行動を支えてくれる啓示に溢れている。以前は「オレっておかしいんじゃないか」と思っていたが、今ではそんな感覚を持つことに嫌悪感を感じない。押し付けはしないが、もし世界中の人達がこのような感覚を共有できたらどんなに素晴らしいだろうと思っている。
この世の森羅万象が共有する「何か」というのを僕は知らないし、知りたいとも思わない。頭ではわからなくても体に染みついている感覚が大切だと思うからだ。僕はそれを「魂」と呼ぶことにしている。他人がどう思おうと、魂を意識して生きていくことは僕にとってとても豊かなことである。そして、北海道の先住民族アイヌはつい最近までそのような生き方をしていた。
去年の暮れから僕達はあるアイヌ民族の若いグループと共同でこの「魂」にかかわる仕事を進めている。それは、北方インディアンなどの間でムーブメントとなっている伝統的なカヌーの復元と航海術の検証、そしてそれらの取り組みを通してのアイデンティティの復興だ。アイヌ民族には「イタオマチプ」という素晴らしいカヌーが存在する。僕達はそれを復元し、同じ血をひく北方民族として2004年のカヌーフェスティバルを目標にアラスカまでの遠洋航海を実現させようとしている。表面的にはアイヌ民族のアイデンティティを見つめなおす取り組み、それをお手伝いする和人という図式にうつるかもしれない。しかし、最終的に行きつくところは「人間」がどう生きていくかを見つける作業であるはずだ。そして、アイヌ民族が大切にしているもので今の社会に欠けているもの、それは紛れもなく「魂」そのものである。
プロジェクトのメンバーは、試作の船を作ったとき「木は切ったあとでも生きている」ことを実感したそうである。「イタオマチプ」は船底部分が木をくりぬいた丸木舟の状態になっている。それを彫っている最中も木はねじれたり、割れたりして言うことをきいてくれない。そんな時は「頼むから良い仕事をさせてくれ!」と木にお祈りをしたそうだ。祈ることぐらいしか出来ないのである。そんな調子だから、木を切るところから船が出来上がるまで、数え切れないほどの祈りをその木は吹きこまれる。そうして出来あがった船は人間と自然の魂の合作だ。もちろん出来あがった後も、木は変化しつづける。その都度人間は祈りつづける。自然と折り合いをつけるというのはある意味そういうことなのかもしれない。
「自然保護」はしばしば頭の良い科学者・研究者のためのものである。僕達普通の人間に出来ることはないものか。このイタオマチプのプロジェクトが心の支えとしている故星野道夫が、著書の中で次のような言葉を紹介していた。
People claim the land by creating sacred sites,
by mythologizing the animals and plants
-they invest the land with spiritual powers.
Joseph Campbell
「人は聖地を創り出すこと、また動植物を神話化することによって、
その土地を自分のものにする。土地に霊的な力を与えるのだ。」
−ジョゼフ・キャンベル
アイヌ民族が北海道の原生林の中で生活をしていた頃、当たり前だがほとんどが“普通の人”だった。そんな彼らが大切にしていたこと、それは自然のスピリットとの交感、魂を大切にした毎日だったはずである。
折しも、WHOは健康の要素の中に今までの心と体の健康に加えて、「魂の健康」をつけ加えた。
先住民族の神話が単なる寓話ではなく、言霊のこもった壮大な“たとえ話”であることが少しずつわかりはじめた今日この頃、普通の人々である僕達がなすべき仕事も少しずつ見えてきたような気がする。
›6 24, 2000
何で知床に?って言われても…
Posted by Tatsuya at
23:58 /
Category:
Sipetru
/
0 Comments
最近いろいろな人から取材を受ける。
当たり前のことだが、僕の素性を聞こうとすると必ず聞かれる質問に、「何故知床に移住したのですか?」という項目がある。僕はこの質問にきちっと答えられたためしがない。しどろもどろはなしているうちに、記事には「知床の自然に魅了され移住…」と書かれることしばしば…。とても頭のよさそうな記者の方々がそう書くものだから「そういうことなのか…」なんてだんだん思い込んでしまう。いやいや違うよな、自分のアイデンティティまで人に流されてはダメだ。
僕が知床に移住を決めたのには理由があるっていえばあるし、無いっていえばない。町で部屋を探すのと同じ感覚だ。「ここだ!」というのが、僕にとっては知床であったに過ぎない。でもそのまま書いてしまえば、藤崎という人間が知床にこだわっている雰囲気が伝わらないのか、記事になるときにはもっともらしい理由がついてくる。正直くすぐったいような気がするものだ。
例えば本屋で目にとまった本、買いたくなってしまった服、好きな女性…「何で好きなの?」と聞かれてきちんと返事をできる人がいるのだろうか。理由なんて特にない。「ピンときた!」それだけなのに、人はそういった「勘(かん)」みたいなものを否定してしまう。かくいう僕にもそんなところがある。
それでは、僕が知床に感じる「フィット感」とは何なんだろう。何故ピンとくるのだろう。それは僕がガイドを通して伝えようとしている「知床の素晴らしさ」にあい通じる。
知床には人間と自然が本来持っていた「距離感」みたいなものが、かろうじて残っている。僕はこの「距離感」が何よりも気に入っている。ここには数多くの野生動物がいるが、「これ以上近付けない」距離が目に見えて保たれている。動物の方が逃げていくのは当然だが(日本じゅうそうではない地域が増えている…日光みたいに…)、人間の側も「あと一歩近づいたら逃げられちゃうな…」といった距離感を、理屈ではなく「勘」が教えてくれる。それは僕の経験上ツアーに参加するすべての人が兼ね備えている「野生の勘」だ。素晴らしい。人間にもまだまだそういった感覚が残っている。
動物に限らず自然も人間もこの距離感覚を忘れてしまうと、野生が崩れる。いわば自然界と人間の双方が侵してはならないバッファーゾーンだ。もちろんこの領域を忘れてしまっているのは主に人間の側だ。僕はどんなに深い山や森に入っていって、どんなに自然と一体となったような時間を過ごしても、自然がもう一歩踏み込んできてくれないもどかしさを感じる。ツアー中、出会ったエゾシカにお客さまが近づいていっても、寸でのところでさっと逃げられてしまう。僕はそんな距離感が残っていることにいつもホッとする。そしてこの領域を感じるのは僕らの「勘」以外の何ものでもない。
何かの本で「内なる自然破壊」という言葉を聞いたことがある。うまい言葉だ。人間はいつから自分自身の「感覚」みたいなものを否定してきたのだろう。僕にとって知床はそんな自身の自然を取り戻させてくれた場所だ。この感覚は知床で野生に触れれば、誰でも感じることができるものだが、口で説明するのは難しい。なにせ「勘」の世界なのだから…。
そうそう、先日来てくれたライターは何日か僕らと森の中に入り野生を感じた。彼女は「藤崎さんが知床に住みたくなったワケが何となくわかった。」と言ってくれたっけ。どんな記事になるのか、楽しみだなあ。