›2 27, 2011
雪で山を作る
Posted by shinra at
22:51 /
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北海道開発局と「路線連絡会議」が設置している「臨時ビューポイントパーキング」。もうかれこれ4年ぐらいになるだろうか、今年、ようやく日の目を見るスポットとなりました。

この臨時ビューポイントパーキングは、斜里〜ウトロ間の国道334号は流氷の景観が美しいながらも駐車し流氷を眺める場所がないことによる、路上駐車やそれに伴う事故などの対策の一環として設置されるようになりました。( →北海道開発局ホームページhttp://http://www.ab.hkd.mlit.go.jp/kisya/230204.pdf)どのような広報でここまでお客様が立ち寄ってもらうようになったかわかりませんが、徹底した宣伝、誘導看板、まれに見る流氷の勢力、cafepathの人気などが相まって、これほどまでの集客をすることができたのだろうと思います。

間もなく、立ち寄り人数が発表されると思いますが、本当に多くの方がこんな雪で作っただけの山に登りにきてくださります。雪山を作るのに恐らく業務として土建屋さんに発注はされているでしょうが、実際はほぼボランティア。オペレーターの方が半ばおもしろがって凝った作りにしてくれたりしている感じです。つまり、お金がかかるにしても少ない金額で、ただ雪で山を作るだけで観光名所になる・・・というのは示唆的です。そういえば、僕は一昨年から「山を作る」人になってきました(笑)スキー場に作ったパークも、ちょっとした金額プラスボランティアなのですが、それによってお客様が足を運んでくださったり、活気づいたりすることを考えると、元々良い場所には何かを付け加えることによって、さらに魅力が増すということがわかってきました。
私たち観光業者はいろいろと苦労をして知床に足を運んで頂こうとしているわけですが、もともと景観が良い場所をちょっと手をくわえることは、その良い景観に演出が加えられ感動を呼びます。ちょっとした仕掛けでお客様に喜んでもらえるなら、もっともっとやっていっても良いと思いました。ただし、そこで重要なのは「手をかける」こと。この雪山は半ばボランティアで作り、僕もしばしば階段をスコップで掘り出したり、仕事のついでに開発局の役人の方が立ち寄っていって、やはりスコップ片手に整備をする・・・という、手垢のついた感じがお客様に伝わるのです。アンケートでも回答いただいていますが、目に見えないおもてなしは確実に伝わっているなあ、という印象を受けます。

さて国交省は「道路のオープン化」などという動きも示してきていて、近々会合を行います。道路の一部を市民活動や地域産業の振興に使ってもらおう・・・という試みです。それ以外にも、長年関わってきたシーニックバイウェイなど地域の活動団体との連携を深めていこうとしていますが、これにはどんどん財政難になっていく国による「道路管理の受益者負担」という考えが視野に入っています。つまり我が家の前の私道のように、自分で使っている道路は自分たちでメンテナンスしていこう、という時代が来るかもしれません。すでに海外の一部ではこうした管理を行っているところもあると聞いています。
その議論は良いなあと思います。そして困るなあと思います。
私たちが利用する北海道の道路の距離と、東京で暮らす人が使う道路の距離、凍上しないように高規格に作られている雪国の道路の特異性など、管理のコストが見える化されます。もし、ウトロから斜里までの45kmの除雪を「生活で使っているから」ということだけで、ウトロの人たちがお金を払うことになったらぞっとします。困ります。インフラは本来そういう考えの元で整備するべきではないのですが、今の国の財政状況では一度見える化をすることが、勝手なイメージだけで霞ヶ関内あるいは永田町で決定されることが無くなっていくと思われます。
そんな中で、雪山のようにお金を余りかけずに道路に付加価値をつけたり、観光との結びつきを再確認したりすることは多くの知見を得ることができます。もっといろいろな場所やアイデアで、このような取り組みが広がっていけば良いと思います。
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›2 24, 2011
斜里ーまちづくり
Posted by shinra at
14:27 /
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「地域活性化」という言葉は実はあまり好きではありません。そのコトバには「今は元気がない」「何かをしないとダメ」というネガティブな印象を受けるからです。しかし、斜里町は元気がない、資源がない、人がいない、とは思いません。それらがうまく絡み合って歩み出していないだけです。「地域活性化」には民間事業者や、個人が思いっきりいろいろなことにチャレンジ出来るフィールドが必要ですが、斜里町にはそうした土壌がありません。それは何か・・・?
NPOとして事業をしてきた私としてはもっとも熱い思いを持つ部分でもあります。
1.恊働推進条例の制定と対等な官民関係の構築
現在、町内のワーキンググループが中心となってまちづくり基本条例制定に向けての議論が進められています。何はなくとも、この条例は早く制定する必要があります。しかし、制定に向けた中で重要なポイントが一つだけ抜けています。それは「住民参加」への自発的な思いと行動。現状では、行政主導(主導ではないかもしれませんが、行政の枠組内)の中での検討であり、悪気はなくとも行政に都合の良い「恊働」の姿が固定化されてしまう恐れがあります。
行政は私たち一般住民とは比べ物にならないほどの力を持っています。その力を、本当に私たちが願うように活用していればよいのですが、必ずしもそうではないのが、今の私たちの行政に対する不満の原因。「恊働」という言葉は今でこそ一般的に使われるようになりましたが、かつては私たち"NPO業界""市民活動業界"の専門用語でした。行政が担っていては非効率だったり、サービス不足だったりする公セクターを民間が担っていこうではないか、という思いが先にあり、行政の苦労や責任、リスクを民間がかぶる代わりに、行政サイドは相応の対価を(お金とは限りません)民間に還元するサイクルが作られ、その意思決定は対等な民間と行政の関係の上で行うというものが、本来の「恊働」の姿です。今は対等でしょうか?
民間は自主自立の意識を、行政は単なる「予算が無くなった事業のボランティア先」として民間を捉えるのではない関係を作る必要があります。「恊働」という言葉の都合の良い意味のすげ替えには、運動をして断固闘い続けなければなりません。これは、古くから続いている民と官の関係。なれ合いの斜里に、少しだけ緊張感と"有機的な摩擦(前ニセコ町長逢坂さんの言葉)"をおこさなければ。基本条例の精神をきちんと行政の仕事に反映させる、もうワンプッシュ・・・例えば議会の議論などで「協働推進条例」のようなものをさらに作らなければなりません。
2."新しい公共"支援体制の模索
まちづくり基本条例と自主自立の意識を持つ個人が揃うと、行政を補完する住民の自主的な活動や事業の芽が育ってきます。実は、これがNPOのはじまりですが、斜里町はそのスタートラインにも立っていません。今はNPOの概念は古く、収益事業に対して必要以上の嫌悪感を持たない社会的起業(ソーシャルアントレプレナー)が増えています。収益を求めながらも、事業自体が社会的な活動、あるいは収益の一部を積極的に社会活動に振り分ける事業を、じゃんじゃん後押しする機運が必要なのです。
NPO業界、市民活動業界では「新しい公共」という言葉を使うようになってきました。行政は行政にまかせているだけではない取り組みを具体化していくのが時代の趨勢です。斜里町においては、例えば子育て、学校教育、広域観光圏戦略、など全てにおいて、官民の垣根を外したプロジェクトチームを作り、フットワーク良く行政の施策に反映させていく"動いてる感"を町民が共有出来る意思決定プロセスを模索すべきです。
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›2 13, 2011
斜里ー子育て
Posted by shinra at
09:58 /
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私は、自然が豊かな地域、小さなコミュニティで子育てをしたいという思いがありました。その点で斜里は理想的です。一方で、施設が整っているわけでもなく、移動距離も多い、子供を見守る人が物理的に少ないここでの子育ては、当の親が相当に頑張らなければならないのも事実です。スキーを習えば、コーチと一緒にポールを立てたり、コース整備をします。遠征に行くとなれば、長い距離を子供達を乗せて運転します。幸い私はこうしたことが全く苦にならずむしろ楽しいのですが、やはり仕事で抜けられないので子供達にいろいろな体験をさせたくてもさせられない、と悩む親が多いのも事実です。
親の頑張りも必要な分、「斜里で子育てがしたい」と積極的に思えるような施策はないものでしょうか?以下、提案です。
1.学級事務職の採用
学校では多くの先生や事務の方々が活躍していますが、学校の規模に関わらず特に教員の事務に割く時間が多いことが問題となっています。事務に限らず、特別支援員とその対象の子供や周辺の子供との微妙な人間関係の構築、得意ではない種目をあてがわれたときの部活動顧問、保護者との教授活動とは直接には関係のない話し合いやトラブル等々、教授活動以外に追われて子供達に接する時間が少なくなっていては教員として本末転倒です。また、特に斜里は新人の先生が多く、一般企業であれば半ば試用期間であったり研修期間である4月1日から、大卒の新人が学級をまかされることにより心理的な負担を訴える人も多く見受けられます。そこで、学校事務を発展解釈した、いわば「学級事務職」の概念のもと自治体の裁量で事務職の採用を増やすべきです。
<学級事務職の概要>
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/069/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2010/03/15/1291520_2.pdf
2.スポーツ施設の配置
斜里町はこれからさらに高齢化社会が進み、町民の保険料負担や行政の医療に割く負担がますます増えていくことが予想されます。上質な医療を安心して受けられることももちろんですが、早い段階から病気を防ぐことに真剣に力を注ぎたいものです。しかし、斜里町のスポーツ施設は老朽化が進んでおり、このままでは斜里町民が選択できるスポーツは限られてしまいます。野球場には新たなナイター施設が完備されましたが、他の競技施設についても補修や配置について長期的な視野を持って取り組んでいかなければならないと思います。
3.スポーツ指導体勢の抜本的な見直し
子供が少なくなっている中、例えば団体競技などは中学校の学校単位での練習、対抗がままならなくなってきています。現状では上位の競技会体系が学校単位となっているために、変更をしていくことが進まないのですが、そうこうしている間に、子供達が選択できる種目は限られてきてしまいます。斜里町内、又は近隣市町村と連携をとって、学校別ではなく種目別のくくりで指導の連携がしやすくなるような地域スポーツクラブのような新しい枠組作りが必要です。これは地方学校に限った問題ではないため、同じような悩みを持つ全国の自治体と連携し、うねりを作っていきたいものです。
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›2 10, 2011
斜里ー観光
Posted by shinra at
15:48 /
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よく聞かれるのですが「斜里はどのような観光地になって欲しいですか」という質問があります。実をいうと私には「こうしたい・・・」というものはありません。強いていえば、いつも念仏のようにとなえていますが「ハワイのALOHAスピリットのようなおもてなしの"柱"を育てたい」というものだけです。それよりも、私は「観光地として足りないもの」に関心があります。私の観光に関する全てのプロジェクトは「足りないものを足す」という視点で生まれています。ネイチャーガイドサービス(知床ナチュラリスト協会)、障がい者向けのバリアフリー情報提供サービス(知床バリアフリー情報センター)、アイヌ民族文化をお伝えするサービス(SIPETRU)、スキー場の新しい施設(ウナベツよこ乗りHappy Park)、広域連携とプロモーション(東オホーツクシーニックバイウェイ)、そしてこれからの世代へのサービスとして1昨年始めたcafe(CAFE PATH)。これらはいずれも以前は無かったものばかりです。もちろん無くても観光地としては成り立ちます。しかし、あった方が=足した方がお客様にとってはよりありがたいものです。
観光産業はよく「足し算の産業」と言われます。付加できる満足はどんどん付加させることを、日々私たち観光業者は考えています。そして、お客様が求めるクオリティやサービスは時代とともにどんどん変化していきます。それは、既存のサービスの上に付加されていくニーズですので、今足りないものをそのままにしておいても、すぐに新しいニーズには対応ができません。ですから、最低限でも時代にはキャッチアップ、できれば数歩先を歩き続け時代を迎え撃ちたいものです。
では「斜里町」という自治体として足りないものは何だろう?と考えると以下、提案です。
1.今どきADSLではなく光の誘致
インフラ整備は公共のもっとも大切な仕事の一つです。今やインターネットによる観光情報の提供は常識の世界です。事実、町内の各事業所は積極的にネットを活用し集客に勤しんでおります。それと同じように、今は光回線を敷くことが常識になっています。逆に言えば光を引いていない分、他に遅れを取っています。最低でも時代にはキャッチアップ。インフラは全ての事業のベースとなるものですから、早急に整備したいものです。
2.観光セクションの強化
斜里町内の観光やそれにまつわる産業の就業者数は4千5百人を超え、かつて主要産業であった農業・漁業・加工業の3つの産業を合わせた3千人よりも遥かに多い人々が、観光などに携わっています。観光をこれからを担う産業と位置づけた戦略をたて、例えば一部スタッフを観光の中心ウトロに配置するなど、効率的に活動できる体勢を整える必要があると思います。
3.知床観光局の設置
観光協会など民間のプロモーション組織のみならず、世界遺産地域独特の行政寄りの情報提供があるはずですが、それを担うセクションがありません。また、これまでのように「保護」や「規制」に根ざした情報提供ではお客様は入込み数及び訪問動機ともに、確実に減少する方向に働くため、観光セクション、環境セクション、関係団体が縦断した「観光振興」に根ざした"政府観光局"のような機能が必要です。
4.戦略的広域連携
今や北海道観光産業はアジアのお客様に支えられていると言っても過言ではありません。しかしながら、女満別空港へのチャーター便の誘致は芳しくなく、周辺の市町村が一体となったマーケティング戦略とプロモーションが必要です。これらは、アジアフィーバーが去ったあとでも、多くの3つの国立公園や多くの公立公園、空港が集中する道東の強みを活かす枠組になると考えます。
もちろん、これらは「ウチは外国人は相手にしていないよ」といったように、各観光事業所がどのようなお客様を対象にしているかで、求められる対策は変わってくるでしょう。それは、さらに"足して"いけば良いのです。観光産業は足し算。何かを足すことによってお客様が喜ぶのであれば、アイデアを持ち寄りたいものです。
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›3 16, 2010
第1回ウナベツHappy Sessionご報告

去る3月13日、ウナベツスキー場で初めてのスノーボードイベント「第1回ウナベツHappy Session」が開催されました。強風でリフトの運行が見合わされる中、大勢の選手のみなさま、ギャラリーのみなさまに集まっていただきまして、大変盛況に終えることができました。本当にありがとうございました。
当日は僕の日頃の行いがよっぽど悪いのか、知床では厄介な南よりの強風が吹き荒れていました。リフトの運行も見合わせるとのことで、僕たちも一瞬、開催をためらいましたが、テントが飛ばされそうになったり、エアが煽られるような状態なら途中で中止にしようという判断で決行することに。圧雪車でテントやPA機材をパークまであげ、発電機でDJブースを立ち上げ準備万端。しかし、暖かい南風でみるみる雪が溶けていき、圧雪車で雪をかき集めながらディガーが手作業で整備をするという状態で、予定よりも1時間近く遅れて開会式。それでも、このセッションを楽しもうという選手やギャラリーの思いが伝わったのか、風は強いものの快晴の天気となり、文字通り「Happy」なセッションとなりました。

ディレクターの吉田さんからの提案で、採点はセルフジャッジ方式。主催者から配られたコインを選手やギャラリーが一つづつ持ち、最もよかったと思える選手に競技中に手渡しをするという心憎い演出。ギャラリーにも参加している感覚を与える、さすが世界中のスノーボードイベントを知る吉田さんらしい審査方法でした。
ゲストのプロライダーの滑りもさることながら、やはりこのパークに通いつめているローカルライダーの滑りは迫力がありました。採点は地元のライダーを中心にコインを集め、初代優勝は網走の方に。急遽駆けつけて下さった北海道新聞さんの取材に、このトップライダーの方が「勝ったことの喜びもありますが、いろいろな人と仲間になれたのが何より嬉しかった。」とコメントをされていたのが印象に残りました。お互いをリスペクトするよこ乗り文化あふれる素敵な時間でした。

短い準備期間にも関わらず、多くの協賛賞品をいただきました。吉田さんの声かけと影響力に改めて脱帽です。誰もが欲しがったのがバンクーバーオリンピックのハーフパイプコーチ陣がつけていたゴーグルストラップ。こちらはじゃんけん大会で、見事、地元遠軽のKIDS選手が勝ち取ってくれました。みんな、よい思い出を作ってもらえたと思います。
最後に、開催にあたってお手伝いをいただいたみなさま、スキー場のスタッフのみなさま、そして何より毎日毎日丁寧にパークを整備し続けてくれたディガーの二人に、大大感謝いたします。ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします!

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›2 26, 2010
Happy Session
3月13日に行われる"Happy Session"に向けて、ごくごく簡単にウナベツスキー場のホームページを作りました。
■ウナベツスキー場ホームページ■
http://www.unabetsu.jp/
このホームページは知床観光圏事業 にて作成しました
■第1回 ウナベツHappy Session 大会要項■
1.主催・運営 知床斜里町観光協会
2.後 援 知床観光圏協議会
3.協 賛 斜里町 斜里スキー協会
4.場 所 斜里町ウナベツスキー場 “よこ乗りハッピーパーク”
5.期 日 2010年3月13日(土)
6.競技内容 ハーフパイプ等を使ったセッションまたはワンメイクによるコンテスト
7.時 間 受付 9:00〜 9:30
練習 9:00〜10:00
競技開始 10:30〜
表彰式 14:00〜
8.参加費用 1,000円 (傷害保険料込)
9.種 目 ハーフパイプ等またはワンメイクを利用した演技
10. 賞 男女総合優勝者には豪華賞品
11.審 査 審査員による審査
12.申込方法 申込書に必要事項記入し、事務局まで郵送・FAX・メールをする
参加費は当日支払い
13.申込締切 2010年3月10日
—申込先—
■事務局 第1回ウナベツHappy Session実行委員会
〒099-4113 斜里郡斜里町本町29番地8
特定非営利活動法人知床斜里町観光協会 担当:青木
TEL0152-22-2125
FAX0152-23-6226
www.unabetsu.jp

ウナベツパークは大変ご盛況をいただいていていて、その影響だけではないでしょうがスキー場の入場者数も大幅に増えていると聞いています。身近なスキー場の活性化に少しでもお役に立てたことは嬉しく思います。
また、さらに嬉しいことは、パークが新しいコミュニティの広がりのなかで、ちょっとだけですが彩りを与えていることです。さまざまな方がBLOGや口コミでウナベツのことを話して下さり、それを見聞きして、さらに多くの方がウナベツに関心を持っていただく・・・そんな会話の中に「パーク」があることが、ウナベツスキー場を語る上での奥行きにつながっていることが何よりだと思うのです。


このパークの運営を語る上で欠かせないのは、久保君とかずや君というディガーの存在です。ディガーの2人の手による整備の行き届いたキッカーやハーフパイプは、見ているだけでもうっとりします。スキー場に現れた巨大なオブジェを見ているようですが、そこには「怪我をしないように」とか「みんなが楽しめるように」といった、文字通り丹誠が込められています。パークはどうしても入りにくかったり、近づきにくい雰囲気を作ってしまいますが、彼らのキャラクターがそれを許していません。誰もが楽しめ、土日には小学生たちが秩序良く楽しんでいる様子もしばしば見かけるようになりました。そういえば、ウチの保育所のチビも通いつめていて、キッカーでのジャンプは日に日に飛距離がのびています。

今回は"観光圏"という国の事業を観光協会が受託し、僕たちの手でプロデュースしたものですが、こうした人の温もりを感じるプロジェクトに育ったことが、何よりの収穫です。スキー場では多様なお客様に対応できるよう、新たなリフト券の発売や、スキークロスコースを造ったりと、これまでになかった動きがあります。「ウナベツスキー場は変わった」と町民として胸を張って言えますし、多くの人がそう感じてくれているようです。
エコツーリズムだけではない知床も、ぜひ!

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›12 10, 2009
地域スポーツと男気
Posted by Tatsuya at
18:05 /
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昨年予告しましたが、ウナベツスキー場にスノーパークを設置することとなりました。知床観光圏事業の一環で、言い出しっぺの僕が総合監督をまかされています。昨日から土木工事が始まりました。

›7 17, 2009
一人一人ができること?
Posted by Tatsuya at
14:00 /
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集会に参加してきました。
町長始め町関係者が来ていないので、怒りをぶつける先もないし、辞めると仰っている先生も会場にいないので、慰留してもらいたい気持ちを伝える先もなく、悶々とした思いが会場内を漂うかのような集まりでした。消化不良な感じが次につなげるときのモチベーションとなるか・・・というところです。
主催者の方針なのでしょうが「町民一人一人ができること」みたいなことがテーマとして流れていました。批判をしても仕方がない、私たちにもできることがあるはずだ・・・ということです。もちろんそれもわかりますし、その意志は共有できました。が、前にも書いた通り、それ以前の問題なのだと思います。
あたかも「病院存続の危機」のように言われていますが、栂嶺先生や野津先生のブログをご覧いただければわかる通り、こんなことで危機になっちゃうんじゃたまらんな〜と思います。「内科の勤務シフトは2人じゃどうにもならん。最低でも3人態勢にしてもらいたいが、1人が契約切れのため、この秋から野津先生1人の態勢になってしまう。野津先生は地域医療について強い思いと、男気で今まで頑張ってきてくれていましたが『悪いけどもうムリ』」と仰っているのです。この状況の中で、町の誰もきちんと仁義を切っていない。先ずはここが問題(っていうか、コミュニケーションの齟齬)なのです。町民に問題を投げかける前の段階のような気がします。
でも今回「もう続けられません」というチラシが斜里町から入ったことにより「お手上げなのか?」と僕たち町民は思いました。しかし、様々な話を総合して考えたり、ブログを見る限りでは、本当にお手上げなのかという気もします。どうにも釈然としません。
集会では、唯一の関係者であり斜里町の立場の病院事務長が現状を説明していました。その説明も、今回の事態に陥った経緯の説明というよりも、内部的な勤務シフトの話。「大変ですね〜」という感想はありつつも「ウチの会社は人使いが荒くて困っちゃいますよ〜」という、ボヤキの域を出ない印象しか受けません。蛇足ですが役場の人はこうやって仕事のキツさをよく話してくれます。「残業が100時間を越えるんです」なんて聞かされても、「大変ですね〜」と答えるだけ。愚痴をこぼしてもらうぐらいはよいですが、役場の人はそれを外部要因のせいにするので筋違いなのです。
この件についても、あたかもみんながコンビニ受診しているように言ってみたり、救急を呼ぶまでもないのに夜間の病院に押し掛けて、当直の医者に負担をかけているとか、お客様に対してなんて失礼なことを言っているのだと思います。僕自身はコンビニ受診とは思っていなくても、お医者さんから見たら「こんな症状ぐらいで・・・。」と思われるのかもしれません。でも、医者に見せて安心したいというのは、患者の心理です。
例に出すのも変かもしれませんが、僕の会社もひどいものです。繁忙期には拘束は朝5時〜夜9時なんてこともありますが、それを「いや〜観光客は早朝から遊びたいって言うから困っちゃいます」と言うわけがありません。言うまでもなく、お客さまや観光の形態に責任があるわけではありません。会社の中で何とかすればよい話であり、外部に話すことではありません。
今回は、内部の事情がよく分かりましたが、その内部的なことに関して「町民一人一人ができること」なんてありません。スーパーのレジ打ちが行列になるのを解決するために、僕ができることなんてないのと一緒です。町民にできることは、強いて言えば経営者である町長はじめ理事者のリコール・・・(お医者さんの知り合いに声をかける・・・みたいな協力は惜しみませんが、現実的とは思えません。)。でも勤務環境の健全化のための実務的な話でしたら、そこまでする必要はありません。あるとしても目の前の問題が片付いてからでしょう。しかし、今回の集会はそのような方向性ではなく住民の意識付けに重きを置いていました。住民は強い関心を持つに至ったので趣旨としては大成功だったと思います。この集会の落としどころとして、誰が経営の責任を持つかについては引き続き町に委ねられたのだと認識しています。
会場にいた一人のお年寄りが「先生がそんなに大変なら、負担を減らすためにオレは汽車に乗って網走の病院に行く。」と真剣に発言しているのを聞いて、涙が出そうになりました。やっとの思いで会場にかけつけたであろう一人のお年寄りに、こんなことを語らせる町は猛省してもらいたいと思いますし、早期に事態を収束させることを希望します。
さて、行政も病院もサービス業だということが言われて久しいですが、先日の五湖実験の例もそうですが、お客様がいる、喜ぶ人がいる、困る人がいる・・・という感覚を、行政セクターの人達には、これを機会に身につけていただきたいと思います。これがないので、町民への問題の投げかけもチグハグ。何を伝えなければならないのかが、まったくピントがはずれています。民間の僕たちにはあたりまえのことですが、CS教育を受けたことのない人にはピンとこないのでしょう。まだ、直近の問題が解決していないのですが、今後に向けて町職員へのCS研修(企業で行うような1年以上かけて行う研修)を開催していただくことを町長や議員さん達に提案します。
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›7 14, 2009
医師とブランコと想像力
Posted by Tatsuya at
11:48 /
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昨年こんなことがありました。チビが通っている町営の保育所の遊具が「耐用年数がきたから撤去します。」と、役所からお知らせがきたのです。「ブランコが無い幼稚園」を想像しろと言われたみたいで、一瞬絶句しました。想像できません。
今こんなことも起きています。町営の斜里国保病院の存続が危ぶまれているのです。以前、非常勤で来てくださっていた栂嶺先生のブログに、医師達の悲鳴に近い訴えと斜里町への叱咤、そして現状が書かれています。
→栂嶺医師のBLOG
余談ですが栂嶺先生は医師の傍らプロカメラマンとしても活躍されていて、自然だけじゃない知床の人の営みをきちんと捉えた『知床開拓スピリット—栂嶺レイ写真集 』を出版されたことでもわかる通り、人間愛に満ちた素晴らしい方です。僕も溶連菌に罹った時にお世話になり、また本や活動について感銘を受けてお手紙を出させていただいたご縁で、事務所に足を運んでくださったり・・・といった関係を作らせてもらっています。
彼女のBLOGの中でこのようなことが書かれていました。
(以下引用)
斜里町を見ていて、最も欠如しているのは「想像力」だと感じます。「自分以外のもの」に対する想像力。「今以外」を思い浮かべてみる力(未来を想像する力、過去を思う力、目先のことではなく)
想像力の欠如は、すなわち、国保病院や、そこで苦労して働いている人々、常勤医師たちへの思いやりのなさとして表れてきました。そして今、病院の枠からはみ出して、町民自身や子供たちへの思いやりのなさに変わろうとしています。
(引用終わり)
栂嶺先生は、役場や理事者が動かないので、町民が動かせ!とハッパをかけてくださっています。実際にさまざまな動きが出てきていますが、一方でライフラインを住民運動で維持することに対して違和感を持つ人が多いのも事実です。それは、冒頭の「ブランコが無い幼稚園」を想像するようなことことを、仕事をしないだけの行政のために住民が強いられることに対しての怒りがあるからです。
斜里町の役場職員は良くも悪くもとてもマジメです。否、行政マンならあたりまえのことなのかもしれませんが、「公僕は一部の意見で動くわけにはいきません。」と真っ当なことを僕たちに言ってきます。でも「保育園にブランコが無くなることはオカシイ」という意見は、僕一人の意見ではないですよねえ・・・。声を出さなくても、「え?それがフツーでしょ」という感覚だけで僕たちは暮らしています。きっと、役場の職員だってそう思っているはずです。家に帰れば奥さんに「あんた何とかしなさいよ!」と言われているにちがいありません。ブランコを撤去するにも、新設するにも、補修するにも、どっちにせよひと仕事なんだから、先手を打って動いたって誰も文句は言わないはずです。だけどやらない・・・。同じように病院の建物はあるけど医者がいないなんてことも、僕たちは夢にも思いません。それが「フツー」だからです。だけどやらない・・・。
やれないのか、やらしてくれないのか、やる気がないのか(そんなことはない印象です)、やる能力がないのか(これもないと思います)、僕たち住民には全く理解ができません。多くの職員とお付き合いしていると、やる気に満ちた職員が「やれない」何かがあるという印象を受けています。でも、わかりません、確かめたわけではありません。
お役所は僕一人の意見に対しては「いや〜」とか「あ〜」とかはぐらかすだけなので、結局は要望書を提出します。ちょっとした運動です。保育所の遊具については、耐用年数がわかっているならそれにあわせて何らかの対策をとったり、お金がないなら例えば基金を募るとか準備ができるはずです。もちろん役所の人が来た説明会の時には、そのことも住民の怒りとしてぶつけていますが、最終的には父母の会の名前で要望書を出します。自治会にも後押しをお願いしたり・・・と、これぐらいのことですが一住民としては大変な手間の運動をします。でも、要望書を出してしまった時点で、そのような「事務機能の不全」という問題の根幹はどこかへ消え去ってしまい、「作ってください」「はい出来ました」という関係ができるだけです。子供は喜び、役場の担当者にはちょっとした達成感が残るでしょう。でもまた、新しい遊具の耐用年数がきたら同じことが起きるかもしれません。だいたいが3年で卒園していってしまう父兄達が、その耐用年数を気にして暮らすわけにはいきません。また、そのときに僕がやったような運動を別の父兄がやるとは限りません。そんなときのために長い視野で住民の暮らしを守る、プロとしての行政の担当者がいるわけです。それがすっかり機能不全なのです。
「意識の問題」というより「役場内の業務改善の課題」なのですが、放っておいている住民が悪いと言われます。確かに僕の身の回りも、「アイツはオレの親戚だから」ぐらいの理由で、追及をしない人を大勢見ます。僕の周りでそうなのだから、斜里町民は何もしていない・・・と言われても仕方が無いほど、馴れ合いなのだということは容易に想像できます。そういう意味で「住民がうるさく要望しているから、動いてやる。」という口実が役場と親戚の住民の方のメンツには必要なのかもしれません。そして住民は運動をするのです。ライフラインの維持に運動ねえ・・・とは思いつつ・・・。
このように斜里町では何でも運動をしなければ動いてくれません。もう慣れっこです。栂嶺先生が仰るように住民から圧力をかけなきゃということが実はもう恒常的になっていて、それがかえって行政のプロ根性に甘えを生ませていると思っています。住民から要望があがってくるのもプロセスのうち。そんな状況を作ってしまったことを、僕は住民として反省しています。今回の医師の問題もブランコの例も根っこは同じです。人の命と遊具を一緒にするなと言う声も聞こえてきそうですが、僕が言いたいのはそんなに大げさなことではなく、フツーの住民がフォローしきれない超長期的な仕事を、行政がフツーにこなしていれば、こんなことにはならなかっただろうということです。単なる事務処理の機能不全です。4年後に契約が切れることがわかっているなら、医師の補充、それができないなら新たな体制を考える、それ以前に現場の業務改善なり、無理を強いているのであれば礼を尽くすなど、あたりまえの仕事をチャンとしてよ、ということに尽きる気がします。
さらに、「今、医者がいなくなろうとしているのに、責任論を言ってどうする!そんなことを言う前に医者を探してこい!」なんていう声も聞こえてきそうです。実際に現場を切り盛りし、今回自身の辞表を持ってこの問題を町に問うている院長先生に至っては、本当に気の毒・・・としか言いようがありません(野津先生の日記)。そして敬意を表します。しかし、それでも僕はプロがいるならプロが仕事をするべきだと思います。時には住民運動も良いかもしれませんが、特にライフラインやインフラについては行政の行政たるゆえんのような仕事の領域でしょう。しっかり仕事せい!という意味も込めて、突っぱねるのも町民の役目だと思います。
ま、でもさしあたっての要望書は出すのでしょうが・・・これがいけないのです・・・。
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›6 19, 2009
夏のホワイトゲレンデ
Posted by Tatsuya at
23:07 /
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誰が植えたかの、ウナベツスキー場に白い菊が咲いています。
以前からお知らせしている「知床観光圏」の事業で、僕が担当ではないプロジェクトの一つに「ウナベツスキー場を花で埋めよう」というアイデアが出ています。今日は、そんなスキー場に関わるプロジェクトを担当する人が集まっての会議があり出かけてきました。
「冬になると毎日、圧雪車で踏み固められるような場所でも育ち続ける多年草なんてあるのか??」と、花植えプロジェクトの方々は頭を悩ませていましたが、「ねえねえ、あそこ、花咲いてない?」とゲレンデを登っていくと、そこには真っ白なお花畑が。何でも、以前から町内のある方が、毎年この一角で花を植えていたとのこと。あーでもないこーでもないと悩んでいた花植えプロの面々は拍子抜けした様子です。
花を植えた方に聞くと「スキーが大好きなので夏もゲレンデが白かったらいいなあ。」という思いで植えていたのだそう。その方のノウハウを活用させてもらいながら、さっそくこのプロジェクトが動き始めました。
こういったことを、最初にさらりとやってしまう人って、つくづく素敵だな〜と思います。
会議ではアイデアは出ても新しい行動は生まれません。調整抜きのたった一人の行動が、物事を動かすのです。アイデアも口で言っている間はあまり意味を持ちません。やっちゃうことが大切なのです。
僕のプロジェクトも延々続くかのように思われた顔合わせのような会議はほぼ終わりました。あとは、ヤルだけ。詳細が決まりましたらお知らせしま〜す。
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›5 15, 2009
春の風物詩です
Posted by Tatsuya at
15:44 /
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ちょっとわかりにくいですが、これから設置するマスの定置網をこうやってクレーンでぶら下げて修繕している風景。何でもない光景のように見えますが、この時期にしか見られない風物詩です。ウトロの新港の工事が進むにつれて、世界遺産センター横でとても見やすくなりました。
そもそも、こんな高価そうなクレーン車を漁場単位で持っていること自体が個人的には驚きなのですが、それがこんなに何本もそびえている様子は圧巻です。早くも夏のカラフトマスが食べたくなってきました。
›4 26, 2009
オーガニックな時間と観光圏
知床(斜里町、清里町、標津町、羅臼町)は観光庁より平成21年度新規観光圏整備実施計画の認定対象地域に選ばれました。昨年末から怒濤のような会議と事務局が精力的に資料作りをこなしてくれ、何とかこぎつけたものです。僕も自分が企画を出した5つほどのプロジェクトを担当することになると思います。
その知床観光圏の事前打合せで網走へ。5つのプロジェクトのうちの1つ、「ホーストレッキングルート(パブリック・ブライドルウェイ)の開発」です。詳細が決まりましたらまたお知らせしますが、今日お話ししたいのはそのお手伝いをお願いする高谷弘志さんです。
高谷さんとは古いおつきあいで、僕が知床に来たばかりの頃、そして彼がJTBの支店長だった頃にさかのぼります。当時まだ事業をはじめたばかりで、観光業界のことがよくわかっていない僕にいろいろと指南していただいた一人。そんな彼はその旅行業界の中にありながら、業界のオルタナティブを明確に僕に示してくれていました。つまり「発地型から着地型へ」という、今、もっとも注目されている流通革新の必然性を当時から唱えていらっしゃいたのです。
現在の旅行業界は旅行会社にとって多くのお客様がいる旅行の出発地のニーズを吸い上げ、それに合う旅行を現地と一緒に作っていくという「発地型」の旅行商品流通が主流です。「一緒に作っていく」と言うと聞こえが良いですが、結局はお客さんのニーズに合わせて現地の受け入れを変えていくことになるわけで、場合によっては地域の文化や生活を無視した商品が出来上がってしまうことが問題を引き起こしています。例えば都会の人が誰でも憧れるであろう、TVに出てきそうな漁港で捕れたての魚の入った鍋を現地の人とつつく・・・みたいな食事を期待されても、地元ではああいったシーンははっきり言ってよっぽど特別な時にしかありません。それはそれはとても特別で、縁起を担いでいるのでそうそう簡単に旅行者を受け入れることができるものではありませんし、マネごとをやると魂を売ることになります。
ここまで深刻なことではなくても、例えば旅行会社が画一的に行うアンケートは良くも悪くも地域サービスの違いを均一化し、北海道で言えば「海の無い山奥のホテルでもカニが出る」という事態を引き起こしています。これは、受け入れ側にも問題はありますが、つまり出発地の発想ではあまりにも情報の精度が低く、各地域の習俗を反映することができないという反省が、今、旅行業会を「着地型」に転換させようと言う動きに結びつけています。
高谷さんは、まだ「着地型」という言葉が無かった当時に、「旅行会社の支店の仕事は、近郊の旅行者が東京などに行く出張パックを売るのではなく、地域の情報を集める機能と、それを地域の現状にあった商品として作り上げ、それを東京などの発地にホールセルするべきではないか。」と、地域のホテルやアウトドア施設を隈無く回り、支店がパッケージした商品を発地の本店に売ろうとしていました。これは、まさに今、研究者や業界が模索している大型エージェントの着地型モデルの典型です。これをやるしか、今ある大手旅行会社は生き残れないと言われていますが、高谷さんはそれを支店のレベルで15年も前からやっていたのでした。
しかし彼は「50歳まで自分が生きていたら、人生を変えると決めていたんだ!」とあっさりJTBを退社し、同時に札幌から家族を呼び寄せ網走に移住。50坪の家庭菜園や鵜骨鶏の肥育、果樹栽培などを行いながら、旅行業の経験や乗馬、カヌーと言った趣味・幅広い活動を活かし「広域的なひとづくり・まちづくり」に日々奔走しています。そんな高谷さんとは、2004年に一緒に「東オホーツクシーニックバイウェイ」を立ち上げ、観光のオルタナティブを迎え撃てるだけの地域力をつける取り組みを進めてきました。生活がベースにあることは、地域の実情を肌感覚として理解できます。まだまだですが、こうして観光庁の事業をこなしうるネットワークができているだけでも成果です。
でも、高谷さんも僕もやることが早過ぎるキライがあります(苦笑)。実は、知床でのホーストレッキングも以前からやっていて、一度「女満別空港から知床に行くまで2泊3日かかる、馬と自転車と歩きのツアー」をやったことがあるのですが、環境にもチョー優しいこの企画、誰もが大絶賛でしたが、同時に誰もが「これじゃあ、商売には向かないな。」と、もろくも一度きりの企画でした(僕にはこういうやって消えていった企画がたくさんあります(涙))。そんな湯水のように溢れ出るアイデアを、二人で話している時間はとても幸せな時間です。
打合せは早々に、高谷さんの土地の元地主さんの農家を訪問しました。網走のはずれの名も無い谷に、とてもとても手入れの行き届いたサクランボ畑が広がっていました。パラボラアンテナのような、太陽の光を効率よく浴びるカタチに美しく剪定されたサクランボの木は、その地主さんを慕って集まる多くの人によって、長い年月をかけ手入れされてきた品格のようなものが漂っていました。高谷さん自身も時々、手入れを手伝い、枝を焼き、そこで集まった人達とお茶を飲む時間を大切にしているそうです。
そんな、オーガニックな時間からパワーの源は生まれます。観光圏という事業が、ここに暮らす人のライフスタイルから滲み出るようなもてなしへと発展しますように。
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›2 06, 2007
岩手県田野畑村のエコツーリズム
Posted by Tatsuya at
22:12 /
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昨年から、陸中海岸国立公園の田野畑村という小さな村のエコツーリズム立ち上げのお手伝いをしています。

この村での取り組みのことについてはなかなかBLOGで書く気にはなれませんでした。この村の素晴らしさを限られたスペースではとても書ききれない、というのが本当の気持ちだからです。それを人々に伝えていくという、ある意味"運動としての"エコツーリズムを表現し尽くすには、やはり村から託された3年ぐらいの時間をかけなければ不可能だ・・・ということが根底にありました。

PHOTO : ARITO
この村には、奇跡的ともいえる日本の漁村風景が残っています。その名も「机浜番屋群」。田野畑村の観光地と言えば有名な北山崎がありますが、初めてこの村を訪れたときから、僕はこの番屋群にしか関心が向きませんでした。
ここの番屋は"生きた番屋"です。北海道のように機能的で大規模ではありませんが、田野畑村の家族単位の小さな漁業を象徴するかのような小さな番屋が、寒風の中にそれこそ身を寄せあうように佇んでいます。建物は古くなっていますが明らかに廃屋ではありません。今でも使われている「現役」にしか出せない逞しさが、そこを見る人の内面に飛び込んできます。それが何ともいえない魅力として光っているのでした。

その"光"は田野畑村の人や暮らしにもあてはまります。田野畑村の人達は、本当にのんびりとしていて、景色の中にスッと溶け込むような優しさを持っている人ばかりです。自然と対峙している・・・という印象は全く受けません。それは、険しい崖や深い谷、そして海といった自然環境と折り合いをつけざるを得ない三陸の厳しさが、自然と彼らをそうさせているような気がします。当初、村が話していたような「体験型観光で雇用を創出したい。ついてはガイド事業を定着させたい。」というだけで終わらせるのではなく、こういった地域の風景や人が醸し出している、何ともいえない魅力そのものを損なわないように観光を通して経済効果を生みつつ、地域の人達がムリを感じず長続きさせられるような程よい高揚感を地道に醸成していくことを同時に行うこと・・・僕はここにコンセプトの根っこを据えました。その魂が「机浜番屋群」なのです。

PHOTO : ARITO
僕は、全てのツアーのメインコンセプトを「番屋」に据え、このプロジェクトのタイトルを「番屋エコツーリズム」として既存のツアープログラムを整理しました。それは田野畑村の人達にとって予想外のことだったようです。実は僕がこのプロジェクトに関わる以前から、田野畑村では有志の方がガイドを行っていました。ご本人たちは高齢であったり、方言が強かったり対応が洗練されていないことを非常にコンプレックスに感じておられて、知床のガイド屋さんがそれを改善しにやってきたと思っていらっしゃったようです。しかし、現実はコンプレックスどころか、田野畑村の魅力をそのまま醸し出している素晴らしいガイドさんばかりで、月並みな言葉でいえば「ほのぼのとした」「味のある」ツアーをすでに実践されていたのです。

僕はこの「味」がそのまま魅力だと思ったし、僕の感じていた「番屋エコツーリズム」のコンセプトにピッタリとはまっていたので、極力それぞれの個性を消したくないと思っていました。そこで、自信をどうしても持てないご本人たちにサブガイドが同行し、そのサブガイドがお客様の立場に立って質問し語りを引き出すなど、田野畑独自のスタイルを採用する試行錯誤を加えています。他にも、ビジターセンターの展示整備や番屋でのちょっとした料理をツアーで提供したりするなどの味付けをはじめ、村が経営する第3セクターの宿泊施設と連携をとりながらの営業体制の強化、そのための営業ツールの作成等々さまざまなサポートを行っています。

そして、もう一つ大切なことはこの番屋を守っていこうと活動をしている地元のグループの存在です。日本中に番屋は存在しますが、陸中海岸の険しい崖と海という生活環境が生んだこの地の「番屋」は実はそれだけで「文化」なのです。そんな文化を"ハンモウド(海・浜の民)文化"と呼び、その文化の継承のために机浜番屋群の所有者や自治会などが中心となって、「郷友クラブ」という市民グループを立ち上げました。「番屋エコツーリズム」はいわば彼らの思いをツーリズム(Tour=旅、ism=主義, 思想, 学説, 理論, 様式)という運動論に置き換えた一つのカタチと言っても過言ではありません。
彼らが貴重だと思っている文化とはどんなものでしょうか。例えばこんなことがありました。先日、このプロジェクトのワークショップにアドバイザーに出かけときのことです。僕が現地に出かけるという直前に「『口開け』が近づいているので、もしかしたらワークショップ自体が開催されないかもしれない。」との連絡をもらったのです。こんなドタキャンは普段あまり出会う機会はありませんが、「口開け」とはそれほど特別なものなのです。
「口開け」とは、田野畑村の漁師たちが資源を根絶やしにしないように漁の日を決めるという自主的なルールです。こう書くとどこの地域にでもありそうですが、自給自足に近い小さな漁業を営んでいる人にとっては、この年に数回の「口開け」はとても重要な収入源なのです。特に「口開け」の中でも「アワビの口開け」はさらに特別なものです。値段も高価なアワビは密漁も絶えず、かつて資源が枯渇していっていました。それを村や漁協が自主的に管理するようになり、年に数回に限り小舟で獲ることがでることにしたのです。
「口開け」の日程は、毎年、持ち回りで担当者が決めるそうなのですが、晴れていて海底までよく見渡せる凪の日を選ぶのだそうです。11月の下旬から1月の下旬の間に4回ほどしかないため、その時期の田野畑村の漁村はどこかそわそわした雰囲気となります。そして「明日は口開けだ!」となると村中に放送が流れ、家族の中で休める人は普段の仕事を休んでこの「口開け」に臨むのです。

「口開け」はまさに文化なのです。普段はサラリーマンだけど、「口開け」の日だけ漁師という人に何人も出会いました。田野畑村の自然が作り出したこの地域独自の働き方なのです。「自然と共生」なんて言いますが、本当の意味で自然のリズムに合わせた暮らしをしていくのであれば、こういった柔軟な生き方が重要となってきます。ちなみに僕も自分の事業や暮らしを自然と同調させたいと思っていますが、さまざまな人や環境との関係の中で育まれる事業において、それを実現させることは現実には難しいと言わざるを得ません。一方で、やはり「エコの時代」などと叫ばれているなか、自然の持つ不確実性や不安定性を自分たちの生活様式の中に反映させることが見直されてきています。「LOHAS」なんていうエコライフスタイルが意識され始めたのも、そのためでしょう。田野畑村はそんな近い将来のエコなコミュニティのあり方を示しているような気がします。暮らしている本人たちは気がついていないのですが、実はすごい事例のような気がします。旅行会社が気にする「旅行業法」上では、こんな不確定な要素を商品に盛り込むことは一切許されません。しかし、こうした不確実性が認められないことによって、自然の条件に合致した観光が日本には根付かないと言わざるを得ません。現状では代替プログラムを用意するという体制をとっていますが、僕は年に数回しかない「口開け」の機会に対面できることのかけがえのなさを、堂々と来訪者に伝えることができるようになることが、田野畑村のガイドの姿のゴールなのかなと思っています。お客様の急な日程変更を特別なものとして演出するガイドの技術・・・。これは、Shinraで気象条件が悪いときなどに適用していますが、ガイディング技術の中ではかなり高度な技術であり、おもてなしの心としてはある意味究極の姿でもありますので、かなり先の道のりは長いと思いますが、僕たちはその下地作りをしています。
番屋群は何も僕が取り立てて話題にするまでもなく、今までもカメラマンや画家、そしてさまざまな研究者が取り上げ、その価値はひろく認められているところでした。折しも農水省が「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」として机浜番屋群を選び、保全に向けた機運もさらに高まってきました。しかし、そうは言っても、人が造ったものですから放っておくだけでは壊れていってしまいます。ましてや、すでに使わなくなって放置している大家さんもいれば、今なお現役で使用し、屋根を葺きなおすのにどんな素材や色でやるべきか、と気にかけてくれる持ち主もいます。そこで、机浜の地域の人達が中心となって保全していくときの不都合や、行政への希望をヒヤリングし、保全対策の協議会を作っていくことで調整がはじまりました。こうした動きが生まれてきたことは、とても喜ばしいことだと思っています。また、充分な調理設備が無いために実際の番屋では浜料理を出すことは難しいため、遊休レストランを活用した取り組みが始まるなど「番屋エコツーリズム」の波及効果が生まれてきています。現場のスタッフや役場の職員が走り回ってくれたおかげで、旅行会社も関心を持ちはじめ、年々契約が増えていっています。おおよその上限の人数はすでに設定しているので、将来は景観条例や地域の申し合わせを使いながら、やんわりとした人数制限ができるようにしておくような道筋だけは残しておきたいなあと思っています。

結局、先日田野畑村に行ったときの仕事はキャンセルになってしまいました。この日はアワビではなく「ショイの口」と呼ぶものでした。「ショイ」の意味を聞いてみると「磯や浜」みたいな意味で、岸の岩などに張り付いた海苔やフノリをとっても良い日だったようです。「ショイの口」はアワビのときのような殺気立った雰囲気はありませんが、大勢の人が解禁の9時から潮の様子を見ながら、フノリなどを獲っていました。キャンセルになった時間を使って、そんな田野畑の風景を取材していると、一人のおじいちゃんが声をかけてくれました。「オレは漁業権がないから様子を見に来ただけ。でも、これは季節もんだからね〜。来ないと気がすまないんだ。」と笑っていました。
「ショイの口」の田野畑村の浜はとても穏やかで、それぞれの漁師たちは静かに作業を続けていまいした。その作業や準備はとても大変なのでしょう。でも、岩と松で象られた磯の風景は、やっぱり「日本の漁村の原風景」というのがぴったりです。この時間に身を置いたときの心持ち、その心穏やかな心境で物事を考えること、ちょっとだけエコのこととか、経済のこととかを考えてみちゃうことは、旅人にとって悪いことではないと思います。そんなきっかけを「番屋エコツーリズム」が作れればなあ・・・と思っています。みなさん、知床ばかりでなく岩手県の田野畑村にも是非足を運んでみてください。
体験村たのはた「番屋エコツーリズム」ホームページ
田野畑村雇用創造推進協議会

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›12 08, 2005
子供を守るということ
Posted by Tatsuya at
11:27 /
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子供を守るのは、親の役目だと思う。学校だとか地域だとかいう前に…。
今朝の新聞で、どこかの地域のシルバーを活用した安全策が紹介されていた。素晴らしい取り組みだと思うし、少し前の地域社会には本来備わっていた機能だろう。でも、カミサンと話していたのが「やっぱりジジババが子供の面倒見るんだよね…。」とため息をつく。
もちろん我が家も人のことをいえないほど祖父祖母には多大にお世話になっている。そうは言っても実家が遠く離れているので、自分達で何とかするしかない。そういう状況におかれていると見えてくるものもある。
子育てのかなりの部分をジジババに頼っている親が意外と多い。その家庭で納得済みなのだから良いのかもしれないが、ひどい人はひどい。この風潮が世の中に蔓延していないか…としばしば心配になる。
別の例で言うと、国や行政も出生率の低下を問題にしてその課題として「子育て支援」を挙げる。しかしその対策としていつも出てくるのが「働く女性の子育て支援」だ。
女性に働くなといっているのではない。が、共働きは子供に負担を強いる。どんなに素晴らしい保育施設に入れても同じことだ。親の代わりは誰にもできない。その子供に与えている負担分の埋め合わせは親がしろよ!と思う。ジジババに見てもらう以前に…。
僕は子供ができる前は「子供なんていらない」と言っていたクチだ。しかし、子育てをするようになり、新しい視点を広げてくれる子供の存在をかけがえのないものとして感じるようになった。たぶん男としてはかなり子供と接している方だと思う。そんな僕が必要性を感じている「子育て支援」は、女性が働かないで子育てに専念できる環境づくりと、男が子育てをしながら仕事をしやすくする環境づくりだ。
こういう"男と女の話"はいくら話しても話はかみ合わない。視点が違うから。しかし、いろいろな施策を考えている人たちは女性も含め「働く人」たち。働かないという選択肢とそちらからの視点をもっと入れるべきだと思う。
そして、働いている人たちは自分の子供を守ることを人に任せないでほしい。先進国で子供の送り迎えを親がしない国は日本だけだそうだ。
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›8 21, 2005
「移住者」と「原住民」
先日の家族での出演の番組のビデオが送られてきた。知床ではテレビ東京系列が写らないのでスーパーテレビジョンの藤井さんありがとうございました!助かりました。!
このテレビでは、沖縄と北海道のそれぞれ3組の「移住」者のライフスタイルを紹介する番組で、それぞれ魅力的な方々が紹介されていた。みんな、一生懸命生活されていて子供達も楽しそう。大いに刺激を受けた。
一方で、やはり「移住」という言葉には個人的にはとても違和感がある。また、それぞれのご家族を、地域において"受け身な存在"として扱っていた点が気になった。例えば、「近所の人が遊びに来て"くれた"」みたいなナレーションのし方。実際には遊びに"来た"に過ぎない。「移住者」は常に何かをしてもらう存在というステレオタイプ。そんな人間関係なんて長続きしない。
「近所」のよしこさんがインタビューを受けたとき「え~藤崎家が『移住者』だったら、アタシ達は『原住民』!?そりゃあ変だよ~」と笑っていた。でもほとんどの人はこういう感覚を持っているんだな~と正直ビックリ。
実は僕達はコメントの中で「移住じゃなくて住みたいところへの『引越し』」と言いなおした。その部分は放映されなかったが、実は僕達が、この番組のテーマに対して最も伝えたいのがこれだった。イナカから東京に引っ越す人がいるように、東京からイナカに移っただけ。でも、この番組はずっとカギカッコつきの「移住」像を追っていたので、我が家はちょっとミスマッチだったような気がする。
僕は「よそ者の風」みたいなことは意識はしても、場所と人を一緒くたにとらえた「移住者」-「原住民」という構図で物事をとらえたことはない。人と人とのお付き合い。それが全て。そんなことはわざわざTVで話すようなことではない。
人は太古から移動を続け、それぞれが住みたいところに住んでいる。土地所有の概念がない頃は勝手に住居を定め、土地所有や国家の概念ができてからは、戦争の末に居住場所を決めてきた。それだけだ。しかし、人と人の関係に違いがあるとすれば、伝統や文化そして個性の相違だ。それを認め合うことと学びあうことがカギカッコつきの移住者の唯一の心得かもしれない。
まあ、バラエティ番組ではこんな話は重過ぎだ。オレって、ちょっと小難しいな…。最近そんな自分がイヤだ。
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›8 07, 2005
暑い暑い知床でのここ数日
いろいろなことが一気に押し寄せすぎ。
小野先生や結城さんに誘われて二風谷の先住民族フォーラムに出席。結城さんがかねてから紹介したいといっていた、ニュージーランドの先住民族=マオリの若きリーダー、アイザックと会う。ん~確かにいい男!NEOSの荒井さんも来ていて、なんでも留学先でアイザックと同級生だったとか。
小野先生からも二風谷の多くの人を紹介してもらう。みんな、ウチの西原がお世話になった人たちばかりで、「お蔭さまで」と「ヤツによろしく伝えておきます」を繰り返す。西原はとても温かく二風谷に受け入れられているなあ…感心感心。
以前から、田口ランディさんを通して間接的に存じ上げていたアシリレラさんとも会う。二風谷から車で20分ぐらいはなれた場所で、伝説的なイベント「1万年祭」の準備をしていた。たまたま焚き火をしていたので、その煙で場所がわかる。のろしだ(笑)。何でも会場に産業廃棄物が不法投棄されていて、彼女はそれを一つづつ手で拾っていた。僕も手伝いながら話をした。噂どおり肝っ玉かあちゃん。決してシャーマンには見えない。「ああ、あんたもアイヌだね。」とあっさり断言されるとちょっと嬉しい。夜はレラさんの別荘に妹さんの裕子さん、豊岡さんと一緒に泊めさせてもらう。
翌日は分科会があり、貝沢耕一さんの沙流川と二風谷ダム・平取ダムの話がとてもわかりやすかった。千歳空港に行くときに毎回このダムの上を通るのだが、いつも濁って流木だらけなのが気になっていた。土壌の質と伐採が原因のようだ。レンタカーで千歳まで帰るが、沙流川も鵜川もちょっと土砂がひどい。この上流の伐採はちょっとひどすぎるんじゃないのかな~と容易に想像がつく。
息子が水泳少年団の強化練習とのことで、昨日今日とかなりの泳ぎこみをしたそうだ。その打ち上げもかねて、コーチたちが焼肉パーティを企画してくれた。女満別からの帰りその会場で家族と合流。
家に帰ると、そういえば今晩、我が家がTVに出ている日だった。テレビ東京系なので知床では見られないのだが、よくある「イナカ暮らし」的な番組。ウチはいわゆるステレオタイプな「イナカ暮らし」をしているつもりはないし、だいたいスローライフでもない。おまけに部屋の掃除もしなきゃならないので(笑)、さんざんお断りしたのだが、熱心なディレクターの方がこちらまで出向いてお願いされ、渋々受けた。1日密着していただけあって、20分ぐらい出ていたそうだ。「見たよ~」というものすごい反響の電話。久しぶりに声を聞く人ばかりでおかげで元気をもらいました。みんな連絡ありがと~。
訃報。僕がウトロでとてもとてもお世話になった方がさっき亡くなった。ウトロでもかなりビッグな人なので、この時期のお葬式ということもあり、ちょっと大変だ。僕も明日からはお手伝い。開拓2世。いろいろなことを聞きたいと思っていたときだけに、残念…。
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›7 12, 2005
先住民族エコツーリズム〜モデルツアー
モデルツアー当日、前の晩OKIさんのライブの打ち上げで全員飲みすぎみんなが起きられるか心配したが、さすが今日は気合の入り方が違う。僕もポンペさんに頼まれた伝統的なハーブティーを煎れ、資料をコピーしてから集合場所の酋長の家に駆けつけた。
心配していた空模様もちょうど良い程度の曇り空で、絶好のモデルツアー日和。参加者は東京から6人、地元標津から2人、網走から1人、札幌から1人で定員一杯、それと同じぐらいの数の関係者と報道陣というアットホームな雰囲気。僕の方からスケジュールのご案内と注意事項などの事務連絡、そして代表である梅沢さんの挨拶、皆さんの簡単な自己紹介を終えて、早々にポンペさんにバトンタッチ。
さっそく、「今日一日の無事を祈ってお守りを作りましょう」とポンペさんが予め用意してくれていたヤナギで作ったミニチュアのイナウのようなものと、中空の茎、麻ひもを各自に渡し、かわいいネックレスを作った。ステキ。
車に分乗して先ずはチャシのあとに向かう。チャシから少し離れたところがスタート。ここから見ると海岸線にあるチャシの特徴がよくわかる。そして、振り返ると、海岸線には多くのチャシがあることも一目瞭然だ。
これから向かうチャシの上はとても狭そうに見えるが、20分ぐらいいたつもりが1時間もたってしまうような何だか時間軸がズレているような不思議な場所。戦争にも使っていたような砦のあとでもあるので、登るには少し苦労がいる。登ってまもなく黒曜石の矢じりを見つけた。あまりのGoodタイミングに「仕込んであったんじゃないの〜?」という冗談が出るほど。違うって〜!
登りはかなり急なので、前日中に西原君がザイルを張ってくれた。でも参加者からは、「登りにくいなら登りにくいでいいじゃない。ザイルとかはなくてもいいよ。」という意見と「と〜っても助かった!」という両方の意見。いずれにしても登るのにはちょっと無理がある。
登りはじめにポンペさんはそこらへんにたくさん生えているイタドリを切って、ひとりひとりに笛を作ってくれた。「クマが来ないように、みんなで吹きながら登りましょう。」切った長さによって音が違うので、ピーとかポーとか鳴らしながらがけをよじ登る集団はとっても異様で笑える。加えて、ときどきポンペさんがエゾニュウで作ったディジュリドゥで「ヴウォーッ!」とやるので、笑いが止まらない。すでにポンペワールド。
登りきるとそこには下から見上げたのでは想像もつかないぐらいの広い森が広がっている。高度にしてだいたい55mぐらい。100mは登ってきたような気分だ。ポンペさんは、これから先祖の家々に土足で入り込むわけだから、そのお詫びと道中の無事をお願いする意味でオンカムイ(祈り)をしましょうと、その所作を全員に指導する。いつも思うけど、この動作って本当に北海道の自然にぴったり。僕は、何かと個人的にもオンカムイの所作をするが、ホント涙が出るほどステキな動きだ。
チャシには竪穴式住居のあとがたくさん残っている。深いものだと2m近く掘り下げてある。その穴の真ん中には必ず石が複数置かれていて、ポンペさんは「かまどのあとだと思う」と言っていた。きちんと玄関があった場所から、5人ずつが順番に住居跡に入る。関係者は報道陣は入らなかった。周りから眺めていると5人の輪でポンペさんが何を話しているのかは全く聞こえなかった。でも、何だかそれぞれのグループごとの秘密のようで、ちょっとうらやましい。何の話をしていたの?
ツアー中盤、ポンペさんが「かつては恐らく広場にしていた…」という場所で、アイヌ民族に伝わるハーブティーでティータイム。シソ科の植物を乾燥させたものを煎じて、渋み付けにキハダの皮を少し入れただけの簡単なもの。冷たいのと暖かいのを両方用意して飲み比べてもらう。ん〜どちらも美味!
そのあとは余興のようにポンペさんの楽器演奏や(トンコリや太鼓持参…というところがお茶目)質問コーナー。とても深い話までできて楽しかった。
昼食をはさみ、午後はワークショップ。ポンペさんは、流木でトンコリを作ろうと初日に木を海岸で拾ってきた。そして、何と酋長の家の梅沢さんの奥さんもアイヌキルトを教えてくれることになった。ハワイアンキルトの人気が高いこともあり、女性から「アイヌ刺繍がやりたい」という要望をよく聞いていた。梅沢さんもずっとやりたいと思っていたとのことで、ちょうど材料が全てそろっていたところで、とても喜んでやってくれた。ポンペさんのアイデアで酋長の家の前でやっていると、案の定、見物人がたくさんやってくる。参加者はちょっと優越感。出来上がった作品は素晴らしく、特にトンコリは壊さないように空港でも持ち込み荷物にしていたが、それを手にしている姿がとてもかわいかった。ウチのツアーでもしばしばやるリースを持ち帰るときのよう。ステキなお土産。
かくして、3日間のイベントは無事に終了。同時にアンケートが集まってきているが、いろいろな課題も持ち上がってきている。これから、徐々に作り上げていくこと、そしてそれ以前に多くの先住民族と課題をシェアすること、そして祈りをささげることの全てに取り組んでいかなければならない。
ご意見お待ちしております!
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›7 07, 2005
先住民族エコツーリズム〜“魔”
小野先生を中標津空港で迎え、シンポジウムの会場である知床グランドホテルに到着すると、大学の軽音楽部のような大音響が駐車場に響いていた。そういえば、結城さんたちの車にアンプがいくつも積まれていたけど、今日使うやつだったのか〜
リハの会場ではすでに結城さんたちはハイテンション。打ち合わせに打ち合わせを重ねたワリに、当日やることが何なのだかさっぱり把握できていない。どうやら、シンポジウムのときにライブやポエトリーリーディングをやりたいとのことだった。小野先生もすっかりノリノリで、もうすでに操縦不可能な状態に。そのままの勢いで記者発表を終え、シンポジウムへと突入した。
結城さんは数日前に、
「あとから決まったんだけどさ〜2日の日に函館でカムイノミに呼ばれちゃってさ〜1日のシンポジウムは最後までいられないんだよ〜」とまたまたドタキャンすれすれ。カムイノミは一度やったら死ぬまでやめられないのだそうだ。
「もちろんそれも大切だけど、シレトコも大切だから、夜行で帰るよ。どこかまで送ってくれない?」
夜中じゅうドライブをして、その日の夜にまた夜行で帰るなんて…タフというか何というか…。結城さんはいろいろなカムイに引っ張りだこなので、いつも何かをやるときはこんな感じだ。美幌の夜行バスに結城さんを乗せるまで気が抜けない。恐いな〜こういうスケジュール。事故が起きないように…。
不思議な話しだけど、こういった魂のこもったイベントをやるときは、いつも直前に小さな事故が起きたり、あとからいくつものスケジュールが詰め込まれたり…と神様が何かといたずらをする。そういう状況になると「イベントやめようかな…。」と弱気に思うのだが、結城さんがアメリカインディアンのリーダーから聞いた話によると、こういったスピリチュアルな取り組みに対して神様はそれに関わる人たちの腹を確認するためにこういったいたずらをするのだそうだ。それでやめてしまうならそれまでのこと。今回も直前に梅沢さんや結城さんがお釜を掘られたり、いろいろなことがあった。「でも、それでもやるぞ!」という気迫がSIPETRUの面々にみなぎっていた。それぐらいのパワーがないと余計な魔をはねつけることはできないのかもしれない。
会場には60人以上のお客さんが来てくれた。結城さんたちのパフォーマンス、小野先生のポエトリーリーディング、ポンペさんの歌、トークセッション…どれもアットホームだけど、熱い思いがあふれ出ていた。「バンド形式でのパフォーマンスが一番やっていて楽しい。」と早坂さんが言っていたが、楽しんでやっていることが一番パワフルだ。
結城さんは何度も「歴史的な一歩」ということを言っていた。今までこういったことをやりたくてもやれなかった、アイヌコミュニティの事情を聞けば聞くほど、確かに画期的な出来事かもしれない。この「画期的感」を共有する人にとっては興奮のイベント初日だ。
イベントのタイムキープが素晴らしく、結城さんは余裕を持って美幌から夜行バスに乗ることができた。でも、踊りのときに脱いだ靴が会場に残っていた(笑)。「裸足で函館に行ったんじゃないの?」とみんなで笑っていると、OKIさんたちが到着。そのまま翌日のコンサートの前夜祭に突入。明日のライブは僕が考えているほど集客が伸びずちょっと心配…。つづく…
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›6 24, 2005
シレトコ先住民族エコツーリズム研究会
プレスリリース
世界自然遺産知床〜先住民族がエコツーリズムを開始します
記者説明会を開催します
日時:7月1日 17:00〜 場所:知床グランドホテル
SIPETRU/シレトコ先住民族エコツーリズム研究会は7月1日、世界自然遺産としての登録が目前となっている知床・斜里町で、アイヌ民族によるエコツーリズムの可能性を探るシンポジウムを開催します。アイヌ民族の伝統的な歌や踊りの紹介をはじめ、ハワイでの先住民族によるエコツーリズムへの取り組みなどをスライドを交え紹介するとともに、北海道大学院の小野有五教授とアイヌアートプロジェクト代表の結城幸司氏によるトークセッションも行います。
知床半島はIUCNの勧告を受け世界自然遺産に登録される見通しですが、IUCNの評価書の中には管理体制へのアイヌ民族の関与の必要性についても触れられています。SIPETRUでは5月、他のアイヌ民族のグループと共に環境省やIUCNなどに対して、知床世界遺産管理におけるアイヌ民族の関与の重要性を訴える意見書を提出しており、IUCNの評価書はそれらの意見書を反映したかたちとなりました。さらにSIPETRUの調査によると知床には「チャシ」と呼ばれる先住民族の遺跡が多数現存しており、樺太アイヌや北海道アイヌといったいくつかの民族が、それらを聖地のように語り継いでいることも明らかとなってきております。そんな中SIPETRUでは多くのアイヌ民族のグループと協力し合いながら、現代を生きる先住民族文化を、エコツーリズムを通して広く情報発信していきたいと考えています。 この取り組みは去る6月23日、環境省知床エコツーリズム推進協議会においても発表され、知床でのエコツーリズム推進にあたり先住民族の自然観や知恵を参考にしていくことが確認されております。
なお、翌2日はアイヌ民族で樺太アイヌの伝統的な楽器「トンコリ」の第一人者OKIによるライブコンサートが同じくゆめホール知床で開催されます。また、3日には札幌のアイヌ民族によるモデルエコツアーも実施され、世界遺産地域での先住民族の活動の機運を高めます。詳細は下記事務局までお問い合わせください。
1.取り組みに関するお問い合わせ(事務局)
SIPETRU/シレトコ先住民族エコツーリズム研究会
Shiretoko Indigenous People Eco Tourism Research Union
(“シペル”=アイヌ語で「大きい・川・道」)
北海道斜里郡斜里町ウトロ東284 NPO SHINRA内
SIPETRU事務局 藤崎・西原
TEL:01522−2−5522
FAX:01522−2−5524
http://www.shinra.or.jp/sipetru(7月1日公開予定)
sipetru@shinra.or.jp
2.世界遺産記念3日間連続イベント
「世界遺産と先住民族とスピリット」のご紹介
7月1日(金)
シンポジウム「シレトコのレラ(風)を聴く〜先住民族のエコツーリズム」
〜アイヌ民族自らてがける先住民族エコツーリズムをご紹介します
■場所:知床グランドホテル 大会議室「オホーツク」
■日時:2005年7月1日 20:00〜21:30
■ゲスト:
小野 有五(北海道大学教授)
石井ポンペ(社団法人北海道ウタリ協会札幌支部札幌ウポポ保存会副会長)
結城幸司(アイヌアートプロジェクト代表)
■内容:
・トンコリ・ムックリ演奏 (石井ポンペ)
・アイヌ民族の伝統的カヌー復元プロジェクト
〜ハワイでの取り組みのスライドショー
(アイヌアートプロジェクト結城氏)
・知床での先住民族ツーリズムの可能性トークセッション
(小野有五・結城氏)
■主催:NPO SHINRA・シレトコ先住民族エコツーリズム研究会(SIPETRU)
■協賛:日本経団連自然保護基金 東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
■後援:北海道開発局網走開発建設部
7月2日(土)
OKI TONKORI TOUR DUB AINU BAND
オキ/ニューアルバム“トンコリ”リリースツアー2005
〜樺太アイヌの伝統的な楽器「トンコリ」の第一人者でアイヌ民族の
OKIによるコンサート
■場所:斜里公民館 ゆめホール知床
■日時:2005年7月2日(土) 会場18:30 開演19:00
■料金:大人 前売り¥2,000/当日¥2,500
小中高生 前売り¥1,000/当日¥1,500
■主催:sastro
■企画制作:sastro, ChikarStudio
■共催:Radio Kisar, Tam Tam Lonloke
7月3日(日)
聖地巡礼〜アイヌ民族と歩くモニターツアー
〜先住民族の遺跡「チャシ」を中心にアイヌ民族のガイドと一緒に森歩き
■場所:シレトコの森 (集合場所:ウトロ温泉・酋長の家)
■日時:2005年7月3日(日) 9:00〜15:00
■料金:大 人 ¥2,000(モニター価格※)
子 供 ¥1,000(モニター価格※)
※先着10名様
※ご参加された皆様にはアンケート等にお答えいただきます
■主催:SIPETRU NPO SHINRA
■協賛:日本経団連自然保護基金
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›6 23, 2005
雷と雨
ウタリ協会斜里支部長の梅沢さんが静かに発言し始めたとき、突然、雷が鳴り土砂降りの雨が降り始めた。アイヌ民族の間で雷は「カムイフム=神の音」、シャーマンに聞いた話によると、このように議論のときに鳴るのは「そ〜れ、お前たち、しっかり議論しろ!」という神様の号令だそうだ。雨も神様が歓迎している証拠らしい。梅沢さんの口調はいつも力強く惚れ惚れとするのだが、今日は一段とかっこよかったな〜
→読売新聞の記事
僕たちは4月にシレトコ先住民族エコツーリズム研究会というものを立ち上げた。小さなアイヌのグループでもできないし、大きすぎる団体でもできないことを、地元のアイヌの有志が中心にできるように作った新しい枠組みがこの研究会だ。今日は環境省の知床エコツーリズム推進協議会の会議の場で、ウタリ協会の地元代表として参加している斜里支部長の梅沢さんと羅臼支部長の大木さんから、趣旨説明と知床のエコツーリズム推進に当たってのアイヌ文化の重要性を発表していただく日だったので、そのために資料を作ったり、環境省や座長に事前に調整をして臨んだ。
会議の終盤、梅沢さんにマイクが渡り、静かに話し始めると同時に雷が鳴りはじめ、大粒の雨が降り始めた。西原君と「ああ、カムイが来てくれているね〜」と話し、梅沢さんの発言に聞き入る。カムイの反応で僕たちも一安心。そして、まったりとした会議の中でとても神聖でしまった瞬間だった。外の雨の音を聞きながら涙が出てきた。
会議の後、僕は別件で多くの人を相手に一人で話をしていた。「お前が上級官庁に意見をしたせいで、みんなが迷惑をこうむる…」と。全て真意を説明し納得してもらうが、とても情けない気持ちでいっぱいだ。そんな気持ちで家でビールを飲んでいると、梅沢さんから電話が来た。
「あんな大勢のなかで、アイヌのことについて正々堂々と話せたのは、藤崎君のおかげだよ。ま、昔からよく言うじゃないか『出る杭は打たれる』って。藤崎君もさ、これからもいろいろあると思うけど(笑)、でもさあ、気にせずやろうよ!うん、やりましょうよ!!」久々に腹のすわったかっこいい大人を見たような気がした。
雷と雨の話しも梅沢さんにした。梅沢さんもビックリしたといっていた。「いやあ、カムイが来たって、年寄りのアイヌなら言ったよね!」 何だか凹んだ気持ちが、とっても豊かに満たされた気がした。
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›5 31, 2005
知床世界遺産確定〜コメント
シーニックバイウェイのセッションに参加するため札幌に出張。二日酔い気味でモントレーで朝食を終えエレベータに乗ったところで、北海道新聞の記者から電話。「IUCNが『知床を世界遺産登録すべき』という報告書を提出すると、大臣から記者発表がありました。」とのこと。
「ほげ?」
ボケボケな頭ではまったく状況が理解できず、記者さんに丁寧に状況を説明してもらってようやくコメントする。すげ〜…世界遺産になっちゃうんだ…。以下、知床の世界遺産化確定に当たってのコメントです。
知床の自然に心底惚れこんで東京から移住までした私にとっては、世界的な遺産といわれて「当然」と思うのがまず本音です。そして、この知床のすばらしさが世界に届くきっかけができたことは喜ばしいことと思っています。が、いくつか申し上げたいことが、個人的にはとても深刻なこととして残っています。
私はNPO SHINRAの代表として、そしてウトロの自治会が中心となって組織した「ウトロ地域自然保護と利用に関する協議会」の事務局長として世界遺産登録に向けてのさまざまな意思決定プロセスに参画してきました。そこで一貫して提言してきたことは、地域や小さな活動団体が自発的に知床の世界遺産管理に取り組める枠組みをしっかりと作ること、加えて先住民族であるアイヌ民族が意味あるかたちで主体的に管理に参画できるようにすることの2点でした。
NPO SHINRAは96年から藤崎が個人的に始めていたネイチャーガイドサービスを発展的に継続させるために98年に設立しました。当時は誰でも歩ける森を、お金を払ってガイドをつけるなどということはまだまだ一般的ではなく、自然地域として大切な役割を担うネイチャーガイドサービスを定着させること自体をミッションとして、旅行会社などと商品開発や監修を手がけてきました。時流もありガイドサービスは今や知床ではなくてはならないものとして定着し、知床をめぐるいわゆる"定番ツアー"には必ずといって良いほどウトロのネイチャーガイドが同行するまでになりました。このネイチャーガイドは今では国立公園内の集中利用の緩和や、滞在型観光促進、自然界の危険からお客様を回避させる役割の担い手として改めて注目されています。特に危険回避については昨年、新聞などでも取りざたされましたが、ネイチャーガイドが引率するお客様と、添乗員が引率するだけのお客様とのヒグマ遭遇時の反応や対応は明らかに違っています。昨年はたまたまShinraのスタッフがそれを実証をする形になりました。集中利用の分散については、私は北海道開発局との協働で広域の観光戦略作りを「東オホーツクシーニックバイウェイ」として、エリアを取りまとめる連携会議を設立しとり組んでいます。→過去のシーニックバイウェイに関する記事
同時にレンジャーよりもフィールドにいる時間の長いガイドたちは、時には行政の行っている自然保護管理に注文をつけることも重要になってきます。その一環として昨年度、IUCNのガイドラインである"Sustainable Tourism in Protected Areas"の日本語訳・出版を手がけ、邦題『自然保護とサステイナブルツーリズム』として、今年の4月より平凡社から店頭販売されています。管理サイドが観光を自然保護上必要不可欠なものとしてとらえる一方、観光にとっても自然保護が重要だという点を抑え、実践的なガイドラインを示しています。私たち民間は管理サイドとは連携しながらも、適度な距離を保つ独立した個人・組織でい続けることが必要です。このガイドラインでも示されている通り、環境省などの管理サイドには、ガイドのみならず地域の民間活動団体との対等な会話と世界遺産管理への市民の自発的な参加を奨励する仕組みを構築していただきたいと思っています。
次に、北海道からの世界遺産であるにもかかわらずアイヌ民族が管理体制に参画していないことはとても残念です。世界中の自然遺産地域では、先住民族の関わりを丁寧に検討していますが、知床ではそういった検討は一切なされませんでした。僕も管理計画策定の段で、先住民族の項目の必要性を訴えましたが、管理計画にはいわば「過去のこと」としてしか触れられていません。アイヌ民族のあいだに今なお残る自然の中での知恵には、知床の世界遺産管理にとって有益な情報がびっしり詰まっています。今後、彼らの知恵を取り入れる努力をしたいものです。管理計画策定に当たっては、当時の担当者はとても頑張ってくれましたが、より北海道の事情を知っている行政機関等による後押しと具体的な提案を期待したいところでした。アイヌ民族のコミュニティからの提言が時機を逸してしまっていたことも否めませんが、それにはそれ相応の事情があります。そういった事情を深く理解する人による、先住民族/アイヌ民族の世界遺産管理参画への道を、他の利害関係者のためではなくアイヌ民族自身のアイデンティティ確立につなげるために切り開きたいと思っています。
NPO SHINRAでは地元のアイヌを中心とした「シレトコ先住民族ツーリズム研究会」の設立のお手伝いをし、先日、環境省とIUCNに添付のようなレターを提出しています。(→添付)エコツーリズムを入り口として知床のような自然保護地域における先住民族や地域文化の役割提言のお手伝いをしていきます。
→過去の世界遺産関連の記事
→過去の先住民族関連の記事
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›5 01, 2005
小鳥と移住とお菓子とエレクトロニカ
森の中に建てた家。昨年はきっとビックリしたのだろうか、鳥がほとんど来なかった。でも、今年はすごい集まりよう。息子が作った巣箱を細いトドマツに据え付けたが、スズメやカラ科の鳥が夫婦で様子をのぞきに来るので楽しい。でも、窓にぶつかる鳥が多いので対策が必要だ…
冬の間、カラや小さなキツツキの仲間は違う種の鳥同志で「混群」という群れを作る。今の時期はまだ混群での行動と、さえずりをする繁殖期独特の行動とが半々ぐらい。大きな混群がやってくると2〜3匹が軽く窓にぶつかる。餌を探しながらの小刻みな移動のときは、それほど強い衝撃ではないので、ぶつかっても近くの枝まで慌てて飛んでいき、「なになに!?今何があったの???」としきりにきょろきょろするだけだ。でも、さえずりをするような暖かい日は、ガラスに映る自分の姿をライバルのオスだと思い猛突進するので間違いなく死んでしまう。先日も目の前でヒガラがガラスに激突した。ちょっと我が家の存在に鳥が慣れてきたようだ。
今日はとりあえず良くぶつかってくる大窓の前に、子供の木馬や大きなぬいぐるみを置いた(笑)。明らかに寄ってこなくなったが、これにもすぐに慣れてしまうだろう。小鳥の嫌う猛禽類の形をしたシールもあるが、いずれにしてもすぐに慣れるだろう。何かいい方法はないかなあ。
もはや伝説となってきた北海道のカントリーライフマガジン『East Side』の伊藤さんから、僕の文章が載った見本誌が送られてくる。今回の特集は「移住する普通の人々」。もはや、「移住者」という感覚をなくしていた僕だったが、いろいろと考えさせられた。みんな、一生懸命移住したんだなあ…。僕も大変だったし、今思えばかなり思いつめていたところがあったが、最終的にはかなり楽観的でおバカな決断で「移住」した。でもね、前にも書いたけど、本当に「移住」という感覚にはどうしても違和感がある。だから、正直言って『East Side』に書かれていたような「移住者」の話はどれもまったく他人事だった。でも、これはあくまで僕の感覚。苦労の感じ方は人それぞれだ。
見本誌と一緒に、標茶の「ポロニ」のクッキーやケーキをいただく。シンプルだけど、この素材ではこの味以外はありえない!という、しっかりした味がベースにある。こういう基本に忠実なお菓子を作ってくれるお店がもっと増えたらなあ。
…あ、風が吹いてきた…外に出してある子供たちの自転車を片付けないと…。
スピーカーから聞こえてくる細野晴臣のエレクトロニカ、かっこいいなあ。知床の暮らしにむちゃくちゃマッチするのはなぜだろう?
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›4 30, 2005
先住民族ツーリズム
先日、梅沢さんを代表に、中標津の戸田さん、標津の小川さんの各ウタリ支部長と結城さん、石井ポンペさん、小野有五先生と僕とで先住民族ツーリズムの研究会を立ち上げた。(→共同通信)
とても微妙な関係の上に成り立つアイヌ民族の人の間で、こうした新しいことをやるのはとても大変なことだ。
立ち上げの前にはそれはそれはいろいろな人と話をした。多くの人が望むカタチを作ることは、必ずしも既存の組織の枠の中でやることではないときもある。特にアイヌ民族の事情はこのことが顕著だ。いろいろな政治や利害に巻き込まれたり、それによって誤解されたり…。これからも、いろいろとあるだろうけど、対応しうる体制が築けた。何より、梅沢さんや周辺支部長の意志が固いことが、お手伝いする僕たちにも心強いことだ。
こういう話を進める中で、「知床にはアイヌはいない。よそから連れてきてツアーをやることは反対だ。」という意見を、ある人からウチの担当スタッフが言われたそうだ。「知床にアイヌはいない」ということはもちろん正しくない。実際に少ないことは少ないが、少なくなってしまった理由、敢えてアイヌを口にしない事情、知床を離れた方々が何を思っているか…そういったもろもろの事情は知っておいたほうが良い。地元でガイドまでできるアイヌ民族の人はいないので、若い方がお手伝いをすることは当然だ。梅沢さんたちもそれを望んでいるし、地元のアイヌ民族の中から「俺たちがアイヌとしてツアーをやるんだ」というムーブメントがおきればそれは僕たちの本望だ。だいたい、アイヌ民族は引っ越しちゃいけないとでも言うのかい?(笑)
もちろん、アイヌ文化とひとくくりにはできず、その土地土地の様式はあるので、ツアーと平行してそこらへんの基礎調査も進めている。すでにさまざまな調査結果が上がってきていて、いずれしかるべき機会に、しかるべき発表や提言を行いたいと思っている。それにしても、こういう感覚の人がいるんだなあとガッカリする。
7月1日に先住民族ツーリズムを考えるシンポジウムを企画中。翌日7月2日は斜里でOKIさんのライブの受け入れをする。その数日前にはライトダウンイベントを知床グランドホテルとコラボレーション。スローとかオーガニックとかエコとか、人と自然とのつながりの上に立つライフスタイルのオルタナティブを考える、そんな夏至前後の予定です。
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›3 24, 2005
人と自然と世界遺産
3月22日、アイヌアートプロジェクトの結城さんと、石井ポンペさんとでミーティング。その後、小野先生の講演も一緒に聴いた。
シンポジウムは人と自然とのつながりがテーマだが、その先に先住民族の自然保護地域管理というものを軽〜く見据えた、小野先生らしいアレンジが素晴らしかった。先住民族が中心テーマではなかったのだが、講演後のパーティの直前、突然ポンペさんが「パフォーマンスをするから、ちょっと司会に話し通しておいてよ。」と、どこにしまっていたのかドラムとムックリを準備し始める。結城さんも驚きながら「オレは、何にも持ってきてないよ〜」と半ば呆れて笑っている。
小野先生に話をつないでもらい会の半ばでポンペさんたちが紹介された。ポンペさんはドンドンと太鼓をたたきながらステージに上がり、全く打ち合わせも何もないのに堂々と、しかもユーモアたっぷりに先住民族として海外からのお客さんに歓迎の挨拶をする。さすが、国連でもパフォーマンスをしてきた人だ。
ポンペさんはムックリの名手でもある。アイヌの世界では女性の楽器であるムックリを自在に操り、観客をすっかり魅了していた。パフォーマンスを終えるとポンペさんの周りには人の輪ができていた。「これだけでクロスカルチャーだね。」小野先生の研究室を卒業し、4月からShinraにスタッフとして加わる西原君とそのシチュエーションを楽しんだ。
斜里からの帰り道、車の中でポンペさんはこんなことを言っていた。「オレの話なんて誰も聞いてくれなかった。本当に何10年と活動を続けてきたが、いきなり話をしても誰も聞いてくれない。でも、あるエカシ(長老)が面白おかしく和人の悪口を歌にして歌っていると、多くの日本人が大喜びでそれを聴いていたんだ。オレはこれだと思ったよ。歌は人と人とをつなげる。今日だって、歌う前はオレの周りには誰も来なかったけど、歌ったあとはよばれなくても人がオレの周りに集まってきた。そこではじめて『話』ができるんだ。」。そして、かつてエカシが歌っていたという曲を歌ってくれた。
土地を奪われ、鮭を奪われ、文化を奪われ、名前を奪われ…なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
僕たちは4月から地元のアイヌが中心となった取り組みをお手伝いする。僕たちに課せられた課題は『話』のきっかけ作りだ。
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›3 08, 2005
(エコ)アンリミテッド
自称カリスマ・エコDJ
やまだひさし初の単行本は
ツアー本?グルメ本?
「やまだひさしの日本縦断(エコ)アンリミテッド」
2005年3月10日(木)発売
四六判変型 定価1,890円
ソニー・マガジンズ
あの、やまだひさしが日本全国選り抜きのエコ・スポット11ヶ所へ出かけ、飲み、食い、そして人々と語りながら環境に思いを馳せてゆく。
もともとアウトドアが苦手のやまちゃんがカラダを張って登山、スノー・トレッキング、カヌー、農作業などに挑戦!そうした「エンターテイメント」や「食」を通して身近な視点から環境について考えた一冊。
最終章の沖縄ではGLAYのTAKUROとのダイビング&エコ対談を収録。森のこと、川のこと、海のこと、そして人々のくらしのこと。やまだひさしの暖かい、時に熱い思いがいっぱい詰まっています。
あなたもきっと出かけてみたくなるはず!
そしてちょっとだけ環境のことを考えてしまうかも?
しかも単行本では初の、全編に森林育成に寄与する間伐材紙(間伐材パルプ10%古紙再生紙90%)を使用しています。
<主な内容>
知床流氷ウォーク、伊賀モクモクファーム、四万十川カヌーくだり、屋久島トレッキング、水俣エコタウン、白神山地の銘酒、唐桑の牡蠣養殖、練馬の野菜など
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›1 17, 2005
1.17
Posted by Tatsuya at
01:53 /
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僕の人生に影響を与えたニュースを挙げろと言われたら、ベルリンの壁の崩壊、阪神淡路大震災、そしてオウム事件と答える。中でも震災についてはいろいろなきっかけとなった。今、NPO系で活躍している人々の行動の発端の多くが、阪神淡路大震災だといっても過言ではない。1月17日…この日がきっかけになったという人とどれだけ出会ったことか。
僕はその日、会社の後輩を連れて北海道に出張に行くことになっていた。早朝の飛行機で羽田から発つ予定だったが、荷物が多いので田町のオフィスから浜松町までタクシーに乗っているときに、いつも持ち歩いていた携帯ラジオから第一報を聞いた。朝焼けのきれいなキリリと寒い朝だった。
地震なんて慣れっこだったから、少しばかり大きな揺れだったのだろうぐらいにしか考えていなかったが、羽田空港の待合コーナーに映し出されたニュース画像を見て、ただ事ではない状況に愕然とした。
一緒にいた後輩は大阪の出身で、出張の間じゅう、毎日心配そうにテレビのモニターに食い入っていた。僕はその出張では全ての意思決定をできる立場にいたが、彼に「すぐ帰れ」と言わなかったことを今でも後悔している。仕事をこなすことが至上命令だと信じて疑わなかったから…。幸い彼の実家は難を逃れたが、会社に戻ると神戸出身の直属の上司が、年老いたおばあさんを残して肉親のほとんどを地震で亡くしていた。
後輩に「帰れ」と言えなかった後ろめたさと身近な上司の不幸に触れ、僕は何かしらかの貢献をしたいと思った。しかし会社の中にいて、まだ入社2年目の僕が仕事を投げ打ってボランティアに出かけられるような雰囲気ではない。とてもそんなことは言い出せない。悶々と日々を過ごしている中でオウムの事件が発生した。僕はたまたま休みをとっており、カミさんもたまたま出勤時間が1時間遅かったので事件に巻き込まれることはなかった。しかし、組織に縛られて、内なる衝動に駆られての社会的にも意味あるであろう活動にさえ、身軽に飛び込んでいけない自分に大きな疑問を感じた。そして、それを躊躇しているとわけのわからないまま死んでしまうなんていう現実を突きつけられ、僕は会社を辞める決心をした。とにかく身軽になりたかった。
現在いろいろな活動をされている方で、僕と全く同じ動機の人に何度も出会った。一方で組織の中にとどまり闘い続けている人にも大勢出会った。10年前の1.17は表面的にも潜在的にも日本の社会的活動の大きな転機となった日だ。事実、NPO法も神戸でのさまざまな市民活動から生まれた。1.17で亡くなった方々の魂が確実に若き日本のNPO界の活動家の中には息づいている。
1.17は、今なお被災した人々の心に深い後遺症を残しているという。さまざまな情報に埋もれ、例えば健常と障碍の狭間で社会的な保障の狭間にいる人、複合的な経営難に苦しんでいる人、強引な都市計画に悩む地域住民の姿が多い。そういった社会的に問題になりにくい、きめ細かなサポートを必要としているコミュニティが現実としてある。
10年前ペーペーだった僕たちの世代…。今では、独立しそれなりの経済を回している人もいるだろう。会社に残り、それなりの権限を持った管理職へと育っている人も多い。"人として"の行動に重点を置くシステムチェンジの好機だと思う。10年目の1.17に寄せて。
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›10 20, 2004
イナウ
結城さんたちと、札幌のあるアイヌのグループと一緒にルシャに行ってきた。
結城さんとは、知床での先住民族文化を知るエコツアーをやろうと言うことで話をしている。ある日、彼が突然「あるグループとルシャに行くことになったから、ガイドを頼むよ。」と電話がかかってきた。
「ガイドっつったって車さえあれば一本道だよ。それより、だいたいなんでルシャなの?」
「え、もしかしてなんかやばい?」
「ルシャってすっごく良いところだけど、妙に政治的でオレは嫌なんだよ。」
「やっぱりなあ…。」
結城さんは、闘うアイヌなので、そういった微妙なネタにはとても敏感だ。一緒に来ることになった「あるグループ」はいろいろと政治的に巧みな人たちらしい。何か企みがあるのかもしれないし、全く純粋な思いだけで来るのかもしれない。
「やる前から探っていたって始まらない。ま、行くだけ行ってみようよ。」と、いつもの互いの軽いノリで出かけていった。
春のような柔らかな南風の吹くルシャの河口はとても穏やかだった。孵化場跡で若いヒグマがサケを追い回している。
知床半島は、「手付かずの自然」なんていうが、開拓の歴史のはるか以前から先住民族は森の中や海岸線で狩猟採集の生活を営んでいた。ルシャをはじめ、知床半島の「原始林」と思われているここかしこに、住居跡や聖地が点在しているのだ。今回は、ルシャ、レッパンベツ、ポンベツの遺跡を確認すること、先祖供養や久しくおこなっていないカムイノミ(自然の神々への祈り)を知床の大地で執り行うことが主な目的だ。
僕はネイチャーガイドサービスを続けていて、ひとつだけ心残りだったことがあった。それは、この大地への挨拶をアイヌプリ(アイヌ民族の様式)でやっておきたいということだった。ついでに個人的にルーツを感じるこの大地の地霊に、一言挨拶がしたかった。我流ではやれても、古くから伝わるアイヌ民族の様式でやったことはない。神社やお寺のやり方よりも、アイヌ民族の様式はこの北海道の大地に一番マッチした儀礼なのだから、思いを伝えたいならアイヌ式がもっとも適しているのだ。
今日は、まずレッパンベツの河口でオンカムイ(先祖供養)を行った。そしてルシャではきちんとしたヌサ(祭壇)をこしらえ、本格的なカムイノミを行った。神々の領域ということで、儀式の最中はヌサの向こう側は立ち入り禁止なのだが、今日は若いヒグマが川の中に飛び込み、オジロワシが多くのカラスを引き連れて飛んでいた。「今日は本当にヌサの向こうが神々の場所になったね〜」と誰かがボソッと言った。アイヌ語の祝詞が静かに響き、清らかで、それでいて深いディープな時間がゆっくりと流れる。当初の心配は全く晴れて、政治も欲望も全く関係のない、とてもスピリチュアルな儀式だった。
こうした儀式で重要な道具に、イナウと呼ばれるヤナギの木で作った御幣がある。ヤナギの木の皮を薄く削ると、くるくるとらせん状に剥がされ、それを一周やるとちょうど神社のお払いで使う御幣と同じようなものが出来上がる。(御幣のルーツはこのイナウだと言われている)。それは、自然の神々や先祖と人間の間を取り持つ仲介役を果たしているそうで、これがあることによって僕たちの意思も神々に伝わるし、逆に悪いパワーまでもらわないで済むという安全装置の役割もあるという。
結城さんがポツっと言った。「僕とか藤崎さんって、イナウみたいな存在かもね。人と自然、都会とイナカ、アイヌと和人…そんな間を取り持つ役割を担って、この世に生まれてきたのかもしれない。」僕はその言葉を聞いて涙が出そうになった。
ルシャを離れ、最後にポンベツという場所に寄る。夕暮れせまるその小さな川で、結城さんが2本のイナウを添えてささやかなオンカムイをした。住居跡に立つと、昼ごろから吹いていた冷たい風が全く当たらない。一瞬そこで遊ぶ息子たちの声が響いてくる。目の前の海岸では打ち上げられた鯨を、わいわいとさばく大人たちの姿がフラッシュバックする。自然の中だけで生きていくリアリティを、今日ほど感じられる日はなかった。住居跡の脇にあった岩に添えた、あの2本のイナウを通して、はるか祖先とつながったのかもしれない。
→関連記事
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›9 28, 2004
東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
昨日、東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議が知床周辺の7市町村で立ち上がった。これでようやく東オホーツク地域として正式にシーニックバイウェイにエントリーすることになる。いつもどちらかというと行政とけんかしている僕が、進んで行政の枠組みに入ることはないのだが、今回ばかりは全く逆だ。
シーニックバイウェイ制度は北海道開発局が全国に先駆けて北海道に導入を進める道路を軸とした市民活動・コミュニティビジネスの創出プログラムだ。しかも各活動団体の自発的な活動がはじめにありきなので、市民サイドからの働きかけがない限り行政は動き出さない。"そういう顔"をしている事業はたくさんあるが、このシーニックバイウェイに関してはウソがない。全てお膳立てができている事業なら、この連携会議ももっと早くに立ち上がっていただろう。
連携会議の立ち上げまでにはいろいろな苦労があった。
シーニックバイウェイに参加したところで、基本的に予算はつかない。しかし、とかく行政頼みに慣れている北海道の人たちは、すぐにお金のことを言う人が多い。お金が下りないことを知るとさっさと去っていく人も多く見かけた。
また、シーニックバイウェイの当事者になろうと思うと、非常に想像力を要する。"Sceanic"は「絵になる」みたいな意味、"Byway"は「わき道」という意味、そして制度自体はソフト事業だ。国道を中心としてきらりと光るまちづくりをサポートするものだが、「一体、何をやったらいいのかわからない…。」という人が多いのだ。花を植えることから、エコツアーの開催まで、まちづくりに関する取り組みは枚挙に暇がない。個人的には何だって良いと思うが、自分のやっていることを改めてまちづくりなのかどうかなんて意識することは普通ない。逆にそんな取り組みを引き出すこともまちづくりの一つなので、シーニックバイウェイの意義は大きい。
加えて、「この制度ははっきり言って"ノリ"だ。」というのは、僕がお世話になっているウトロのオピニオン主婦談。「何だかよくわからんけど、オラのやってることもシーニックだべさ。」と軽いフットワークで、しかも頼まなくても自分から乗り込んでいく人に向いている制度だ。「道」を軸とするために自ずとネットワークを意識せざるを得ない。自分だけ良い思いをしようと、全てを抱え込む従来型のビジネスモデルは必然的に排除される。低成長時代のパラダイムとなるであろうネットワーク型の事業と迅速な意思決定を鍛えるには良い場だと思う。
っと僕が書くと何だか敷居が高く感じられてしまう。最近、みんなから指摘されているが、「藤崎は難しいことを言う!」というのが最近の僕の悩みだ。あまり難しく考えずに、東オホーツクの皆さんお気軽にご連絡ください。
東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
代表 高谷弘志
副代表 藤崎達也 fuji@shinra.or.jp
-事務局-
女満別町役場内
産業振興課商工観光室長 山本勝栄
� 01527−4−2111内線302番
fax01527−4−3643
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›9 03, 2004
ネットカフェでつれづれに…
RadioKisarの打ち合わせで1泊の帰京。EOLの上岡さん、スタマックの永田さんさん、ZEPP東京の藤井さんをはじめウェブデザイナーのagちゃん、プランナーの森末さん、HAJの佐藤さんと、普通じゃ考えられない豪華な顔ぶれでの会議。でもエコ、自然、環境…というテーマで非営利なビジネスが、クールになってきたんだなあと実感。まだまだ、これからだろうけど、こういう場所に居合わせようと思ったら、それ以前の地道な積み重ねが大切だ。企業においても行政においても、「持続可能な経済」の時代に好スタートを切りたければ、こういったオルタナティブにどれだけコミットしてきたかが重要になってくるだろう。
実家に帰ると、母がちょうど旅行から帰ってきたところだった。富山県八尾町の「おわら風の盆」を見学してきたという。
「いや〜一度見てみたいと思っていたのよね〜」
「それにしても、あれねえ、本来静かな祭りなのに、あんなに観光客が押し寄せたら、あの祭り本来の良さが失われるわね〜。いや〜人が多すぎだわ。」って、アンタもその混雑を作っている張本人でしょ。
ホームページによると八尾町のこのお祭りは、元来地元の静かな祭りだったそうだ。それがTVなどで紹介されるようになってから火がつき、今では小さな町に1日で23万人の人が訪れるようになったという。それでも地元では昔ながらのしきたりで祭りを進めていて、見学者にとっては決して快適な状態ではなかったという。祭りは本来地元の人たちのものだからそれでいいのだが、観光客の中には「もっと見学しやすくしてくれ。」という声も多いという。
こういう状況にはセーフガードが必要だ。八尾町はどのようなセーフガードを敷いているのか分からないが、パンフレットなどを見ると基金を作ったり協賛企業を募ったりと、入れ込みが増える分、地元への還元を上手にやっている印象を受けた。もちろん賛否両論あるだろうが。一方、母は帰りに白川郷も寄ってきたというが(それにしてもすごい行程…)、白川郷のほうは世界遺産といいながら、痛々しい「むき出し」の印象を受けたという。
Shinraも民間のセーフガードということを意識してきたがNPO的な領域はまだまだ広い。ちなみに、RadioKisarの目指すところは知床の"リブランディング"。次の世代に向け、本来の知床を感じてもらうための音楽をはじめとした文化的なアプローチだ。他の課題にもいろいろなアプローチを仕掛けるさまざまなNPOが増えてくるといいなあと思う今日この頃。
おっこんな時間。そろそろ空港に行くか…。
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›9 01, 2004
独裁VSオープンソース
Posted by Tatsuya at
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パソコンの入れ替えを機会に、セキュリティに不安のあるIE系から、ブラウザーをMozilla、メーラーをBecky!のオープンソース系アプリケーションに切り替える。
ITのことについて詳しくは知らないが、IT業界のこうしたオープンソース勢力と独裁者マイクロソフトの戦いは、市民や消費者が本当の意味で力を持つこれからの社会を占うとても大切な論点だ。
マイクロソフトVSオープンソース勢力の戦いは、全てのリスクを不透明にし重大な欠陥をユーザーに押し付けるマイクロソフトと、オープンソース(=「開発過程の共有」とでも言おうか)で、自立したユーザー同士が相互に情報交換をしあいながら危険を回避、あるいは自己責任のもとリスクをコミュニティ全体で分散するという、いわば"市民社会"の成熟とのせめぎあいでもある。
マイクロソフトのような独裁を気にしない人は手元のPC がどんどん侵されるか、マイクロソフトの尻拭いを続けることとなる。一方で、独裁を許さない人は、さまざまな技術レベルながらも、それぞれの得意分野を持ちよって、常に全てを自分たちの管理可能な状態にしておくために試行錯誤を続けなければならない。どちらにしてもそれなりの覚悟が必要だが、少なくとも独裁が良い結果を生むことは決してない。こういった構図は世の中にたくさん転がっていると思うが、それを意識するかしないか…それが問題だ。
ウィルスの脅威も、テロも、全て自らが導き出した結果だ。だから「自作自演」だなんて言われる。オープンソースにすること…それによって解決される問題は多い。
OSも思い切ってLinuxにしたいと思っている今日この頃…。でも、全くコンピューターのことがわからない僕が、ネット上にあるオープンソースな情報を集め続けるのってけっこう大変。オープンソースコミュニティと消費者をつなぐ中間ビジネスが生まれるとユーザー的には助かるんだけどなあ…。
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›8 24, 2004
知床市VS知床町
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23:10 /
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知床半島の峠を挟んで反対側の羅臼町と中標津町が合併協議を進めるにあたって、新しい町名を公募したところ「知床市」という候補が有力だそう。それに対して「知床」という名前を使わないようにと斜里町長が合併協議会に申し入れをしたという。先日、それを受けての町民アンケートが行われた。設問は確か次のようだったと記憶している。
1.新しい町名にしたほうが良いと思いますか?
2.新しい町名にするなら何とつけるのが良いと思いますか?
3.自由記述
今朝の新聞によると現在の町名のままという回答と、「知床」という名前を冠した町名に変更したほうがよいという人がほぼ半々だったそうだ。で、よくわからないのは、何故だか斜里町はこの結果を持って、合併協議会に知床という名前を使わないよう改めて申し入れたという。ゴメン、意味わかんないんだけど…。
ちなみに僕は、「どちらともいえない」と勝手に選択肢を追加して回答した。逃げの回答ではない!ブランディングはマーケティング戦略の中でもっとも大切な要素のひとつで、逆に言えば名前ひとつを取り上げてもあまり意味がない。羅臼・中標津には単純ではあるがはっきりとした戦略があり、知床という町名を使いたいという意向はごく自然だ。それに対して「知床という言葉を使わないで!」という申し入れをするなら、斜里町のいう「使わない戦略」を羅臼町・中標津町にもメリットとして感じられるカタチで併せて示さなければ、それは単に足を引っ張っているだけだ。残念ながら、現在のところ「使わない」のは戦略というよりも精神論・感情論に過ぎない。気持ちはわかるが、小さな町の小さな商業者にとって地域戦略の不在は命取りだ。世界遺産登録をするIUCNのガイドラインの翻訳作業を進めているが、IUCNではこうしたマーケティングプランナーの必要性に言及しているのが興味深い。
斜里町の見解は「アンケートの結果は、町民が知床という言葉を安易に使ってほしくないという気持ちの表れだ。」とのこと。そうかなあ…。そんなことを回答するような設問だったけ?
わからないでもない。「知床」も「斜里」も語源はアイヌ語で、狩猟民族だった彼らのフィールド情報だ。地域の自然や地形にマッチした地名がついているのは北海道の特徴のひとつ。中標津には先住民族の大切な儀礼と関連の深い「ヌサ」を語源とする武佐(むさ)という場所があるし(アイヌ民族の友人のウケウリです。未確認。スミマセン)、羅臼の海岸線に残る地名も聞いているだけで楽しくなる。羅臼と中標津が合併するならその雰囲気を言い表す新たなアイヌ語地名を改めて考えても良いと思う。それは斜里町が新町名を考えるときも同じだ。
他の町村で考えていることに対して足を引っ張るのはみっともない。世界遺産も含め戦略があるようで全くない斜里町の迷走ぶりには、そろそろ危機感を感じてきている。
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›8 02, 2004
Air-Do
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Air-Doの機内誌が届く。この8・9月号は知床特集で僕がコーディネートを手がけた。ありがちな知床紹介には絶対に登場しないけれど、ホンモノの実力を持ってがんばっていている人を中心に人選させてもらった。新鮮な視点での紙面になって、楽しく読んでいただけると思う。小西由稀さんの文章もいつもながら素晴らしい。
登場する人は、女満別役場で観光室長を勤める傍ら、ライフワークの写真を通したまちづくりで、女満別の風景を農家の人たちと共同で作り上げた山本勝栄さん。同じく女満別町で昨年本格的なパン屋さん「ブランジェ・アンジュ」を開業した神奈川出身の平岡映二さん。清里町の丘の上の麦畑に、昔の学校のデザインをモチーフに自ら建築したロッジ「風景画」を営む山下健吾さん。斜里郊外の廃校-旧来運小学校で「水の学校」という子供向けワークショップの企画運営をしている、斜里小学校のコニタンこと小西雄良先生。わがウトロ自治会長でキノコ博士の松本鉄男さん。知床でのダイビングの第一人者で、羅臼で「知床ダイビング企画」を営む関勝則さん。海洋深層水での氷を使用した最先端の品質保全技術を導入したりHCCPなどの対応を進めている、羅臼の漁師の川村優さん。そして、Shinraのスタッフの畑谷くん。
関さんを除いてほとんどいわゆる知床の話で登場する人ではない。けれど、地域でとても信望が厚く、かつ新しい価値観を提案し続ける人たちだ。この夏Air-Doに乗る方は是非。
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›7 14, 2004
全肯定
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ヒグマの利用で閉鎖中の知床五湖の問題について、地元の観光業者などと一緒に町から今後の対応について説明を受ける。
斜里町が今までやってきたヒグマの保護管理の是非が今問われている。どの意見も全否定でも全肯定でもない。しかし、行政サイドが求めてくることは、いつも全肯定と行政執行だ。
ある人が静かな口調でこんなことを発言した。
「僕はさっき知床五湖のヒグマは過密なのか過密じゃないのか?という質問をしました。あなたは『過密か過密じゃないかなんて人それぞれの受け取りかた…、あるいは観光スタイルに依存している…、餌の多い場所なんだから集まってきて当然…。』というような答え方をしました。でも僕が聞いているのはそんなことじゃない。クマの駆除や狩猟が盛んだった時に比べて、今はむしろヒグマを保護している。ヒグマの数は確実に増えているんだ。難しいことは抜きに考えて、知床五湖のヒグマがどんどん過密化に向かっているのは当然でしょう。」
彼はその保護路線そのものにとやかく言っているのではない。その落し前を、観光客や地元の事業者が取らなければならないという構図がサスティナブル(持続可能)ではないと言っているのだ。今までせっかくやってきた自然保護行政をかえって否定しかねないと。
彼は続けて言った。「今の保護管理については何かが間違っていると思う。何100頭いるかわからないのに、数頭につけた発信機で知床全体のヒグマの生態を把握しているかのような言いかたはおかしいんじゃないのか?」
「それは仮説であり、行政執行も試行錯誤の一部である。」そういった姿勢だけでもはっきりしていれば民間サイドに何の不満もない。全肯定の行政執行には何の歯止めもない。それを恐れているだけなのだ。
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›7 10, 2004
ヒグマとメディアとわたあめ
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02:16 /
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岩山と畑谷くんからもろもろの報告を受ける。何だか町内的ないろいろな動きに精神的に疲れている様子。はたから見たら内輪もめみたいなことに気をとられるなよ…と言いながらも、メディアの対応やさまざまな憶測のお付き合いにそろそろ限界を感じてきている。世界遺産まで大変だな…
特に若ちゃんは、今春ガイド中に遭ったヒグマの話がメディアでかなり一人歩きしていて、連日の取材に「もう話したくない…。」とボヤいている。ヒグマを入り口に全ての国立公園の管理を語るのはどうしても無理があると思うのだが、どうなんでしょ。
昨日、ウチのチビの大の仲良しの家に3人目の赤ちゃんが生まれた。保育所の七夕(北海道ではなぜか8月)で、わたあめ機をレンタルしようとお父さんお母さんたちと盛り上がっている。娘が保育所の友達と一緒にキャンプに行く約束をしてきた。オイオイ連れて行くのはオレだぞ…。こういったリアリティが妙にホッとする今日この頃。
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›7 09, 2004
北海道新聞と自然と思想と
Posted by Tatsuya at
16:44 /
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「藤崎って商売のことしか考えてないやつなのか〜」と言われたり、何だかあるかないかわからない町内の対立構造が描かれたり、全く寝耳に水のような記事が北海道新聞に連載されていた。いずれも仕事で東京にいたときに電話で聞いたので、自分のことを書かれていながらなんだかとても冷めた目で経過を眺めていた。
東京ではRadio Kisarのウェブデザインの打ち合わせと、SonyMusicでの雷鼓との打ち合わせ、ドンベイさんとのオホーツクの音探しプロジェクトの打ち合わせ、経団連のパーティに参加して協賛企業を探したり、J-WAVEに出かけてさまざまな協力をお願いしたり…、そしてKisarを東京で支えてくれようとするNPOやラジオディレクター、プロデューサーなどの友達はみな手弁当で頑張っている。それもこれも、知床を思ってのこと。加藤登紀子の世代ではない僕たちが、次の若い人たちにつなぐネイチャーサウンドを考えたいと、自分達の得意分野を持ち寄っているのだ。
みんな知床のことを思ってベストをつくしている。ただ、それだけだ。あの一連の記事に載っている人みんながそうだろう。自然に対する思想の違いは「対立」の理由にはならない。記事になったとは言え、まわりが騒いでいるほど熱くなれないのが正直なところだ。
思想の違いを記事にすることによって、記者の伊藤さんはいったい何を言いたかったのだろう?行政⇔民間という対立軸があるが、思想が介在すると民間⇔民間、行政⇔行政、というように立場に関係なくさまざまな対立軸が見えてくる、ということなのだろうか?
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›6 19, 2004
どんな知床にしたいかって?
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昨日は道新の伊藤さんから取材を受けた。ヒグマ管理に関しての意見を求められる中で、「どんな知床になってもらいたいか?」という質問をいただいた。
以前から僕は、全ての計画をヒグマの保護管理のためだけに進めようとする行政の姿勢に疑問を投げかけてきている。しかも今までのように行政内で完結する枠組なら良いが、国立公園の「利用調整地区制度」が導入され、行政の権限が民間の経済にまで入りこむ以上、民間サイドははっきりと利害の主張をしなければならない。
しかし、何だか自然保護のためなら何でも我慢する、美談ですませようとする風潮がまだまだ主流なような気がする。気持ちはわかるのだが、それは事業主にとって持続的な取り組みとはいえない。余力のある事業主だけが環境対策に参画し、立派な1面広告を飾ることを続けるにすぎない。多くの事業者が“事業として”関与できる自然保護の政策をとらなければ、かつての「省エネブーム」のようにジリ貧だ。
そのためには、良くも悪くも知床の自然に生かされている地域の事業主がもっと知床の自然保護管理行政にコミットしていくことだ。そこには行政と民間の利害の対立もあるだろうが、それは知床の、いや、日本の自然保護管理のステップアップのためにとても有益な議論なのだ。
「どんな知床にしたいか?」と聞かれても、僕がどうにかしていくものではないので何とも言えないが、個人的な意見を言わせていただければ…、
‐事業者や民間が「いいこぶりっこ」するのではなく、自然保護に対してきちんと利害をぶつけていくこと
‐それを双方が「商売」VS「自然保護」みたいな単純な対立構造にするのではなく、我慢強くコミットメントを重ねること
‐それらを持続させるために多くのNPOや市民活動団体が生まれ、さまざまな事業者の環境活動を事業的にサポートするような関係ができあがること…
そんなまちづくりが、僕の知床の理想像かなあ。
それは、行政の作る条例やルールで決まるものではない。民間サイドの自主的な活動の積み重ねだと思う。しかし、民間の自主的な動きが活発化しにくい枠組を地元行政が作り上げてしまっているのも現状だ。
市民活動の連鎖が生まれないこの地域の雰囲気が、もどかしくてたまらない。
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›6 15, 2004
お祭り初日
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23:19 /
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今日からウトロのお祭りだ。「遠音別(オンネベツ)神社例大祭」というのが正式な名称だが、ウトロではみんな「大漁祈願祭」とよんでいる。漁船に乗せてもらったり、ちょっとした出店が出たりと子供たちは大喜びだ。
今日は初日で、漁船に乗っての“洋上行進”と各漁場ごとにバーベキューなどの振る舞いだ。我が家はいつものとおりコージさんの船に乗せてもらい、23号漁業部でご馳走になった。ウニ・カニ・大きなアサリ・ホッキ…いつもながらちょー豪華な品揃えだ。
その後夕方は、保育所の子供達が町じゅうを練り歩く“踊り山”の準備。ユートピア知床から借りてきたトラックに山車を乗せ、保育所の先生達と飾り付け。そしてスピーカーなどのPA装置を、スタジオミュージシャン兼ウニ漁師の相原さんと据えつける。明日はそのトラックを運転する係だ。
年々子供の数が減ってきて、しかもお祭りだからって会社を休みにするようなご時勢ではなく、保育所の準備も毎年人手が足りず大変だ。
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›6 07, 2004
おいしいパン
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22:38 /
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女満別に昨年オープンした"Boulanger Ange"に寄ってパンを買った。こちらに移住してからはじめて地元で「美味しい」といえるパンに出会った。うれしい!
何を隠そうウチのカミサンはパン屋で職人をやっていたので、食べる専門とはいえ僕もパンにはちとうるさい。知床に来てのストレスの一つに「美味しいパンが買えない」というのがあったが、"Boulanger Ange"さんを見つけてそのストレスも解消された。アツアツの焼き立てを試食でつまませてくれる心遣い、ベーシックでありながら納得できる生地種類の豊富さ、朝6時に開店するという職人魂、どれを取ってもすばらしく、思わずパン屋で¥5,000も買ってしまった。ケーキも美味しかった〜。
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›6 04, 2004
Radio Kisar
"Kisar"というインターネット放送局を来月に立ち上げます。多くの方のご意見を伺いたいと思います。(→読売新聞に取り上げられました)
例えば、ハワイと言えばハワイアン音楽。移住者達が作り上げた音楽ですが、先住民族のAloha Spiritにあふれたハワイの大地と風にマッチした音楽です。
知床を含む環オホーツクは、先住民族たちが海洋資源と深い森に根ざした歴史的に独特のエコ文化を築き上げてきた地域です。オホーツクの自然のスピリットとともにあるサウンドを作ったとしたらどんなだろう?音楽が好きな僕はいつもそんなことを考えていました。
また、Aloha Spirtがハワイのホスピタリティの隅々まで行き渡っているように、知床周辺にも、Aloha Spiritならぬ“知床スピリット”が根付いたら、オホーツクの観光スタイルももう少しマシなものになるのではないか。ハワイがあれだけ俗化しても魂を失わないように、自然をこのまま消費しつづけるような観光プロモーションに一石を投じたいと思います。
「Kisar(キサラ)」はアイヌ語で「耳」という意味だそうです。ラジオと関係の深い「耳」という本来の意味と同時に、自然のスピリットからのメッセージに心の「耳」を傾けることを大切にしてきた先住民族たちの世界観・自然観に改めてRespectするとともに、これからのエコライフ時代に向けて自然からのメッセージに今一度謙虚に「耳」を傾け、音楽など僕たちのセンスでそのメッセージをリスナーの「耳」にお届けしたい、という願いを込めた放送局名でもあります。
今後、さまざまなアーチストからの協力を得ながら、そんな「オホーツクの音」を探すコンテストを開催したいと思っています。ハワイアンのようにオホーツク独自の音楽が生まれることを夢見ております。我こそはオホーツクサウンドと思っていらっしゃる方、またはこんな音がオホーツクにはあってるんじゃないの?とお心当たりのある方は、是非とも情報をお寄せ下さい。
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›5 17, 2004
餅まき
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23:48 /
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今日は、いつもお世話になっている近所の漁師(コージさん)の魚場(ぎょば=会社)で、新造船のお披露目があるというので港に出かけていった。新造船のお披露目と言えば「餅まき」だ。
北海道独特の風習なのかも知れないが、家を新築した時や、新造船のお披露目では、そのオーナーが集まってきた人たちに、お餅をまく。中には、お餅と一緒におひねりが袋に同封されていたりするものだから、みんな大きなビニール袋だの、ザルだの、フードつきのパーカーだのを来て、ちょっとしたお祭り気分で集まってくる。ウチも子供を連れてワクワクと港に下りていったが、残念ながらすでに餅まきは終わってしまっていた。
あ〜あ、と残念がっていたら、「こっちの方が縁起良いぞ!」とコージさんから大漁旗につけていたという5円玉の入った熨斗袋をいくつももらった。そして、カミさんや子供達も、となりにいたあまり馴染みはない方だが、おそらく漁師であろうオジさんからから、「あら〜間に合わなかったの、かわいそうに。オレ、あんまり取れなかったけど、これやるよ。」と、山ほど餅をもらっていた。う〜なんて粋なんだ。
ウトロで最も盛んな漁、サケマスの定置網漁だが、今回新造された船も定置の船。厚岸で造船されたそうだが、素人目に見てもウトロにあるほかの定置の船よりも一回り大きな船だった。ピカピカの船体に、まだ折り目も真新しいきれいな大漁旗が眩しかった。大漁旗は「北海道物産展」とか、カニ屋さんに入れば普通に見かけるものになってしまったが、こうしたいわば本物の大漁旗は、実はめったにお目にかかることがないのだ。祭りのような、まさに大漁祈願の大切な時にしか一般の人が目にすることはない。だから地元の僕たちにとって、この大漁旗は本当に縁起の良いものだし、めでたいものだし、嬉しくって大漁を祈願せずにはいられないものなのだ。余談になるが、お土産物屋さんで日焼けしちゃってくたびれた大漁旗を見るたびに情け無い気持ちになる。海産物を売るなら、そういった聖域みたいな部分をもっと丁寧に扱ってほしいなあ、なんて思う。
港には、別の漁場の森くんも来ていて「ウチの新しい船もこの船と同じところで同じ時期に作った船なんだ。兄弟舟だね。」
きょ兄弟船!?おお〜!鳥羽一郎の世界だ〜。そんな言葉使うときがあるんだ〜。カッコ良すぎる〜!
それにしても、つくづく漁師の世界って今も昔も「縁起」が大切なんだなあ。この縁起を知っていたら、食べ物を粗末になんてできるはずがない。お餅だって、しかも紅白なんかになっちゃってる日には、めでたすぎて拝んでから食べてしまう。こうした日本の「ハレ」や「ケ」というものは、日本の自然にマッチしたエコライフの基本的な精神だと思う。
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›4 22, 2004
知床ガイド協議会
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01:04 /
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知床で活動しているネイチャーガイドの連携組織が立ち上がった。個人的には心配の残る立上げだが、懇親会でみんなと飲みながら話していると「自然保護的視点」と「リスクマネジメント」の2点は誰もが共有する精神だ。この2点を柱に、今後の体制を整えていきたい。
›4 10, 2004
メディア
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01:41 /
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メディアは難しい…全て責めるわけにはいかないけど、浅い取材からは混乱は招いても良いものは発信できない。とても信頼する記者さんだからこそ、今日はとある会議に来ていたところをつかまえて、小言をいわせていただいた。
といってもずいぶん前の記事だ。読売新聞さんの北海道オホーツク版で連載されていたものだが、その小冊子版が先日地域に配られ、気分を害した人もいるので、改めてコメントしておきたいと思う。
http://hokkaido.yomiuri.co.jp/shiretoko/ohotsuku/20040109_article.htm
なお、記者の名誉のために付け加えるが、いつもは公平な記事を書いてくださっている、とてもいい方だ。
■自然保護VS観光 という構図について
このような構図での議論はされていない。また、これをイコール「環境省VS地元」のようなニュアンスで書かれているが、そのようなことはないと認識している。
■"平行線の議論"
平行線にならざるを得ない経緯について、是非、取材いただきたい。ある意味、そこが地域にとって最も根深い問題であり、まさにジャーナリズムが扱うべき領域だと思う。また、行政よりの表現である点には若干公平さを欠くかなあ。
■"地域経済"
地元からは滞在化を促進することにより、経済規模を維持しながら入れ込みを減らすという方策を提案しつづけている。環境省等とも滞在化に向けて、さまざまな方策を話し合いを続けている。記事にあるような「自然保護をしたら食っていけなくなる。」という単純な議論はない。
■"ハコもの"
地域のまち作りでの協議を、あたかもハコもの誘致のことしか考えていないように表現されているが、むしろ逆。まち作りに向けての地元の議論の積み重ねと、現状把握がなされておらず、全く事実と異なる。また、このような協議の場には、環境省も参加しており状況をシェアしている。
以上、それぞれ、この場で細かく説明していっても良いが、あまりにもドロドロすぎるので(笑)やめておく。メディアには事実の背景をしっかりと取材していただきたいということと、読者の側にその背景を想像する力をもってもらいたいと願うばかり。
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›3 26, 2004
ネイチャーガイドの連携
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世界遺産や国立公園の利用調整地区制度導入、エコツーリズム推進モデル地区制度にむけて、ネイチャーガイドの協議会の立上げにむけ調整を進めている。全ての事業者が“名を捨て実を取る”の境地に至ってはじめて実現する横のつながり…。うまく立ちあがるといいな…。
Shinraでは今年、経団連の自然保護基金のサポートを受けて情報提供システムを構築する予定だが、その他ガイドライン作りやシンポジウム開催など、このネイチャーガイド組織にかなりの予算を注ぎこむことになる。
今年〜遺産登録後数年はいろいろなお金がこの知床に降り注いでくるだろう。そのお金をいかにハード・ソフトともに意味のある社会資本として後々に残していくか…。日本中からの投資をいかに知床の自然のために使うか…。Shinraはこの世界遺産に向けての奔流の中で、
「マスツアーからエコツアーへのプロモーション」
にミッションを置き事業を進めていくことになりそうだ。他にもいろいろなミッションが考えられるが、それはほかの人達に委ねたい。そういった、いろいろな人格の、さまざまなミッションが有機的につながっていく、そんな連携にしたいなあ。
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›3 03, 2004
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›12 26, 2003
自然保護保全運動の世代交代と人材不足
先日、エコロジーオンラインの代表上岡さんに会った。環境NPO系で彼ほどセンスがありスマートな人に会ったことがない。同世代の彼は栃木県の佐野市で暮らし、時折東京に出てきて打ち合わせをこなすという、僕と近いライフスタイルにまず共感を覚え、さらに同世代でありながらひょうひょうと多くの難題に取り組んでいる姿に刺激を受けた。
以前「究極の自然観と対処療法」という僕のBlog で、自然保護保全運動の世代交代と人材不足ということを書いたが、最近特にこのことを感じる。書き始めると愚痴になりそうなので控えるが、世代間のディスカッションはいつの時代にも存在する。とことん議論を戦わせていくことが「交代」への一番の近道だ。それにしてもそのストレスのどれほど多い事か…。
上岡さんのエコロジーオンラインはYahoo!のクールサイトマークが付くほどの素晴らしい情報量とデザインで、参加されている方の顔ぶれも実に多彩だ。活動には幅と奥行きがあり、自然環境という森羅万象のさまざまな関係性から成り立つ問題に立ち向かうには、完璧と思えるほどのネットワークを築いている。同世代なのに「すごいな〜」と感心してしまう。
彼はメーリングリストで世界中の人とコミュニケートしている。メーリングリストだけでなくきちんと会って話をすることも大切にしている。また、行政の縦割り、それにぶら下がる民間の縦割りを、縦横無尽に飛び回っている。そんな"オンオフのバランス感"…それが僕たちの世代の特徴であり強みのような気がする。
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›11 03, 2003
対処療法
Posted by Tatsuya at
01:25 /
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とかく、人のやることを「対処療法だ」と非難する人は多い。「場当たり的だ」と言ってみたり、「行き当たりバッタリ」と言ってみたり、「ビジョンがない」と言ってみたり…。それらは全て現実と向き合おうとしない逃げの口実だ。
知床ではヒグマやエゾシカなどの野性動物と、人間との接触が問題になってきている。その原因はいろいろだろう。動物自体が増えてしまった、人間の数が増えた、動物たちが慣れっこになってしまった…動物が増えた原因もいろいろだろうが、ここで言いたいのは「じゃあ、どうするか。」の問題だ。
例えばエゾシカについては、増えすぎること自体に対しての対処と、被害そのものに対しての対処の両方が求められる。どちらも大切なことだ。
その場の対処と同時に、原因の分析を行う。研究者はその原因を地域に逐一示すことが必要だ。ただしその際、科学的にはじき出せないことや、現時点ではデータ不足であることが多いので、そのことを地域全体がシェアしていることが絶対条件だ。その上で繊細な“対処療法”を続けていく。
自然と人間が共存していく上では、やはり人間の密なコミュニケーションが重要なのだ。
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›10 21, 2003
鍵取り
6歳になる息子の同級生のオジイちゃんが、網走の港でせりを取り仕切る「鍵取り」という仕事を引退するそうだ。
家族ぐるみでお付き合いしているその子のママから、「もうジイちゃんが定年で、せりの風景も見られなくなるヨ。一緒にどお?」と誘ってもらい、網走の漁港へでかけた。
港へ行けばどこでも威勢の良いせりが見られると思っている人が多いが、市場が併設されている港というのは、実はそれほど多くないのだ。実際、ウトロの港にせりの市場は無い。水揚げは見ることができるのだが、テレビで見るようなせり人と仲買人のやり取りは、知り合いがいない限りめったに見ることは無い。
ちょっとどきどきしながら待っていると、遠くから「花〜♪(孫の名前)」と遠くから呼ぶでれでれの、おじいちゃんがやってきた。「おお来てたのか〜♪これ、俺の孫だ。将来は宝塚だ!(旦那が関西出身なのでいつもこう言って紹介するらしい)」と、馴染みの仲買人に紹介して歩いている。「ジイちゃん今からやるからな。もう見ることできねえんだぞ。」とチビに声をかけると、「おう、孫たちに注目されて、やりづれえんじゃねえのか!」と冷やかされながら、仲買人の人込みを抜けて黒板の前の一段高いところに登った。
ゴンっ!ともっていた棒を床に叩きつけ、「ハイッ!」と腹に響くような声でせりをはじめると、その場の空気がぴんと張り詰めた。何でもたった5分で2,000万円ぐらいの取引があるのだそうで、やはりみんな真剣勝負だ。とてもさっきまでの、親バカなジイちゃんと同一人物とは思えない。それでも、せりはあっという間に終わり、また「花〜♪」とでれでれで孫のところにもどってきた。「ジイちゃん、今日はメンメ食べたい!」「おう、ジイちゃんがおいし〜い魚料理作ってやるからな♪」とせりをやる前の、ただの孫とジイちゃんに戻っていた。
手にもっている棒は、先にフックのような鍵がついていて、つえのように彼の体にとても馴染んだ様子だった。しげしげと眺めていると、「私は、『鍵取り』といって、せりをしきる唯一の人間だ。この鍵は誰でも持てるというわけではない。1日で1億ぐらいの取引を何10年もずっと続けてきた。でも私は引退だ。」とだけいって、孫の肩を抱き寄せながら歩いていった。「自分が1億で買ってるわけじゃないんだけどね。」とそのママは肩をすくめて笑った。
それにしてもビジネスの世界で、この人間味…。
漁のないときは、仲買人に泣いてもらって何とか買ってもらったり、逆に大漁の時は値崩れしないように気を配ったりと、よほどの人格者でなければ務まらない仕事だろう。でも、この“人の心”がこの場にある限り、ここで捕られた鮭たちの魂も浮かばれるだろう。この人間味が末端の消費者まで届けばなあと考える。
せりの時の迫力には「長老」という言葉が頭に浮かんだ。やはりビジネスにおいてもコミュニティにおいても、こうやって人間味を吹きこむ「長老」の復活が必要なんじゃないかと、真剣に考える今日この頃。
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›10 13, 2003
土地のストーリー
Posted by Tatsuya at
00:16 /
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友人の誘いで、町内の演劇グループの公演『イタドリの風』を見にいった。手作りの演劇なのでご愛嬌の場面も多いが、不覚にも号泣(笑)。知床半島の斜里とウトロの中間にある「真鯉」というところにかつてあった集落が舞台で、そこに赴任してきた学校の先生が見た、僻地の深い人間模様と熱い人たちの実話をベースとしたドラマだ。実際にその教師だった中沢菊枝さんという方が書いたこの原作はTVの『北の国から』なんて足元にも及ばないほど、とても迫力のあるものだ。そして知床に住んでいると、当時真鯉に住んでいたなんていう人も身近にいたりして、その人が作品の中で登場したりするだけで、もう涙が込み上げてきてしまう。実際、当時を懐かしく思い出すという意味で、今日の公演を心待ちにしていたおじいちゃんおばあちゃんもいたというから、この公演を実現させた人に対して心からRespect!
この劇を見て、僕はその土地のストーリーみたいなものについて考えた。今では牧場が一件あるだけの真鯉には、かつては集落があって、そこで人間のいろいろなドラマがあり、そこで生まれるものあり、死ぬものあり…と、土地には何らかのスピリチュアリティ−霊性−みたいなものが眠っていると思う。それは、この劇が舞台にしたここ数十年の話に限らず、アイヌ民族がいわゆるアイヌ民族らしい狩猟採集の暮らしをしていた時代、もっともっとさかのぼって縄文に至るまで、今では土となり木となっているところに、数多くの先祖が脈々と紡いできたストーリーがあるはずだ。今やそれを知っているのは大地だけ。その大地のストーリーに耳を傾け語り継いでいく…僕たちにはそういった役割が課せられているのではないだろうか。
改めてそんな風に思い、帰り道、久しぶりに知床博物館へ足を運んだ。いつもはさっと流してしまうような古文献をじっくりと読みながら、知床に連綿と続いているストーリーについてボンヤリと考えていた。例えば、ウトロの中心地にある通称“神社山”には縄文のころの墓が発掘された。例えば、今では“ゴジラ岩”なんて言われているところは、「ウトロ」という地名の発祥の地だという話もある。それに、そそり立った岩の姿は、現代の僕たちが見てもかつてご神体として崇められていた可能性があることを容易に想像できる。ウトロ市街地の岩風景はある意味、“聖地”のような位置づけにすることが、この土地にとってもよいことだと思う。僕たちがその聖地を大切にしていることを、誰かにではなくこの大地そのものに聞いてもらう、そんな作業があっても良いと思う。
今この周辺の土地でまちなみ整備の作業が進められている。岩は保存することで確認がとれているが、整備のずっと前からすでにアスファルトの下になっているところに、どういったストーリーが埋まっているのか改めて知っておきたい。僕たちは地域としてまちなみ整備のプラン作りにおいて、こういった土地のストーリーには充分過ぎるほど配慮をしてきた。でもコミットできる立場にある人間として敢えて今一度、今度はうんと古い時代からのストーリーを再確認してみたいのだ。
その土地のストーリーを語り継いでいくこと…もしかしたら、これこそがまち作りの本質なのかもしれないと思う今日この頃。
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›10 04, 2003
ALOHA SPIRIT
「アロハ」という言葉を知らない人はいないだろう。「こんにちは」とか「さようなら」という意味だと思っている人が多いが、ハワイの先住民族の言葉で"Alo"は「〜の傍らに」みたいな意味、そして"Ha"は「息」という意味だそうだ。「あなたの息遣いを感じます」という直訳だが、本来の意味はもっと深いところにある。
"Ha"は「息」と訳すが、目に見えないもの、つまり「気配」や「気」、今流行りの言葉で言えば「波動」みたいなものをさすそうだ。だから"Aloha"は「あなたにはいい"気"を感じるよ。その"気"を大切にネ。オレも自分の"気"を大切にしながら生きていくよ。」といった、自然のスピリット/魂を大切にし、忘れないようにする、言霊(ことだま)のこもった大切なことばなのだ。
ネイティブのハワイアンは、観光地で聞くような「アロ〜ハ!」みたいな発声はせず、静かに抑揚をつけず、それでいて慈悲深く"aloha"とささやくように発声する。その時、涙が出そうになるぐらいの愛情を感じ、そしてこちらも"aloha"とささやく。カヌービルダーであり、レジェンドサーファーでもあるタイガー・エスペリに、アイヌ民族とのカヌープロジェクトの相談をしにいったとき、彼は初対面の僕を「ずっと君に会いたかったんだ…。」と抱きしめ、"Aloha"と静かにささやいた。ビジネスで関っているというより、魂で語り合っていることを強く感じた。
ハワイには「Aloha Spirit Low」(アロハスピリット条例)みたいなものがあるらしい。ハワイの観光開発はそれはものすごいものだったのだろうが、そこに魂がこもっていたことが今のハワイの雰囲気を作り出している。僕は知床の観光に、アロハスピリットのように、その地域の自然の神々との交感を大切にしたいという魂のようなものを吹きこんでいきたいと思っている。その仕掛けとなる準備を、今黙々と進めている
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›9 13, 2003
エコツーリズムの課題
今年の春に講師に招かれた青森県鰺ヶ沢町でのレポートの公開です(Word/38k)。現地の方々が案内するエコツアーに参加し久々にお客様の立場でツアーを見ていると、エコツーリズムのさまざまな課題が垣間見られました。なお、Creative Commonsよろしくね。
›9 08, 2003
エコツーリズム
僕たちはよく「エコツアーのガイドをしています」という言い方をしているが、実はこの「エコツアー」という言葉をあまり使いたくないのだ。そもそも人間が自然の中に入っているのに「エコ」というのもおかしいし、何よりこの「エコ」という言葉に、相手の考える隙を与えない不思議な力を感じるからだ。僕は、そういう力がちょっと気持ち悪い。
自然保護のためなら何でも通用する最近の風潮に、最近、少し嫌悪感をおぼえている。「そこのけそこのけ自然保護が通る…」という印籠ができてやしないだろうか。この「エコ」という言葉にもそういった思考停止を強いる力を感じているのだ。「エコ」で何でも通用してしまう社会は、ファシズムと何ら変わらない気がする。だから、自然保護と利用を考える上でのエコツアー万能論のような風潮に、僕はエコツアー事業者でありながら異論を持っている。
よく、「エコツアーによって地域経済に貢献し、自然保護への協力をえる。」みたいなことを耳にする。一見、もっとものような意見だし、例えば何もないところの「村おこし」的に活用するには、大きな効果をえることができるだろう。しかし、良くも悪くも完成された知床の観光地のような場所では、本当の意味で「エコツアー」で地域への経済効果を生もうと思ったら、それはそれは至難の技だ。
僕たちの調べでは、小人数単位の自然体験型プログラムに参加し、しかも2泊以上の長期の滞在をする“いわゆるエコツアー”客は全体の1割に満たない。ウトロの年間の宿泊者数が約60万人だから、約6万人弱。このような小さなパイで、ウトロの経済を支えることは現状では無理だ。
しかし、「エコツアー」に対してのニーズはますます増加している。今後、やりようによっては、「エコツアー」だけで知床の観光産業が成り立つ可能性もある。そして、その時に重要になってくるのが、実はガイドプログラムそのものよりも、地域のおもてなしの転換だ。現在は大きなホテルから小さな商店に至るまで、“一見(いちげん)さん”に偏ったおもてなしが定着している。僕たちのお客様もよくいうことだが、滞在には決して適した街作りがなされているとはとても言えないが現状だ。地域全体が滞在に適したまちになったとき、20万人でも今の経済規模を維持できる観光スタイルを確立することができる。
多くの学者さんがもっともらしくこんなことをいう…。
「自然保護は地域の協力あってこそ。自然保護で地元に経済効果を。」
でも、実際問題としてそれを実現できているところを僕は聞いたことがない。もちろんそれは当然のことかもしれない。学者はその答えまで導き出すことはしてくれないのだから。それをやるのは地域以外の誰でもない。そしてそのノウハウは生活そのものの中にこそ見出すものだ。だから誰にもそのノウハウはないのだ。地域は学者なんかに遠慮せず、もっと胸を張って自然体の自然との関りを発信していったら良いのだ。「エコツーリズム」に適した地域のおもてなし…僕の最大の関心事だ。
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›8 21, 2003
シーニックバイウェイ
Posted by Tatsuya at
23:47 /
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国土交通省(北海道開発局)が行っている“シーニックバイウェイ”プログラム。
http://www.scenicbyway.jp/
Scenic=絵になる Byway=わき道
道路を新たに作るのではなく、既存の道路で、しかも素晴らしい景観が続く道路を、
より素晴らしく維持管理すること、そしてその素晴らしい景観を内外に積極的にPRし、
観光産業を中心とした経済振興に役立てようというプログラムだ。
アメリカで始まったプログラムだが、発端は国立公園内の自然景観とは全くマッチしないガードレールや、サイン計画(標識などの統一)などから始まったそうだ。
日本では北海道が全国に先駆けて(ドライブ天国ですからね)ニセコ〜千歳周辺と旭川〜富良野・美瑛で、この制度を取り入れた道路管理を進めることとなった。
具体的には、花を植えることから、清掃、道路標識の付け替え、といったものからNPO等による新しいコミュニティビジネスの創出といったところまでが、このプログラムの守備範囲である。
従来の“神の声”のような公共事業の進め方に慣れている人にはさっぱりイメージがわかないもので、どちらかというと自発的な市民活動(NPO等)が先にありきの公共事業だ。
だから、「何かしてもらう」というモードでは誰も動いてくれない。
地域の人々が何をしたいのか?何をすれば課題解決になるのか?それらをしっかりと捉え、しかも、それを解決に向けて末永く続けていくための事業計画が必要となってくるのである。
僕は行政のやり方にいつも腹を立てていることが多い中で、このプログラムはいつも国民に揉まれている国交省ならではの取り組みで、むしろとても良くできたプロセスだと思っている。
逆に言うと、どれだけ自立した個人=市民社会が定着しているかを試される場であるかもしれない。
来年は知床を中心としたシーニックバイウェイを生み出そうと仲間達と企てている。
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›4 10, 2002
“自然保護”
Posted by Tatsuya at
23:23 /
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最近「自然保護」という言葉を使う機会が多い。この言葉は、自然について少しでも真剣に考えている人なら、安易に使う言葉ではない。人間が自然に保護されることはあっても、人間が自然全体を「保護する」ことはありえないからである。「自然保護」という言葉を敢えて使うとすれば、行政などの権力的な強制力をもって乱開発を阻止することなどを考えるときだと思っている。僕が最近、この「自然保護」という言葉を口にする機会が増えているというのも、いろいろな行政の委員会に出席しているからだ。「自然保護」という言葉にはこの「権力的な強制力」というニュアンスを含むので、僕はこの言葉を扱う場ではとても注意を払うようにしている。そして、この注意は実はこれから多くの人が共有していかなければならない大切なポイントなのかもしれないと思うようになった。
知床はナショナルトラストに代表するように、日本の「自然保護」精神の先頭に立ってきた土地だといっても過言ではない。日本中、否、世界中の人が興味を持ち、現実に乱開発もされず今日に至っている。きちんと体系付けて調べたことはないが、戦後、日本中が開発されていったなかで、その開発に地域が「NO」と言ったことは、本当に異例なことだったはずだ。しかも自治体が率先して開発反対路線を取ってきたことは、他に例を見ないのではないだろうか。僕は細かいことは別にして、そういった土壌があることは知床の大きな財産だと思うし、それに惚れて移住したという面が無いわけではない。
僕が惚れたというのは「自然保護」路線のことではなく、「知床の自然を大切に思う気持ちが、地域性として存在する」という点だ。でも今の時代、この「気持ち」と「自然保護」とはもはや直接結びつけるのは少々無理がある。かつて無計画に日本中の山という山にブルドーザーが入り森を破壊していった時代には、「自然を大切に思う気持ち」は確かに乱開発からの保護という選択肢に結びついたかもしれない。しかし、世界的に自然環境への関心が高まり、一人一人の生活レベルから自然のことを考えなければならなくなった現在、何かから自然を守るというインセンティブは薄れ、人々の全ての活動を通して自然に対してどのような恩返しができるかという一歩進んだ取り組みへと発展してきている。そんな中で、「自然保護」という言葉は何だかノスタルジックな響きを感じずにはいられないし、問題を単純化させてしまうような気がする。
環境省は国立公園のあり方を根本的に改めようと、自然公園法を改正した。それこそ今までの乱開発阻止型の公園法に「利用」の概念を加え、尚且つ地域との結びつきを深めた管理を行っていくという発想は、僕たちが考えていることと何ら変わりなく、むしろ画期的だと思っている。自然状態を保ちながら、快適な利用を実現させる・・・ある意味、矛盾した二つの概念を結びつけたチャレンジングな課題が僕たちの前に突きつけられたわけだが、それだけに僕たちは相当の想像力をもってさまざまな課題に取り組んでいく必要がある。従来の自然保護思想に縛られている場合ではない。この法改正により、地域には公園管理との関係性が求められ、行政の側には責任の線引きがはっきり明示される。国立公園を抱える地域の役割と、行政の役割、そしてそれらの連携が多くの点で書きかえられようとしている。さらに、そのモデルケースを知床で構築しようというのだから、僕たちの責任は大きい。ウトロ地域として積極的にコミットしてるのも、民間としての強い責任感からだ。
僕たちは、自然状態を保ちつつ快適な利用を持続するという点で当然重要となってくるルールにおいて“おもてなしとしての規制”というコンセプトの必要性を提言している。知床国立公園を訪れるお客さまに“規制を規制と感じさせない”配慮を、地域民間のノウハウを導入することにより実現させるプランを環境省や斜里町に出しているのだ。「どこそこにいっちゃダメ」というネガティブシンキングではなく、「○○もいいけど、□□も最高!」というような積極的なお客さまへの逆提案、そしてその行き先々での魅力的なガイドプログラムや快適性の確保、でもお客さまの方は知らず知らずのうちに自然へのインパクトが少ない方向にいつのまにか楽しくコントロールされている、本人はコントロールされたことさえも感じないほどの満足度を提供する・・・というCS(カスタマーサティスファクション)を基本に据えた仕組みを作り出したいと思っている。間違っても、“指導員”みたいなダサい腕章をつけた勘違いボランティアおじさんが、「あなたはルール違反です!」と人を蔑んだような態度を取る公園にだけはしたくないと思う。
しかし、このCSという考え方は、残念ながら行政の方々や旧来の自然保護思想の人たちには「顧客満足=迎合」という印象を与えているようだ。また、昔ながらの「商売=悪」みたいな構図を簡単に作り上げてしまっているのが、話をしているとよくわかる。僕は今さらCSのことや経済活動と環境保全の関係について改めて説明する気にはならない。この二つは僕が社会人として一番はじめに、そして最も大切なことのひとつとして叩き込まれたことであり、常識だと思っているから。ただ、お客さまのことを第一に考えるということは、各企業において収益をあげるということ以前に、人としての立ち位置に根ざしている。このことだけは、行政の人たちには理解してもらわなければならない。
顧客第一主義に根ざしていない規制は強制にすぎない。もちろん、どうしても「これはやっちゃダメ!」というものもあるだろうが、何もそれを一義にすべきではないと僕は考える。結果的に保護したい自然が保護されれば、規制を規制と感じさせる必要は全くない。僕にとってはこのことはごくごく当たり前の発想なのだが、一方で「いかにも規制」という感じを好む人もいるようだ。 「自然保護」の行きつく先は、人間の活動の持続可能性を探るもののはずだ。だから、何らかの無理がかかるようなやり方では長続きしない。そして、ある意味最も恐れなければならないのは、「自然保護」議論の“封印”だ。強制というニュアンスを伴うと、僕達の思考は停止してしまう。正しいのか正しくないのか、間違っているのか間違っていないのか・・・「自然保護」という名の強制力は、そういったことを考える余地を人々から奪い取ってしまう。「そこのけそこのけ自然保護が通る」という自然を印籠にした水戸黄門を作り出すことはない。自然を保護しようという人がいて、それに対して違う視点からものをいう人がいる。僕はこういうフツーの議論をきちんと積み重ねていきたいと思う。
僕は旧来の自然環境に関する運動や活動にずっと違和感を感じてきた。“科学的”であることが良しとされてきた自然考察の中に、“人”の姿を想像できないからだ。人間ははるか昔から自然の中で暮らしてきて、科学的ではないかもしれないけれど、自然を大切にしていくさまざまな営みが存在したはずだ。僕は僕らの世代の活動論として、そんな古くて新しい人間本来の自然とのかかわりをオルタナティブとして追求したいと思っている。自然という漠然としたテーマをテーブル乗せ、科学者から近所のオバちゃんまでが何ができるかもわからず共にかき混ぜ、誰ともなく味見をする・・・その味を人間と自然との最適な関係性として捉える。そんなラフなコンセンサスの姿を僕は描いている。