« 2010年05月 |
メイン
| 2010年07月 »
›6 21, 2010
理想の自然利用
Category:
NPO
/
2 Comments:
Post /
View
知床五湖の利用システム実証実験検討の一環で、委員の先生方をお連れして知床五湖をガイドしてきました。久しぶりに本格的にガイドしたなあ。しかも、日本の国立公園や自然保護の制度設計に携わってこられたような、そうそうたる方々を前に、僕がお話しできることなんて何もありません。ただ一つだけ、知床の森の深遠さをみんなで共有できればよいなあと思いました。それは達成できたかな??とても気持ちのよい雨上がりの知床五湖でした。
報道機関のカメラが入っていて、取材を頂きました。うまく話せたかどうか自信もないし、ON AIR前にきちんと自分の真意を自分のコトバで伝えたいなあと思いBLOGをしたためています。北海道ローカルの「イチオシ!(HTB)」です。放映日を伺うのを忘れてしまいました。
カメラマン兼記者の阿部さんも自然関係で言えば相当にコアな現場を体験してこられている方です。彼は何と南極観測隊のフィールドアシスタントのお仕事で南極大陸での数ヶ月ごとのテント生活を、観測隊の安全確保のために3年連続でなさっていたそうです。そんな彼の投げかけはとても心地よく核心を突いてきてくれました。
知床五湖の利用システムは以前にも書きましたが、平たく言うと新しくできた誰でも自由に利用できるバリアフリーの木道に対して、ガイド付の利用者のみに認められる従来の地上歩道との2つに利用エリアが分けられる環境省の「利用調整地区制度」導入のことです。実現すれば国内では2例目という新しい制度。新しい制度ゆえ、また地域によって自然の特質が違うゆえ、全国レベルの国の制度とするには随分と課題や問題の多い印象は否めません。国境もいらないと思っているぐらいの僕は、そもそも自然の中に行政の網をかけることに、当初猛烈に反対をしてきました。100歩譲って行政の網はかかっていても良いけど、自然の中は「自由」でしょ!という思いが今でも強くあります。そして「自由」を担保するのは自己責任であって、自分を律するために刻苦研鑽するのが自然と向き合うときの姿勢だというのが僕の考えです。
一方で、知床は観光地でもあります。「自然と向き合う」とまではいかない利用者の方がほとんどですから、そんな精神論みたいなことを言い続けていても意味がないと思っています。今までの自然保護は言ってみれば、精神論にすぎなかったというのも僕の考えです。その結果、今、山に若者はいません。山にいる中高年のみなさまも、若い頃は随分と無茶をしたはずですが、自然は知れば知るほど用心深くなりますから、それを後世に親切で語り続けているうちに、いつの間にか自然は近寄り難い、随分と敷居の高いものになってしまいました。僕は、これも以前にも書きましたが、自然破壊ももちろんですが、こういった「人々の中に自然が無くなっていくこと」にはとても脅威を感じています。
知床は優しくもあり厳しい自然です。取っ付きやすいですが、森にはヒグマ、海にはシャチというどうしようもなく強力なパワーを持つ野生生物が暮らし、命の「危険」と隣り合わせでもあります。その上、最近は遊歩道などの周辺は、倒木などがないようにと、枯れたり、大きくなりすぎた枝が自重で折れて「危険」がないようにと、営林署などが手入れをしています。「危険」といえばそりゃあ「危険」なことが自然の中にはたくさん転がっています。
僕は国家などがこの「危険」というものを担保に全ての制度設計をしていっている今の風潮に疑問を感じています。さまざまな会議では「人の命を取るのか、この制度案を受け入れるのか」といったたぐいの脅しを受けることも多くなっているような気がします。恐らく行政の担当者ご本人たちにとっては、脅しなんていうつもりは全くないのでしょうが、この理屈はテロリストの恐怖を煽るブッシュの論理にているなあと感じます。思考停止の論理。こんな議論に最近は少々嫌気がさしてきています。「危険」と隣り合わせで初めてその懐の深さや、神秘さが私たちの心を打つのだと思います。「危険」で当たり前じゃないか。そしてその危険回避を、行政が担保してやる必要なんて、本来はないのだと思います。しかしナンセンスなのですが、確かに、国立公園などの制度をひもといてみると、なるほど行政が何らかを担保していきたくなるのも、理解できなくはないのも現実です。今に、日本国民は森遊びも海遊びもできない人間になっちまうのが、私たちの自然を取り巻く法体系なのです。とってもトホホなんですよ。
僕は知床(北海道)以外はどこの森を歩いても心から楽しめません。それはヒグマがいないからです。クマがいない森はどんなに豊かであっても、どこか物足りない印象があるのです。シャチがいたり、冷たい真冬の海で命の危険を感じながらのサーフィンを心から愛しています。これはコトバではうまく言い表せませんが、知床を訪れた多くの方々が深く感動して下さることにも関係しているような気がします。みんな潜在的な恐怖を自然の魅力に結びつけている・・・。それを体験できる知床で、そのちょっとしたきっかけを作ってあげたいと、ガイド事業を15年前からはじめたのでした。僕がお客様にお伝えしたいのは「危険」を内包した自然のスピリット。しかし、行政の制度の中でインフラのように位置づけられていくに連れ、何だか誰のために「危険」回避をしているのかがわからなくなってきます。これは、僕のやりたかったこととは全く違います。まあ、そうは言っても地域で合意しながら進めている事業。もう僕も10年以上会議に出席してきましたが、いろいろあってもやってみることも大切だと思っています。協力は惜しみません。
阿部さんの最後の質問はとても印象的でした。
「知床五湖の利用はどのようなかたちが理想ですか?」
全ての人が自然の良さも怖さも理解して、自分の時間で、自由に楽しんでもらうこと
です。
ガイドが関わることによって、これに近づくことになるのでしょうか?現時点では疑問です。が、まあ、やってみるしかないっしょ。
≪続きを隠す
›6 08, 2010
正社員と非正規社員
Category:
/
3 Comments:
Post /
View
亀井さんが、郵政の非正規社員を正社員にすると言っているそうです。それに対して、賞賛の声も聞きますが、「正社員」「非正規社員」というコトバに僕たちはずいぶんとごまかされているような気がします。そして、渦中にいる方々はごまかされているかどうかに対して無批判なのと、「自分がどういう暮らしをしたいのか」を見失っているように見受けられるところが気になるのです。「自分がどういう暮らしをしたいのか」がイコール「取りあえず正社員になりたい」では無いはずですが、そのように迷っている人を、政治家はもてあそび過ぎです。
正社員と非正規社員の違いは、雇用契約の際、契約書の中の「契約期間」の欄を"空白"にするか期間を記入するかの違いにすぎません。そして"空白"が「終身雇用」を約束する暗黙の了解ですが、そんなの、どっちにしろ曖昧な約束にすぎません。会社が倒産すれば失業です。法で言う「正社員」になりたいのでしょうか?「暗黙の了解で"たぶん"終身雇用してもらう」ことを望んでいるのでしょうか?恐らく違うのだと思います。
また、「正社員の方が非正規社員より福利厚生や社会保障が充実している。」という論調があります。非正規社員にだって同様の福利厚生をつけている企業だってたくさんあるし、反対に我が社のように正社員なのに大した保証も無いところもあります。その"論調"に無批判で幻想を描いている人は多くないでしょうか?
多くの人が「セイシャイン」に望んでいることは、とどのつまりは「社会保障」の話なのだと思います。「仕事が無い=収入も無いので死ぬしかない・・・というのは勘弁してくれ」ということなのです。収入ゼロでも死なないで済む社会に暮らしたいと思っているのです。病気になっても、取りあえず診てもらえる医療を望んでいるのです。失業しても子供の学業に心配が無い世の中を夢見ているのです。これは共産主義の話ではありません。社会保障で実現している資本主義の国はいくらでもあります。
別の話をするとすれば、日本は労働者の権利はずいぶんと語られる国ですが、経営者には人権が無いのではないかと思うほど、本当に保証がありません。資金繰りのために自分にかけている生命保険を活用する(=自殺する)。業績は好調なのに、社員のための社会保険が原因で資金繰りが悪化する。税金を払うために借金をする。経営者に失業保険が無い。経営の失敗は社会的な失敗・・・数え上げたらキリがありません。一時期、起業を煽る社会風潮がありましたが、こうした現実を若い人たちはよく見抜いています。そんな、取り返しのつかないリスクまで背負って、起業をすることのバカバカしさをよく理解しているのです。ならば、すこしでも企業努力で支えてくれる企業に属しようと思うのは当然です。結果、妙なシガラミやプライドみたいなものばかりが溜め込まれた、"ハウルの動く城"のような巨大企業のみがあいかわらず日本を席巻し、勢いがあるようで世界的に診ればじわじわと衰退しています。そんな、日本の姿に私たちは嫌気がさしているのですが、取りあえず死なないで済む道として、ハウルの城に乗せてもらうことに必死になるのです。
健康保険や雇用保険、労災などの社会保険は国として定められて当然ですが、それらの手続きを日本では企業が行うことが義務づけられています。それはそれは大変な作業で、はっきり言ってこれのためだけに人を雇う必要があります。本来は国の仕事を、企業が自ら負担をして行っているのです。「それは経営者として当然だろ!」ということは理解していますが、得てしてそのようなことを言う人は、昔ながらの労使関係に基づいた運動をしている人です。すなわち「経営者は労働者を搾取しているはずだ」という前提に立った、前時代的な運動です。こうした運動論が、ここ最近で蒸し返してきていることが気がかりです。「自分がどういう暮らしをしたいのか」を見失っている若い労働者が、古い活動家に煽られて、論点のズレた議論をここ数年続けているような気がしてならないのです。
労働者にとっても経営者にとっても社会保障なのです。これには、はっきり言って社民党にとても期待していました。「フランスのような社会資本主義を目指しているんだ」と、かつて土井さんは仰っていました。僕は社会主義者ではありませんが、土井さんはすごいなあ・・・と思って聞いていた記憶があります。死ななくてもいい・・・それをやりきるだけで、今の社会不安のかなりの部分は解消されたはずなのに。
だから、社会保障の話を「セイシャイン」「ヒセイキシャイン」という問題に矮小化してしまうのは相当にヤバい問題のすり替えだと思っています。社会保障の本質的な議論を完全に葬り去ってしまう危険性を秘めていると危惧しています。もちろん、亀井さんやマスコミにも悪気は無いのでしょうが、そんな話を遥かに凌駕するようなスケールの大きな社会保障の議論を多いにしていただきたいと願っています。
≪続きを隠す