それから、雷。今年の夏は、落雷による電話の不通という災害に見舞われた知床だが、我が家の森でもどうやら雷で折れたらしい木があった。これは始めて。最初は気にせずその倒木を処理していたが、どうにも不自然な折れ方をしていて、断面を見てみると丸焦げではないが黒く煤けた感じになっていたのだ。そう言えばあのすごい雷の日は近所に住むうちのスタッフから「藤崎さん家に雷が落ちた!」とあわてて電話をもらったっけ。僕は外出していたので知らないのだが、家内が「すごいのが落ちて、家の電球が飛んだ」と言っていた。

息子が断面をチェックしに登ってくれました

断面周辺は焦げたような痕。これ雷の痕?
自然災害で倒れる木のほとんどはトドマツ。きっと他の木よりも高く延びるので風や雷の影響を受けやすいのだろう。だから今年の薪は松ばかり。ちなみにここ数年は、エゾシカが樹皮喰いをして立ち枯れたニレばかりだった。薪からも自然の様子が分かるのだ。
松は燃えると一気に熱くなりすぎストーブを痛める上に、ヤニが多いので煙突にすすがたまる。薪としてはB級品といわれているが、僕はみんなが言うほど嫌いではない。それこそ、松ばかり薪にしているカナダのストーブだからか、それほど痛んでいる様子もないし、広葉樹の薪と混ぜて使えば燃焼時間の短さも気にならない。それよりも、今年は風で倒れた松だとか、去年はシカにやられたニレだとか、はたまた増改築で倒すことになる○○さん家の庭に何10年も立っていたカエデだとか、その年その年のその木を燃やすことになった背景をもいっしょに炎にするあたりが楽しい。何だか護摩を焚いているようなのだ。
薪ストーブは炎を司る。現代で火をコントロールできる一般人がどれほどいるだろうかと思う。火を使うようになってから人は文明を育んできたと言うが、その文明の根源でもある火のコントロールのノウハウの部分は見えなくなっている。コンロやエンジンもある今、そんなこと考える必要もないと言えばないのかもしれないが、川が増水し管理者も利用者もなす術もなく災害が起きてしまうのは、問題の根っこはこうしたところ〜火を扱うとか、水脈を考えるとかのあたりまえのことから、私たちの暮らしが離れてしまっているからではないだろうかと思う。
まあ、そんな大げさなことを考えて薪ストーブにしているわけではないけど、オーガニックの野菜を食べるようにしていることや、界面活性剤の入っている洗剤を使わないことなど、生活のスタンダードの一部であることには違いない。そして、それは、はっきり言って自分の子供達のためにやっている。さまざまな事業を通して社会の問題にコミットはしているが、所詮僕一人が何かをやっても農業全てがオーガニックになるわけではない。それよりも、親のスタンダードを見て育ってもらい、大人になったときに次のスタンダードを自分で考え実践してもらいたいと思う。
子供の心のどこに何が落ちるのかは全く予想つかない。
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