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›10 25, 2009
薪から見る自然とか、社会とか
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今年は春先の大風で倒れた我が家の森の木だけで薪が足りた。今年の風は本当に強かった。森の中を点検して回っていると、つくづく知床は風に堪えている森だなあと思う。

それから、雷。今年の夏は、落雷による電話の不通という災害に見舞われた知床だが、我が家の森でもどうやら雷で折れたらしい木があった。これは始めて。最初は気にせずその倒木を処理していたが、どうにも不自然な折れ方をしていて、断面を見てみると丸焦げではないが黒く煤けた感じになっていたのだ。そう言えばあのすごい雷の日は近所に住むうちのスタッフから「藤崎さん家に雷が落ちた!」とあわてて電話をもらったっけ。僕は外出していたので知らないのだが、家内が「すごいのが落ちて、家の電球が飛んだ」と言っていた。

息子が断面をチェックしに登ってくれました

断面周辺は焦げたような痕。これ雷の痕?
自然災害で倒れる木のほとんどはトドマツ。きっと他の木よりも高く延びるので風や雷の影響を受けやすいのだろう。だから今年の薪は松ばかり。ちなみにここ数年は、エゾシカが樹皮喰いをして立ち枯れたニレばかりだった。薪からも自然の様子が分かるのだ。
松は燃えると一気に熱くなりすぎストーブを痛める上に、ヤニが多いので煙突にすすがたまる。薪としてはB級品といわれているが、僕はみんなが言うほど嫌いではない。それこそ、松ばかり薪にしているカナダのストーブだからか、それほど痛んでいる様子もないし、広葉樹の薪と混ぜて使えば燃焼時間の短さも気にならない。それよりも、今年は風で倒れた松だとか、去年はシカにやられたニレだとか、はたまた増改築で倒すことになる○○さん家の庭に何10年も立っていたカエデだとか、その年その年のその木を燃やすことになった背景をもいっしょに炎にするあたりが楽しい。何だか護摩を焚いているようなのだ。
薪ストーブは炎を司る。現代で火をコントロールできる一般人がどれほどいるだろうかと思う。火を使うようになってから人は文明を育んできたと言うが、その文明の根源でもある火のコントロールのノウハウの部分は見えなくなっている。コンロやエンジンもある今、そんなこと考える必要もないと言えばないのかもしれないが、川が増水し管理者も利用者もなす術もなく災害が起きてしまうのは、問題の根っこはこうしたところ〜火を扱うとか、水脈を考えるとかのあたりまえのことから、私たちの暮らしが離れてしまっているからではないだろうかと思う。
まあ、そんな大げさなことを考えて薪ストーブにしているわけではないけど、オーガニックの野菜を食べるようにしていることや、界面活性剤の入っている洗剤を使わないことなど、生活のスタンダードの一部であることには違いない。そして、それは、はっきり言って自分の子供達のためにやっている。さまざまな事業を通して社会の問題にコミットはしているが、所詮僕一人が何かをやっても農業全てがオーガニックになるわけではない。それよりも、親のスタンダードを見て育ってもらい、大人になったときに次のスタンダードを自分で考え実践してもらいたいと思う。
子供の心のどこに何が落ちるのかは全く予想つかない。
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›10 09, 2009
どの自分で生きるのか
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人にはいろいろな行動パターンがあると思う。
言われなくてもヤル人。言われてヤルのが嫌いな人。言われないとやらない人。言われてもやらない人。言われたことと違うことをやろうとする人。言われたことを勝手に解釈をして違うことをやる人、逆に言われた以上のことをやれちゃう人。
自分でゼロからやるのが好きな人。ゼロからやりたいけど踏み出せない人。ゼロからヤル気はあるけど、ノウハウがなくて立ち止まってしまう人。ゼロからやるのは危ないと評論する人。誰かがゼロから始めたものがカタチになってから、その気になる人。
新しいことが好きな人。古いことが好きな人。新しいことが嫌いな人。古いことが嫌いな人。
数え上げたらキリがないが、これらの人それぞれの特性には、はっきり言って関心がわかない。それよりも「それを本人が意識しているかしていないか」・・・偉そうなことを言うようだが、このたった一つの行動パターンを、僕は人と接する時に関心を持って見ている。
自分や他人の、性格や行動特性はあきらめた方がよい。治そうと思って頑張ると絶対に病気になってしまう。極端に言えば、こうした特性自体がビョーキみたいなものだから、そのビョーキをどれだけ自覚して、うまく付き合っていくかが大切だと思う。
最近でこそ「発達障害」とか「学習障害」なんていうのが認識されてきたが、それをより細分化していくと、上記のようなそれぞれの行動特性や性格に行き着くような気がする。前にも書いたが、僕はモノを数える機能に欠陥があると自覚している。飴を10個とか数えるのが苦手。いやいや、普段の生活には全く支障がないが、統計を取ったら明らかにミスが多いはずだ。
逆に、使いようによっては社会や経済に役立つ人それぞれの欠陥もある。社長をやる人はみなそうだと思うが、リスクを好む傾向にあるはずだ。リスクで燃えるタイプじゃないと社長なんて務まらない。それを若者に啓発したところで、誰もが社長になれるはずもない。やっぱり頑張りすぎて病気になってしまうだろう。
社会は、そんないろんな特性の集合体だからうまくいっている。
しかし、とかく世の中は「全くアイツは、○○ができない!イライラする!」「何でこんなこともできないんだ」と怒っている人が多い。僕はとっくに「A君は○○はできない」「B君は□□になるとパニクる」と割り切ってしまっているので、腹が立たない。自分がやれることでも他の人にはできないことばかりだ。もちろん逆もしかり。腹を立てるだけ時間とカロリーの無駄だ。それよりも、それぞれの特性を意識させてあげることに努めている。その方が楽だ。そして、自分から前のめりで関わってくる人としか仕事はしない。逆に言えば、せっかちで前のめりな特性の人、リスクをとりにくる特性の人じゃないと、自分の特性も活かされないと思っている。
様々な場面で、様々な仕事やコミュニケーションがある。リーダーがリスクをとったあとは、少しずつ実務に落とし込んでいく特性の人が活躍する。自分の特性を意識して、どの自分で生きていくことを決めたのか、肝っ玉のすわっているヤツがプロ中のプロだ。
そして、それが見えてくるのは、具体的に何かをやっているとき。会議ではない。
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