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›8 25, 2009
日本を泳ぎまくる
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Water
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同じことをやっている人が他にもいたのでビックリした。ロジャーディーキン著『イギリスを泳ぎまくる
』。
何を隠そう出張先で日本中のプールに行くことが僕の密かな楽しみだ。恐らく、日本各地の市民プールに入った数で言えば、きっと北海道No1、国内でもかなり上位に食い込むだろう。これは下らない自慢なのだが、言いたいことは水が地域によってちがうこと・・・。歴史が育んだ「空気感」が各地域の街を包んでいるのは誰もが感じるだろうが、水にも「水感」みたいなものがあることは、ほとんどの人は知らないだろう(味のちがいは気がつくけど)。それは、水に込められた魂の違いなのだと僕は思う。

水は命の源であり、死後の行き先だ。
地球は水で満たされ、大気にも水が含まれている。そんな水を摂りながら、僕たちは生きている。僕たちの体を巡った水が川を流れ海に注ぎ蒸発して雲となり、やがて再び大地に降り注ぐ。また、人間の体そのものも水とタンパク質などでできている。死んだら燃やされ、水になって大気に霧散する。まさに輪廻そのもの。生も死も内包した水の本質を、僕たちは本能的につかみ、水に感謝し畏れているのだろうか。
水が恐いという人は多い。夏の怪談話でも、水にまつわるはなしは多い。他にもお盆のときは海水浴に行くものじゃないとか、水で禊ぎをするとか、水を忌み嫌うものあるいは神聖なものとして捉えるのは日本の文化だ。水は伝統的に「霊」みたいなものとの媒介役を果たすと考えられているのか。僕はそれはわかる気がする。
水が大好きという人も多い。たとえ海だろうが、プールだろうが、小さな池だろうが、水の中は深遠な森の奥のような深い"自然"だ。水には死者の魂も籠っているし、まだ生まれてこない生命エネルギーのようなものも籠っている。水を通して過去や未来を自由に交信できるかのようなスピリチュアルな世界。こんな感覚が好きで、僕はあちこちで泳いでいる。

レジェンドサーファーは決まって「海から学べ」と言う。サーフィンをやったこと無い人は、これを単なる精神論であったり、たとえ話であったり、ロマンだと思うかもしれない。しかし、この言葉はズバリそのままだ。本当に海はいろいろなことを教えてくれる。随分前のエントリーに深遠な森から教わることの多さについて書いたことがあるが、同じように、言葉や文章を介さず、直接に魂に共鳴するようなメッセージ。うまく説明できないが、今日は帰った方がよいとか、今日は怪我しそうだとか、はたまた悩んでいたことへの答えとか、仕事のアイデアとか・・・不思議とインスピレーションとして、体のどこからかわき出してくる。これは、海から学んだことだ。死者の魂、まだ生まれていない生命の魂の声が教えてくれる人の道だ。
これに導かれ生きる。そんな覚悟を持っている人はあまりいないと思う。その孤独を感じていたが、ロジャーディーキン翁が生きていたら、僕は会いにいっていただろうと思う。
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›8 21, 2009
CAFE PATH
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CAFE PATH
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9月下旬に念願のカフェを開店する運びとなりました。コンセプトは「民設のビジターセンター」。現在、目下リフォーム中。
CAFE PATH ここがしれとこのはじまりです
北海道新聞さんの記事→http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/183703.html
ネイチャーガイド業を10年以上続けてきて、ガイドサービスは今や知床ではあたりまえのサービスとなりました。僕がネイチャーガイド業をはじめた13年前は、国内では定着している地域はほとんどなく「誰でも行けるところに連れていって料金をとるなんて。」とバカにされたものでした。しかし、当時の僕の夢は、朝のホテルのエントランスに、無数のガイド会社のガイドがお客様をお待ちしている状態。僕は自分の事業としてガイド業を進める傍ら、NPOのミッションとして市場を育てることに奔走してきました。そして、それは世界遺産などの効果や他社の努力の成果もあり、ほぼ定着したと言っても良いと思います。ただ僕の計算では知床には200人のネイチャーガイドがいなければならないと思っています。現在はたったの40人足らず。もっと多くの会社が参入し競争の中で切磋琢磨しながら、さらにガイドサービスが育っていくことを目指し、地道に続けていきたいと思っています。
一方で、ガイドサービスが育ってくるに連れて、あまのじゃくな僕は日に日にこんなことが気になってきました。お客様はチェックインの時間を気にし、ガイドの時間を気にし、観光船出発の時間を気にし、レンタカー返却の時間を気にし・・・といった人が増えてきています。僕が心配するほどお客様自身は気にしているとは思えませんが、とにかく自分の時間で自分のペースでボーッと知床の空気に包まれている時間って意外と少ないよな、ということなのです。ガイディングにおいては「話をしてほしくないときは話をするな。」「お客さんがどう感じているかを察知しろ。」とガイド達には伝えています。しかし、堤防で何時間もボーッと海を眺めるだけ・・・というような旅をしてきた僕が伝えたいことは、やっぱりガイドサービスでは提供することができません。もちろん、しっとりと無言で涙を流されているようなお客様の様子もしばしば見かけます。のんびりされていたり、短い時間であってもゆったりした気持ちを与えることが我々ガイドの仕事ですが、でも、お客様はいつまでもガイドの管理下なのです。事業をしている自分が言うのもなんですが、僕にはそれが我慢ならないのです。

知床は世界遺産になり国立公園の方向性として、徹底した管理が求められています。ガイドにもいわば管理インフラとしての機能を追加していこうという動きが行政を中心に出ています。それ自体は、仕方の無いことなのかもしれませんが、旅人の立場に立つと、知床ほど自由の無いことを意識させられる自然は他には無いのではないかなあと思います。しばしば、自然の中での「自己責任」みたいなことを述べていますが、自己責任は誰もがわかっていながら、実は日本の自然で自己責任は存在しません。昨今、事故が増えるにつれ管理者側(行政)が管理を厳しくする動きは、この法体系なら仕方の無いことなのかもしれません。でも、やっぱり自然は本来誰のものでもなく、同時に人類共有の財産なので誰もが大切にしなければならないものです。こんなあたりまえのことが、古い法によって歪められています。大人の自由が日本の自然にはなくなりつつあるのです。
あっ、そんなに大げさなことではないのです!僕が言いたいことは(笑)。
CAFE PATHで自分の時間で、自分の気分で、知床の自然を味わってください。
都会ではありませんから腕のいい料理人を抱えるわけにはいきません。ビックリするような料理は出せないかもしれませんが、素材はどこにも負けない食材ですから、それをシンプルに、周りの自然に演出してもらいながら味わってもらえるよう努力します。
高級なものはありませんが、ゆっくりしたくなるような家具を揃えます。
ウェイターでもない、コンシェルジュでもない、ネイチャーガイドでもない、売り子でもない執事のようなフロア担当が皆さまをお待ちします。

このカフェが出来る知床半島峰浜地区は、かつてもっとも大きなコタンが存在したところでした。今でも注意して走っていると、国道の脇に遺跡の跡があることに気がつくでしょう。知床での人の営みの始まった場所です。また、この周辺の本来の地名は「シュマドカ」というアイヌ語です。これは「石の浜」という意味ですが、延々と網走から続いていいた砂浜が、峰浜を境に見事に石の浜に変わります。地質的にも知床半島がはじまる場所です。さらに、今までに無い観光サービスをCAFE PATHは目指します。新しい知床観光の提案です。そんな思いを込めてつけたキャッチコピー・・・
CAFE PATH
ここがしれとこのはじまりです
みなさまどうぞご愛顧ください。

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›8 08, 2009
自転車オタク再び
Category:
Lifelong sport
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友人から譲ってもらったロードを、自分に合うように改造しました。
5年前ぐらいのアンカーですが、石垣島に勤務していた時に数回トライアスロンの大会に使った程度というだけあって、とてもきれいでした。かつて乗っていたロードが家に2台あるのですが、あまりにもレトロすぎて乗りたくても乗れずにいました。乗りゃあ良いのですが、プライドが許さないのです。ダメですね、中途半端な経験者というのは。

だから、しばらくMTBに乗っていましたが、やっぱりロードに乗りたくてウズウズしていたところ、背格好が同じぐらいの友人が転勤。引っ越しを機に譲ってもらったのです。このバイクならかろうじて今っぽいので、ご機嫌で乗れます。嬉しいなあ。
お金をかけられないので、取りあえず体に接する部分を変更です。僕の理想とするサドル、ドロップハンドルの形状などは決まっているのですが、もう15年も立つと随分と乗り方のトレンドまで変わってしまったようです。理想に合うパーツはもはや無く(あっても、クラッシックの判を押されてしまっています(涙))、かろうじてそれに近そうなパーツで揃えました。

折しも、Shinraから独立していった西原くんが立ち上げた「サイクリングサポート」が盛況で、彼を通して部品を買えますし、店には工具やグリスなどが一通り揃っているので助かります。様々なサイクリング関係のオファーもあり、にわかにサイクリングブームな僕です。
昔取った杵柄。別府や新城に刺激されて、ちょっと脚を戻します!
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›8 07, 2009
登山の適齢期
Category:
Nature
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子供達と約束していた斜里岳に登ってきました。
斜里岳は1500m位の山で、しかも中腹ぐらいからの取っ付きなので羅臼岳ほどのキツさはありません。一昨年、羅臼岳を登頂している息子達は「大丈夫!」といいつつも、下山の辛さもだいたい予想しており、半ば覚悟が決まったような顔をしていました。ですので、今回は息子達の友達のフォローを中心にしながら無事登頂しました。天気も素晴らしく気持ちのよい山行でした。

ところで登山は知床に住むようになってから少しだけ楽しむようになった程度です。ガイド業をはじめた頃は体力だけは自信があったので、無謀にも羅臼岳登山のガイドをしていて、1日おきに2ヶ月間登り続ける・・・みたいなことをしていたこともありました。100回以上の羅臼岳の登山回数は、ちょっとした自慢でもあります。でも、今でも登山は趣味ですらありません。なので偉そうなことを言えませんが、いつも山に行くと考えることがあります。それは「何で若い人がいないの?」ということです。
山に行くといわゆる中高年の方々ばかりです。昨日も20ぐらいのパーティ50人ぐらいの中、20〜30代の方は数人でした。聞くところによると、今の中高年の方々は若い頃(60年代)に登山にとても親しんでいたと聞いています。知り合いになった中高年の方々で、登山をやっていなかった方の方が少ないぐらいです。何でも、全共闘に参加することと登山をすることが、当時のカッコいい人の姿だった(笑)と聞いています。
それはさておき、なぜ僕たちの世代、あるいはもっと若い人達は山に行かないのでしょう?ちょっと大げさかもしれませんが、このままでは、日本の登山の文化は途絶える気さえします。一方で、例えば僕たちバブル世代は全員がスキーをやっています。その中からコアなバックカントリースキー愛好家になっていっている人もいます。今までの概念とは違ったカタチで、夏山を通り越して冬山登山を楽しんでいる人は確実に増えています。そのような入り口から、登山の人口が今のようになっていくのかもしれません。
また、道具も含め山の技術は広がっているのかもしれません。が、やはり昔からの流れで言うところの「登山」をしている人は少ないと思います。自分自身や回りの人を安全快適にする道具の吟味と準備、心身ともに鍛錬される点など、登山のもつ哲学的な部分はしっかりと継承していきたいものです。ちなみに、今の中高年の登山が盛んなのは、単にアウトドア産業のマーケティングの偏りに原因があると思っています。儲かるのはわかりますが、もうちょっと次の世代を育てる意味でも、世代を縦断したマーケティングをしていただきたいものです。
さて、我が家の子供達は「あの山に登ってみたい」という単純な衝動を通して、登山の楽しさを知ることが出来ました。昨日も、他のパーティでガイドのもと登山を楽しんでいる小学生が良い笑顔をしていました。大人の役割はとても重要です。無理無く山に親しませてあげることです。しかし、僕の周りにもいるのですが、あまりに小さなうちから山に連れていこうとする親を時々見かけます。何事も段階がありますが、特に子供の発達段階を無視してムリをさせることは、子供にとってイヤな記憶や中途半端な感想は残っても良いことはありません。水泳でも水慣れに始まり、水慣れに終わると言われていますが、登山に行く前にどれだけ自然の中で遊んで、アウトドアに慣れているかが大切になります。「虫が顔に来る」「靴が水にぬれた」「擦り傷ができた」というのを「そんなことでぐずぐず言うな!」と親は頭ごなしで言ってしまいがちです。しかし、それを登山の当日に言っても始まりません。そもそも、このことが理解できるようになるには一定の年齢に達しなければ仕方が無い、ということも理解しなければなりません。怪我をしたときのことなどを考えても、文字通り「右」も「左」もおぼつかない子供を山奥に連れていくことは相当のリスクがあります。ちなみに、安全に子供も楽しく登山出来るのは、経験上、小学校2〜3年生からだと思います。その前に「どうしても登りたい!」という子もいるでしょう。でもそこは「あの山はお兄ちゃんになってから・・・。」と、大きくなることへの楽しみにつなげてあげても良いと思います。それまでは、近くの海や川や森、場合によっては低山で心ゆくまで遊ばせることです。
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