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›7 27, 2009
ああ、シャンゼリゼ
ツール・ド・フランス見てましたか?もう何と言ったらよいのかわかりません。
自転車乗りの最高の憧れのツール。今年はスキル・シマノの別府史之、Bboxブイグテレコムの新城幸也の日本人が2人も参加し、な、何と昨日パリに完走しちゃいました。
自転車レースを知らない方は「3時間遅れの別府112位、新城129位」というニュースを見ても、この偉業がどれほどのことなのかということがピンとこないかもしれませんが、そうですね〜サッカーのワールドカップで言ったらベスト8に残ったぐらい、大リーグで優勝するぐらいのとんでもないことを成し遂げたのです。
自転車のチームレースは、チームのエース数人を勝たせるために、アシストと呼ばれる他の8人ぐらいが捨て身の労働を強いられます。狭い峠道を150人もの選手が走るときなど、チームのエースが中切れをおこさないように、きちんと先頭集団に入れるようにうまく位置取りをしたり、エースがパンクしたら取りあえず自分のホイールを渡し、何分もあとにやってくるサポートカーから交換タイヤを受け取り、場合によってはエース用の補給食もついでに受け取り、再び集団に戻るまで猛ダッシュをするなど、僕たちが憧れるプロレーサーとは思えない下働きが、アームストロングなどのスター選手を支えているのです。
さらに彼らはプロなので疲れたとか、落車して鎖骨が折れたとかも関係なく、背負っているスポンサーのためにTVの前に映り続けます。どれだけ長く映るかは勝ち負けと同じぐらいに重大な仕事で、逃げを決めているチームメイトが先行していれば、後続の集団をコントロールし(・・・ちなみに「コントロール」なんて生易しいものではありません。映像ではわかりませんが罵声と肘鉄攻撃の嵐を耐え忍ぶのです。)、1分でも長く先導カメラに抜いてもらうこともアシストの仕事の一つです。風の抵抗を受け続け、エースよりもたくさんアタックに反応し、ボロボロになってもリタイアしないのがプロとしての誇りを感じるのですが、それでもどうしてもリタイアしてしまったりタイムアウトしてしまう選手が出ることもチームとしては盛り込み済です。正直、日本人の2選手はチームとしては「リタイア止むなし」でアシストのアシストぐらいの気持ちでメンバーに加えていたのでしょう。ところが、どっこいリタイアどころか第5ステージのゴールスプリントでは新城選手は5位入賞、第19ステージでは別府選手が7位に入るなど、アシスト以外での勝負強さの片鱗を並みいるヨーロッパの選手を前に見せていたのです。
そして、完走。
ツールは20日間にも及ぶ激戦でフランス中を巡り、最後にパリのシャンゼリゼを周回しゴールとなります。まさに、凱旋。コンコルド広場をぬけ、シャンゼリゼ大通りに出てくるおなじみのシーンは、選手のみならず僕たちファンがもっともボルテージが上がるところなのですが、何と別府選手はそこで逃げを決め、凱旋門前の最初の折り返しをトップで回っちゃいました!この、凄さをどう説明したらよいか・・・例えて言うなら日本人が月に着陸するぐらいの凄さなのです。(Shinraの事務所でこの話をしたら、いつもの僕の冗談ぐらいにしか受け取ってもらえませんでした(涙))
逃げる先頭の別府選手のアップから、ゆっくりとズームアウトし、長く延びるシャンゼリゼをカラフルな選手達がコーナーダッシュをする・・・。この折り返しのシーンを見て、子供達が寝静まったことも忘れて「うぉー!」と叫んでしまいました。
僕は中学からずっと自転車競技をやっていました。競技とは言っても、環境の整っていない日本では、部活のある高校も限られているため、草チームに所属して草レースに出る程度の活動しかできません。僕も学校の部活が終わったら夕方から峠に走りにいくと言う生活を続けていました。僕は本格的に競技をやりたくて、高校進学のときに「ヨーロッパに行かせてくれ!」と真剣に親や先生に相談しました。結局、その夢は果たせませんでしたが、あとにも先にも僕の人生で「やり残したこと」はこれだけなのです。まあ、そんなことを言っているすぐに、僕らが作ったクラブチームに飯島くんがやってきました。彼はのちに実業団やオリンピックに参加するまでになりますが、彼にとってほとんど初めての練習にも関わらず、練習を積んだ僕にちぎれずについてくる天才的な素質を見て、僕は自分自身の自転車選手としての素質に見切りをつけることができました。このように結果的にヨーロッパへは行かなくて正解だったのですが、ネガティブな意味ではない自分の身の程を知ることができた瞬間です。「頑張れば何でもできる!」なんてことはありません。でも、後悔しない生き方はできます。この経験があったからこそ、「やり残して後悔することは絶対にしない。」という僕の信条が生まれたのです。こうやって、自転車からはほんとうに大切なことを学びました。
そんな少年時代の憧れていたシーンが、昨日はテレビの中にありました。
これは僕自身の夢だ。
僕は別府選手になって石畳のシャンゼリゼを死にものぐるいで逃げていました。くたびれてくたびれて、肺からは血の匂いがこみ上げてきます。全身の筋肉が自分のものじゃないように暴走し、疼き、そして力つき、大きなヨーロッパ選手の集団にのみこまれます。それでも直線の向こうに凱旋門がそびえ、涙が止まらず、嗚咽しながら走り続けます。泣きながら走っていたら、ゴールです。パリの空はスタートしたときよりも秋を感じさせる青空でした。もう、自転車に関してやり残したことはありません。