オスカー受賞の『おくりびと』を見た。僕には映画に対しての勝手なルールがあって、「死を表現することは反則ワザ」なのである。しかし、『おくりびと』は、死そのものをよく描ききったよなあ・・・と素直に感心した。
人の死は誰でも悲しい。人が死ぬことによって心を動かされない人なんていないと思う。だから映画などの表現の世界で、「死」を盛り込んで感動を誘うのはズルいというのが僕の持論だ。僕は映画の中で、人が死んだり死にそうになった時点で一気にシラケてしまう。否、アルマゲドンでも、タイタニックでも人が死ぬシーンではおいおい泣きながら見ているのだが、僕の勝手な評価はC級以下に落とされてしまうのである。ダメです、簡単に人を死なせちゃ。
余談だが、そうやってみると人が死ぬシーンが全くない映画というのは非常に少ないことに気がつく。そして、一人も死んでいないのに泣けるほどの感動をもたらしてくれる映画に出会うと「さすがだな〜」と思ってしまうのだ。さらに加えて「惚れたハレた」がない・・・というのも僕的には評価が高い。映画なんだから、映画でしかできない世界を表現をしてくれよ。
『おくりびと』の素敵だったところは「不思議な縁」のようなものが裏ストーリーに流れていたところだ。そして「縁」というくくりで見ていくと、人の死や生をも内包していく曼荼羅のような世界観が、ある程度は表現されていたように感じる。海外の目には、日本の美意識とか宗教観縁とかがビビットに映ったのではないだろうか。改めて、オスカーを受賞したことを日本人として誇りに感じることができた。
人は死ぬとどうなるか。
僕はそんな問いに明確な答えを持っている。
それは、灰と水になるだけ、ということだ。
そして、水には死んでいった生き物の記憶が刻まれている。
これは実に感覚的で個人的な体験だが、
あちこちの湖や海で泳いでいるとそう感じるのだ。
水は生命の源であり、同時に死後の行き先だ。
人の縁は水が無ければ生きていけないこの地上で育まれているのだから、
水に刻まれている死者の記憶と、新しい生命の奇跡、
そして地上の縁は結局は同義だ。
この不思議さに身震いし、
今日もモチベーションをあげる。
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