我が家ではUSENでJ-WAVEを聞き続けている。お金をかけてまで東京のラジオを聞くのは、許せる選曲をする放送局が北海道に無いという以上に、自分たちのアイデンティティを育んでくれた放送を聞き続けたいという思いがあるからだ。
そんな話はどうでも良くて、コバちゃんがゲスト出演しているので聞いてみた。
コバちゃんは以前にも書いたがだんだん目が見えなくなっていく病気を患っている。今では白い杖を持たなければ歩けない状態になっているが、何と目が見えなかったり見えにくかったりする人達向けにクライミングの指導を続けている。
ラジオからそんなコバちゃんの声が聞こえてきて、知床にも何度も来てくれているKIKIさんのトークが絡んできて、何だか不思議な感覚に陥ってしまった。正直、内容は覚えていない。それよりも「ああ、一般のリスナーはコバちゃんのことを"目が見えないショウガイシャ"として聞いているんだろうな。」というのが不思議なのだ。
「ショウガイシャのコバちゃん」が話す話を、みんなはどのように聞いているのだろう?
僕はコバちゃんと長くつきあってきて、どこからがショウガイシャのコバちゃんでどこまでがケンジョウだったコバちゃんなのかが区別ができていない。だからラジオから流れてくるコバちゃんの話はコバちゃんの話でしかない。しかし、はじめてラジオでコバちゃんの声を聞く人は「ああ、目が見えない人が、凄いなあ。」と聞いているのだろうと思う。この番組も明らかにコバちゃんをショウガイシャとして登場させている。もちろん、全くの悪意も無いし、むしろコバちゃんの前向きな姿勢をうまく捉えた良い番組だったと思っている。
僕が番組をぼんやり聞きながら感じたのは、ショウガイとは「過程」でしかないのではないだろうか?ということである。
過程。
コバちゃんのように現在進行形のショウガイもあるし、10年前はショウガイとは言わなかったものが、現在では病名がついているものもある。あるいは、毎回盛り上がりを見せるパラリンピックには、ショウガイのさまざまな解釈が混在し、前大会には健常者のオリンピックに出場していても、次の大会にはパラリンピックに参加するなんて選手もいる。その逆もだ。
つまり、時間の経過とともにショウガイの概念が変わっているし、進行するショウガイを持っている人や、医学が進歩し治りつつあるショウガイを持つ人と接する場合、どの時点の本人にコミットするかによって、受け取る側の捉え方が多様だということである。これをそのまま社会全体に当てはめたら、これは面白いではないか。

僕は今年度から、不思議とユニバーサルデザインやバリアフリーといった関係の仕事が増えている。結局、高齢化の世の中になってきて、不自由な方の体のフォロー、あるいは脳梗塞の後の高次脳機能障害を始めとして、その人に合った認知の仕方をサポーとしてあげるちょっとした技術など、サービスをする側の対応を考えれば考えるほど、バリアフリーツアーの対象となるショウガイ者の垣根はなくなってきて、結局は「皆さまどうぞお越し下さい」ということになるのである。サービスの基本。バリアフリーを考えれば考えるほど、結局はサービスの本質を考える作業に行き着くのだ。ん?いつもと同じじゃん。
もちろん細かな技術論は残る。けど、それもサービスマンとしての基本が入っていなければ、いくら話しても馬耳東風だ。つまり、サービスマンとして成長していくその人の過程が、新たなショウガイシャ対応のサービスを可能にし、それが行き着くところまでいけば、もしかしたらそのショウガイシャのショウガイは「障害」ではなくなるかもしれないのである。こうしたさまざまな過程が絡み合っていくショーガイシャを取り巻く環境。社会が成長していくとはこういうことなんだと、今さらながらに気がつかされた放送でした。
コバちゃんは今週一杯出演しています。興味のある方は是非!
今日2月23日(月)〜26日(木)までの毎日 21時50分から22時までの10分間
"Share smile"
http://www.j-wave.co.jp/blog/sharesmile/
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