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›2 15, 2009
スポーツの非生産性と人の生命力
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Lifelong sport
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子供達のスキー大会で紋別へ。子供のスキーレーシングの闘いは、父親のWAX塗りの闘いとも言われているほど、日々のチューンナップが大変だ。そんな中で娘が6位入賞。自分の苦労も報われた気がした。しかも、2本のタイムが最も近かった人に送られる、紋別出身の偉大なオリンピック選手ー川端絵美杯でも見事1位となり、欲しかったバイスを副賞としていただく。でかしたぞ!娘!

チューンナップ作業のために板を固定するバイスというこの道具、これがあると日々のワックスがけが数段にはかどる(らしい)。しかし、どう見てもホームセンターに売っている万力とたいして変わらない構造なのに、べらぼうに高価なのだ。買うことを躊躇していただけに、チューンナップを頑張っているパパへの贈り物のように思え、がぜんやる気が出てくる。わかったよ、これからもワクシング頑張るよ。
ところで、いろいろな社会人スポーツが廃部に追いやられているというニュースを聞く。今日本は深刻なスポーツの危機なのだ。北海道のお家芸のスキーにしても、地方自治体が支えていることの多い地方のスキー場が、財政難からバタバタと倒れている。バブルの頃整備されたリフトなどがそろそろ耐用年数となっており、その架け替えに膨大な費用がかかるというのだ。恐らく全国のスキー場がこのサイクルに入っているはずで、地域としてのみならず、スキーヤー自らがどのようにしてスキー場を維持していくかが求められている。
これはスキーに限られた話ではない。スポーツをする人がどうやってその環境を維持していくのか。アスリートにとっては結構深刻な問題となっている。
「スポーツなんてなくてもいいじゃないか」という人もいる。スポーツは確かに非生産的な活動だ。しかし、ほとんどのスポーツが元をたどると生活に根ざした実用的な活動であった場合が多い。スキーは雪国の移動手段であったし、速く走れることは獲物を捕まえやすいことであったし、溺れないために泳げた方がよい・・・などなど。スポーツは人がこの地球上で野性的に生きていた頃の名残り、あるいは蒸留されたエキスだ。スポーツが無くなることは人間の本能を退化させることと言うのは大げさだろうか?
わが町でもいくつかのスポーツ施設が存続の危機に瀕している。スポーツは施設がなければできないものも数多くある。スポーツの「基本的に非生産的」という性質上、行政などの支援が必要なことは逃れようがない。そしてそれを裏付ける、スポーツを存続させようという国などの強い意志が必要であり、その根拠としてはやはり先に書いたような「日本人の生命力向上」に行きつくような気がする。少なくとも、スキーを続けない方針というのは北海道にはあり得ないはずだ。
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