›3 14, 2009
春のスイッチ
他の季節には感じないが、春には「今日から春!」という感じの日があるような気がする。昨日がそんな感じの日だった。

午前中は久しぶりに良い波が立っていたので、海開け後はじめて海に入る。まだ体が出来上がっていないのにダブルのサイズはかなり緊張。しかも、ここら辺ではもっともアグレッシブなポイントで水も冷たい。一緒に入っていた一人は巻かれて海底に体をぶつけたとブルーになっている。こういったシチュエーションで心を平静に保つのはまるで修行僧のようだ。穏やかな陽光を浴びながら心はメローに、テイクオフは攻撃的に、一度乗ったらいろいろな覚悟をを決めて突っ走る・・・。今シーズンの幕開けとしてはなかなかに刺激的な朝だった。

帰り道「あ、今日から春だ」と感じた。そういえば、夏に道路沿いで営巣するセキレイがしきりに道を横切るように飛び交っている。自宅そばのカエデの木にもゴジュウカラがメイプルシロップをなめに集まってきている。海が開いていないと見かけないカモメが、普通に空を舞っている。ガイドに出ていたスタッフの何人かがヒグマと出会い、のんびりとシカの死体を食べていたその個体は、お腹が一杯になった様子でトボトボと森に戻っていったそうだ。その痕をワシやカラスがムシャムシャとおこぼれに預かる・・・。こんな春の光景はここ1週間ぐらいで頻繁に見かけるようになっていた。春は既にやってきていたのに、臨界点のように春の切れ目を感じているのは、僕だけなのだろうか?

毎年この時期になると現れるこの虫、セッケイカワゲラも僕と同じような感覚を持っているに違いないと親近感を持っている。ある日から突然とぼとぼとはい出してきて、なぜか知らないが延々と太陽(光の方角)に向かって歩き続けるという不思議な習性をもつ。いったい何があるというのだ!?太陽に向かって、ただただ歩く!歩く!歩く!なかなかに熱いヤツだ。調べると、結婚相手を探すための習性のようだが、僕はそれよりも「よし!歩くぞ!」と、雪の下からはい出てくるそのきっかけを知りたい。気分を切り替えすぎだ。
セッケイカワゲラは生態研究があまりされておらず、よく見かけるわりには未知の昆虫だと言われている。その中でもわかっているのは、あたたか過ぎても生きていけず、ある程度寒くないと生きられないということだ。寒さの中でも動けるように、彼らは血中の特殊な成分を調整できるようになっているという。そうか、人間も春は体調が変化しやすい季節だ。こうした体内のホルモンバランスが、何かをきっかけに切り替わっているのは一緒かもしれない。自分でもわからない自分の体だが、カワゲラのように春のスイッチが入る面白さを自覚しておくのは僕の密かな楽しみだ。
世間では季節による体の変化を自覚できていないから、脳がパニックを起こし5月病なんて言う診断が出るのかもしれない。しかし、人間は季節の中で体調を整えながら暮らしていくすべを自らの体の中に備えている。これを意識することを、中国の気功やインドのヨガ、日本で言えば二十四節季などを通して、人は続けてきた。その機能が失われていることが、世の人の鬱化(?)を助長しているように思えてならない。
環境の変化に合わせて体と脳の関係を整えていくことは、自然と結びついた生活をしていると自ずとできるようだ。似た話は水泳指導の「水慣れ」にも言える。水の中に体を入れると、水圧で心拍数が下がり血圧も下がる。泳げない人の脳は「自分は水が恐くて心拍数や血圧が上がるはずなのに、何故下がっているのだ??」と状況が判断できずパニックに陥いる。体の変化を以外と脳は理解できないらしい。泳ぐ練習をする前に、とにかく水に入ることを体と脳に慣れさせる。そうすると、スムースに泳法の習得に移れる。人の活動の幅が広がる瞬間だ。
水慣れや、シーズン最初でデカ過ぎる波を前にした時に心を平静に保つことは、その環境にできるだけ長く身をさらすことによって得られる。脳に多くの予測不可能性をできるだけたくさん叩き込む。そうすることによって、脳は体の変化を何かの回路で解決してくれるようになるようだ。ってなことは、僕の経験上の話なのだが、先日とある委員会で脳科学者の方も仰ってくれたが、これは自然の中でのセラピーのセオリーそのままなのだと言う。
こうした自然の持つ機能を、病院やカウンセラーと提携して、多くの悩める人に提供できる仕組みができないかと思う今日この頃だ。