夕飯はお客さんと会食をすることが多いが、今日は一人でとんかつ屋へ。一人になると必ずトンカツだ。カウンター席に一人ですわって生ビールを飲んでいると、横のテーブルに高校生ぐらいの学生が6人ほど。あどけない表情の男の子達が、こんな時間にどうしたのかな〜と思っていたが、聞こえてくる話によると地方から札幌に受験で来ているらしい。無邪気にふざけあいながら、みんなで一心不乱にカツ丼定食をかき込んでいる。
そうかあ、ゲンを担いで「カツ」かあ・・・かわいいなあ・・・がんばれよ〜
我が家の息子が6年生になることもあり、最近どうしても受験というものを意識せずにはいられない。友人から聞く所によると、何でも実家の東京ではかなりの割合の子供が中学受験を受けるという。僕や家内は、中学受験なんてしなくていいよと話しているものの、自分の時代の判断基準を当てはめてはいけないのだろうな・・・と、情報収集だけは続けようと思う。
どう考えても、ウチの息子達が大学に進む頃にはとっくに全入時代になっているだろうし、よくいう学歴というのも、関係のない世界に入ってしまえば本当に関係がない。そんな中でセレクションがある意味は何なんだろう?と悩んでしまう。いずれにしても、あれほど勉強をする時というのも一生に何度もないわけだから、受験か卒業のどちらかのためにはちょっとぐらい頑張るのも悪くない。
それにしても、受験というものに子供や親を駆り立てるものは何なのか?競争心?これは何から生まれるのか?
一方で「No1ではなくOnly1」なんていう競争社会に対するアンチテーゼも見られるが、「みんなが一等賞」なんていう運動会もあるようで、それも「どーかなー??」と疑問に感じる。水泳やスキーレーシングで頑張っている息子達を見ていると、こんなに競争心を通して強い体や向上心を育めるのも子供のうちだけだ。大人はこんなにあからさまに競争はしない。
恐らく受験における序列化と、それに煽られた子供達の競争心は、会社としての大学同士の競争を映し出した光景だ。それは企業として、また教育という社会的な機能を担う場としては慎むべき態度だと思う。大学が生き残りをかけるというのは、教育が生き残りをかけている構図と一緒だ。誰もが受けたい教育を受けらるようになってほしいと願う。
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私の考えはシンプルで、「競争には勝て。ただし勝って手に入れたものは独占せずに、必要な分以外は敗者にも分け与えろ」というものです。まあ私自身は競争心が非常に薄い方でして、表彰圏内に入れれば別に1等でなくても構わないというタイプなのですが。
ちなみにうちでは中学受験は考えてません。むしろ保護者として地元の公立中をどこまで面白く出来るかということを考えてます。
投稿者 かとう : 2009年03月20日 11:06