ウチのスタッフたちは東京で生まれ育った人間ばかりだから、人ごみにはもともと慣れている。でも、すぐに東京の異常さに改めて気づかされた。チラシ配りで声をかけてくる人を当然のように無視し、街角に救急車が来ても気にもならない。肩が触れ合うほどに密着している隣の席の人と一言も声を交わさない。僕たちも東京に帰ればすぐにそうするが、好むと好まざると関わってくる人を拒否するなんて、そういえばウトロでは考えられないことだ。「余計なことには関わりたくない…。」というのは東京で暮らしていたときから体に染み付いていた感覚だ。これはここで生きていくための護身術なのだ。
余計なこと…
最近のサイコな殺人、地球環境のこと、イラクのこと、イランのこと、アフガンのこと、野放しの経済政策、食の安全保障…もし今、僕が東京に住んでいたならこういったことは全部余計なことだったような気がする。今思えば社会との接点を逃げているとしか言いようがない。
大人になるということは社会的な事柄に積極的に関係を持っていくことだと信じている。だから僕は今、社会に積極的にコミットする。僕の関心ごとに、僕のできる範囲で、自分なりにヤル。それができるようになっただけでも東京を離れた甲斐があったなあ…と改めて感じる。東京には今でも社会との接点があるようでない人がいっぱいなんだろうなあ。
さんざん探して見つけた飲み屋はとても良いところだった。うちのスタッフたちも、お店の人たちの心遣いや言葉遣いを研究していた。遊びながらもそういう視点をもってくれているウチのスタッフたちを誇らしく思う。彼らは個人としてどのように社会にコミットしていくのだろう。どこにいても恥ずかしくない人間に育てあげたいと思う。
≪続きを隠す