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›11 06, 2003
自然の中での人間存在の可能性
Posted by Tatsuya at
00:43 /
Category:
Sipetru
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古い自然保護活動家の人たちに今なお残る美学…
「俺達ゃあ、町には住めない」。裏を返せば、「山は俺たちのもの」。山を守るためなら何でもする。できれば人に入ってもらわない方が、自然が損なわれることはない…。そういう人たちの論理では、自然の中での人間存在の可能性は結局はゼロに帰してしまう。でもそういう人達自身が山に入ることは、何だか特権のように許されるかのような論理。自らが自然界に選ばれし“ノアの箱舟の乗船者”と言わんばかり…。なぜ特権なのか、彼らは言う、「俺が一番山を知っているから」…。
悪いけど、誰に聞いても「俺が一番知っている」と言うんだよ!
でも、この誰もが持っているかもしれない自然の知識というものが、実は自然の中での人間存在の可能性に他ならないのではないかと思っている。
僕はガイドをするときに重視しているのは“五感”だ。今朝歩いたキツネの匂い、エゾシカに近づこうとする時の間合いの取り方、ちょっとした風の変化で1時間後の天気を知る…こういった“カン”の全てを、全ての参加者が備えていることの気付きを与えることが、僕のガイドとしてのテーマの一つだ。ツアーを通してお客さまの様子を見ていると誰もがこれをもっていて、しかも自然とはかけ離れた生活をしていても腐らずに人間の中に脈々と受け継がれている遺伝子なのだと、何だか救いのようなものを感じるのだ。その体験こそが自然の中に身をおく本質的な意義だと思うし、「ああ、私もこの地球上で何とか生きていけそうだ」という実感を多くの人が持つことはとてもすばらしいことだと思う。
そんな体験は深い自然と野性が存在している知床のようなところだからからこそ、お客さまに提供できるのだろうと思う。「そんな“カン”なんてあてにならない。自然保護管理のためには科学的に実証が必要だ。」という研究者もいるだろう。もちろん、そういう面もたくさんあるだろうが、科学ではカバーしきれない領域こそ、かけがえのない人間の可能性が眠っているような気がしてならない。
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