« 死、祈り、環境教育 | メイン | 北海道的おもてなし »
›11 20, 2000
クール宅急便
昨日、従兄弟からメールが届いた。先日、送ったサケへのお礼のメールだ。
この季節、サケやマスの遡上が終わりに近くなるにつれ、地元の漁師たちの1年の仕事も終わりに近づく。これからの季節は魚もとれなくなるし、何より海が時化て沖に出られるような状況ではなくなる。彼らには、出稼ぎや地元でのアルバイト、あるいは失業保険での生活といった現実が目前に迫っていながら、「切り上げ」のこの時期はお世話になっている人達に美味しい魚を振舞うのだ。もちろん普段から、魚をいただくことはあるのだが、その「気持ち」がとても嬉しい晩秋の風物詩だ。
漁師たちは「実家の両親にも一番美味い“ところ”(=ちょうどよい時期の魚)を贈ってやれ」と、惜しげもなく何匹もわけてくれる。どれも銀ピカのメジカばかりだ。サケは成長が進むと、体表の銀色がくすみ、鼻が伸びてくる。鼻先から目までが近い「メジカ」は、まだ若く油がのっているのでとても美味しいのだ。誰に贈るか顔を思い浮かべながら、1尾づつ箱詰めをしていく。漁師の「気持ち」をそのまま僕達の「気持ち」としてパッキングしていく。このように季節の贈り物というのは、昔から自然のサイクル、命がけで生きている人間や動物の魂、それをつなぐ言葉や「熨斗(のし)」などの装飾が必然的に結びついていたのだろう。昔からの伝統には「気持ち」の鮮度も保つ機能もあったのではないだろうか。
さて、今回サケを贈った従兄弟は僕の父親方の長女の次男だが、僕とは確か10才ぐらい年が離れている従兄弟とは言ってもオジサンみたいな人だ。実は特別親しくしていたというわけではないのだが、何故か今年は贈ってあげたくなった。幸い喜んでもらえたようで、メールにはサケを開くのに悪戦苦闘した様子が、大きなサケに対する興奮とともに綴られていた。そして、後半には
>おかげで、様々な迷いも少し消え、
>大阪にマンションを買う気になりました。今日、契約の
>合意をしました。どうも優柔不断で、今迄買えなかった俺。
とあった。
実は彼は去年事故で亡くした(僕は自殺だと思っている)兄のあとを引き継いで、ボケのひどい彼の母親=僕の叔母の世話をしている。彼の喜び様を実家の母に電話で話したところ、孤軍奮闘している彼は最近、精神的にかなり疲れているらしいことを知った。僕はそういった話を一切聞かずに彼に送ることを決めたのだが、言葉ではうまく言い表すことの出来ないある確信を持っていた。「絶対に何かの役に立つだろう」と。結果として少し元気な気持ちが分けられたのなら、本当によかったと思う。家族の血というのはこういうときに発揮されるのだ。僕にサケを分けてくれた漁師も、彼のおかげでマンションの購入を決心した人がいるなんて思いもしないだろう。でも、宅急便でも「思い」を伝えることができるということは、人間の経済システムも捨てたものじゃない。
メス鹿のグループがゆっくりと森の際を移動していくのが家の窓から見える。きれいに生え変わった冬毛は雪のレフ板からの反射光を受け美しいつやを見せている。
素晴らしい自然を眺めているときと、遠くの縁者を思うときの気持ち、世界の紛争の解決を願うとき…なぜか僕の心の状態はどこか似ているような気がする。こんな、平穏な心を全世界で共有できたらと思う。