›6 07, 2000
エコマネー
NPO関係の付き合いが多い中、「エコマネー」「地域通貨」というものに関わることが多くなってきた。個人的には疑問だ。というか、少なくとも僕の町には必要無いだろう。
僕はイナカの人と人との繋がりが好きだ。そこには損得関係が存在しない。「お互いさま」という思いが根底にある。自分ができることを提供して、できないことを提供してもらう。ちなみに僕は自転車の修理や、インターネットへの接続の設定、山菜採り、ソフトボール大会での4番バッター…を提供(?)して、漁師さんから魚をもらったり、ビールをご馳走になったりしている。カミさんはパンの焼き方を教えてあげたり、子供達を集めてヨモギ団子を作ったりしてあげて、バアちゃんが作ったという漬物をもらったりしている。除雪や階段の掃除は皆が空いている時間にそれぞれ勝手にやっている…。もちろん誰もビールや漬物みたいな見返りを期待してやっているわけではない。「お互いさま」なのだ。
それだけのことだ。
この知床の漁師まちに「エコマネー」なんて必要ない。
しかし、「地域の人たちの交流を促進する」エコマネーの哲学は、都市部での生活者にこそ必要だろう。コミュニティを再構築することは、都会には絶対に必要だ。
僕も東京育ちの人間だ。不必要に思われる人間関係を極力避けていくことが身についた。そうしないと、1日何千人の人とすれ違う東京では神経がもたないだろう。でも、そのことによって色々な弊害が生まれているように思う。
ここ、知床の町では子供達の運動会、結婚式、葬式、お祭り…全てが大人達の手作り、まち総出のイベントだ。面倒くさいのは変わらないが、そんなときぐらい全員が顔を合わせる。酒を飲みながら語り合う。普段の誤解が晴れる。
東京では「アイツ何やってる人なんだろう」と、いちいち詮索するのは野暮というものだ。問題のある家庭に「君の家、大丈夫?」なんて、東京では「ほっといてくれ!!」ってもんだろう。でも、イナカでは「何をやっているのかわからない人」は存在しない。ある家庭の問題は、みんなの問題だ。子供が悪いことをすればみんなが叱る。ドロップアウトしそうな子をみんなで支える。登校拒否の子が、ウチの2才児と一緒に遊んでくれる。「良い」「悪い」の判断を大人も子供も試されるのである。
日本に昔からあった風景なのだろう。何の違和感もなく受け入れられる。
何故こんな風景が日本から無くなってしまったのだろう。僕にはよくわからないが一つだけ言えることは、この知床の町の大人達は地域のために本当によく頑張っているということだ。
ウトロの人口は1500人足らずだが、そのコミュニティをみんなで保っていくには本当にパワーがいる。個人的には仕事と同じぐらいのパワーを使っている感じがする。そういった意味では東京でコミュニティを再構築するのは、大変な努力が必要だろう。そう、東京の大人達はもっと頑張らなければならない。
そんな意味で「エコマネー」「地域通貨」は都会では有益だろう。コミュニティ作りの「大変さ」が「お金」に転嫁されるから楽しい。大人も子供も関係ない。行政が主導になってでもやれば良いと思う。何よりも通貨の流通量がイナカのそれとは違って格段に多い。上手くやれば絶対に根付くだろう。
イナカの良さが「エコマネー」「地域通貨」によって無くならなければ良いなあと思うのと、都会が「エコマネー」「地域通貨」によってイナカの良いところを取り戻せば良いなあと、同時に願う今日この頃。